目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

丸坊主の甲州高尾山

2012-04-27 | 山行~中央線沿線・大菩薩

嶮ヶ峰 標高 1091m 甲州高尾山 1106m 山梨県

2002年3月31日(日) くもりのち晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:41勝沼ぶどう郷駅8:55--大善寺--9:40五所神社9:50--10:15送電鉄塔--10:50稜線(保安林改良の標識地点)11:00--11:30嶮ヶ峰--11:35甲州高尾山(昼食)12:35--13:20大滝不動尊13:40--15:10ぶどうの丘「天空の湯」--17:15勝沼ぶどう郷駅

この頃は精力的に動き回っていたなあと自分でも驚く次第。この年の3月は毎週遠出をしていた。手帳を繰っていくと、1週目は福島のアルツと猫魔でスノボ。2週目は水戸の偕楽園で観梅し、老舗山翠へ移動してあんこう鍋に舌鼓。3週目は千葉の花嫁街道。4週目は奥多摩の鹿倉山・大寺山。それで5週目の3月のトリは、今回採り上げる甲州高尾山だ。

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左:瀟洒なたたずまいの勝沼ぶどう郷駅 右:線路沿いの桜はみごとに満開

3月は電車づいていて、このときも電車山行だった。甲州高尾山の登山口最寄り駅である勝沼ぶどう郷駅には8:41に到着した。線路沿いには桜並木があり、みごとに満開。車中からもそのみごとさにうならされるが、下車して間近に見るとさらにいい。薄ピンク色の花が枝を覆いつくさんばかりに密集していて、目を楽しませてくれる。

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左:五所神社 右:山の上は丸坊主

桜並木とは打って変わって、新緑まだきのいまだ冬の装いのぶどう畑の中を抜けていく。葉のない黒々とした枝が寒々とした景観をつくっている。大善寺を通り抜け、左折。五所神社に9:40到着し、本日最初の休憩をとる。

五所神社からは急登が始まる。あえぎながら上っていくと、向かって左斜面には最近植えたように見える杉苗が立ち並んでいる。10:15送電用の鉄塔に着いた。

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2点とも:樹木がないのは痛々しいが、見晴らしは良好。遠くはだいぶガスっている

10:50保安林改良の標識があるところで休憩とする。この一帯は、丸坊主だから見晴らし良好だ。この坊主状態は、山火事によるものだが、山の神と私が訪れた以降にも山火事は起こっている。ネット上で調べると、平成に入って4回も山火事に見舞われているとのことだ。何が原因なのだろう。おそろしや。

001p3310974 002p3310976 左:嶮ヶ峰 右:甲州高尾山。どっちがどっちなんだか?

11:30嶮ヶ峰に到着。山頂には先着様が何人かいて、すでにお弁当を広げていた。そこから目と鼻の先くらいの距離に甲州高尾山の山頂がある。嶮ヶ峰よりもこちらのほうが、にぎわっていて、おばちゃんばかりの2グループが、山頂パーティ状態だった。

003p3310977 大滝不動尊。奥に滝が見える

12:35下り始めて45分ほどで、こぢんまりとした大滝不動尊に出た。山から下ってきて参拝する人よりも、当然ながら、フツーに下の車道を利用してやってくる人のほうが多い。拝殿の裏手では、豪壮な男滝(おたき)が水しぶきを上げていた。

大滝不動尊から車道を下っていくと、前不動があるはずだったのだが、気づかず通りすぎてしまった。わざわざ戻るのも面倒だと、直進。桃の花がつくるピンクの絨毯が目の前に現れた。春爛漫といった華やかな眺めだ。そのまま車道をテクテクと歩いて、「天空の湯」(当時大人¥600)のあるぶどうの丘を目指した。着いた早々にそこで汗を流し、ビールをあおり、ご機嫌で家路についた。 

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花嫁街道と烏場山

2012-04-25 | 山行~三浦・房総

烏場山 標高 266m 千葉県

2002年3月17日(日) うすぐもりのち晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:32和田浦駅10:40--11:42第2展望台11:52--12:32第3展望台(昼食)13:42--13:50烏場山13:55--14:06旧烏場展望台--14:30見晴台(171m)14:40--14:55黒滝15:00--抱湖園--15:36舗装道--16:20和田浦駅

ロクな写真が撮れていないので、この花嫁街道は採り上げるのはやめようかと思っていたのだが、たぶん2度目訪れることはなかろうと、意を翻し、書き始めることにした。

最近では、あまり考えられないお金のかかる電車山行を敢行した。とはいえ、房総回数券(千倉・銚子)4枚つづりを購入し(この当時で¥3,600)、ちょっとだけ節約している。新宿発7:39のさざなみ号で千倉に向かう。結構古い車両で、そのせいもあってか車内はガラ空きでかなりゆったりとしている。外房に出て、千倉で20分ほど待って乗り換え、鈍行で和田浦駅へ移動する。そして、南国風というか、味のあるというか、けったいというかの木造の駅舎に降り立った。

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左:千倉駅 右:味のある駅舎、和田浦駅入り口

和田浦駅には、朝霞から来たという団体がいた。彼らにのみ込まれないように、10:40先んじて出発する。まずは農道を歩いていく。そのうち山道に入っていくと、里山然としたたたずまいが、何かなつかしい気分を醸成する。上りが始まると、海岸に近いせいか植生が奥多摩とはだいぶ違っていて(そうかあと山の神の突っ込みが入りそうだ)、房総に来たんだと実感がわいてくる。

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左:第2展望台からの眺め。だいぶ霞んでいる 右:第2展望台のベンチでくつろぐ山の神

1時間ほどで第2展望台に到着した。あいにく天気はうすぐもりで、海をすっきりとは望めない。とりあえずベンチに腰掛けて休憩だ。

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左:烏場山山頂。経文石と書かれているが記憶ゼロ 右:近くにいた方が勇んで撮ってくれたのだが……

12:32第3展望台に到着。強い海風が吹き付けていたが、防風林を盾に昼食にした。花嫁街道はこの頃、今は亡き『ヤマケイJOY 』か何かに採り上げられた影響で、ハイカーがだいぶ増えていたようだ。第3展望台も例外ではなく、人であふれかえっていて、大変なにぎわいだった。

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第3展望台から少し移動すると、烏場山という標識が出てきた。一応ここにピークがあるのだ。花嫁街道の先にこんな山名を冠した山があるとは知らなかった。山の神とカメラをもってうろうろしていると、写真をとってあげようかと、年配のおじさんに声をかけられる。何だか知らないが、1枚撮ると、ありゃ、失敗だといわれ、ローアングルで2枚撮ってもらった。2枚ともほとんど同じ写り方で、非常に個性的な写真に仕上がっていた(右上)。

烏場山から花婿コースへ入る。ちょっとした展望台や見晴台があって、景色を楽しめる。ん~、だから、ここでのんびりすると結構な時間ロスになるので要注意だ。

14:55黒滝(写真右)に出た。落差15mの滝を囲むようにハイカーの団体がここにはいた。なぜこんなにというくらい、あまりにも大勢いて、圧倒される。まるで行楽日和に行く高尾山山頂のようで、早々に退散する。

和田の花作りの祖、間宮七郎平がつくった庭園、抱湖園を経由し、15:36ようやく舗装道路に出た。そこからさらに海岸線に向けて歩くいていくと、奇抜な建物のこぢんまりとした町営の温泉施設が出てきた。その辺一帯には、町営の無料駐車場や自販機、トイレがある。

和田浦駅には16:20到着。計画が粗雑だったせいで、意外に長旅となってしまった。

参考
駅の写真館
http://www.jreast.co.jp/station_photo/index.html 

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竹内洋岳の友人が挑む「K2」の頂~ナショジオ2012年4月号

2012-04-21 | マガジン

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『NATIONAL GEOGRAPHIC』2012年4月号で、K2の記事(「非情の山に魅せられた一人の女性が今、命をかけて登頂に挑む」P92-P121)がある。表紙にはまったく入っていないから、書店でたまたま見かけても、気づかないだろうけど……。扱いが悪いのは、タイタニックのせいか。でも、K2の記事は30ページものボリュームがあるのだ。

さて主要登場人物は、前の号の次号予告を見て、もしやと思ったのだが、やはりそうだった。竹内洋岳氏のお仲間であるガリンダ(記事中ではゲルリンデの表記)とラルフ。ガリンダはこのK2の登頂に2011年8月23日に成功し、女性で史上初めて8000メートル以上の高峰14座すべてを無酸素で完登した。

K2は標高8611メートルで、世界第2の高峰だ。意外にもK2の登山者は、エベレストと比較すると、その数は少なく10分の1にも満たない。そのうち1/4は死亡事故を起こしている(2010年)という恐ろしい山だ。登山者の少なさは、世界第2というのが多少影響しているのだろうけど、じつはきわめて難易度が高い山なのだ。

ガリンダの今回の挑戦は、中国側からの長いアプローチを経て、コースとして最も難度の高い北壁を登るというものだ。記事中の写真は、しびれるほどの高度感を写し取っている。見ているこちら側までも息があがりそうな斜面を登っている写真もある。ご主人のラルフの苦渋の判断など感動の登頂ルポを皆さんもどうぞご一読のほどを。

ところで、竹内氏の14座プロジェクトは、いよいよあと1座ダウラギリを残すのみとなっている。今その最後のサミットを目指している真っ最中だ。その様子は、竹内洋岳氏の公式ブログで日々更新されている。わくわくどきどきのキャンプ前進、ときにはおちゃらけ息抜き記事もあって、彼らの行動を追っていくのは楽しい。日本人初の偉業は目前に迫っている。

そういえば、3/21(水)BS朝日で放送された「8000m峰・完全登頂“あとひとつ”竹内洋岳サミットプッシュ」は皆みているのかな。塩野米松氏と対話形式で、竹内氏は自らの登山スタイルを語っていたが、本(『初代竹内洋岳に聞く』)の内容とかぶっていてデジャヴュのようだった。番組中では、先輩の14座サミッターとして、ガリンダも登場し、竹内氏について語っていた。ダウラギリの登頂に成功すれば、また新たに番組をつくるんだろう。どんな番組になるのか、今からちょっと期待。

参考 
竹内洋岳「14PROJECT」
http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイトhttp://www.nationalgeographic.co.jp/
階段でいえば、踊り場にいる~竹内洋岳講演会http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20121111

NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2012年 04月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
日経ナショナルジオグラフィック社
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小野田少尉を発見した男の『大放浪』

2012-04-15 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

001 『大放浪』鈴木紀夫(朝日文庫)

幼少(?)の砌(みぎり)にフィリピン・ルバング島のジャングルから小野田寛郎さんが生還というニュースをテレビで見た。戦争が終わって、30年もまだ日本兵のままでいたという驚くべき事実に日本中が驚いた。その小野田さんを探しにルバング島へ赴いたのが、この本の著者である鈴木紀夫。すでに故人である。

鈴木の存在を知ったのは、つい最近のことだ。『雪男は向こうからやってきた』という本に、鈴木がヒマラヤ山中で雪男を探していて、雪崩に遭って亡くなったこと、そしてこの『大放浪』という本をものしていたことが書かれていた。こんな人がいたのか、へえと妙に感心したのだ。

この本は、2部構成になっている。第1部は、大学を中退して、横浜から船に乗り世界放浪の旅に出る。3年9ヵ月間にも及ぶまさしく「大放浪」で、体験したハチャメチャな話のオンパレードだ。第2部はその1年後、小野田さんを探しにフィリピンに旅立つ話。小野田さん探しは面白いが、私はそれよりも第1部の世界放浪に注目したい。

私が20歳そこそこだった時代(80年代後半)は、放浪といえば、安宿に泊まって、世界の若者同士、袖ふり合うも他生の縁的な因縁を感じつつ助け合いながら、なるべくチープに長い期間、旅費が尽きるまで(蕩尽するまで)旅する、そんなものをイメージする。その頃の放浪のバイブルは、沢木耕太郎の『深夜特急』や藤原新也の『印度放浪』だった。でも、この本に書かれている「放浪」のスタイルは、かなり異なっている。

「大放浪」は、1969年3月にスタートしているのだが、驚くべきことに横浜から船で日本を発っている。時代を感じさせる、まさに船出なのだ。そしてさらに驚くべきは、金をさほど持っていかなかったことだ。もともと持っていなかったということもあるが、常識的な感覚の持ち主であれば、旅立たない。

金がないから、野宿やヒッチハイクは当たり前で、危険な目にしばしば遭遇する。ヒッチではホモのトラック運転手に出会うし、野宿していると強盗の類に遭遇する。金がまったくなくなると、旅で知り合った仲間にたかったり、血を売って金をつくったり、肉体労働でかせぐ。いやはやたくましく、涙ぐましい行動に感服、恐れ入る。

インドでは日本寺で断食修行をしたり、ひょんなことからピストルを所持することになったり、雪山に分け入り国境を不法に越えようとしたり、イスラエル滞在中には日本赤軍のテロに遭遇したり、アフリカで部族間の抗争を目の当たりにしたり、ハシッシをやってとんだ失敗をしたりと、次々にわれわれの日常を超越した事件やイベントが起こる。

平成の世にも、こんな稀少な体験をしている人は存在しているのだろうか。

参考 雪男は向こうからやってきたhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20120303

大放浪―小野田少尉発見の旅 (朝日文庫)
クリエーター情報なし
朝日新聞社
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鹿倉(ししくら)山・大寺山

2012-04-08 | 山行~奥多摩・奥武蔵

001p3240962 鹿倉山 標高 1288.2m 大寺山 960m 東京都

2002年3月24日(日) 晴れのち曇り

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:28バス停役場前--9:50マリコ橋10:00--10:45大丹波峠10:50--11:30大菩薩ビューの稜線--11:55鹿倉山山頂(昼食)12:45--13:40大寺山13:55--14:30登山口

山頂に金色の仏像が安置されている大寺山を訪れたのは、もうはや10年前になる。突然現れるインドふうの純白の仏舎利塔には度肝を抜かれた。このインパクトはすごい。おそらく誰が行っても、脳裏に焼きつけられることは間違いない。

この山行は電車を利用した。縦走するし、電車だと一杯やれるからと単純明快な理由からだ。とくに後者は重要で、車山行がつづくと、そろそろ「下山後のビール」かという気分が昂揚してきて、目の前にちらちらビールが現れてくる。アル中か!?  でも、2002年の手帳を見ると、このときの直近の山行も電車だったりする。

JR奥多摩駅で下り、バスに乗り換え、青梅街道を進んで、役場前で下車する。距離のせいもあってバス代は¥980と結構な額になった。同じバスに乗っていた年輩の夫婦が先行して出発していく。山の神と私も遅れて車道を歩きだす。たちまち体は温まり、マリコ橋でウェアを1枚脱いだ。ついでに早くも一服タイムとなる。

002p3240956 003p3240954_3 鹿倉山山頂。大勢の登山者でにぎわう

林道が通っている大丹波峠には10:45に到着し、水分補給をする。杉木立の薄暗い峠だ。ここから稜線にあがり、11:30大菩薩が一望できる気持ちのいいビューポイントで再び休憩をとった。

まだまだ先だと思っていた鹿倉山山頂は、そこから歩き出すと、あっという間に着いてしまった。土がむき出しになっていて、一面霜柱で覆われていた。着いたときには誰もいなかったのだが、霜柱がだいぶ踏みつけられているから、もう何人もの登山者がここを通過しているのだろう。

そのうち朝のバスに同乗していた団体さまが山頂にやってきた。われわれとは逆にコースをたどり、深山橋から上ってきている。昼時の山頂はたちまちにぎやかになった。おにぎりを食べはじめると、上空では雲が広がりはじめていた。日差しがなくなると、冷たい風が身にしみる。雲間からふたたび日が差してくると暖かいのだが。

004p3240965 仏舎利塔

12:45 鹿倉山山頂を後にし、小1時間ほどで仏舎利塔に到着した。いきなり異世界に放り込まれた感じになる。建物の裏手からぐるりと回り込んで、獅子のいる正面の階段を上がっていくと、塔の周りに配された仏像を拝める。山の神ともども、何だろうね、これは? なぜここに?と首を傾げながら、バブリーな金ぴかの仏像を見て回った。

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金ピカの仏像たち 

13:55仏舎利塔を後にし、下山開始。14:30には登山口に到着した。帰途、古きよき雰囲気をもった建物で郷愁をさそう蕎麦屋陣屋に立ち寄る。山の神とともに、刺身こんにゃくをつまみにビールで乾杯する。下山後の一杯はホント格別だ!

店を出て、深山橋15:15発のバスに乗り込む。帰りの電車は奥多摩駅発16:04となった。

参考 西東京バスhttp://www.nisitokyobus.co.jp/rosen/lib/objects/20120401_hiking_okutma.pdf

 

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