皇室ゆかりの寺という言い伝えは、会津地方では天王寺だけです。私どもの天王寺の縁起によりますと、第58代の光孝天皇の皇子である僧観裕が元慶2年(883)に開山したといわれます。そこで光孝天皇が御詠みになられ、『古今和歌集』と『小倉百人一首』に収録されている下記の和歌の碑を、篤志家の方の御協力を得て、今年の秋までに天王寺境内に建立することになりました。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む
我が衣手に 雪は降りつつ
あなたのために春の野に出て、雪に降られながらも若菜を摘むというのは、優しさが感じられてなりません。若菜というのは、春の七草のセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)を指します。
僧観裕が都を離れたのは30歳のときで、行基作の十一面観音像を背負って東を目指し、菩薩のお導きによって、会津高田の地を選んだと伝えられています。 合掌
光孝天皇の和歌の碑が建立される予定地(天王寺境内)