第一コリント人への手紙
11:17 ところで、聞いていただくことがあります。
命令の言葉である。その前のかぶり物の習慣については自分で判断すように言って指示はしていなかった。しかし、ここからの話は信仰生活の根幹に関わる話だから、よく考えてちゃんとするようにと促されています。
自由裁量がゆるされている領域と、それではいけないと命じられていることがあるので、聞き従うことに怠慢になってはいけない。
私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。
伝えられたものを、伝えられとおりに堅く守っているならばほめられる。
しかし、罪のある自分自身の思惑に従って行くと、適当にやり過ごすようになる。集まることから距離を置いたり、そんな不信仰な思いは、ちょっとした言葉や行動に現れて、回りの人に影響を与えてしまうことになる。
11:18 まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。
今日の礼拝の後、私は教会の夏の大掃除の担当個所の整理などでひとり、汗を流して奉仕をしていた。それで、他の姉妹方がそれぞれやっている説教への応答を、今は暑いし疲れたからしないでも良しか・・・思っていた。
その後、中学生の女の子二人と教会学校の若い先生が、玄関前で、説教後の分かち合いをしているところを通りかかった。その時、私は急に自分が霊的に乾いている状態であると気づいたので、彼女たちの前に座って話を聞かせてとお願いした。そして、私自身が害となる方向ではなくて、益になる方向に方向転換ができたので良かったと伝えました。
11:19 というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。
後で聞いたのですが、彼女たちもハンドベルの練習が長引いたので、今日は分かち合いをしないで帰ろうかと思っていたところ、悔い改めて座り込んでいたのだそうです。ともにみことばから罪が示され、年代を越えて分かち合いをする機会が与えられたことは、大きな喜びでした。