テサロニケの人々は、みことばを受け入れて、パウロ、シルワノ、テモテたち、私たちと主とにならう者となりました。
主にならう前に、信仰の先輩たちにならう者となったと書かれていることを教えられました。意外です。
人はまず、福音を伝え、信仰生活について教えてくれた先輩たちにならうのなら、私達が次の人たちに福音を伝える時の姿勢が問われます。
たとい、コロナやその他、激しい苦難の中であっても、聖霊による喜びを内に持って、みことばを伝えるのです。
マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範となったのです。
テサロニケの信徒たちの模範、型となった。能動態でも受動態でもなく、自ら進んで模範となったと書かれています。
和菓子屋では、型を用いて、餡と餅を形つくる話を聞きました
餅がゆるいと、型にくっついて、きれいに形つくれない
餅がかたいと、型に強く押し付けなくてはならず、きれいに形つくれない
聖霊の導きに委ねて、従順に、謙遜になって、キリストに似た者へと変えられていくことを、私自身も求めます。
主のみことばは、テサロニケのところから出てマケドニヤやアカヤに響き渡った。
それだけではく、
テサロニケ人の信仰が、あらゆる所に伝わっている。
みことばが響き渡ったというマケドニヤとアカヤと、信仰が伝わったあらゆる所とは、どちらが広いところを言うのでしょうか。どちらが先行するのでしょうか。
まず、神に対する信仰がをあかししたところで、そのあかしを信じた人たちの間に、みことばが響き渡ることになると思われます。
私達が伝道する際には、まず自分自身の神への信仰をはっきりあかしをして、そしてその人の心に、神の力が働いて、主のみことばが響き届いて、その方が主を受け入れられことを祈り求めます。
反対をいうと、自分の信仰に確信がない者には、伝道して実を結ぶことはできないとも言えます。日々、みことばに整えられて、宣教の働きに用いられる器へと変えられることを求めます
第一テサロニケ 1章4-8節より koho定例祈祷会
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