目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

雌阿寒岳・阿寒富士

2014-08-25 | 山行~北海道

雌阿寒岳 標高 1499m 阿寒富士 1476.3m 北海道

2007年7月11日(水) くもり時々晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:55雌阿寒温泉コース登山口8:15--9:05四合目上部9:10--9:55八合目--10:20雌阿寒岳山頂--11:00阿寒富士分岐11:10--11:43阿寒富士(昼食)12:40--14:10オンネトーキャンプ場14:30--15:20雌阿寒温泉

前泊は、桜ヶ丘森林公園キャンプ場。平日でしかも気温が10℃くらいしかなかったせいか、テントを張っている人は極端に少なかった。4:40起きだしてみると、小雨が降っている。予報では晴れ間が出るといっているので、予定どおりテントを撤収して雌阿寒に向け6:45キャンプ場を出発した。

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左:桜ヶ丘オートキャンプ場 右:雌阿寒温泉コース登山口

道すがら一般車両が入っていけない湖、パンケトーとペンケトーのふたつが見られる双湖台に立ち寄ってみた。霧雨が降っていたものの、その姿を遠望できた。この2つの湖は、ヒグマ生息域につき、登山道はつけられていない。そんな湖だけにちょっと神秘的ではある(注:パンケトーには関係者だけが通行可能な林道がつけられている)。

阿寒湖畔のコンビニで昼食の買出しをし、雌阿寒温泉の登山口には7:55到着した。ここには立派な駐車場やトイレがある。山の神と私の到着直後には登山者の団体バスがやってきて、たちまちにぎやかになった。

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左:二合目は樹林帯の中 右:四合目はハイマツ帯の中

手が冷えるなと軍手をはめる私。隣では風除けにとヤッケをはおる山の神。薄ら寒いなか歩き始めると、もう下ってくる集団がいた。雌阿寒温泉を2:00に出発し山頂まで行ってきたという。いまは白くガスっているが、山頂ではちょうどガスがはれたとか。われわれもそうなってくれるといいのだが。いまはガスがたれ込めている。

登っていく団体も前後に2組。皆おしゃべりに夢中で、たいへんにぎやかだ。比較的登りやすい百名山だから、人気の山なのだ。樹林帯を抜け、ハイマツの植生に変わった四合目上部でひとまずザックを下ろした。するとエゾシマリスが山の神と私の到着に驚いて、ハイマツの中に逃げ込んでいった。

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左:山頂への最後の上り 右:雌阿寒岳山頂

そのうちハイマツもなくなり、ガレ場になる。八合目で一息入れて、あとは一気呵成に直登。残念ながらあたりは白くガスっていて、何も見えない。風でうっすら青空が透けて見えることもあるが、すぐにまた真っ白けだ。

10:20雌阿寒岳山頂。濃いガスに包まれている。先着様が去ったあとに写真を撮って、すぐに出発した。

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左:下っていくと白いガスに覆われ始める 右:イワブクロ

下り始めると、青空が一瞬出る。一気に晴れるかと思ったら、またガスが流れてきた。11:00阿寒富士への分岐まで下り、そこで休憩にした。そここに咲き始めたばかりのまだみずみずしいイワブクロが山の神と私を迎えてくれた。

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左2点:阿寒富士山頂 右:雌阿寒岳の山頂だけがかろうじて見えていた

一歩踏み出すと半歩ずり落ちるような、砂礫の歩きにくい道を一気に上って11:43阿寒富士山頂に達した。残念ながら白いガスに視界は閉ざされ、何も見えない。昼飯を食べているうちに晴れるかもねと半ば諦め気分で腰かけていると、みるみるガスが風に流されていく。隣の雌阿寒岳が目の前にどかーんと現れた。そして雌阿寒から視線を移動すると、そこには見事な大雲海が広がっていた。絶景だ。

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奇跡的に雌阿寒岳のガスがはれた。火口からは蒸気が勢いよく噴き出していて、その音が阿寒富士山頂でも聞こえる

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山の神も見とれた一面の大雲海

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阿寒富士から下りて、振り返ると黒々とした山容が目の前にあった

思わぬ僥倖に下山が遅れてしまった。いつまでも雲海を眺めていたい気分には逆らえず、結局山頂には1時間くらい滞在してしまった。12:40重い腰を上げた。ふと雌阿寒を見やると、いくつもの点が斜面を移動していく。団体さんたちだ。先ほどまでのガスが嘘のようにその小さい点がはっきりと見えている。

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左:こうした砂礫にはやはりコマクサ 右:メアカンキンバイ

八合目の分岐から阿寒富士を回りこんでいく。しばらくは森林限界を越えた気持ちのいい道が続く。コマクサやメアカンキンバイ、先ほども咲いていたイワブクロの花が次々に登場する。花いっぱいの砂礫地を通過していくと、今度はジメジメした森の中に突入していく。

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2点ともオンネトー。エメラルドグリーンの水をたたえていた

暗い森を抜け、14:10オンネトーキャンプ場に到着した。水辺は蚊が多く閉口したが、エメラルドグリーンの湖面が美しく、蚊の存在も忘れるほどだ。透明度も高く、一見の価値がある。

しばらく休憩して14:30オンネトーキャンプ場を後にする。すぐのはずの分岐がなかなか現れず 、いらだったせいもあってか、そこからの道のりが非常に長く感じた。昭文社の山地図では、「歩きやすいハイキングコース」と記されていたが、そんなことはない。手入れがあまりなされておらず、倒木はあるし、ヤブ漕ぎにはなるしでなかなか大変な道だった。ただ地図は2000年版の古いものだったので、もうその記述は削除されているのだろう。

15:20雌阿寒温泉の駐車場に到着した。ピストンの登山者が多いのか、広い駐車場はがらんとしていた。

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釧路湿原カヌー下り

2014-08-21 | カヌー

04002 2007年7月10日(火) くもり(少しだけ晴れ間)

メンバー 山の神と私

コースタイム 塘路湖9:00頃~12:00頃 細岡

朝4:00くらいから辺りは明るくなり、5:00頃には、もうおばちゃんたちの話し声が響き渡っていた。達古武オートキャンプ場フリーサイトの夜明けは早い。山の神と私は、眠い目をこすり、6:00前には起床した。早々に朝食の準備にとりかかった。とはいっても昨日コンビニで買っておいたパンとスープだ。でかいテントを撤収するには時間もかかり、キャンプ場を出たのが8:20。それから10分ほどでカヌーの集合場所である塘路湖の駐車場に滑り込んだ。山の神と私に同行してくれるカヌーツアー会社「わっか」のスタッフは、もう来ていた。背の高い、ガイド歴9年という頼もしいお兄さんだ。

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左:さあ、出発。岸を離れる 右:ガイドのお兄さんが余裕でパドルを操る

参加書類に名前を記入したら、まずはパドルの使い方の講習だ。右回転、左回転、聞いている分には簡単だ。さっそくカナディアンカヌーに乗り込み、塘路湖を出発する。初心者は蛇行することが多いといわれたが、まさにそのとおりになった。左に行き過ぎれば、それを直そうとして今度は右に行き過ぎる。なかなかまっすぐ進めない。根性がまがってるせいか。先ほどまで強かった風がせっかく凪いで来ているというのに、一向に前に進まない。

初めてカナディアンカヌーに乗ったのだが、こんなにパドルの操作が難しいとは思わなかった。カナディアンカヌーは、前で漕ぐ人よりも後ろで漕ぐ人のほうが重要で、行く先をコントロールするのは、後ろの人だといわれる。そういわれてもねえ。それでも再びレクチャーを受けると少しはましになる。

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左:ガイドのお兄さんは余裕で差を広げていく 右:蛇行してなかなかまっすぐ進めない

川幅が狭いところでは、川岸に寄っていってしまい、木の枝にはぶつかるし、艇が横向きになり沈の危機に瀕したことも(いわゆる沈没というやつです)。それでもパドルを扱っているうちに、だんだんコツを覚えてくる。

しばらくいくと、川自体が蛇行しているところに入る。インから入って、インに抜けるのがいいといわれるが、そんなことができるわけがない。無心にガイドさんについていくだけだ。

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左:接岸&ティータイム 右:川岸をキタキツネが疾走していった

ようやく慣れてきた頃、トイレに行きたくなり、接岸! 上陸してみると、エゾシカの足跡だらけだった。湿地帯だから、土はやわらかく、足跡がくっきりと付いている。ついでに私の足跡もくっきりと。ここでお茶とカントリーマアムをもらって、しばし休憩する。

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ノロッコ号がゆっくりやってきた

再び漕ぎ出すと、ノロッコ号が真ん前に現れた。ガイドさんが出発前に嫌がっていたあのノロッコ号。恥ずかしいから、どうしても早くあそこを通過したいといっていたポイント。そう、山の神と私の艇が蛇行しまくっていたために、ジャストタイミングになってしまったのだ。

しかもノロッコ号は、釧路川のビューポイント、まさにここでスピードを落とした。乗客の一人がこちらに向かって手を振った。思わず手を振り返すと、ノロッコ号の乗客全員が手を振るではないか(そう見えた)。おおおお。長島茂雄気分になる(古いな)。

再びパドルで力強く漕ぎ出すと、いっせいにフラッシュの雨が降り、ヒーローインタビューでも受けている気分になる。ちなみに山の神は無反応だった。

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左:細岡の終点付近から振り返る 右:細岡展望台から釧路湿原を望む

行程中は、色鮮やかなカワセミ、上空を首を長く伸ばして飛んでいく丹頂鶴、川岸をさっそうと走っていくキタキツネと、大自然真っ只中!を実感できた。

そうこうするうちに川岸がいっきに広くなり、あっという間に細岡、終点に着いてしまった。上陸後、カヌーツアー楽しいじゃないか、また参加してみたいと山の神ともども思ったのであった。

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丹頂鶴を見に行った

2014-08-17 | まち歩き

001img_08487年前の釧路湿原と雄阿寒・雌阿寒岳を歩いた記録を紹介しよう。このときは全般に天気が今いちで、夏だというのに肌寒かったのを覚えている。そもそも道東というのは、こんな気候なんだろうか。

2007年7月7日(土)(7並びだ!)新潟からカーフェリーに乗り、一路苫小牧へ向かった。7月8日(日)17:20北海道に上陸。この日は移動せず、苫小牧プリンスホテル(写真下;2011年11月より休館)に宿泊した。フェリーの到着時間からみて、苫小牧泊を決めたのだが、意外にも高速にあがっていく車が多い。少しでも時間を有効に使おうということなのだろう。今年の暑寒別岳山行には、その教訓をいかして美唄まで足を延ばした。

7月9日(月)7:45ホテルをチェックアウトし、高速道も使いながら道東へ移動する。くもっていた空からはついに雨が落ちてくる。昼すぎ、どこか食べるところはないかと沿道に目を凝らしながら走っていくと、白糠町でレストランはまなすを見つけた。平日ということもあって、店内はサラリーマンが多い。山の神も私もハヤシライスセットをオーダー。雨が降り続くものだから、だいぶこの店でゆっくりしてしまった。それでも14:00過ぎには釧路市丹頂鶴自然公園に到着した。

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左:苫小牧プリンスホテル 右:初めて間近で見た丹頂鶴

ここを訪れて初めて知ったのだが、丹頂鶴の頭はハゲだった。あのトレードマークの赤い部分だ。赤がアクセントカラーになっていて、かっこいいと思っていたのだが、赤ハゲだったとは。

公園内の丹頂鶴を見て廻っていると、空にくちばしを向けて、すさまじい大音声で雄たけびを上げ始めた鶴に出くわした。テレビで見たことのあるシーンだが、こんなにやかましいものとは知らなかった。縄張りを主張しているのだと解説があった。なるほどそれで、精一杯の声をしぼりだしているわけだ。

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動きまわる丹頂鶴を追うが、なかなかベストショットとはいかず……

丹頂鶴は一様に皆白く、優美な姿だと思っていたが、鶴にも年配者はいる。冒頭の写真はそれと知らずに撮ったものだが、拡大してみて驚いた。くちばしが欠けていてあきらかにお歳を召している。よくみると、羽もツヤがなく薄汚れた感じだ。逆に若い鶴は、羽がツヤツヤしていて、純白だ。

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左:釧路湿原国立公園の看板 右:達古武沼。このほとりにオートキャンプ場はある

15:00頃丹頂鶴と別れを告げ、達古武オートキャンプ場に向かった。途中セブンイレブンで買出しをし、食糧を調達する。キャンプ場の料金は格安で、当時で車1台¥1,260、入場料大人1人¥100だった。平日でまだ7月上旬ということもあってキャンパーは少ない。気温が13℃しかないということも関係しているか。

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達古武オートキャンプ場でテント泊

明日の天気はくもりの予報。山登りは延期。先に釧路湿原でカヌーに乗ってみようと、カヌーツアーを運営しているわっかに予約を入れた。さっそく明日朝の集合場所である塘路湖元村キャンプ場前駐車場の下見に行ってみる。所要時間12,3分で行ける。近くてよかった。さあ、明日はカヌーだ。

つづく

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江戸時代版バックパッカー

2014-08-15 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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『剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む』永井義男(朝日新聞出版)

楽しすぎる。一言でこの本を表現すると、これ以外にない。江戸時代版バックパッカー紀行文の紹介本だ。私も江戸時代に生まれていたら、剣術修行と称して、全国行脚していただろう。ただ百姓の家系だから江戸時代に生まれても、それはかなわなかっただろうが。

まえがきにもあるが「諸国武者修行」、「他流試合」といえば、すぐに道場破りをイメージしてしまう。しかし実態はそうではなく、道場におじゃまして練習させてもらうという、穏やかなものだった。江戸時代は、太平の世とはいえ、各藩剣術修行を推進していて、希望者は藩に書面を提出し、認められれば、公費で修行の旅に出ることができた。修行人宿というものがあり、そこに泊まれば宿泊費は無料。すべて各藩が修行者のために負担していた。

本書の主役は、「諸国廻歴日録」を書いた牟田文之助。20代で妻帯者。宮本武蔵のあの二刀流の一派、鉄人流の使い手であった。のちに江戸時代の剣豪として、彼は名を残すことになる。その彼が佐賀を出発し、諸国の道場を経巡る。おもしろいことに彼は、行く先々の道場で、歓迎された。なぜかといえば二刀流が非常に珍しいからだ。相対したことがないから、ぜひともお手合わせをとなる。

稽古のあとの夜は宴会。道場に来て稽古しているのは、若者ばかりで同世代だから、すぐに打ち解けて親しくなり、話題は尽きない。また諸国を廻る修行者同士で親しくなることもある。文之助も意気投合して、他藩の修行者と連れ立って、旅にも出ている。たださびしいのは、何せ江戸時代。手紙のやりとりは可能だったものの、当然往来の自由はない。電話もなければメールもない。いったん別れてしまえば、他藩の人間とは、まず再会できない。今生の別れになってしまうのだ。悲しいね。

さて修行の中身はといえば、道場で稽古している人たちと一人ずつ竹刀でパンパン打ち合っていたようだ。後に剣豪と称されるだけあって文之助の腕前は秀でていたようだ。「日録」の中で、立ち会った相手の力量を記しているが、ほとんどが大したことはないと歯牙にもかけない。ときどき骨のある人物と立ち会うとそれを率直に記してもいる。江戸の3大道場といわれた、千葉周作の玄武館、斎藤弥九郎の練兵館、桃井春蔵の士学館にも足を運んでいる。

私は中国武術をかじっているが、いわゆる“遣える人”に会うとわくわくする。すごい。この拳の重さはなんだ? この速さは? どういうふうに動いているのだ?と興味津々になる。いっぽうで大したことのない人、いわゆるフツーの人への関心は薄い。だからなんとなく、この日録での文之助の書き方には納得がいってしまう。著者は若くておごっているふうに懐疑的にとらえているのだが。

ともあれ「諸国廻歴日録」は、武術の楽しさと、その土地土地での修行者同士の交流、弥次さん喜多さんの東海道中みたいな面白さを兼ね備えた、青春謳歌の旅の記録である。そんな江戸時代の稀有な本を研究、紹介してくれた著者にはどんなに感謝しても余りある。

剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む (朝日選書)
永井義男
朝日新聞出版
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増毛山地~エピローグ

2014-08-12 | まち歩き

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暑寒別岳暑寒沢コース6合目から東側を見る。なだらかな稜線が美しい

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暑寒別岳山頂付近のハイマツ帯

7月24日(木)暑寒別岳を下山し、14:00頃暑寒荘前の駐車場を後にした。山の神が予約していた定山渓温泉ふる川に泊まるため、一路留萌の高速入口を目指した。きちんと調べてはいなかったが、到着はおおよそ17:00過ぎになるだろうから、休憩は短かめにして先を急ごうとなった。せっかくの温泉、なるべく早く着きたい。しかしそうは問屋が卸さなかった。

まず留萌の市街地を抜けるのに時間がかかった。高速に上がってみると今度は対面通行で速度規制。思うようにいかないものだ。深川から道央道に入り、快調に札幌へ車を走らせる。しかし札幌に入って渋滞にはまった。さすがは大都市だけのことはある。結局定山渓に着いたのは、早まるどころか、遅くなり17:50になっていた。このとき200Kmくらいを移動したのだが、Googleでルート検索をしてみると、所要3時間10分。山の神と私は途中15分くらい休憩しているので、渋滞で20~30分くらい余計にかかったようだ。

さてこの日のお宿ふる川は、口コミの評価が非常に高く、かなりの期待を胸に宿泊したのだが、期待どおりのすばらしい宿だった。まずは部屋が空いていたということもあり、部屋をグレードアップしてくれた。ごはんも充実していて、おいしかった。特筆すべきは風呂の広さだ。とにかく広くてくつろげる。みなさんにもぜひお勧めしたい宿です。ただ暑寒別に登ったあとだと、移動に一苦労だけどね。

翌25日(金)は、ガラガラの道、定山渓レイクラインを通って小樽に移動した。1日まるまる観光にあてる。私としては小樽にそれほど時間をとっても仕方ないと思っていたのだが、山の神の目はキラキラ輝いていた。小樽といえばガラス。器やグラスや工芸品だ。最初は山の神とその手の店をめぐっていたのだが、どれも同じに見えて飽きてしまい、昼食を潮に別行動にした(昼に食べた味噌ラーメンはまずく、私の小樽の印象は悪化するばかりだった)。

私はお土産用のお菓子や余市蒸留所でつくられているNIKKAの原酒を探すことにした。あれこれ見て回り早々に買ってしまうと、もう手持ち無沙汰。山の神にメールするともう1軒寄ってから合流しようという。北菓楼の前で待ち合わせをすることにした。この間だいぶ読書が進んだ。合流後、山の神にすでに行った店をつきあわされ、六花亭Le TAO(店名はおたるをひっくり返している)で山の神の職場用やうち用のお土産を購入した。次はどこかで休憩しようとなり、目星をつけていた骨董屋でコーヒーを飲むことにした。ようやく人心地ついて、荷物を抱え、16:00ホテルにチェックインした。

18:45晩飯のため、ホテルを出る。前回行った倉庫街の店に行った。豪快な海鮮焼きもの系の店だったのだが、いつの間にかただのビアホールになっていた。まっいいかと入ったものの、料理は出てこないわ、演歌が大音量でかかるわで、げんなりした。店内に流れていた演歌は、今日の祭りのテーマソングだった。まったく知らなかったのだが、この日はおたる潮祭りだった。

店から出るとちょうど花火が始まる頃あいだった。その辺りが花火会場じゃないのかなと山の神と移動していく。しかしいつまでも始まらず、しばらくお待ちくださいのアナウンスばかりが流れる。今か今かと待っているとようやく花火は始まった。夏の風物詩。まさか小樽で花火を見られるとは思わなかった。帰りにコンビニに寄りたいと山の神が言い出して、これが思わぬ発見につながった。ちょうど国鉄の廃線跡地でガラス市をやっていたのだ。全国からアーティストが集ってのガラス市だから、市内のガラス工房より見ていて楽しい。けれど、見始めてすぐの21:00で店じまいが始まってしまった。もう少し早く来ていればねえ。小樽の夜は更けていった。

26日(土)ホテルをチェックアウト。山の神とフェリー乗り場へ移動した。この山旅もとうとう終わりだ。帰途のフェリーで印象に残ったのは、船尾でやっていたジンギスカンだ。今回は北海道を訪れたわりにはあまりうまいものにめぐり合わなかった。定山渓の温泉ではたらふくうまいもんを食べたけどね。ジンギスカンは掉尾を飾るちょっとしたイベントになった。

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