詩編57篇と詩編108:1との共通項が、英語で聖書を読んで、steadfastという言葉にあることを見つけた。
steadfast 心の定まった模範は、エルサレムに向けて出発したところ、ルカ9章51節で見た。
イエス様はたとい、痛み苦しむことになっても、父なる神から遣わされた目的である贖いのみわざを成し遂げて、神のところに帰ることになるまで、しっかりと見定めて、十字架への道を歩まれた。
私達が主に従って伝道をしようとする際にはサタンも働く。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励まなくてはならない。
たとい労苦がともなっても、やがて益となり、天に宝をつむことにつながるのだから。
間違っても、自分勝手に動いて、確信が揺るがされ、信仰を失うようなことになってはならない。聖霊に満たされて、主の守りと導きの中で、喜んで讃美しつつ、神のみこころに従って歩み続けなくてはならない。
神のみわざをなさるのは神である。そこに私自身も用いていただけるなら、なんと感謝なことでしょう。チッポケな自我やプライドを捨てて、主の導きに委ねた方が祝福で幸いです。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます