目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

蔵王樹氷原と地蔵岳

2011-02-27 | 山行~スノーシュー

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地蔵岳 標高 1736m 山形県

2011年2月20日(日) くもり

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:40蔵王ロープウエイ山麓駅11:45頃--11:55樹氷高原駅12:00頃--12:10頃地蔵山頂駅12:30--(お地蔵さん参拝)--12:45地蔵岳12:48--13:30避難小屋(昼食)13:50頃--14:35山頂駅--14:45頃 高原駅--15:15頃 山麓駅

前泊の上山温泉を9:00すぎにチェックアウトし、蔵王温泉スキー場に移動してくると、すっきりと晴れている。おお、今日はスキーじゃもったいないか。明日も晴れるとは限らないしね。と山の神と話していると、気分は次第に昂揚し、よっしゃ、今日はトレッキングだとなる。これが失敗の始まりだった。

ロープウエイの駐車場が満車だったので、本日宿泊予定の五感の湯つるやに寄って、車をとめさせてもらう。ラッキーなことにちょうど1台分のスペースが空いたところだった。今日の昼飯、行動食を道すがらファミマで買出しし、ロープウエイ乗り場にいくと、もう10:40。観光客が大挙押し寄せていて整理券を配り始めていた。それにしても混んでいる。整理券には11:30と印字されていて、それまで待合室で缶コーヒーを飲んでひまつぶし。11:20頃に階上の乗り場にいくと、もうだいぶ並んでいて、出遅れたかと。それからしばらく待たされて、ようやくロープウエイ山麓線に乗れた。

2本目のロープウエイ山頂線は早かった。輸送力は山麓線の3倍だそうだ。逆にいえば、山麓線は、山頂線の3分の1しか運べないということだ。帰りも長いこと待たされたからなあ。

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左:肩あたりまで雪に埋まった地蔵尊 右:地蔵尊から地蔵岳を見る

ロープウエイ山頂線に乗ると、やがて樹氷が見えてくる。圧巻である。この樹氷は、アオモリトドマツに主に雪が付着してできあがる。今年は大雪だったから、例年に比べ巨大化しているとのことだ。前日リフトに乗っているときに気づいたが、樹氷原直下のトドマツは雪の重みで、枝がしな垂れており、なかには折れているものもあった。樹氷原も前段でこの過程を経ているから、スリム化した長ひょろいモンスターが生まれるようだ。

地蔵山頂駅は12:10頃到着。外に出ると、ガスってきている。地蔵岳山頂付近には完全に雲がかかってしまっている。こりゃダメか。まずは山頂駅出てすぐのところに鎮座しているお地蔵様にお参り。7,8年前に訪れたときは正月だったから、雪はもっと少なく、腰あたりまで出ていた。こんなお姿になるとは驚き!

 

006img_4567 薄日が差したが…

001img_4572地蔵岳側にはロープが張られていて、立入禁止となっている。だが、あってなきがごときで、人はどんどんロープを越えて斜面を上がりモンスターとたわむれる。このロープは、ことなかれ主義、事故が起きたときの言い逃れ対策ということか。

スノーシューをはいて斜面を登り始めると、かたわらでは、雪合戦をしているグループや、写真を撮りあっているグループ、上へ上へと高みを目指すグループと皆思い思いに楽しんでいる。写真を撮ろうと振り返ってみると、モンスターたちに薄日が差してきた。好天回復の願いもむなしく、その僥倖はほんの一瞬だけだった。登り始めて15分ほどで地蔵岳山頂に到着した。周りはガスってきて、視界がきかなくなってきている。

写真だけ撮ってすぐ出発。目指す方向には、道標ならぬ棒がほぼ等間隔で点々と立てられている。それを目印に進む。その棒にはエビの尻尾がびっしりと付着していた。昔の冷蔵庫の霜みたいなもんだ。風上側にどんどん伸びていくとのことだ。

風がだんだん強くなってくる。ここではこれがごくフツーの状態なんだろう。でなきゃ、エビのしっぽができないから。だんだん恐れていたとおりになってきた。下から地蔵の山頂を見上げたときに雲がかかり始めていたから、もしかしたら悪天になるかと嫌な予感がしていたのだ。予感は現実のものとなった。風はまだ背後から来るから、比較的ましなほうだ。雪は硬めでしまっているから、強風でトレースがなくなり道に迷う心配がないというのが唯一の救いか。それにしても、この風はどうしたものか。

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左:避難小屋正面 右:回り込むと右端に小屋の入り口が見えた

13:30避難小屋に到着。一見異様すぎてなんだかわからない。回り込んでみると、入り口があって、避難小屋と判明。ドアのストッパー役にスコップが使われていて、雪面に突き刺してあった。ちょっと小屋の中を覗いてみたが、窓が雪で塞がれているから、当然ながら真っ暗だ。棺おけみたいで怖い。われわれは風が来ない裏側に回り、昼ご飯にした。コンビニおにぎりを速攻で食べる。

寒すぎて、山の神が帰ろうを連発し、13:50頃早々に引き返し始めた。風は相変わらず強い。下山は真正面からの直撃を受ける。むき出しの顔を寒風がたたいていく。お互い無口になり、黙々と歩き続ける。おや、地蔵岳だよ。地蔵岳の標柱が突然現れた。もっと登り返すと思っていたから、拍子抜けした。さすがにこの風だから、山頂には誰もいない。でも下り始めると、またロープウエイの山頂駅から繰り出した人であふれかえっている。スキーヤーとボーダーが楽しげに雪遊び中だ。

帰りのロープウエイも混んでいた。山頂線は難なく通過できたが、山麓線は前述のとおりでダメダメだ。しびれを切らした頃、吹きさらしの乗り場に出る。ようやくロープウエイが入ってきて乗車できた。待ち時間はそれほどでもないのだが、立ちっぱなしでいつ乗れるかわからないという心理面から異常に長く感じるのだろう。こういうのはホント参っちゃうね。山麓駅には15:15頃到着した。

以下、気持ちのいい青空の写真でしめくくろう。冒頭の写真も含めて、すべて翌21日(月)に撮ったものだ。それにしてもこんなに晴れるのなら、日曜にスキー、月曜は山歩きと逆にすればよかったと後悔する。もともとその計画だったのを変更したから、なおさらだね。また来よう。モンスター樹氷は今回十分堪能できたから、いつか夏に縦走だ!

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左:鳥海山の雄姿 右:月山

002img_4603 飯豊のお山 003img_4604 朝日連峰007img_4605 生き物みたいだ004img_4610_2 地蔵岳

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両サイドにモンスターを従え、樹氷原コースを滑走するのは、気持ちがいい。目の前には壮大な風景が

蛇足
宿に置かれていた山形新聞のコラムに「山が青く見えるわけ」という記事があった。読んでみて自分の思い込みに恥じ入るしだい。生まれてこの方(!?)水蒸気のせいだと思っていたのだが、まるで違っていた。樹木から発している揮発性物質に青い光が反射することで、山が青く見えるのだと書かれていた。そうだったのか。地方の宿に泊まったときに、地元紙が置かれていれば必ず見てみるけど、この件に限らず、思わぬ発見があって面白い。みなさんも思い出したら、ぜひ地元紙をご覧あれ。

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鍋割山・塔ノ岳

2011-02-22 | 山行~丹沢・道志

鍋割山 標高1272.5m 塔ノ岳 1490.9m 神奈川県

2010年1月17日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:25表丹沢県民の森駐車場7:45--(8:05二俣)--(8:45後沢乗越)--8:55尾根上で休憩9:03--9:45鍋割山9:58--11:00塔ノ岳(昼食)11:58--(12:16花立山荘)--12:40堀山ノ家12:50--13:45駐車場

表丹沢県民の森には7:25到着した。気温は-1℃なのだが、とてつもなく寒く感じる。底冷えの感。でも登山者はなんのその、ここの駐車スペースが埋めつくされるくらい訪れている。駐車場の近くにあるぼろぼろのトイレに寄って、7:45出発する。

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左:表丹沢県民の森の駐車場 右:旧丹沢登山訓練所。老朽化し今は使われていない

車道を歩いていくが、風が抜けていき体感温度は低い。そのうち今や廃墟と化した丹沢登山訓練所が現れる。その昔、山の神がここで研修を受けたという。

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左:二俣 右:尾根へ続く急登

ほどなくして二俣に到着すると、なぜか車が何台もとめられていた。ゲートは閉められていたのに、なぜ? いったいどこからと思うが、これだけ駐車しているということは、どこかに通行可能な道がここに通じているということだろう。

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左:目の前が後沢乗越 右:人馴れした鹿さんたち

8:45後沢乗越到着。そこから尾根づたいに上っていくと、突然視界が開けるところに出る。右手には鹿が4頭いた。われわれの歩いてくる気配に1頭が振り向くが、ああ人間かとまた悠然と草を食む。ムム鹿になめられるとは! この余裕の動作はなんだ。他の3頭は警戒心皆無で、振り向きもしない。

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休憩ポイントからの絶景。富士山と相模灘

鹿のいた反対側には最高の眺望が広がっていた。目の前にどっかりと富士山が迫ってくる。視線を左へ移していくと相模灘が日の光でキラキラときらめいている。ここで腰を下ろして一服。自然の造形美に癒されリフレッシュする。

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鍋割山荘には、9:45到着。名物の鍋焼うどんの幟がはためいていた。いちど食べてみたいが、今はまったく腹は空いていない。鍋割山からも先ほどの休憩ポイント同様に富士山と相模灘を見渡せる。

001img_3107 後方に真っ白なお尻を見せているおねだり鹿が見える

塔ノ岳山頂には11:00に到着。立派な角を持った牡鹿が2頭うろうろしていて、登山者に近づいていっては、おねだりを繰り返す。それも情けない、憐れみを催すような声を発しながら。角が泣くぜ。それにしても、どんどんずうずうしくなる丹沢の鹿。山頂が登山者でにぎわう分、それだけ多くおこぼれに預かれるということか。

ここでも富士山の眺望を堪能し、昼メシ。11:58に下山開始。

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左:花立山荘 右:堀山ノ家

多くの登山者とともに金冷シの分岐から花立へ下りる。目の前は開けていて、相模灘を見ながらの下山だ。花立山荘に来ると、おしること書かれた小さい赤い幟がわれわれにおいでおいでをしている。今メシを食ったばかりだからねえ。その手の誘惑には負けんぞ。

まだまだ登ってくる人は多く、途中何度もすれ違う。12:40だいぶ下ったところに、堀山ノ家が現れた。ここの端っこのベンチを借りて最終休憩をとる。

ここからは絶望的に暗い杉林が続き、それに飽きてきた頃沢が現れ、二俣に到着した。駐車場には13:45にたどり着いた。

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雨池スノーシュー

2011-02-16 | 山行~スノーシュー

雨池 標高 約2,060m ピラタス蓼科ロープウエイ山頂駅 2,240m 長野県

2009年2月22日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:40ピラタス蓼科ロープウエイ駐車場 山麓駅10:00--10:07山頂駅10:35--(10:50縞枯山荘)--11:23雨池(昼食)12:15(池を一周)12:35--13:00大石川林道分岐13:05--13:50山頂駅14:20--14:27山麓駅

家を6:00過ぎ出発と遅めにしたため、中央道談合坂SAは混んでいた。缶コーヒーを自販機で買い、車に戻ってコンビニパンの朝食をとる。中央道を走り続け、諏訪ICを9:00頃に下りる。八ヶ岳や車山への通過地点である、毎度おなじみの茅野の市街地を抜け、ピラタス蓼科ロープウエイの駐車場には、9:40に着いた。ここのところ雪が降っていないのか、駐車場にはほとんど雪がなかった。

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左:ロープウエイ山頂駅 右:山頂駅から見た縞枯山

身支度して、ロープウエイの山麓駅で順番待ちの列に並ぶ。なんとわれわれまでが10:00発のロープウエイにギリギリ乗れた。満員のロープウエイには、スキー板やボードを抱えた人が大勢いるなかで、われわれのような登山者も幾分か混じっていた。みるみる高度を上げていく。見晴らし最高といっているうちに、7分ほどで山頂駅に着いた。

山頂駅では風速15m/sの表示が出ていた。外に出ると確かに風は強い。それでもそれに抗うように三脚を立てて、着いたばかりでもう撮影を始めている人がいる。乗っていた客のほとんどはスキーヤーやボーダーだから、間髪置かず、板をはいて、続々と麓へ向けて滑っていく。少数派である登山者もそれに負けじとスノーシューを装着して、スキーコースとは逆方向についているトレースをたどり始めた。

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左:縞枯山荘 右:ひたすら山下りに入った山の神

われわれは10:35山頂駅を出発した。縞枯山荘には、またたくまに到着。三角屋根が目立ち、すぐにそれとわかる。人が多い。その分雪面にも多くのトレースが残っていて、踏み固められている。この辺り(八丁平)からいっきに山下りとなる。今日はいつもの山登りとは異なり、下りまくるのだ。そしていつもなら帰りは下りとなるのだが、帰りは上るのだ。

001img_2310登山道を下りきると大石川林道に出る。林道を左に行くと、双子池。右に行くと麦草峠だ。われわれは、麦草峠方面へ進む。しばらく横移動していくと思い切り右にカーブしている地点にさしかかった。地図をみると、この辺りから雨池に下りる道があるはずなのだが。道標はないが、この赤い旗はくさい。雨池への目印ではないのか。後からきた妙齢のご婦人も雨池はこっちじゃないのと、そそくさと赤い旗のところから下っていく。

われわれもまず間違いないだろうと、そこから下り始めた。

11:23思ったとおり雪原に到着。雨池の看板も発見する。雪面をなでてくるから風が非常に冷たい。スノートレッキング中の面々は、樹木が密集している池の端っこへ逃れて休憩していた。われわれも真似をして樹林帯へ行ってレジャーシートを広げる。そして目の前いっぱいに広がる大雪原をおかずにランチ。乙! レンズ雲も乙! 

そこで一句。

雪原の切れはし空へレンズ雲

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雪原と化した雨池。詩的な気分で大休憩なのだ

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昼飯前には居あい抜きならぬ、居合い撮り。山の神が準備万端でカメラを構えたところをすかさず、後の先(ごのせん)で撮る。 どっちが勝ったのか、果たして本当に後の先になったのか!

12:15昼食後、雪原をぐるりと一周して帰途につく。八柱山への登り口があったが、誰も登っていった跡がない。今日は皆ここ雨池で終了なのだ。

Img_2323 大石川林道への上り

帰りはピストンだから、来た道を戻るだけだ。雨池から直登し、大石川林道に出る。しばらく林道を歩くと、先ほど下ってきたロープウエイへの分岐に出た。ここから上りが始まる。いつもとは逆パターン。帰り道はずっと上りなのだ。

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左:ロープウエイへの分岐 右:帰り道はひたすら上り

分岐で小休憩した後、ひたすら登る。ちょっと平らになって一息つく頃、縞枯山荘近くの八丁平(雨池山・縞枯山分岐)で強風に見舞われ、しばし立ち止まる。あまりの強風で顔を上げて歩くことができない。フードをかぶって耐え忍ぶ。風が少し弱まった頃合を見計らって、逃げるようにロープウエイ山頂駅へ向かい、13:50頃駅舎に転がり込んだ。ほんわりと上がる湯気に誘われ、売店で甘酒を買う。スキーヤーが休憩する傍らで、われわれもまったりと甘酒をすすり、体を温めた。でも甘すぎだな、これ。

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栗城史多 オン・ステージ

2011-02-13 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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本人書いてるのか?と冒頭の「はじめに」を読んで感じた。ブログの文章となにかトーンが違うような気がした。編集者がちょこっとリライトしてるんだろうか。まあ、そんことはどうでもいいか。本文に入ると、その違和感が吹き飛ぶし。

この本、改行が多く、行間が空きまくっていて情報量が少ないけど、彼の人となり、なぜ彼の今があるのかが読むと透けてみえてくる。高校時代に演劇にのめりこんだというのは、端的に、もう彼のバックボーンを示している。脚本を自分で書いて、自分で主演するというのは、今の彼がやっている登山のインターネット生中継の原型じゃないか。まさに彼独自の登山スタイルのプロトタイプは高校時代の演劇にあったのだ。リアルタイムで客席に向かって自分をさらけ出す。物語を客と共有するのだ。

泣いたり、笑ったり、弱音を吐いたり、強がってみたり、その時々の感情をストレートにさらけ出す。それが皆をひきつける。やらせじゃない。ちょっとした演出はあるものの演技じゃない(!?)。彼を身近に感じるのだ。まるで友達のように。また彼の生き様を自分に投影して、自分と比較することで、同情したり、勇気をもらったり、感動をもらったりして、さらにのめりこんでいく。その循環が彼の魅力にどんどん吸い寄せられていく素になっている。

彼のエベレストへの挑戦は2度目も失敗してしまったけれど、間違いなくまた挑戦するだろう。彼の実行力、ひたすら前向きな姿勢には脱帽だ。次は成功してほしいけれど、エベレストの無酸素単独登頂はあの鳥人といわれたメスナーだけだ(たしか)。冷静に客観的にみれば、達成はかなり困難だ。でも、本当に達成してしまったら、それはある種奇跡だし、偉業だし、感動の嵐となるだろう。

いずれにしても、まだまだ彼には注目だね。

そういえば、彼の本はもう一冊出ている。『NO LIMIT』。安易なつくりの本で、栗ちゃんの大ファンには申し訳ないが、自分にとってはまったく価値がない。彼を偶像化している人には、どんな本でも手にとってしまうのだろうけど……。パラパラページを繰ってみると、彼のHPからの抜粋と写真で構成されているようで、粗製濫造のアイドル本みたいだ。これって、出版社の人がほとんどつくったのかね。これだと興味は半減する、というか失われる。何か新しい情報がそこにないかぎりは、読むに値しない。

『一歩を越える勇気』を読んだ読者の立場からいわせてもらえれば、『一歩』出版後の彼が何を考え、何にトライしたのかがきちんと整理されているとか、『一歩』をもっと詳細に補足するとか、彼の周りを固めている栗城チームの面々やシェルパたちはどういう人たちなのかとか、書くべき、そして読者に伝えるべきネタは豊富にあると思うのだが。加えて、彼にまつわる面白いエピソードは山ほどあると思うから、それもまとめれば面白いと思うんだがね。本を出すのなら、せめて上述の内容の一部でも盛り込んで、読ませる内容の本にしてほしいものだ。

「1122メートル」の栗ちゃん記事バックナンバー
栗城史多オフィシャルブログはこちら

(文庫)一歩を越える勇気 (サンマーク文庫)
クリエーター情報なし
サンマーク出版

 

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「百年前の山旅」をシミュレーション

2011-02-11 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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服部文祥氏の最新刊『百年前の山を旅する』のページを繰っていくと、巻頭の写真にまず目を奪われる。冗談かと思う。このいでたちは何だ? なぜ股引にわらじ、肩掛けかばんにゴザなんだ。番組企画で、お笑い芸人がこんないでたちで山歩きを強要されているような錯覚を覚えた。実際にそんな番組があってもおかしくないだろうしね。

ここまで徹底して昔の山登りを追体験しようという気構え、行動力には舌をまく。去年の上海万博開催記念の遣唐使船再現プロジェクトを想起させる。遣唐使船を復元して、大阪を出て瀬戸内の都市を経巡りながら上海まで行った。もちろん当時と同じように風と潮流、手漕ぎでといいたいところだが、動力としてエンジンも使っていた。まあ、現代人の追体験は、往時のままというわけにはなかなかいかないわね。

でも、服部文祥氏は、まったく同一の追体験になるように、あるいはそれに肉薄すべく、服装から装備から、行動日程に至るまで、気づくことすべてにこだわりまくったようだ。近代登山黎明期の登山家田部重治や木暮理太郎の百年前の山行記録をひもとき、なるべく忠実に彼らの山歩きを再現しようと試みた。当時は今のような昭文社の登山用地図もなければ、2万5000分の1の地形図もない。交通機関も今のようには整っていない。奥多摩を歩こうにも、電車は青梅駅が終着駅だ。コンビニもないから、食糧も自分で用意して山に入る。佃煮を竹革に包んだりしてね。朝思い立って、ちょっこら奥多摩に日帰りなんて山歩きは到底ムリなのだ。現代人から見れば、恐ろしく不便なことばかりだ。

でも、こうした「ないない尽くし」が当たり前の世界に生きた田部や小暮にとっては、不便という感覚はない。登山口までの移動手段である交通機関がなければ、歩くだけだ。地図がなければ、地図なしで行く。雨が降ったら着ゴザをかぶる。夜寒ければ焚き火をする。それを一切合財服部氏は真似た。

彼の「サバイバル思想」の先には、道具や装備を減らしていくという、登山の原点へのベクトルが見えてくる。それは、自然と一体化する山登りともいえる。なるべく人が自然に寄り添い、文明の利器に頼らずに、一介の生き物として、行動、生活するという先鋭的な環境主義思想につながっていく。その思想へと帰結する過程で、田部・小暮をトレースするばかりでなく、日本のアルピニズムを開花させたウェストンと嘉門次、上田哲農の積雪期の白馬主稜縦走、江戸時代に加賀藩が行っていた黒部奥山廻、また入山の原初形態である沢登りにも注目していくのだ。

最後に「火を持ち歩くということ」という1章を設け、登山や冒険で最大の利器となる、ストーブについて語る。まさに逆説的であるが、このストーブ(火)を持ち歩けるようになったことが、一介の生き物から人間が脱し、より過酷な環境である、高地や極地での行動を可能にしたのだ。著者が敬愛する北極探検で名を馳せたフリッチョフ・ナンセンもストーブに助けられたはずだ。氷の中に閉じ込められていても、火はいつでも熾せたからだ。

おまけを1つ。『江戸人が登った百名山』という本がある。百年前どころではなく、二百年前、三百年前の山をとりあげている。江戸時代に描かれた絵入りで、その山の歴史的な謂われや地形なども記されている。ひまなときに、掲載されている谷文晁の絵だけを眺めて江戸情緒を味わうのもいいし、登場する知らない山を地図で確認したり、江戸人になった気分で山登りを夢想するのもいい。そのまま行っちゃってもいいだろうし。楽しみ方は人によって千差万別なのがこの本。資料的価値も高い。

 

服部文祥氏のサバイバル本については「1122メートル」のバックナンバーを参照!
田部重治『山と渓谷』についてはこちら。

百年前の山を旅する
クリエーター情報なし
東京新聞出版局
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