8月最後の週末。
あひょ父・母、そしてきょんくんと一緒に、1泊2日の温泉旅行。
大分は湯布院、別府に行ってきました。
あちこちウロウロと楽しんでブログネタ満載ではありますが、ちょっと小出しに
まずは、別府といえば“ラクテンチ”(遊園地です)、“ラクテンチ”といえばなんといっても“あひる競争”というわけで、きょんくんは初めて、あひょは小学校の修学旅行以来の、懐かしのラクテンチであひる競争を楽しみました。
上の写真は、競争前、待機するあひるたち。
もう可愛くて可愛くて・・・。
このあひる競争、普通のレースとパン喰いレースの2種類あります。
あひるは全部で8羽。首輪の色で予想して、1枚100円で賭けます。
景品はお菓子か、昔から変わらないオリジナルのあひるハンカチ。
2レースほど賭けたのですが、残念ながらハズレ。懐かしのハンカチを入手することはできませんでした
では。ぶつ切れではありますが、愛嬌たっぷりのレースをお楽しみ下さい。
“パン喰い競争”編です。
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あまりの愛くるしさに、きょんくんもあひょももうメロメロ。
ラクテンチ自体は中学生以上だとかなり物足りないだろうなぁ・・・という、とてもこぢんまりとした素朴な遊園地。
今回は、この懐かしいあひる競争のために訪れたのでした。
あひる好きな方は、是非一度
パチンコのために、1歳にも満たない赤ちゃんを車内に置き去りにして殺す。(死なせる、ではない。もうこれは立派な殺人だ。)
路上で出産し、へその緒もついたままで捨て去り、殺す。
辛く、高額な不妊治療に長年耐え、それでも恵まれずにもがき苦しんでいる夫婦もいれば、このように、せっかく授かった命をあっけなくこの世から抹殺してしまう親がいる。
うーん。
遣り切れなさすぎる。
これも運命なのか?これも学びなのか?
『神様。
どうせ殺してしまう命なら、どうかその魂を、私たち夫婦のもとへお恵み下さい。』
そう切実に願っている夫婦が、きょんくんとあひょを含め、この世にはどれほどたくさんいることだろう。
虐待で殺された子どもたちのニュースを見る度、この思いを果てしなく繰り返してしまう、あひょです。
結婚する数年前から、ダイエットと体力維持のためにきょんくんが始めたジョギング。
東京に住んでいた頃はせいぜい週1日くらいだったのに、福岡に帰ってきてからは大体週3日のペースで走っている。距離は10~15km、時間にして1時間~1時間半くらい。
平日は帰宅後、休日は早朝なので、休日はたまに自転車で併走しているあひょ。結構良い運動になる。
昨日は、夕方のジョギングを久しぶりにお供した。
夏の厳しい暑さがとれ、川や海沿いを涼風が吹き抜ける初秋の夕方のジョギングはなかなか気持ちが良い。
夕暮れ時だから、昨日のようにお天気が良い日は、夕焼けの美しさもまた格別だ。
福岡は、なんて綺麗な街なんだろう・・・としみじみ思う。
刻一刻とどんどん表情をかえてゆく百道(ももち)の浜辺。果てしなく広がる海。
家から10分程走ると潮の匂いが出迎え、海へと誘ってくれる。
静かに海を眺めていると、この上なく心が安らぎ、落ち着きを取り戻すことができる。
最高のセラピストだ。
今朝は、朝焼けもなかなか綺麗だった。
こちらは、南側にあるベランダから東の空を臨んだもの。
そしてこちらは北側の玄関外のロビーからの眺め。
いい季節になってきたな、と嬉しく思う。
これから秋を迎えると、山々は色とりどりにその姿を美しく飾る。
ドライブスポット満載の福岡、そして佐賀。(あひょは穴場を知っている。ぐふぐふっ)
カメラ片手に走り回る週末がくるのも、そう遠くはなさそうだ。
『サクラサク』
9月からの、新しいお仕事決定しやした。
いやー、本当に有り難いことでやんす。ううっ。
4月に福岡へ戻って、早5ヶ月。
わりとすぐ決まった最初のお仕事は、あのように情けない汚点となってしまい・・・。
それでも、“それも一つの選択だ”と、内心は開き直っていて、それほど気にしていなかった。
もうひとつの大きな望みがあるから、それに重点を置いてみよう・・・と。
ところが。やはり現実はそう甘くなく。
どんどん行き詰まってゆく毎日。
膠着状態が3ヶ月ともなると、流石のワタシも結構凹んできた。
“子どもも出来ず、仕事も決まらず、一日中怠けて家に居て、アタシは一体何をやっているのだ・・・”
地味にあちこち就活を続けていたもののオファーは全くない。妊娠の兆候も全くない。
澱んで歪んで八方塞がりに陥って、憂鬱でヤル気を失っていたある日。
ふっ、と宇野千代さんの言葉を思い出した。
「窮地に陥った時はジタバタせず、開き直って、その状況に思い切って身体ごと飛び込んで身を委ねてみる。そうすると意外に凌げるものだ。」
本を読んだのはもう10年以上前だから、言葉は全く異なっていると思うけれど、趣旨としてはこんなことだったと思う。
そうだそうだ。自分なりに手を尽くしても事態が動かない時、今まで確かに私もそうやってなんとか切り抜けてきたじゃないか。目の前の霧がふっと晴れた気がした。
“大いなる流れに心身を委ねます。もしも私が進むべき道があれば、どうかそれをお示し下さい”真摯な気持ちでそう祈った。
そしてその数日後、夢を見た。
あひょが尊敬し大ファンでもある人が出てきて、こう告げた。
『どちらか一つは必ず叶うから、心配しなくて大丈夫だよ』
夢なのにミョーにリアルで、ものすごい安堵感と久しぶりのスッキリした気持ちで心がとても落ち着いたのを覚えている。きっとこれは正夢なんだろうな、そう思った。
その2日後。某派遣会社から全く思いがけなくお仕事紹介の電話を貰った。
仕事内容、勤務時間、勤務場所、就業開始日・・・全てが不思議なくらい私の希望とピッタリ一致していた。
本日、就業決定のお返事を頂いたのが、そのお仕事なのだ。
あれほど悩み苦しんだ期間が嘘のように、ある時突然、勿体なくもあっけないくらいにトントン拍子に事が運ぶ。
不思議だけれど、人生にはそんな瞬間があるものだ。
そんな時私は、自分の存在を遥かに超えたとてつもなく大きな存在のようなものを感じてしまう。
全てを自身で選択しているようでいて、実際は、元々抗うことのできない大きな運命の流れの上に乗っかっていて、自分が決定していることは、実はその中の小さな枝葉に過ぎないのではないか、という不思議な感覚。
タイミングだとか、縁だとかいう言葉によって表される目には見えない流れ。
時折それはその時の自分の希望と全く反した状況を齎したりするから、渦中では全く理解できないことも多いけれど、少し時間を置いて振り返ると、まるでずっと探し求めていたジグソーパズルの一片が急に見つかってスッとはまった如くに、その理由や意味がストンと腑に落ちたりする。あぁ、そういうことだったのか、と。
それはともかく。
せっかくいただいた、新しいご縁。
今度は途中で投げ出すことなく、精一杯向かい合わなくちゃね。