ヨセフの家の入口で、ヨセフの兄たちは、管理人に恐る恐る、長々と弁明をした。
すると彼は
「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのに違いありません。あなたがたの銀は私が受け取りました。」
そして、へブル人達と、ヨセフと、へブル人とは一緒に食事ができないエジプト人と、皆で一緒にご馳走を食べた。これは、天国での宴会のようです。イエス様を中心にユダヤ人と異邦人がともに祝宴をしているようです。
何年か前に、元牧師夫人の未亡人が話してくださったことを覚えています。
最期の病床で、何度もこんなことがありました。彼が「自分には罪がある。天国に入れるか不安があって、死ぬのが恐ろしい。聖書の〇〇の箇所を読んでください」と言われたので、読んで聞かせた。そして一緒に安心して祈ったものでした。
私の夫は強気な人でしたが、副作用で苦しんでいる時、「医者は病気や治療については教えてくれるが、どうやって死ぬのか教えてくれないから不安だ。」と、私に初めて弱みを見せた。
「どうやって死ぬのか、死んだ後にどうなるのかも知っていますから、私が案内をしましょう」と、退院するまでの三カ月間、一度も家で寝ることなく、昼も夜も、彼の枕元で過ごした。最初は頼まれて新聞を読み聞かせ、信仰書をボツボツ読み進め、聖書を読むようになった。その私の声は通路だれでなく、向かい側の看護師の詰め所まで響いていたかもしれない。
そしてとうとう、夫はイエス・キリストを救い主として受け入れた。私達の病室は聖霊の宮となった。入って来た医師や看護師が部屋を見回して「この部屋は、他の部屋に比べて、なんか明るいなあ」と言われることが何度もあった。香り付きのシートで床を掃除した後に入って来た人は「なんや、いい匂いまでする」と言われた。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。第一コリント6:20
牧師夫人は、聖書のどんな箇所を読んでおられたのかを、尋ねておけばよかったなあと、今思う。
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