目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

滝あり展望ありの位牌岳

2016-06-27 | 山行~伊豆・箱根と富士山周辺

標高 1457m 静岡県

2008年6月1日(日) くもり時々晴れ |

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:55水神社駐車場8:05--(林道歩き)--8:45池の平分岐8:50--9:00池の平展望公園9:15--9:25頃 池の平看板--10:25ヤセ尾根10:35--袴腰の尾根--11:35位牌岳山頂--11:40少し戻ってガレ場の展望地(昼食)12:30--13:38つるべ落しの滝--12:52駐車場

そういえば、以前船形山と泉ヶ岳をセットにして行こうと計画したことがあったが、手帳を見ていたら、ちょうどこのときだった。5月31日(土)から2泊3日の予定になっていた。仕事が云々とメモが残っているから、そのせいで頓挫し、急遽日帰り山行に変更したようだ。

 
左:水神社駐車場 右:池の平にあがっていく分岐

5:25自宅を出発し、途中コンビニで買出しをして東名に上がる。海老名SAで山の神と朝食のパンをかじって、沼津ICで下りる。いかがわしい界隈を抜け、ゴルフ場を2つ越えると、水神社直下の駐車場に到着する。すでにもう何台か車は停まっていて、山の神と出発準備をしていると、あとから2台滑り込んできた。

8:05駐車場を後にする。熊注意のゲートを越えて、しばらく林道歩きになる。駐車場から40分ほどで池の平への分岐が出てきて、ザックを下ろした。思ったほど暑くはなく、むしろ涼しい。


池の平展望公園からの眺め。沼津市側

分岐から10分ほど薄暗い鬱蒼とした森の中を進んでいくと、突然開けて池の平展望公園に出た。ハイキングには、まだ時間が早いせいか誰もいない。山の神と静寂のなか、展望を楽しんだ。

 

 
左:池の平 右:みごとなツツジ

そこから上がってすぐに池の平の巨大な看板が出てくる。椅子やテーブルがたくさんあって、ここで休憩すればよかったかと思いながら、通過した。つるべ落しの滝への分岐を越えて、ヤセ尾根で2回目の休憩にした。

 
左:ここのウラジロヨウラクの花は紅色 右:さわやかな道が続く

ブナの原生林があったり、ミツバツツジが咲いていたり、野鳥のさえずりが聞こえてきたりで、なかなかのヒーリング効果がある場所を気持ちよく移動していく。紅色のウラジロヨウラクが花をつけているところも発見し、来てよかったとしきり。

最後の急な登りを制し、11:35位牌岳山頂に到着した。一組だけご夫婦がいるのみで、あとは誰もいない。静かなのはいいが、ガスっているし、虫も多いしで、山の神と先ほどの見晴らしのいいガレ場に戻ろうとなった。

 
左:位牌岳山頂。展望なし 右:位牌岳より少し戻った展望地から

5分ほどで展望地に戻るが、ガスっていて真っ白。展望は半ば諦めて、山の神と昼ごはんを食べ始めると、なんと今度は団体様が見晴らしを求めてやってきてしまった。たちまち喧騒のうずに巻き込まれて、がっかりしていると、天は見捨てたものではなかった。少しずつガスが流れて、下界が見えてきた(右上写真)。

ちょっとはツイているのかといいながら、12:30下山開始。根方が張り出した歩きにくい道を延々と下り、13:38つるべ落しの滝にたどり着いた。雨が降らないと水流がないこともあると書かれていたが、一昨日、昨日と雨は降っているので、少ないながらも滝の姿を披露してくれていた。

 つるべ落しの滝

12:52駐車場に到着。久々にまとまった距離を歩いたせいか、だいぶくたびれモードだ。それでもまだ13時前だからと、山の神と水神社をお参りしてから帰途についた。帰り道は、渋滞につぐ渋滞で車の中に監禁されたようだった。まず沼津ICまでが遠く、なかなか高速に上がれない。上がってからもいつもの厚木近辺と、東京IC付近のベタベタの駐車場状態がすさまじかった。結果家に着いたのは19:20頃。くたびれ果てた1日となってしまった。

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コマクサの三方ヶ峰&篭ノ登山

2016-06-25 | 山行~信越

見晴岳(コマクサ岳) 2095m 三方ヶ峰 2040.1m 東篭ノ登(塔)山 2228m 西篭ノ登(塔)山 2212m 長野・群馬県

2016年6月19日(日) くもりのち雨 

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:00地蔵峠駐車場8:20--9:28見晴岳(コマクサ岳)9:36--10:33兎平10:43--11:15東篭ノ登山11:18--11:37西篭ノ登山(昼食)12:05--12:23東篭ノ登山--12:50池の平駐車場12:55--13:45地蔵峠

1週間前からずっと晴れマークが付いていたのだが、、、またやられてしまった。山の神が朝スマホで天気をチェックすると、あれれ、午後から雨50%。前日の予報がこれならば、明らかに家にいただろう。大気が不安定なら、そんな情報も予報士は流してほしいものだ(私が気づかなかっただけか?)。

いつものように計画より5分遅れで、早朝4:35自宅を出発した。夏至も間近であることから、こんな時間でもすでに明るい。高速にあがると、梅雨の晴れ間狙いなのか比較的交通量はあった。関越に入ると、いつのまにか山の神は船を漕いでいて、予定の朝食ポイント上里SA付近でも変わらず。甘楽PAまで足を伸ばすことにした。しかしここの自販機は、冷たいコーヒーばかりでホットコーヒーがなかった。朝から冷たいのは嫌だなと1つ先の横川SAへ行っちゃえと、また車に乗り込んだ。

 
左:地蔵峠駐車場。トイレも完備 右:湯の丸山(右)と奥に烏帽子岳(湯の丸高峰林道から)

横川SAでホットコーヒーにありついて山の神と朝食。一息ついた後、カーナビに「湯の丸スキー場」とセットして、小諸ICへと向かった。上信越道を下りてすぐにコンビニで買出しをし、地蔵峠へと続く山道、県道94号に入る。

8:00地蔵峠に到着すると、「つつじ祭り」と大書された幟が踊っていた。たしかに湯の丸の斜面はつつじの淡いオレンジ色に彩られている。駐車場には、そのお祭り警備要員なのか誘導係がいて、次々にやってくる車をさばいている。山の神と身支度をしているうちにたちまち満車となり、お隣のスペースに誘導を始めていた。目の前にある湯の丸のリフトはすでに動いていて、登山者の姿がちらほら見えている。リフト横を歩いていく登山者も見える。逆に兎平へ向かう登山者もいる。けっこうな人出だ。山の神と混雑するトイレに寄って、8:20駐車場を後にした。

 
左:湯の丸高峰林道から登山道へ 右:可憐な花のニリンソウ

兎平へと続く湯の丸高峰林道を歩き始める。すぐに湯の丸自然学習センターの建物が右手に出てくる。この辺りで三方ヶ峰への登山口が出てくるはずだが、それと気づかずに通り越していた。下山時に探すと、お目当ての登山口を隠すように駐車している車があった。このせいだったのかと山の神と納得。

少し林道を歩くと、地蔵峠と書かれた道標が右手に出てきて、下っていく道がつけられていた。下山時にわかったが、道標どおりに下ると、すぐに地蔵峠と三方ヶ峰への分岐となる。

さらに先へと林道を上がっていくと、「三方ヶ峰」と書かれた道標が出てきた。もう間違いない。熊注意の看板もあって、ここで熊鈴を装着し、山の中へと分け入っていく。

 
左:レンゲツツジが至るところで花を咲かせていた 右:久々に見たイワカガミの群落に感激

地蔵峠からレンゲツツジがあちこちにあったが、こちらの山腹も多い。でもそろそろ花は終わりのようで、しおれた元気のない花弁が多かった。続いてニリンソウやゴゼンタチバナ、少し高度を稼ぐと、イワカガミも登場した。久々にピンクのイワカガミの群落を見て感激していたのだが、篭ノ登の登山道にも、これでもかというくらい自生していて、ちょっとありがたみが薄らいでしまった。

 
左:クロユリ 右:見晴岳から東御の市街地を望む

見晴岳のピーク近くでクロユリも発見。この時期はやはり花が多くていい。雨も多いのが玉に瑕だが、、、

9:28先着様が何名かいる見晴岳(コマクサ岳)に到着した。見晴岳というだけあって、目の前はどかーんと開けていて、東御の市街地が広がっていた。ただ白くガスっていて、すっきりしない天気だ。ただわずかに薄日が差していて、この時点では天気が崩れてくる気配はなかった。


池の平湿原

見晴岳から下ると、すぐに右手にコマクサ園が出てきた。植生維持のために柵が設けられていて、中の砂礫地にコマクサのピンクの花が見られる。最近仕入れたトリビアでは、幸せを感じているときに活性化している脳の部位と、ピンク色のものを見ているときに活性化している脳の部位は同じだとか。コマクサを見ると、ハッピーな気分になるということか。

いったん池の平湿原側へ下っていき、再び少し上り返すと、三方ヶ峰に着く。こちらにも柵で保護された、コマクサの群落があった。

 
左:コマクサ園には大群落が 右:三方ヶ峰山頂

三方ヶ峰から下り始めると、ハクサンチドリも咲いていた。池の平駐車場からやってきた団体さんが熱心にハクサンチドリの写真を撮っていた。そこから湿原への道をたどり始めると、のどかにもカッコウの間延びした声が響いてきた。とても心やすらぐ音色だ。


鏡池のほとりでは、ヒメシャクナゲが可憐な花を咲かせていた

鏡池のほとりに来ると、フィールドスコープを覗いているジモティらしき年配の方がいた。ヒメシャクナゲが咲いているという。木道から肉眼で見ても、ぽちぽちとピンクっぽいのが見えるだけだが、スコープを覗かせてもらうと、色鮮やかに咲いているのが見えた。たしかにシャクナゲの葉っぱにピンク色のかわいらしい花がついている。後から来る人が、次々に覗いては歓声を上げていた。


だいぶ乾燥している池の平。笹が目立っている

お礼をいって、出発。池の平の木道をぐるりと大回りをし、栄養不足の低いカラマツ林を抜けて、10:33ハイカーでにぎわう兎平に到着した。山の神と小腹が空いたねとザックから行動食を取り出していると、大集団が木道に繰り出して行く。あの大人数で木道を埋めつくすのは、大顰蹙だよなあと思いながら、老若男女の大集団を唖然として眺めていた。

 
左:背の低いカラマツ林を兎平に向けて抜けていく 右:西篭ノ登山からお隣、東篭ノ登山を望む

さて、お次は篭ノ登山だ。舗装路を横断して、まずは登山口から横移動、そしてイワカガミやコメツガを見ながら、高度を上げていく。こちらも池の平なみに人は多く、岩場に差し掛かると、集団が休憩していて道を塞いでいた。

東篭ノ登山には、11:15到着。ここにも大集団がいて、いつまでも記念撮影をしている。待つことが嫌いな私は、カメラを手に持ったまま、順番が回って来ないことに業を煮やしていた。かたわらにいた山の神をつついて、西篭ノ登へ移動してお昼にしようと促した。行ってもいいよといいながら、行きたくなさそうな山の神を急かして、西への道を下り始めた。

 
左:西篭ノ登山山頂 右:白くガスってしまった東篭ノ登山

11:37西篭ノ登山に到着した。さっそく適当な場所を見つけてコンビニおにぎりを食べ始めると、風が出てきた。やがて黒い雲がもくもくと広がり始める。予報どおり午後になると、雨が降り出すかもしれないと、食べ終わるやいなや、早々に片付け始めた。すると見透かされたように、いっきに白いガスが目の前に流れてきて視界が悪くなった。近くにいたパーティは、どんどん腰を上げていく。われわれもモタモタしていられないと立ち上がった。

12:23逃げるように東篭ノ登に戻った。先ほどの集団は当然ながらいなくなっていて、気兼ねなく記念撮影(冒頭写真)。あとは地蔵峠の駐車場まで下るだけだ。樹林帯に入る頃からポツポツ雨粒が落ちてきた。ザックカバーだけをつけて、とりあえずやり過ごそうとしたが、雨脚は強くなりそうだった。池の平駐車場のトイレに逃げ込み、合羽の上だけをはおる。山の神はめんどくさいと、折りたたみ傘を出していた。

池の平駐車場からは、林道を横断するものの、長らく樹林帯の中を歩き、それほど雨に濡れることもなかった。13:45計画よりも早く駐車場にたどり着いた。せっかく早く下山できたのだから、その分早く帰ろうと、雨具を車の後部に新聞を敷いて放り込み、すぐに駐車場を出発した。しかし、地蔵峠を出てすぐに安全運転のドライバーに行く手を遮られてしまった。高速に上がれば、すでにもう交通量は多く、関越では事故渋滞が発生していた。もともと渋滞で30分程度の時間ロスは覚悟していたのだが、そんなこんなで実際には2時間もロス。思うようにいかない1日だった。でも、山の神も感激していたが、コマクサやイワカガミが咲き乱れる群落を見られたのは大収穫だった!

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自然の猛威・驚異、『山の不可思議事件簿』

2016-06-19 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『山の不可思議事件簿』上村信太郎(山と渓谷社)

まずこの本で驚かされたのは、1938年12月27日深夜黒部のトンネル工事現場付近で雪崩が発生し、鉄筋コンクリート造りの4階建て作業員宿舎が跡形もなく消えうせたというくだり。深夜作業に従事していて命拾いをした人の話では、このとき気温はどんどん下がり、雪が降り続く中、突如ドドーンという物凄い爆発音が渓谷に響いたという。雪崩とわかって、近辺やその谷筋を探したが、建物も、人もほとんど見つけられなかった。なぜか? 通常の雪崩では考えられないほどのエネルギーが発生し、中で寝ていた人間もろとも宿舎が水平に600メートル飛んで隣の谷まで飛ばされたのだ。1メートルでも10メートルでもない、600メートルだ。人間は自然のパワーの前では、いかに無力かを思い知らされる事件だ。

次は大雪山での出来事。1989年大雪山で遭難者がヘリで救助された。ここまでは普通の話。怖いのはここからだ。遭難者をヘリで探していたときに偶然見つけたSOSの文字。シラカバの枯れ木でつくられた文字で、現場を捜索してみると、白骨死体とリュックが発見されたという。

巻末のほうには、雪男エピソードも紹介されている。たしか椎名誠さんが推薦していたと覚えているが、『脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち』という本がある。著者は当時のソ連によってシベリアに抑留されていたポーランドの陸軍中尉のスラヴォミル・ラウィッツ。隙をみて収容所を脱出し、バイカル湖からゴビ砂漠、中国を通って、インドへと大陸を縦断した記録だ。ラウィッツは、ヒマラヤを通過しているときに、明らかに人間ではない大きな2足歩行の生き物を目撃している。日本人では、新田次郎の小説『栄光の岩壁』のモデル、芳野満彦さんが15メートルほどの至近距離で雪男を見ているとされる。このブログでもとり上げた小野田少尉を説得した男、鈴木紀夫さんの雪男探しも本には出てくる。

こうした山にまつわる摩訶不思議な事件が次から次へと出てくるのがこの本。読者をまったく飽きさせることがない。ブロッケン現象や幽霊・怪談話、リングワンデリング、魔の山、遭難そして奇跡の生還、謎の生物といった具合に、まるで際限なく詰め込まれたおもちゃ箱のようで、夢中になってあっという間に読めてしまう。おもしろいです!

参考:当ブログ
脱出記~シベリアからインドまで歩いた男たち
小野田少尉を発見した男の『大放浪』
雪男は向こうからやって来た

山の不可思議事件簿
クリエーター情報なし
山と渓谷社
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札掛から塔ノ岳

2016-06-12 | 山行~丹沢・道志

塔ノ岳 標高 1490.9m 新大日 1340m 神奈川県

2016年5月22日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:12札掛駐車場7:27--8:35新大日3Kmの道標地点8:45--10:05新大日10:17--10:52塔ノ岳山頂(昼食)11:36--13:22キュウハ沢(本谷コース)分岐上部13:30--14:02札掛駐車場

5:00自宅を出発し、コンビニで買出しをして中央道に上がった。皆ゴールデンウィークでレジャーにお金と気力を使い果たしたのか、天気がいいのに道は空いている。石川PAで朝食をとり、圏央道に入って相模原ICで下りた。整備されたばかりの新しくてきれいな道から、集落を抜け、宮ヶ瀬湖に向かう。湖畔の鳥居原ふれあいの館が最終トイレだ。方向が違うが、ここで少々休憩。

再び走り出して、県道70号に入ると、どんどん道幅は狭くなり、くねくね道になる。先日の徳島の国道439号(通称ヨサク)を思わせる道だ。しばらく走ると、2014年に丹沢山に登って以来の塩水橋にさしかかった。橋周辺にはかなりの台数が停められていて、この時期のこのコースの人気ぶりを表している。

 
左:札掛の駐車場 右:札掛の登山口

ほとんど車とすれ違うことなく、札掛の駐車場に到着した。塩水橋一帯の車の量を見ていたので、こちらも相当な台数と思っていたら、拍子抜けするほど少ない。身支度を整え、7:27山の神とともに出発した。札掛森の家を見下ろしながら通過していくと、登山口が現れた。国民宿舎丹沢ホームの建屋沿いにつけられた登山道を上がっていく。

 
左:道標はきちんと整備されている 右:キュウハ沢(本谷コース)分岐。復路では、ここよりわずかに上部で休憩

旧分校への分岐を越え、しばらく気持ちのいい樹林帯が続く。丹沢ホームの宿泊客なのか、皆双眼鏡ないしは本格的なフィールドスコープを携えたバードウオッチャーたちが集団で下ってきた。たしかにこの辺りは野鳥の宝庫だろう。

シカの食害のせいか、下草がない、まるで庭園のようなきれいな森が続く。やがてキュウハ沢(本谷)への分岐を越え、歩き始めてから1時間。そろそろ休憩にしようと山の神に告げ、風が強くなってきたことにも後押しされて、杉林の中で腰を下ろした(8:35)。札掛から登る人はまれなのか、人気がないのかわからないが、ここまで登山者にはまったく出会わない。

 
左:静かな新緑の道 右:シロヤシオが満開

杉林を抜けると、新緑の道になり、すこぶる快適な山歩きになる。そのうち単独登山者2人とすれ違う。表尾根までまったく登山者と会わないんじゃないかと山の神と話していたこともあり、ちょっと意外だった。やがてシロヤシオやミツバツツジが咲き誇っている場所に出て、気持ちも華やぐ。 

 
左:新大日茶屋 右:ミツバツツジも満開

10:05新大日に到着する。ザックを置いて新大日茶屋横の登山道に出ると、目の前がど~んと開け、相模湾が広がっていた。思わず「おお」と声が出る。大展望の人気コースだけあって、ここで山の神とお茶を飲んでいると、続々と登山者がやってきた。


相模湾を望む。遠くにうっすらと大島のシルエット

ツツジの咲き誇る回廊を抜け、尊仏山荘の黒い建物を仰ぎながら、登高していく。木の又小屋のコーヒーの幟にちょっと引かれながらも、最後のひと踏ん張り。

 
左:塔ノ岳山頂 右:同山頂。この後も続々と登山者が到着

10:52塔ノ岳山頂に到着した。山頂はすでにかなりの登山者がいて、富士山ビュー側に大挙して腰を下ろしていた。すごい人だなと言っている端から、また続々と登山者が到着してくる。

山の神と私も、富士山ビュー側に陣取り、お弁当を広げた。だが、富士山はだいぶかすんでいて、うっすらとシルエットが見えるだけだった。こんなに天気がいいというのに、残念。


塔ノ岳山頂からかすみ富士を遠望する

人が多いと、騒音、異臭(筋肉痛用のスプレーや、怪しげな食い物の臭い)、人との距離が気になるもの。気になりだしたら、止まらないのが人の性(さが)というものだ。食べ終わったら、すぐさま片付けに入り、山頂を後にした。

塔ノ岳から新大日までは、すごい登山者の数だった。われわれ同様に下山する人たち、そしてこれから山頂を目指す人の群れ、予想以上の多さに面食らいまくりだ。ところが新大日から札掛側に下り始めると、先ほどのごった返しぶりは幻だったのかというくらい誰もいない。すれ違ったのは2、3組だけだった。

 
左:再びすがすがしい新緑の道を下山 右:山の神、杉林を下山中

さてその札掛への下山は、当初は境沢林道へ下る予定だった。しかし分岐の道標に崩落箇所があって通行止めと出ていて(登山口にも出ていた)、しかたなくピストンで元来た道をたどることになった。最初からピストンの計画であれば、なんてことはないが、急遽ピストンに変更となることほど、鼻白むものはない。

新大日からサクサク下り、新緑の森を移動中に下山開始から小一時間になろうとしていた。休憩?と、山の神に声をかけると、休憩はベンチがあるところがいいといって、なぜか渋る。それならベンチがあるところまでだと一気に下ることになった。かなり下ってからお目当てのベンチが出てきたのだが、なんと先着様がくつろいでいるではないか。さらに下ることを強いられ、1時間45分もぶっ通しで歩く羽目になった。キュウハ沢分岐の手前でようやくベンチを見つけ、どっかりと腰を下ろした。やはり1時間おきくらいに休まないと、疲れが倍増する。

そこから30分ほどで林道に出、14:02無事札掛の駐車場に戻った。

帰りは、道路で難儀した。県道70号では反対側から何台も車がやってきては、そのたびに際々ですれ違い。宮ヶ瀬湖では道を間違え、曲がるに曲がれず、しかもUターン禁止と出ていて往生した。なぜ道を間違えたかって?それは私のカーナビが古く、「相模原IC」は存在しないことになっているからだ。不便とは思いながらも、先立つものがない。そんなこんなでわが街にたどりついたのは16:00をとうに回っていた。

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「ゆきゆきて酷道439」NHKドキュメント72時間

2016-06-06 | テレビ・映画


徳島県三好市名頃集落の駐車場にあった人形

2016年6月3日(金)放送のNHK「ドキュメント72時間」を偶然見て驚いた。徳島市内を起点に延びている国道438号と、その道に接続し高知県の四万十市まで続く国道439号をとり上げていた。この道は、先だってのゴールデンウィークに私が実際に車を走らせていた。ただし徳島市内の国道438号から、439号に入って、祖谷渓に曲がるところまでだったが。

この国道は、全国に名がとどろくほどの酷道439号、語呂あわせで通称ヨサク(与作)と呼ばれていると紹介されていた。たしかに道幅は狭くて、カーブが連続、対向車が来るたびに冷や冷やさせられるわ、片側が切り立った崖だったり、落石はあるわですごい道だった。

番組の中では、山の神とついこの間見たばかりの「かかしの里」徳島県三好市名頃集落が登場していた。ここの住人は驚くことに30人しかいないとナレーションが流れたが、そのうちの1人には、先日の剣山・三嶺縦走時下山した名頃でお会いした。バス停のトイレ掃除をしていたおばあちゃん。集落の30人のうちの1人に会ったわけだ。なにか貴重な体験をしたような気がするが、そんなことはないか。

さてこの名頃集落には、66歳の人形(かかし)制作者(女性)がいらっしゃる。番組にも演出過剰気味で出演していた。180体(番組では180人といっていた)をすでにつくっているというから、ざっと住人の6倍の数だ。それだけの数の人形は、ほとんど(全員か?)集落の住人をベースに作っているとのことで、亡くなっている方が多いことを示唆していた。ちょっと怖い話だ。私は車で移動中に、電柱だったか(?)に張り付いている作業員2体をはじめ、道端のベンチや小屋の中にずらりと並ぶ人形たちを見ては、おもしろいような、怖いような、複雑な気分にさせられた。

番組はこの後、四万十市まで車を進めていくわけだが、私と山の神はかずら橋を目指して、祖谷渓側に右折、ヨサクから離れて県道32号に入った。この道もすごかった。翌日小便小僧を見にるためにこの道の先へと突き進んだのだが、カーブが連続し、ヨサクに匹敵するほどの隘路。対向車とのすれ違いには難儀した。

ヨサク、それは険しい地形にようやくつけられた生活道だ。通行できなければ、生活に支障をきたすという切実な思いから造られた。そんな人を寄せ付けないような厳しい自然の中に住んでいることもすごいが、そこへ通じる道を造ってしまうのもすごい。だからこそ、この道の存在が全国津々浦々に伝わり、その山深さ見たさに、全国から好奇心旺盛な人たちを集めてしまうのだろう。しかし、山の神も私も今のところは、再訪するつもりは毛ほどもない。やはり、ヨサクは怖すぎる。

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