目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

脱出記~シベリアからインドまで歩いた男たち

2011-04-29 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

01

いったい全体シベリアからインドまで、歩いてどのくらいかかるのか?
実話であるから、すごそうだと、興味津々でこの本を手に取った。

想像を絶する過酷な状況が次々に現れる。そりゃそうだ。十分な旅費をもって、飛行機だ、鉄道だ、バスだ、車だと乗り継げるわけではない。清潔なお宿に泊まれるわけじゃないんだ。最初から最後まで歩き。お金はないから、旅の途中で必要になる、着るものや靴、食糧は材料を現地調達し、自分たちでつくる。地図もないから、太陽の位置や地形を見て、あるいは土地の人に聞いて、方角を見定めて行くしかない。風呂やシャワーも当然ないから、川が出てきたらの水浴び。毎日都合よく川には遭遇しないから、体臭プンプンの、髪やひげも伸び放題の、もうレゲエのおじさんだわな。

そもそも彼らは、なぜ、この過酷な大移動をすることになったのか。著者であるスラヴォミール・ラウイッツはポーランドの軍人だった。ソ連でロシア語ができることからスパイ容疑をかけられ、25年の懲役を言い渡されていた。そしてシベリアの収容所送り。気の遠くなるような長期間にわたる拘束と労働が待ち受けていたわけだが、彼はそれに甘んじることなく、仲間を注意深く募って、脱獄を決意するのだ。

そして周到な準備が始まる。まずはどこへ脱出するか。東コースをとり、ウラジオストクから日本へ脱出。これは出国時や極東ロシアに着いた時点で、つかまる危険性が高い。そこで、追っ手も想定外と思われた南へ抜ける超ロングコース、すなわちバイカル湖岸を通って、モンゴルへ抜け、ゴビ砂漠を通り、チベットそしてヒマラヤ山脈を越え、インドへというコースを選ぶのだ。

脱獄はいとも簡単に成就する。しかし、そこからが彼らの生き地獄(?)の始まりとなる。食糧を調達できる時はいい。それが尽きれば、すぐに飢えとの闘いだ。飢えが続いたあと、あるとき野生動物を狩って、たらふく食べた。長いこと、からっぽだった胃がびっくりして腹痛を起こす。つぎに下痢。長い移動の間、これが繰り返されるのだ。

せっかく狩った動物も、大型動物だと、その肉をすべて運べず一部はあきらめるしかなくなる。なるだけ食べて、自らの胃に収めて、肉は燻製にして、運べるだけ運ぶとなる。われわれは日に3度メシを食べているわけだが、その量たるや、大変なものだ。1日分を想像してみよう。朝何を食べたか、昼・晩は? 1日分でもかなりの体積と重量になる。移動しながら、十分な食事をとるということは、それをその場で調達するか、さもなくばすべて運ばなければならないということだ。体のエネルギーの消費量に見合う、補給の確保が難しいことがわかるだろう。必然的にどんどん痩せていく。食糧だけではなく、水もないと、死と直面することになる。ゴビ砂漠では、とうとう仲間が命を落としてしまう。

そんな過酷な状況の中での人との出会いは、読んでいて救われるし、こちらも感情移入してしまって、この人たちから食糧はもらえるのだろうかとか、何者なんだろうかとか、親切心にあふれていて食べ物をくれるのだろうかとか、そんな期待や不安を、彼らとともにしてしまう。

出会いで特筆すべきは、バイカル湖近郊の山中で17、8の少女と知り合ったことか。一緒に行動を共にすることになる。なにか虚構の物語を読んでいる錯覚にとらわれた。事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、なぜこんなところに少女がいるんだと。映画のような展開にこの先どうなるのだろうかと、興味は膨らむ。

The Long Walk(=原題)のクライマックスは、ヒマラヤ越えだ。急峻な岩稜地帯を登山家なみに歩く。きちんとした装備もなく岩場を歩いていくから危険このうえなくて、仲間が一人墜落死してしまう。もう一歩で、インドという場所での仲間の死に皆打ちのめされる。そしてイエティか(?)という謎の2足歩行の生き物を目撃している。体長2メートルくらいの黒っぽい生き物がこちらの存在を明らかに認識しているはずなのに、下山コースにいつまでもいて、まったく逃げる様子がない。結局ラウイッツ一行はリスクを避けて迂回し、その正体はわからずじまいとなる。

彼らは1年をかけて、インドに到着した。しかしその1年の脱出行は体を蝕んでいた。30歳くらいが平均寿命だった原始人のような生活だったからね。肉体的にも、精神的にも、復調するのに1ヶ月以上かかっている。実際はこの本に書かれた以上の時間を要しているのだろうけど。それほど深刻なダメージを受けたのだ。

蛇足 『地球でいちばん過酷な地を行く』を思い出した。まあ、たんに地球でいちばん暑いところ、いちばん寒いところ、いちばん乾燥しているところ、いちばん湿気の多いところに行ってみて、そこがいったいどんなところなのかをレポートしているテレビ屋さん的なノリの本だ。『脱出記』に比べれば、ひとときの苦しみののち、また快適な現代生活に戻れることが保証されている点、ハラハラ、ドキドキはない。お気楽なルポだが、世界の過酷な場所というものがどんなものなのか、それなりに仮想追体験ができる。

脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち (ヴィレッジブックス)
クリエーター情報なし
ヴィレッジブックス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美ヶ原

2011-04-25 | 山行~八ヶ岳とその周辺

005_22_3 茶臼山 標高 2006m 牛伏山 1990m 長野県

2001年5月1日(火) 晴れ 5月2日(水) 霧

メンバー 山の神と私

コースタイム 5月1日 王ヶ頭ホテル9:10--9:50頃 美しの塔9:57--10:08塩クレ場10:17--10:55茶臼山(昼食)11:50--12:35塩クレ場13:00--13:38王ヶ頭ホテル14:15--14:40王ヶ鼻14:50--15:25自然保護センター16:00--16:27王ヶ頭ホテル
5月2日 王ヶ頭ホテル8:40頃--9:40山本小屋--9:50牛伏山9:58--10:15高原美術館11:40--11:58山本小屋

前日は戸隠から移動して、王ヶ頭ホテルに宿泊した。美鈴湖経由の道が工事中で通行止めだったため、よもぎこば林道で山本小屋へあがり、そこに車を置いて徒歩でチェックインした。王ヶ頭ホテルは食事もおいしいし、窓越しに広がる景色を眺めながら入浴できる風呂も最高。お楽しみは、まだまだあって、晴れていれば満天の星空を眺められるし、早起きすればご来光も拝める。言うことなしだ。

002p5010512 ご来光

5月1日早朝、寒い中、ホテルの外に出て、ご来光を待つ。ロビーから宿泊客が次々に吐き出され、ホテル前には今か今かと日の出を待つ人たちがカメラを携えながら、白い息を吐く。あいにく稜線に厚い雲があり、なかなか姿を現してくれなかった。待ちわびていると、じわじわと光が射してきた。感動の瞬間だ。

ホテルで朝食をとり、9:10出発。先に出発した散策の人たちがそこかしこにいる。山の神はまだ寒いといってフリースを着ての出発だ。

013 026 039 001_10 右下:美しの塔

少しガスが出ていて、遠くはかすんでいるが、見晴らしのいい、開放感あふれる気持ちのいい道をテクテクと進む。美ヶ原のシンボルともいえる美しの塔は遠くからでも、小さく見えている。相当近づいても小さく見えるのだが。実際到着して見てみると、やはり小さく感じる。なぜだ。勝手に巨大な塔をイメージしたせいなのだろうか。風景写真の撮影に余念のないおじさんに写真を撮ってあげようかといわれ、お願いしたのだが、激しく傾いていた。右上の写真がそれだ。だいぶ傾きを修正してみた。

美しの塔から15分くらいで塩クレ場に着く。ここには公衆トイレが設置されいて、ハイカーに重宝されている。ここで休憩して、この地で唯一の山登りらしい山登りに向かう。とはいってもさしたる上りではない。

10:55茶臼山山頂に到着。誰もいない。貸切だ。昼にはまだ時間が早いが、腹が減っては戦はできぬで、もうメシ。ホテルで作ってもらったお弁当を広げる。腹がくちくなると、山の神はベンチでくつろいでいたが、私はその辺の草むらに横たわりごろごろと。

04p5010519 05p5010520

山頂からの眺めは良好。南アルプスや蓼科山、八ヶ岳が見える。でもちょっと白くかすんでいた。ガスが出てるねえ。

003p5010517 遠くに蓼科山

出発したときは、だいぶ冷えていたが、この時間になると、もうぽかぽか陽気だ。11:50下山開始。来た道を戻る。王ヶ頭の宇宙基地が見えてくる。あれさえなければ、百名山として認めるのだが……。

004p5010521

12:35塩クレ場に戻って休憩(冒頭の写真)。たいして体力を使ってない割にはお疲れモード。沢野ひとしのイラストいりバンダナには「くたびれた」と書かれていて、まんまやね。

07p5010527_2 13:38王ヶ頭ホテルに戻って、ティータイム。優雅なひとときを過ごし、まだ時間は十二分にあるからと、鼻を目指す。14:40王ヶ鼻に到着。ホテルから近いこともあって、本日お泊りの方たちなのだろうか、家族連れがいる。石仏が鎮座していて、石積みがされている。

この場所はまさしく鼻で、切り立った崖の上だ。山の神の「助けてくれポーズ」の写真を撮って遊んでいたが、まだ15:00。地図に出ていた自然保護センターに足を伸ばして、無料をいいことに中を覗いて、まったり大休止。ホテルには16:27帰着した。

翌5月2日は霧。景色なし。せっかく遠くまで見通せるこの平原台地もこれでは台無し。山はどこでもそうだけど、天気が悪いと魅力は半減するし、場合によっては来なかったのと同じになる。

8:40頃ホテルをチェックアウト。山本小屋を経由して、9:50牛伏山山頂に着いた。展望盤が置かれていたが、遠くどころか、山頂の周囲すら見えない。結局、近所にある美ヶ原高原美術館へ入り、屋外彫刻を鑑賞して帰ることにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沼津アルプス

2011-04-22 | 山行~伊豆・箱根と富士山周辺

香貫(かぬき)山 標高193m 横山 183m 徳倉(とくら)山 256m 志下(しげ)山 214m 小鷲頭(こわしず)山 330m 鷲頭山 392m  静岡県

2011年4月17日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:18中瀬登山者用駐車場8:28--9:20香陵台トイレ休憩--9:30展望台--10:20横山10:33--11:04徳倉山11:14--11:50志下山(昼食)12:30--13:00小鷲頭山--13:16鷲頭山13:33--14:20志下公会堂バス停--沼津市役所前下車--15:05狩野川突堤15:15--15:35中瀬駐車場

01img_4640

震災後初めての山登りに、沼津アルプスを選んだ。山の神は10年ほど前に一度ここを冬場に歩いており、海風をまともに受けて、寒すぎたといっていた。そんな目に遭うのは、願い下げだと思っていて、うららかな春を選んだというわけだ。でもこの季節は、手に負えない花粉たちが活躍中だ。とくに今年は大量飛散。ただでさえ敏感な鼻に塗り薬をつけ、マスクをして、出発とあいなった。

あらかじめ沼津市のサイトで、沼津アルプスの地図(概念図)をプリントアウトして、携行していた。香陵台に駐車場のマークがついていたのだが、どうしてもそこへ行くための道が見つからなかった。霊山寺の登山口あたりから上がるのかと思いきや、「この先駐車場はありません」の文字が目に入って引き返し、周辺をぐるぐる走ったのだが、結局ダメで、最終的には香貫(かぬき)大橋のたもとからちょっと高台に上がった所にある中瀬の登山者用駐車場(写真上)に車を置いた。あとから地元の方から聞いた話だと、車両通行止めになっていて、香陵台の駐車場は使えないはずだと。たしかに香陵台の展望台まで行ってみると、白線が引かれた駐車場があったが、1台も駐車していなかった。

02img_4646 03img_4648
新桜台は春爛漫

結果30分くらい時間をロスして、しかも中瀬の駐車場からの出発となり、予定していた多比(たび)への下山時間は実質1時間くらいは後ろにずれ込むことになった。山の神はこの時点で、徳倉山まで行ってピストンかね、お花見だけで香貫山まででもいいよ、とすっかりハイキングモードに切り替わっている。私のバリバリの登山モードは、その一言でぐらぐらと揺らぎ、それでもいいかと楽な選択肢に傾いた。

中瀬からの登山道(観光道?)はよく整備されていて、登っていくとすぐに新桜台に着き、お花畑が現れた。 春まっ盛りといった風情で、朝っぱらからもう、お花見をしている方がいた。

001img_4653 04img_4658
左:香貫山山頂 右:香陵台から香貫山を望む

間違って遠回りの道へ入ってしまうと、椿の赤い花が印象的な散歩道が出てきた。道端には、これまた真っ赤な落花が散乱していて興を誘う。華やいだ気分になっていると、香貫山への入り口が出てきた。車道からいっきに急な上りだ。登り切ったところに電波塔があって、そこが山頂。つまらない山頂で、すぐさま通過する。

香陵台への登り口にたどりつく。門番のようにたたずむ猫が見据える先に男女共用のトイレがある。そこから階段を上がるとすぐに展望台で、9:30頃に到着した。展望台からの眺めは最高で、駿河湾、富士山が眼前に迫ってくる。ただし富士山の手前には、無粋な愛鷹山がでんと居座っている。このあと移動しても移動しても、沼津アルプスの峰々から見える富士には常にこの愛鷹くんがお供していた。

002img_4655 駿河湾003img_4656 愛鷹山と富士山

お花見と景色目当ての観光客でにぎわう香陵台を後にし、八重坂峠へガッツリ下る。車道も歩いて、ガッツリ下った分、今度はガッツリ登ることになる。この登りでは、花粉よけのマスクをしていたがために息苦しくなり、結局マスク着用をあきらめて、はずして歩いた。直後なぜか赤飯のおにぎりを食べながら下ってくるおじさんとすれ違う。

05img_4666 004img_4668
左:横山山頂 右:鎖が付けられた激しい急登。小さい青ポチは階段の上のほうを歩いている人

展望のない樹林帯の中にある横山には、10:20到着。小腹が空いて、行動食として持ってきたドラ焼きを食べて出発。またガッツリ下る。休憩中にわれわれを追い抜いていった妙齢のご婦人2人組が途中立ち止まっていた。何かいるようだ。てっきり猪かと思って近づいていくと、蛇だった。春だねえ。下り切ると、今度もまたガッツリの上りが現れた。繰り返しだわね。トレーニングコースかいな。

06img_4669 07img_4675

ゼイゼイいいながら11:04徳倉山に到着。小広いちょっとした草原状の山頂で、くつろげる。すでに年配のご夫婦がお昼ご飯。途中追い抜いた若者グループも後から山頂に来て、ここでお昼となる。山の神と私は千金岩あたりで食べようと、水分補給して出発する。

千金岩の上部に腰を下ろせる岩があったが、先着様がいた。まったく腰を上げる様子がない。海を見下ろせるいい場所だったのだが、残念無念。結局よさそうな場所を物色しているうちに志下山まで来てしまった。でも、きれいなお花の木の下で、海を見下ろせてという最高のロケーションをプレゼントされたようだ。と思ったのもつかの間、家族連れやわれわれのような夫婦が狭い山頂に次々と来て、相当な賑わいになってしまった。

この時たまたま、お隣に座った地元の方から興味深い話を聞いた。岩崎元郎氏選の百名山に、沼津アルプスが入れられてから、この山域は非常に登山者でにぎわうようになったと。それ以前は地元の小学生が鷲頭山に遠足で登るくらいだったのにと。ふうん、そうなのか。たしかに景色は最高だが、こんなにアップダウンが激しい低山がポピュラーなのは、ちょっと不思議に思い始めていたところだった。

08img_4679 09img_4682
左:中将宮 右:小鷲頭山

すっかりハイキングモードになっていて、昼飯食べたら、下山しようかと山の神と話していたが、この地元の方は、しきりに沼津アルプスの最高峰鷲頭山に登ることを薦める。行っちゃうか。予定変更は二転三転して、鷲頭山まで行って、志下(しげ)公会堂のバス停に下ることで固まった。

鷲頭山を目指すと、まず平重衡が籠もったという、中将宮の巨岩を仰ぐことになる。驚くほどでかい。横を通過していくと、またまた、ガッツリ登らせられる。急登を我慢していくと小鷲頭山に到着する。ここも眺めがよく快適な山頂だ。

10img_4683 005img_4684
左:シャゲ(アヤメ科) 右:鷲頭山

シャゲの群落を越えて、13:16鷲頭山に到着。団体が山頂で騒いでいた。ほかに単独行の方や、年配の夫婦。広い山頂ではあるが、展望はないといっていい。ここでしばらくくつろいで、下山開始。

11img_4687 12img_4689
左:満開の山吹 右:狩野(かの)川

ガッツリ下って、ぼたもち岩のある志下峠まで戻る。そこからしばらく下ると、海と里山の春といった日本画ふうの景色を堪能できる。黄色の花を満遍なく付けた山吹も出迎えてくれる。国道414号まで出て、志下公会堂のバス停にたどりつく。バスの本数は多く、待っていると、すぐにバスがやってきた。市役所前で下車し、駐車場までひたすら歩く。途中狩野(かの)川沿いの突堤にあがり、川づたいに進む。国道沿いのセブンイレブンで買った飲み物で一息ついて、駐車場には15:35に着いた。

帰りの高速は地獄だった。事故渋滞の嵐で、自宅に着いたのは20:30頃だった。ああ疲れた。 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一夜山

2011-04-19 | 山行~信越

標高 1562.2m 長野県

2001年4月29日(日) 晴れのち曇り 

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:30西岳分岐駐車スペース9:40--10:50九十九折の林道途中で休憩11:03--11:30一夜山山頂(昼食)12:40--13:35広場13:57--14:10駐車スペース

前泊は、国民宿舎の旅館横倉。前々日西岳林道から一夜山を目指したのだが、雪のため通行不可で、引き返さざるをえず、その日は観光とあいなった。そして、本日はコースを変えて財又から林道を上がっていく。西岳林道と合わさる分岐付近まで車で上がって行けた。でも人っ子一人いない。もうちょっと温かい季節になれば、絶好のハイキングコースなんだろうけど。山開きがまだだから、こんなもんなんだろう。

001p4290504_2山の神をパチリと写して、さあ、出発。さらさらと雪融け水が傍らを流れている。ちょっと進んでいくと、激しく削られた斜面の横を通る。落石がありそうで、早足で通過する。今度は雪が現れる。人がいないのはこのせいか。山開きというのは、そうか雪が融けて、歩き安くなったよ、という印でもあるのか。

それなりに斜度があり、連続するカーブの道を登っていく。場所によっては積もった雪が層をなしていて、それにひび割れが生じて巨大なブロックと化している。その雪の巨大ブロックが道の斜面からずり落ちそうになっていたり、道を塞ぎ、かろうじて路肩の隅っこだけが歩けるようなところもあったりで、なかなかスリリングな登山となる。ただたんに雪が着いている道なら、アイゼンつければOKとなるが、そうではなく、非常に歩きにくい道だった。

休憩せずに粘って雪道を歩いたせいで、だいぶ疲労が増してきた。山頂まで歩きとおすには、まだ距離があると思い、小休止をとる。再び歩き始めると、すぐに「山頂まで500m」という道標が出てくる。なんだ、休まず山頂まで行ったほうがよかったんじゃ、と山の神に声をかける。とはいったものの、いっこうに山頂にたどりつかない。

002p4290505 一夜山山頂

11:30一夜山山頂にようやく着いた。やっぱり人はいない。マイナーだからかね。昭文社の登山地図には出ているんだから、それなりに登山者はいるはずだろうけど。たんに山開き前だからということなのだろうか。

それにしてもこんなに雪があるとは予想だにしなかった。ただこの陽気でだいぶ融けてはきているようだ。

003p4290507 00p4290508_2
左:一夜山の標柱 右:手前が戸隠連峰、奥が北アルプス

山頂は、眺めがいい。昨日登った飯綱山山頂の展望もよかったが、ここも飯綱山に匹敵するくらいだ。その飯綱山は、ふと東を向くと、雄々しくそびえていた。

白い峰々を眺めながら、宿で作ってもらったお弁当を食べる。いつのまにやら、山の神は雪盲よけにサングラスをしている。

004p4290509 飯綱山の雄姿

12:40山頂を後にする。結局誰も山頂には来ず、山の神とふたり貸切状態だった。途中林道を下ったところにある、ちょっとした広場で休憩をとり、ピストンでまっすぐ車をとめた地点へ舞い戻った。14:10に到着。雪深かった分時間を費やした感じだ。

帰りは戸隠に戻って、戸隠神社奥社を歩く。ここも雪がたっぷりと残っていていた。またそれが旅の趣を増すというものだ。長い参道を歩いて、どんづまりで階段を上がり、文字通り奥にある奥社を参拝して、戸隠を後にした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生還のカギは、サードマン現象?

2011-04-16 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

001

自らが苦境に陥ったときに、助けてくれる人がいれば…、とは誰しも思うことだ。卑近なことでいえば、ああカネがないとか、仕事でモメてたり、痔が痛い、くしゃみが止まらない、なんて場面ですぐにでも助けてほしいとなる。大変だねといって、札束を渡してくれる、それやっとくわ、大船にのったつもりでねとか、ほらボラギノール、ほら鼻炎新薬だよとか、お助けマンが現れれば、万々歳だ。でも、この本で採り上げている「サードマン」はそんな些細なことでは現れてくれない。もっと深刻な状況、つまり生死を左右する状況でのみ現れるのだ。

山の遭難話では、この手の話はよく聞く。ナンガパルバットで遭難した鳥人メスナーにもやはりサードマンが現れた。後ろから来るはずの弟がいつまで経っても来ないために、彼はたどったルートを引き返すわけだが、そこで、雪崩のあとを見つけてしまう。弟はこの下に埋まっているのか。弟を見つけるために、あちこちさまよい歩いた末、疲労のために的確な判断ができなくなり、いつのまにか見えない「存在」が近くに現れる。その「存在」に導かれてメスナーは助かるのだ。

一時期、故星野道夫氏が困難な冒険の時には必ず携えていたという本、『エンデュアランス号漂流』は有名になったが、この本の主人公であるシャックルトンの生還劇でも、サードマンは現れる。南極探検に出発した彼らは、氷に閉じ込められて、身動きがとれなくなり、救助隊を呼ぶために決死のメンバーを編成する。荒れる海をわたって、捕鯨基地のある島へ渡り、さらにその島を何日もかけて人が住む町まで徒歩で縦断する。そこで、メンバーにいないはずの、ある「存在」が加わるのだ。その「存在」によってメンバーは精神的に落ち着いていく。

他にもサードマンの事例は豊富に挙げられている。冒頭は著者がアメリカ人だからか、あの9.11でのニューヨーク世界貿易センタービルでの生還者について書いているし、リンドバーグの極度の疲労と睡魔を制しての大西洋横断、宇宙ステーションでの火災からの生還、海難事故から果てしない時間を漂流しての生還等、嫌になるくらいの人間の極限状態が書き連ねられていく。

読み進めていくと、サードマンとは何か? どこからやってくるのか? たんなる神秘現象なのか? と疑問が次々に生じるが、この本では、サードマンに関する科学的な知見を披露している。心理学や精神医学、そして脳科学の立場から、この現象を解明しようと試みている。ただし最終的な結論には至っていない。でもそれではつまらないので、ここに書かれていることを自分なりに噛み砕き、ちょっとした推論を書いてみようと思う。私なりの解釈ということで、真実ではないかもねということを先にお断りしておく。

絶対的な生命の危機状況になると、まず脳が酸欠状態になっている。それは極度の疲労や空気が薄い高所にいるなどの外的・内的環境によって生み出される。とくに脳の頭頂部位にある感覚の統合機能が失われると、その人は外界から得られる感覚を統合できなくなり、いろいろな事象がバラバラに脳の中に起ち上って来ることになる。つまり、見たもの、聞いたもの、触ったもの等を、正しく判断できない、感じることができないということだ。その状態のときに、生きようという強い意志が働くと、その人の過去の経験や、もっている知識・技能が別人格として出現するのだ。それがサードマンではないか。

困難な場面から生還する人は、もともと助かるべくそうした要素、素質をもともと持ち合わせているのだろう。そうでなければ、助かるはずはない。逆パターン、つまり善意のサードマンではなく悪意のデビルが現れることもあると著者はいう。その場合は、その人は知識も技術も経験もなく、自暴自棄になって死を受け入れざるをえないと、あきらめてしまった結果なのだろう。あまりこの事例が出てこないのは、そうした人は大抵死んでしまっているからだろうね。

個人的には、将来にわたって、サードマンやデビルには会いたくない。仮にサードマンに出くわしたにしろ、あまりにしれている自分の力量を考えると、そのサードマンに騙されてさらに苦境へ転落していきそうだ。君子危うきに近寄らずってか。

サードマン: 奇跡の生還へ導く人 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする