ー作家の中村彰彦先生—
東京都新宿の花園神社社務所が発行する「花園神社社報」が月一回送られてきます。私が楽しみにしているのは、作家の中村彰彦先生が書かれる「歴史の坂道」のコラムです。
令和4年11月1日号には「仙台藩が連戦連敗した『お家の事情』」という一文が掲載されていました。戊辰戦争で仙台伊達藩が連戦連敗した理由として中村先生は、藩主に権力が集中しておらず、「奉行(仙台藩では家老)は一門から宿老まで六十一人に掣肘を加えられる羽目になり、仙台藩政は伊達騒動の起こった江戸時代初期とおなじ多頭政治がつづいていた」ことを指摘されています。そんなことでは「不動心を持った精兵たちは育たない傾向がある」からです。
いくら仙台藩の図体が奥羽最大の六二万石で、総兵力は一五、六万を誇ったとしても、石高の約四五・四%は門閥が占有し、兵力にしても直臣は三六一二人にとどまり、それ以外は圧倒的に門閥なのです。これでは藩主への忠誠心は直臣に限られてしまい、激動の時代に歴史の舞台に登場しても、脇役すら演じることは難しいのです。
仙台藩と比べて会津藩は、藩主を中心にした結束がありました。だからこそ、多いときには二〇〇〇人の兵を京都に送ることができたのです。しかし、それは同時に、藩論を決めるにあたって、反対派の意見を封じることにもなり、最終的には悲劇を招くことになったのです。
仙台藩の場合は、藩内で勤皇派と佐幕派が争い、一時は佐幕派の奉行但木土佐らが主導権を握りましたが、東軍の敗北がほぼ確定すると、門閥を復帰させて西軍との交渉を行ったのです。どちらがよかったというのは結果論ではありますが、中村先生の着眼点はユニークだと思います。
今年はロシアのウクライナ侵攻など大変な出来事は相次ぎましたが、私にとっては信仰の大事さを確認する年となりました。皆様におかれましては、良い年を迎えられるよう、心より祈念申し上げます。
合掌
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