会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

会津のダム建設での中国人犠牲者の慰霊祭に参加しました 柴田聖寛

2023-07-17 12:01:58 | オピニオン

 

猪苗代町の沼ノ倉にある中国人殉難烈士慰霊碑

中国駐新潟総領事館の劉宏代表総領事の来賓あいさつ

遠藤久福島県中国人殉難烈士慰霊碑保存会長(福島県日中友好協会会長)の謝辞

 中国との交流の絆を強めなくては、と実感しました。福島県中国人殉難烈士慰霊祭は福島県中国人殉難烈士慰霊碑保存会が主催して去る9日午前10時から猪苗代町の沼ノ倉にある中国人殉難烈士慰霊碑前で行われ、県内を中心に約100名が参列しました。
 同慰霊祭では、渡部英一福島県中国人殉難烈士慰霊碑保存会副会長が開会の辞を述べ、眞田隆浄土真宗本願寺派樹林山西円寺御住職による読経に引き続き、参列者による焼香が行われました。
 このあと、二瓶盛一猪苗代町長、中国駐新潟総領事館の劉宏代表総領事、橋本逸男公益法人日本中国友好協会副会長の来賓あいさつがあり、これに対して遠藤久福島県中国人殉難烈士慰霊碑保存会長(福島県日中友好協会会長)が謝辞を述べました。
 同慰霊祭終了後は、同町長浜のホテル「みなとや」で同保存会の総会も開催され、今年度の事業計画などが採択されました。
 同慰霊碑は沼ノ倉や宮下発電所の建設現場で犠牲になった中国人のために1971年に建立されたものです。沼ノ倉の発電所は1943年に着工し、1944年12月に完成しました。宮下発電所は1941年に着工し、運用を開始したのは敗戦後の1946年12月でした。約1000人の中国人がその過酷な労働に従事したといわれ、そこで25人の貴重な命が失われました。
 同保存会は福島県日中友好協会が中心になって2005年に発足しましたが、2015年に同慰霊祭で参列した、当時の程永華大使は「実際な行動をもって過去の歴史を直視し、また後世の人々に警鐘をならし、中日友好と永遠の不再戦を訴えるために、たゆまぬ努力を続けてきた」ことに感謝の意を表しました。
 会津における水力発電所の建設は日本の国策にそったもので、中国人や朝鮮の人たちの力もあって、今日の会津の水力電力の基礎が築かれたのです。このことに関しては、しっかりと後の世にまで語り伝えるべきだと思います。

       合掌

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戸津説法師に延暦寺一山・求法寺の武覚超御住職 柴田聖寛

2023-06-14 12:22:26 | 天台宗

 

 延暦寺一山・求法寺の(滋賀県大津市坂本)の武覚超御住職が来る8月21日から25日までの5日間にわたって、戸津説法師(とづせっぽうし)を務められることになり、去る6月4日の宗祖伝教大師様の御命日に、比叡山宗祖御廟・浄土院において長講会(ぢょうごうえ)の法要の後に、大樹孝啓天台座主様から指名を受けられました。
 戸津説法というのは、天台宗としてもっとも大事な行事の一つです。毎年8月21日から25日までの期間にわたって、比叡山の山麓で琵琶湖畔の東南寺で行われる法華経についての説法です。天台座主への登竜門ともいわれています。
 最初の頃は、東南寺ばかりではなく、生源寺(坂本)、観副寺(下坂本)の三カ所で10日間ずつ30日間実施されていましたが、織田信長の比叡山焼き討ち以降は東南寺のみの30日間、江戸時代になってからは10日間、そして明治からは5日間となりました。
 伝教大師様がご両親の供養のために民衆にやさしく法華経を説いた故事にちなむもので、寺のある場所が「戸津ヶ浜」と呼ばれていたことから、そう名付けられたのでした。
 東南寺に関しては、大津市が設置した看板には「延暦年間に伝教大師が創立した寺で、比叡山の東南、戸津ケ浜にあったので東南寺という。寛永15年、高島郡今津にあった一堂を当地に移したので一名を今津堂ともいう」と記されています。
 私は叡山学院で武覚超御住職から直に教えを受けていますが、会津天王寺の檀家や信徒の一行が平成22年9月、日本海側経由で延暦寺を訪れた際には、当時執行であった武覚超御住職に比叡山会館で「伝教大師と徳一」という題で講演していただいたことがあります。
 大樹孝啓天台座主から指名受けた武覚超御住職は、去る6月5日付の読売新聞滋賀版に掲載された記事の中で「平和や人々の心の安寧のため、伝教大師が法華経を説かれたのが始まり。1200年以上、厳粛に行われているのは尊く、歴史の一端を担えるのは身に余る光栄で、この教えを未来に伝えたい」と述べておられます。
 武覚超御住職は昭和23年大津市生まれ。大谷大学大学院仏教学専攻博士課程修了。日中友好天台宗協会顧問などを歴任。現在は叡山学院名誉教授、釈迦堂輪番、比叡山長臈、延暦寺学問所所長。

       合掌

 

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金平茂紀さんが大江、鈴木、坂本の三氏の死を悼む 柴田聖寛

2023-06-02 17:46:21 | 読書

 私のところに送って下さる「花園神社社報」の令和五年5月1日号に、よくテレビに出ている金平茂紀さんが「ジャーナリストから見た『ショック・ドクトリン』」(上)を書いています。
 金平さんは「花園神社が好きな場所で、ゴールデン街で飲んで、ここにきて、おしゃべりをして帰る」というのが学生時代からの恒例のようで、それで執筆を引き受けたようです。
 金平さんは、去年暮れにタモリが「徹子の部屋」に出演して、黒柳さんが「来年はどんなとしになりますかね?」と聞かれ、「新しい戦前井なるんじゃないですかね」と言ったことや、かつて忌野清志郎が「本当のことなんか言えない、言えば殺される」(「言論の自由」)と歌っていたことにも触れ、今の時世を嘆いています。
 そして、最近亡くなった大江健三郎、鈴木邦男、坂本龍一への追悼の言葉を述べています。いずれも、私にとっても気になる人たちだっただけに、興味深く読ませてもらいました。
 大江については、作家としてのすばらしさばかりではなく、「最後まで戦後も持っている時代を象徴して自分の作品を勝ち続けてきた人だと思います」と評価しています。
 新右翼と呼ばれた鈴木に関しては、生涯独身であり、清貧という言葉がふさわしいと褒めています。さらに、鈴木が口舌の徒ではなかったことを指摘し、「行動をともなういというか、自分の信じていることについては、自分の信念にしたがって、物事を起こしていく。そういうので長くお付き合いすることになりました」と述懐しています。
 坂本は、それこそ日本を代表するアーティストですが、金平さんは忌野清志郎がこの世を去った時、マスコミは永遠のロックスターともてはやしましたが、生前はまったく無視していたことを坂本が怒っていた点に言及しながら、同じような扱いを坂本が受けていることに憤りを感じたのでした。「原発のこととか、安保法制のこととか、地球温暖化とか、いろんなところで行動していて、音楽家であるにもかかわらず社会的なことについても声を上げていました。そのとき、メディアは黙殺していて、亡くなったから『世界のサカモト』とか、社会のことにも発言していたみたいなことを言う」のが許せないからでしょう。
 テレビではなかなか口できないことを、金平さんが文章にしており、何度も何度も私は読み返してしまいました。3人への弔辞の言葉としてふさわしい文面であったからです。

 

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ひろさちや著『坐らぬ禅』の読後感を語る

2023-05-24 16:03:54 | 読書

 

 天台宗は「円教、密教、禅法、戒法、念仏等いずれも法華一乗の教意をもって融合し、これを実践する」(『天台宗宗憲』)とい信仰です。このため座禅も重視しています。ひろさちや先生の『坐らぬ禅』を読みまして、禅はどうあるべきかについて、多くの示唆を得ました。
 最後の書下ろしの本ということあり、すぐに購入して一日で読み終わってしまいました。私がその話を若い人にしたところ、ぜひ私の話を聞きたいということになりました。それで昨日は喜多方にまで出向いて、子供が小さいお母さんや、高校生など数人の前で本の感想を述べて、禅とか信仰に関して、色々と話をしました。
 ひろさちや先生の凄いのは「阿保になれ?馬鹿になれ?」と書いていることです。大阪の生まれのせいで、「阿保」という言葉にこだわったのでした。不登校への対処の仕方でも「馬鹿」と「阿保」と違いがあるというのです。「馬鹿」は何とか学校に行くように、カウンセラーに相談したり、時には暴力をふるったりする。それでうまくいくこともありますが、そうでないことの方が多く、最悪の場合は自殺したりします。「阿保」は子供が学校に行きたくないと言えば、自分も会社を休んで付き合い、無理に学校に行かせないというのです。一緒に寄り添って、親子して話し合いをするのです。そうすれば心の対話が成立しますから、突破口が見出せる可能性が高まります。
 そうした考え方のエッセンスがつまっているのは、その本の「まえがき」です。「坐らぬ禅」という言い方をしているからです。「行・住・坐・臥(が)、つまり行く(歩く)も住むも、坐るも臥(ふ)すも、すべてが禅であり、禅でなければなりません」と言い切ったのです。
 禅寺で禅をすることだけが禅ではないというのは、身につまされる意見です。つまり、禅の実践とは、日常的なありふれた生活の中でこそ、試されるからだと思います。立派な禅を組む人であっても、酒の席でとんでもない振る舞いをするのであれば、禅を理解していないことになるからです。
 「阿保」になるために、どうすればよいかということまで触れており、それもまた参考になります。「なんだっていい」と欲望を捨てる。「そのまんまそのまんま」で現状を肯定いながら、そこで生きがいを見つけていくのです  さらに、「禅僧列伝」として、釈尊、菩提達磨、慧可(えか)、六祖慧能、馬祖道一、第珠慧海(だいじゅえかい)、龐居士(ほうこじ)、鳥窠道林(ちょうかどうりん)、南泉普願(なんせんふがん)、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)、法眼文益(ほうげんもんえき)、俱胝(ぐてい)、臨済義玄(りんざいぎげん)、明庵栄西(みょうあんえいさい)、希玄道元(きげんどうげん)、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)、鈴木正さん、盤珪永輝琢(ばんけいようたく)、白隠慧鶴(はくいんえかく)、誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)、大愚良寛を取り上げています。
 私の知らない人もいますが、ひろさちや先生は、手を抜くことなく、それぞれの禅僧のエッセンスをまとめてくれています。禅といっても様々なアプローチがあり、歴史的な変遷を理解することができます。
 そして、最終章の「終りと始め」で、日常語の「方便」が、便宜的な手段を意味するのではなく、サンスクリット語の「ウパーヤ」の訳語であって、「接近する」との意味であることに言及し、一歩一歩死ぬまで歩み続けることを説いたのでした。「嬉しいときは喜び、悲しいときはしっかり泣くこと」であり、「そのまんま、そのまんま」でいいのです。
 そんなことを私は話しましたが、若い人たちからは「無理せずありのままがいいんですね」とか、「仏教の教えに親近感を覚えるようになりました」と感想をいただきました。今後ともお茶会などに顔を出したいと思っています。

      合掌

 

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会津天王寺はオオムラサキと石楠花が見頃です 柴田聖寛

2023-05-15 13:06:23 | 境内の花

 

 早いもので五月も中旬になってしまいましたが、会津天王寺の境内はオオムラサキと石楠花が見頃です。お茶のみがてらに気軽に足を運んでいただければと思います。

つつじ多き田舎の寺や花御堂 正岡子規 

 ツツジが満開の田舎の小さなお寺で、お堂の周りも花が一杯と言った光景が目に浮かびます。会津三十三観音霊場の二十八番札所である会津天王寺も、同じような雰囲気の寺ですから、なおさら身近に思えてなりません。
 赤紫の大きな花をつけるオオムラサキは、花の大きさではツツジの中でも最大といわれます。ツツジと呼ばれる多くは、オオムラサキだともいわれます。花言葉は「美しい人」です。

石楠花の紅ほのかなる微雨の中 飯田蛇笏

 今日あたりの天候では、雨がサッと降って止むという感じでしたが、この俳句のように、微かに雨に打たれて、白色にピンク色がほのかに漂うという感じでした。石楠花は高山植物です。もともとはヒマラヤの高山地帯に生える植物で、危険な場所に咲いていました。高嶺の花を手に入れるには冒険をしなければならないので、花言葉も「威厳」「荘厳」ばかりでなく、「危険」「用心」という両方があります。

          合掌

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