数ヶ月に1度くらいの割合で、深夜、昔の彼から電話がかかってくる。
同居人きょんくんと出会ったことが原因でその元彼(Jくん)と別れてから早5年。
Jくんは、現在は結婚し子供にも恵まれて幸せに暮らしている。
それでも時折、酔っ払っては電話をかけてくる。
彼自身、自分が現在幸せだと感じているし、元々、私に電話をしてくる理由の中には“何とかしてヨリを戻そう”という下心は全くない。
じゃあ、なぜ連絡をしてくるのか。
その理由は、私にはとてもよく分かる。
彼は恋しいのだ。『あの頃の二人』が。
・・・もっと正確にいうと、「あの頃、どんなに幸せだったか」という想い出話をしたいだけなのだ。
自分の心に正直に、ただそれだけが信条の私は、恋人に対しても、常にありのままの自分を見せてきた。だから恋の駆け引きなど、やったことがない。(不器用なので出来ない、というほうが正確かもしれないが。)
その上、「人生は、明日何が起こるか分からない不確実なものだ」とずっと意識しながら毎日を送っているので、常に一瞬一瞬を全力投球で向かい合うから、相手に対して向ける精神的なエネルギーはかなり大きいと思う。
相手の為に献身的に尽くすタイプでは決してないけれど、自分の悔いが残らないように相手に全身全霊をかけて接してきた。思いっきり甘え、怒り、笑い、泣き・・・喜怒哀楽をはっきり表現する反面、相手にとってのびのび寛いで安らげる存在でありたい、と自分なりに考え、多少の労苦は厭わなかった。
結果、「こんなに自分が愛されたという実感を得たのはお前が初めてだ」と、よく言われた。
自惚れではなく、それは当然の感想だと思う。
相手に誠心誠意で接すれば、その時にかけたエネルギーの分だけ相手に気持ちが伝わるのは物事の道理で、私の特殊な能力というわけではないからだ。
ただ、“その、ある意味無謀で気力のいる面倒な努力を、するかしないか”だけなのだ。
情熱的なんていうお誉めの言葉を口にしてくれる奇特な方もいるけれど、そんな高尚なことなんかでは決してないと私は思っている。
もっと単純に、単に動物に近いだけ。本能で生きているだけなのだ。
マニュアル本や指南書では、外見を磨く術を熱心に丁寧に教えている。
相手の表情やしぐさから相手の本心を見抜く方法や、小悪魔になるためのレッスン・・などなど。
でも、本来人間なんて自己欲求の塊の動物なのだから、もっと単純に、結局はうわべの見てくれなどではなくて「自分にとっての気持ちの良い場所」を求めているのではないか、と思うのだけれど。
アタマばかりが先行して肝心の気持ちや行動が伴っていないアタマノイイヒトの幸せは、私の趣味ではない。まあ、アタマノイイヒトははなっから私のような動物には目もくれませんが。
ただ、やっぱりエネルギー保存の法則ってあるって思うのですよ。
思い出したように電話をして「あの頃は幸せだったなー。俺は本当にお前と付き合えて幸せだったよ。」という美味しい言葉を耳にする度に、あのころのエネルギーあってのこのJくんのセリフだよなぁ・・・とつくづく痛感する私なのでした。
世間では省エネが叫ばれて久しく経ちますが、心のエネルギーくらいはけちけち節約せずに愛しい誰かのためにど~んと消費してはいかがですか?
お金では買えない、何か大切でかけがえのないものが得られるかもしれませんよ。