行く1月。早いです。
比較的暖かめの日が続いています。
うみそらの額ほどの庭では、少しずつ春の気配が・・・
ミモザアカシアの花芽が、少しずつ丸くふくらみ、黄色味をかもし出してきました。
ん~。今年も早々にやる気やね。
ラベンダーもそろそろ雨後の筍状態。
小さな蕾が次々に伸びてきております。
ローズマリーに至っては、お花畑状態になりつつあり・・・
いや~、ハーブは強いね!
今後強い寒波でも襲来しない限り
彼らは着々と勢力を拡大してゆくことでしょう。
明るく暖かな黄色い春まで、あともうひと踏ん張り。
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(前回の続き)
ヘタレでチキンなあひょでも、開き直ると少し強くなる。
どうせ逃げ切れないなら、覚悟を決めて立ち向かってやれ。
大げさなようだけど、本当にそのくらいの重大事で。
・・・歯科医院からの紹介状と、診療記録(画像等)が保存されたCDを持参し
こわごわ歯科大病院を訪れたのは、11月に入ってすぐ。
一昨年9月に建て替わった、広々としたとても綺麗な病院にびっくり。気分が少し上がった。
大学病院って歴史ある建物が多いから、なんとなく古くて薄暗いイメージをもっていたので・・・(←あくまでも私見です)
内心ドキドキと震えながら待つことしばし。
受付モニターに受付番号と診察ブース番号が表示され、診察室へ入る。
さすが歯科大。診察ブースの数がすごい。
パーテーションで仕切られ、ずらりと並んだ内の一つの椅子に腰かける。
やって来たのは、若い男性の先生と数人の白衣の方々。学生さんかな?
まずはイケメン先生に口の中の状態を確認され、時間をかけてゆっくりと問診された。
その時とにかく根掘り葉掘り聞かれたのが、医薬品アレルギーについて。
抗菌剤2種類がNG、そして鎮痛剤による蕁麻疹のこと。
一通り説明し、問診終了して待つことしばし。
いよいよ担当の先生が登場した。
口調も動作もとてもテキパキした、女性の先生。年齢は私より二回り近く若いかな?
とにかくサバサバ、ズバズバ、でも真摯に私の質問に答えてくれ
「うん!これはイケる!この体育会系先生ならきっと大丈夫!(←失礼やね)」
不思議と不安がなくなった。
サバサバズバズバのS先生からの説明では次の通り(要点のみ)
・2回法はやらない。1回で抜いてしまう。今回は2回法のメリットがない。
・抜歯後30%くらいの割合で麻痺が残るリスクがある。その場合はペインクリニックで治療する。
・骨も削るので、かなり大がかりになる。抗菌剤と鎮痛剤の服用は必須。
・アレルギー専門医を紹介するので、服用できる抗菌剤と鎮痛剤を特定して欲しい。抜歯はそれから。
むむむ・・・そうか~。
イケメン先生からは既に術後の注意事項の説明を受け、同意書にサインまでしていたので
次回の予約ですぐに抜歯になるかと思ったら
またもや新たなハードルが~
そんなわけで、またまた紹介状を受け取ったあひょ。
早速次の週にアレルギー専門外来の診察を受けることになった。
(つづく)
「負けるな!闘えあひょ!オレのように!」
「あたちも負けないなのよ!」
・・・うみくん、負けてる?
そらちゃんのキックとパンチ、炸裂?
5年前の今日の写真。そらちゃん、ちょっとスリム。
ソファの上が散らかっててごめんなさ~い
抜歯から17日。
おかげさまで、ずいぶんと平常運転に戻ってきました。
頬の腫れもほとんどひき、ほんの少しのしこりを残す程度までに回復。
ウチのニャコムのふたりのような大口を開けての思いっきり欠伸にはまだ至らないけれど
食事の度の痛みのストレスからはぐっと解放され
少しずつアルコールに対する色気も・・・むふふ~。
とはいえ、断酒継続中。やればできるじゃん、私。
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(前回の続き)
結局、のらりくらりと抜歯から逃げ続け、早20数年。
その間、体調を崩したり疲れが溜まると少し疼いたり、歯磨き時に少し出血したりはしたけれど
まあ何とかうまく誤魔化しながら日常を送っていた。
それが、そろそろちょっとヤバいかも・・・と思い始めたのが3年ほど前。
異常を感じる頻度が増えてきたからだった。
ちょっと試しに自宅近くの歯科医院に行ったところ
速攻で歯科大を紹介された。
紹介状までもらったけれど、急に怖気づいてしまい、保留。
うだうだとしているうちに、今回の感染症騒動。
気持ちは完全に冷え切ってしまった・・・。
そして、昨年の秋。
3月末で仕事も辞めたことだし
今後新しいことにチャレンジするにあたって
身体をメンテナンスしておこう、という思いがふつふつとこみあげてきた。
更年期とか五十肩とか、お年頃の自分の身体にはツッコミどころは満載だったけれど
やはりその中でも最も厄介な大物である親知らずと対決する覚悟が、この時にようやく固まったのだった。
できるなら、抜かずに済ませたい。
セカンドオピニオンということもあり、別の歯科医院で改めて診てもらうことにした。
車で20分。矯正歯科、口腔外科を専門とする比較的新しい医院で評判も良く
もしかしたら歯科大に行かずに済むのでは・・・という淡い期待を抱いて訪れたのだった。
レントゲン、そしてCT診断の結果
歯茎の中で炎症を起こし、ある程度広がってきているため
できるだけ早めに抜歯をした方が良い、ということだった。
神経のすぐ近くに居座っているうえに、もしかすると歯の一部が顎の骨と癒着しているかも・・・とのこと。
「歯科大を勧めるが、もしどうしてもウチを希望されるのであれば『二回法』でやります」と説明された。
んん?二回法???初めて聞いたぞ。なんだそれ!?
超簡単に説明すると、親知らずの頭の部分だけを分割して取り出し一旦終了。
残りは状態を見ながら数ヶ月後に取り出す、というもの。
親知らずが神経近くにある場合に、その損傷による抜歯後の麻痺のリスクを小さくするための方法だった。
いいじゃん、それ~!!・・・と内心大喜びしたのもつかの間
改めて電子カルテを見た先生の表情が曇る
「あひょさん、抗菌剤と鎮痛剤のアレルギーがあるんですか?」
「はい。そうなんです。
抗菌剤は、ペニシリン系、マクロライド系がNGなんです。
鎮痛剤も過去に蕁麻疹が出たので、もうずいぶんと長い間服用していません」
この私の答えが、決定打だった。
セカンドオピニオンでもやはり、歯科大での抜歯という結論となった。
・・・ただでさえ臆病者の怖がりなのに・・・
歯科大、怖いじゃないか~!!!!
あひるのクセに実はチキンでヘタレなあひょ心は千々に乱れるのであった・・・
(つづく)
当時の気持ちを写真で表現してみたよ!
↑砂浜
↑地震雲??
「・・・なに?イミフ・・・」
「ぜんぜんつたわんないなのよ」
年明け間もない、1月6日。
二十数年に亘って逃げまくってきた右下の完全水平埋伏智歯を、抜いた。
地元の歯科大で、麻酔時間を除いて正味1時間10分という長丁場。
10日近く経った今、顔の腫れはほとんど目立たないくらい落ち着いてきたけれど
抜歯後の後遺症ともいうべき、ジクジクした痛みと開口障害に結構やられている。
口を開けると、まるで顎関節が固まってしまったかのように動かず
また、無理をして大きく開けようとすると、激痛と言っても良いくらいの痛みが走る。
おかげさまで、自然と食事量が減り、また、継続する痛みから6日以降断酒状態ということもあり
体重は順調に減少している。
普段体重計に乗る習慣がないので正確には分からないけれど
抜歯の日から2kgは減ったと思う。大変ラッキーである。うひょひょひょ。
そんなわけで、ただでさえやっかいな医薬品アレルギー持ちのあひょが
これまたやっかいな親知らずと闘ってきた道のりを記してゆきたいと思う。
万が一、同じような状況を抱えたどなたかの参考になれば、体を張った甲斐があったというもの。
長き語りになるかと思いますが、興味のある方はゆるりとお読み下され・・・・
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時は過去に遡り、1999年(平成11年)。
「左も右も、見事に完全に埋伏した親知らずですね。横向きに生えてます。」
当時住んでいた東京は世田谷区。勤務先近くの歯科医院。
なんとなく左の奥歯あたりが疼くので訪れたところ、思いがけない歯科医の言葉。
歯茎が炎症を起こしているので、抜いたほうが良いとのこと。
当時の私には自覚する医薬品アレルギーはあまりなかったし
歯を1本抜くくらい大丈夫だろう、と気軽に考え、抜くことにした。
「フーッ!!!やっと取れましたよ・・・」
抜歯を開始してから、2時間後。
かち割られた歯の、最後の欠片がやっと取れた時に歯科医がついた大きな溜息を、未だにはっきりと覚えている。
初めて抜いた親知らずが、こんなに大変なものだったとは・・・
遠い昔のことなので、痛みがどうだったかはよく覚えていないが
とにかく顔の腫れがすごくて、抜歯中にガンガンやられた精神的なダメージもかなりなもので
事前申請していた有給休暇を1日延ばしてもらい、2日間寝込んでいたことは覚えている。
若いコトもあり、経過は順調だったように思う。
抜糸の後で「1カ月くらい後に、右も抜きますか?」と歯科医に聞かれ
「いえ、結構です!様子を見て、異常が出たらその時に改めてお願いします」と即答。
もう、こんな辛い状態は2度とゴメンだ。歯磨きをしっかりして、ずっとずっと逃げ切ってやる~!!!
そう固く胸に誓った。(次回へつづく)
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さて。
話は全く変わるけれど・・・
生きていると、どうしても二者択一の決断を迫られる状況が何度かやってくる。
ある意味、今はまさに世界的にそうなのかもしれない。
私の場合、その基準は明確だ。
基本的に、直感を重視する。
私の中に根付く、本能的なセンサー。
もちろん、やみくもに直感に頼るワケではなく
自分なりに様々な情報を収集して決定するわけだけれど
本当に迷ったとき、最後の決め手は
『どちらが後悔しないか』
選んだ方が良いかもしれない答えに対して
どうしても自分の本能が拒否をしてしまうような場合に
繰り返し自分に問いかける。
それを選ばなかった場合の最悪のケースを想定し、また同時に
選んだ場合に訪れてしまうかもしれない最悪のケースを想定し
究極、死んでから振り返った時に後悔しないのはどちらか?
・・・ずっとそれで決めてきた。悔いはない。
あの時選ばなかった道を、もし選択していたら
今の私はどうだったのだろう。
残念ながら、捨ててしまった選択肢、つまり、選ばなかった未来を見ることは誰にも出来ない。
だからこそ、少しでも後悔する要素があれば
周囲を傷つけようが、無茶だとか無謀だとか我儘だとか言われながらも
自分の気持ち(直感)にだけは正直に生きてきた。(自己中だね、ホント。)
本当は、間違っていた(いる)かもしれない。
もっと素晴らしい未来が開けていたのかもしれない。
それでも私は、今がベストだといつも思っている。どんなに苦しんだとしても。
後悔だけは、したくない。
ちょっと若い頃は「棺桶主義」なんていう意味不明な言葉で表現していたけれど
要は、この世を去るときに
「いろいろあったけど、本当に良い人生だった。後悔はひとつもない」
というのが人生の究極の目標だと思っていた。それは今も変わっていない。
「あの時、ああしていれば・・・」と後悔することは、自分の中では負けだと思っている。
誰と比べるということでなく、自分自身の中で。
う~ん・・・大いに無駄な脱線をしてしまった・・・
今回、長年の逃亡を終了して真っ向勝負に臨んだのも
今抜かないと、先々後悔するな、とようやく覚悟できたから。
本能のささやきがMAXになったということで。
そんなわけで
口を開けても、痛みのない大きさだと指が縦に1本くらいしか入らず
食事の度に苦痛を味わいながらも(顎の関節もこめかみもキツ~)
不思議と気持ちの上では清々しいのです。
・・・それにしても、本当に治るんかいな????
「ほら、あひょママ、口ってこんな風に開けるんだぜ。」
「あたちも見てなのよ~!」
はいはい。ありがとう。
あなたがたのために、あひょママ、耐えるよ。
おせちもなかったのですが
「たまには見てくれよな」