本当に久しぶりのUPです
うみ&そらも、きょんのダンナも私も
おかげさまで変わりなく、元気に暮らしています
今回は
うみとそらのきょうだいとしてウチの子になって
ほんの束の間、たった2時間という短さで虹の橋を渡って行った
愛おしい“レオ”との出来事を記しておきます
※すごくすごく長くなります。すみません・・・
※この写真はイメージであり、本猫ではありません
(実際は右耳がサクラカット、毛色はほぼ同じ、尻尾は短く丸いお団子しっぽでした)
2月3日、節分
早朝6時に仕事のために家を出たきょんのだんなを玄関で見送り
2度寝をしようとベッドに潜り込んですぐ
ガチャと玄関ドアが開き
「あひょ!ちょっと来て」
きょんのダンナのどこか緊張した声が私を呼びました
瞬間、ものすごく嫌な感じがして・・・
パジャマ姿のまま、厳しく冷え込んだ表に出た私の目に飛び込んできたのは
家の前の道路の端に横たわる、キジトラ猫の姿でした
「え、どうしたの!?なんで!?」強いショックで悲鳴のような声になりながら
きょんのダンナに声をかけると
「短しっぽくん。まだ生きてる。」
目は開いており、意識もありましたが、苦しそうな呼吸で口を開き、喘ぐような荒い呼吸で
しかも、小さな痙攣を繰り返していました。
家の周りでもよく姿を見かける、顔なじみのさくらねこでした。
直接の接触はなかったのですが、我が家で「みじかしっぽくん」と呼んでいた子でした
「なんで・・・こんなことに・・・」
腹部にかなり大きな怪我をしているのはすぐ分かりましたが
どうして良いのかわからず、でも、この寒空の下でこのまま放っておくわけにはいかない
「バスタオルかなんかない?道路冷たいからとりあえず敷いてあげないと」
きょんのダンナに言われ、家の中にもどり、オロオロしながらもバスタオルを2枚持って
パジャマの上から防寒着を羽織り、再び外に出ました
きょんのダンナが、できるだけ身体に衝撃を与えないように怪我をしている腹部をバスタオルでくるみ
このままだと危ないからと移動させることに。
そっと身体を持ち上げると、腹部から腸がはみ出していて・・・
思っているよりかなり深刻な状態であることが分かり、さらにショックが広がりました
もう、ダメかもしれない・・・
「痛いよね」「辛いよね」「ごめんね、苦しいよね」
半泣きで声をかけながら、大き目のガーデンバスケットに寝かせ
さらに上からお腹の部分にバスタオルをかけてから、家の中に運び入れました
すでに遅刻しているのに、なおも心配して出社せず付き添ってくれたきょんのダンナに
「後は私がやるから、大丈夫だから、仕事に行って」と送り出し
万一の感染症対策として、うみ&そらとは隔離した1室で付き添いました。
時刻は6時半・・・
夜間救急センターの受付は5時まで、やはり電話は繋がらず
どこでも良いからと、市内の動物病院にあちこち電話しましたが、やはり繋がらず・・・
長い、長い時間でした・・・
目の前で苦しむ姿を見ても、何もしてやれない
ただただ、頭や背中をなで、手を握り、声をかけるしか出来ませんでした・・・
時折、大きな呼吸をして、起き上がろうとする瞬間もあり、
それでも、痙攣と喘ぎを繰り返し、声は全く出ないようでした
少しでも目を離すと、逝ってしまうかも
せめて看取ってやりたいと、トイレ以外ずっと傍についていました。
そして、7時半過ぎ
依然として苦しみ喘ぐ状態ではありましたが、まだ頑張って生きていてくれたので
自分でも無謀で強引だとは思いましたが、ダメもとで病院に連れてゆくことにしました
うみ&そらのかかりつけのお医者様
生後1か月でふたりが我が家に来たときからずっとお世話になっているY先生
診療開始は9時からでしたが、待っていられず
バスケットを助手席に乗せ、本院へ向かいました(Y先生は分院の院長先生)
8時少し過ぎに到着し
ちょうど出勤されたスタッフの方を見かけ
半泣きになりながら状況を説明しました
まだ診療前だけど、なんとか診てもらえないか
9時まで待つ覚悟ですが、もし可能であれば少しでも早く・・・と
大きなご迷惑をおかけすることは十二分に分かっていたのですが
目の前で苦しむ姿を見ると、なんとか、なんとかという思いで必死にお願いしました
そして、それから間もなく
まだ開院準備前の状態にも関わらず、Y先生が来てくださいました
もう本当に本当にありがたくて、既に涙腺が崩壊状態で・・・
事情を説明し、もし治るなら助けて欲しい
生き延びることができたら、たとえどんな状態になっても
死ぬまでウチの子としてお世話をする覚悟でいることを伝えました
Y先生から
できる限りのことはさせていただきます
お預かりして、処置をして、状態が確認できたらまたご連絡しますので
一旦ご自宅へ戻ってお待ちください と言われ、どれだけ安堵したか・・・
どんな状態にせよ、もうこれ以上彼は苦しまずに済むんだ、と
本当に感謝しかありませんでした・・・
8時半頃、受付の方から
これからカルテを作りますので、お名前を決めていただけますか?と言われ
「レオ」と名付けました
ジャングル大帝のレオ、どんな困難でも逞しく生き抜いた男の子
どうか生き延びて欲しいと、そんな願いを込めた名前でした
突然我が家の子になった、レオ
祈るような気持ちで彼を病院に託し、一旦家に戻りました
ふと我に返ってみると
顔も洗わず、歯も磨かず、髪はボサボサ、パジャマに防寒着、スッピン眉ナシの状態
帰宅してすぐに、来ていた服をすべて洗濯機に放り込み、シャワーを浴びて浴室を出たタイミングで
Y先生から電話がありました
腹部の損傷が激しく、内臓だけでなくお腹の皮も大きく欠損していて
生命を維持するのは難しい状態であること
今は、麻酔の状態で気管挿管して酸素吸入をしているが、既に呼吸も心拍もかなり弱っている
これ以上延命することは、却ってレオの苦しみを長引かせるだけなので
管を抜き、亡くなった時点で身体を清め、傷口の縫合をして綺麗な身体にしてからお迎えにと考えているが
どうされますか?のことでした
レオがどれだけ酷い怪我をしていたのかよく分かっていたので
先生には本当に感謝しかありませんでした。
精一杯のお礼と、30~40分後にはお迎えに行けると伝え、電話を終えました
なんとも言えない気持ちでしたが、気持ちを鎮めて身支度を整え
ほったらかしになっていたうみとそらのご飯の準備をしました
腹ペコだったのでしょう、無邪気に喜びながら
ムシャムシャごはんを食べているうみとそらを見ていたら
急にぶわーっと涙が溢れてきました
レオ、ごめんね、ごめんね、何もできなかったね
苦しかったよね、辛かったよね、怖かったよね・・・
おそらく、私が病院に迎えに行った時には
レオはもう亡くなっているだろうと確信しました
家に連れて帰るより、そのまま葬儀場に向かうことにして
電話で受付の手配を済ませ、途中で花屋さんに寄り、紫色のストックと白菊の花束を買って病院に向かいました
早朝にレオを発見した時には、まだ周囲が暗くてよく分からなかったのですが
日が昇り明るくなった道路には、かなりの流血と臓器の一部かと思われるものが残されていました
レオ、本当にすごくすごく痛かったよね・・・
10時半頃病院に着き、受付を済ませてしばらくすると診察室に呼ばれました
院長先生がいらして
「よく頑張りましたよ。もう今は辛かった身体から抜けて、痛みも苦しみもない状態で
このへん(私たちの頭の上あたりを示しながら)から見てますよ
レオくん、苦しかったけど最後は幸せだったと思いますよ」
と声をかけてくださいました。
担当のY先生は分院での診療のため不在でしたが、しっかりと伝えてくださっていたようで
ガーデンバスケットの中に、きれいにお腹を縫合され、穏やかに目を閉じて横たわっているレオがいました
レオの身体の周りには、カーネーションの花数輪とキャットフードのサンプルが添えられていました
先生とスタッフの皆さまのご対応と温かな心遣いに心から感謝し
穏やかな顔で眠るレオを助手席に乗せて葬儀場へ向かいました
もう痛くないんだ、辛くないんだ、よかったね、レオ
でも何もできなかったね、ごめんね
もっともっと姿を見ていたかったよ
苦しむ姿や、普段見かけていた我が家の周りで昼寝をしていた彼の姿が頭の中で浮かんでは消えを繰り返し
でもなぜか喉が詰まって号泣ができない苦しい状態でした
レオは、志摩のペット霊園 動愛園さんで葬ってもらいました
きょんのダンナと「みじかしっぽくん」と呼んでいたレオ
普段から彼を見かけてはいましたが、近くても2mくらいまでしか寄れず
ご飯をあげることはもちろん、撫でたことさえなかったのですが
名付けた以上はウチの子として供養をしていただくことにしました
レオ、今度はね
こんどまた猫生を迎えるときには
ずっとのおうちで暮らせるように祈っているからね
きょんのダンナもあひょも、ちょっとジジとババになりかけてるから
タイムリミットはそんなに長くないけど
もし近いうちにお着換えできるなら、待ってるから
2代目レオとして、いつでも帰って来てね
余裕がなくて、あまりにも突然で
当初はロードキル(交通事故)かと思っていたのですが
後日、ある事実が分かり
どうやら、車によるものではなく
野生動物(多分ハクビシン)との死闘によるもののようです
長くなったので割愛しますが
Y先生にお話ししたところ、
実は怪我の状態からみて交通事故とは考えにくかった、
野生動物なら腹部の損傷の酷さも納得できる、と言われたので
動物の種類はともかく、原因としてはほぼ間違いないと思います
外で暮らす猫がいかに過酷な状態でいるのか
改めて痛感しました
レオ・・・ずっとずっと忘れないよ、愛してる・・・