目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

行きそこなった山2020

2020-12-26 | 山雑記


イメージ(ユキヒョウ)

今年はコロナ禍で最低の年になった。みなさんも計画を断念したり、逡巡しながらも、えいやで行ったりしませんでしたか。

山行記録をブログにアップするのがはばかられる時期もあったけれど、今の感染拡大の状況をみれば、その頃はまだどうってことのない時期であったと振り返ることができる。そんなことを書くと非難轟々になりかねないけれども、まごうかたなき事実だ。

さて年末になり、今年2020年に行き損ねた山はどこかと、手元にある山の計画書のフォルダを開けてみるとあった、あった。GWに計画していた氷ノ山。迷った末に断念した西吾妻山。あとはコロナでそもそも計画すらしなかった。それだけ自粛ムードの圧力がすごかったし、遠くに行ってはいけない雰囲気があった。こんな自縄自縛になるのも珍しい。10年も経てば、懐かしく思い出すのだろうけど。

そういえば、昨年2019年も行き損ねた山をたしかこのブログに書いていたなと思い出し、はてどこだったろうかと記録を探してみると、平ヶ岳と源氏山と書かれていた。コロナのせいでこの2山は完全に頭の中から吹き飛んでいて、今年は登ろうという意志すらなかった。

本当に異常な事態だし、いまだにそれが続いているのは恐ろしいばかりだ。コロナが吹き飛べば、また行きたい山が次々に脳裏に浮かび、計画するのだろうけど、いまはGo Toキャンペーンも中断してしまい、来年早々のお山のプランもデリートされてしまった。

来年のGWや夏はいったいどうなっているのだろう。早く元どおりの状態になってほしい!

最後に、イメージカットについて。ダジャレに気づいていただけだろうか。行けなくて残念だった山は「氷ノ山」。そう、氷の山。氷の山じゃなくて雪山じゃないかって。そうも見えるが、ヒョウがいるのだから、ヒョウノセンなのだよ。

 

関連記事:当ブログ
あきらめないぞGW山行、一転断念
今年行きそこなった山(2019年)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山家谷口けいのカッコいい生き方『太陽のかけら』

2020-12-20 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本


『太陽のかけら――ピオレドール・クライマー谷口けいの青春の輝き』大石明弘(山と渓谷社)

名前だけは知っていたが、こんな元気印の登山家だったのかとこの本を読んではじめて知った。しかしもう、谷口けいさんはこの世にはいない。ニュースで覚えている人も多いと思うが、2015年12月21日大雪山系黒岳山頂付近からトイレに行ってくるといってそのまま岩壁から滑落して命を落としている。

この本では、彼女の学校時代の友人、知人、その後の活動でのパートナーなどに取材することで、人物像を浮き彫りにしていく。著者自身が谷口けいさんの山友だちである。

谷口さんは家にいる息苦しさから、高校時代にまずアメリカへの留学を試みる。自らの前に敷かれていたレールを拒んだのだろう。そして彼女はアメリカの地で自分の生き方のベースを見出したのだと思われる。とにかくポジティブに考え、やりたいことをあきらめずにやる。その後大学へ進学するのだが、普通では考えられない方法を彼女はとる。家を出て自活をしながら受験勉強をし、学費まで稼ぐ。決して家が貧しいわけではなく、それが“けい”流なのだ。

学生時代にはチャリンコのサークルに入り、日本全国を自転車で走るようになり、果てはモロッコ自転車ツーリングを単独で敢行。仲間に刺激を与え、今度は仲間からニュージーランドに誘われて南島を自転車ツーリングする。自転車で自然のなかを走り自然に親しんだ、この経験がその後の彼女の活動の原点になるのだろう。やがて活動は趣味の域を超えていく。

山岳会に入ると、アラスカのデナリ登頂を皮切りに、高所へ、岩壁へとエスカレートしていく。さらには女性だけのチームで海外のアドベンチャーレースにも参加するなど、活動はアクセル全開。野口健のエベレスト清掃登山にも参加し人脈も広がり、知名度もあがっていく。そんななかで先鋭的なクライマー平出和也さんと出会う。

カラコルムの山で登攀パートナーとなってからは、シブリン、カメット、ナムナニ、シスパーレ等に遠征し注目される。とくに2008年未踏のカメット(7756m)に南東壁からピークハントすると、その功績が認められ、なんと女性初のピオレドール賞を平出さんとともに受賞することになる。本人は「女性初」という冠が気に入らなかったらしいが、快挙である。

彼女の原動力はなにか。この本から見えてくるのは、大きな好奇心と、やらなければならないという使命感か。遂行するために究極のポジティブ・シンキングをし、自らに厳しい試練を課して、へこたれない精神力で乗り越える。それを可能にしているのがネアカの性格なのだろう。

一度お会いしてみたかったが、もうそれは果たせない。

当ブログ関連記事
NHKBS1スペシャル「穂高を愛した男 宮田八郎」
クレイジージャーニー、アルパインクライマー平出和也登場!

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週刊新潮「私の週間食卓日記」に竹内洋岳氏登場!

2020-12-15 | マガジン


イメージ Alemko CoksaによるPixabayからの画像

週刊新潮2020年12月17日号「私の週間食卓日記」連載1149回に登山家の竹内洋岳氏が登場していた。見出しには「プロ登山家として食生活にルールがないのが自分流」となっていて、衝撃の食事が出ていた。登山時の少食はつとに知られている氏であり、長身痩躯であるので、ふだんからそんなに食べないのだろうとは想像できたが、ここまでとは。ちなみに身長180cmでありながら、体重は63kg前後しかない。

以下紹介されていた食事。基本朝食はとらないのだとか。

11月2日 渓流釣りの下見のため、南アルプスへ。食料はコカ・コーラと5個入りのミニあんパン。あんパンは効率よく食べられるようにつぶしておく。この日の食事は以上。ちなみに高所登山でベースキャンプに大量に持ち込むのが、コカ・コーラ、カップヌードル、プリングルズだそうだ。

11月3日 群馬県沼田市の山田リンゴ園へ。登山家故山田昇さんの生家でお墓参りを兼ねてリンゴ狩り。希少種「新世界」と「めぐみ」を頂いたとあるが、この場で食べたのかは不明。昼食はとんかつ。

11月4日 昼食はカップヌードル。夜は助六弁当。

11月5日 昼食は神保町の喫茶店「さぼうる」でコーヒーとピザトースト。この日はこの記述しかない。

11月6日 知り合いからお茶会に呼ばれ、京都へ。昼食は「京料理萬長」で名物の「つれづれ弁当」。その後茶会で、茶菓子「かぎ甚」の「亥の子餅」(柿と栗と銀杏が入った黒ゴマ入り羽二重餅)。

11月7日 竜安寺「西源院」で湯豆腐。南座隣「松葉」でにしん蕎麦。帰りの新幹線で「西利」の「浅漬けにぎり弁当」(漬物ネタの寿司)

11月8日 家族と夕飯 豚しゃぶ

こんな食事であっても、登山時のスピードは誰にも負けない。8000メートル峰全山踏破を目指していた頃は、あの中島健郎氏を置いてきぼりにしたエピソードをもつ。

最後に献立評論家荒巻麻子氏がコメントを寄せている。特殊な例であって新たな知見を得たとし、「今号は採点不能」としていた(いつも採点しているのか?)。

 

当ブログ関連記事
竹内洋岳氏エベレスト登頂50周年記念の妄想登山
「情熱大陸」平出和也さん、次はK2未踏ルート
クレイジージャーニー、アルパインクライマー平出和也登場!

チョー・オユーの顛末『登頂 竹内洋岳』
標高8000メートルを生き抜く登山の哲学
階段でいえば、踊り場にいる~竹内洋岳講演会
ついに8000メートル峰14座制覇! 竹内洋岳
竹内洋岳の友人が挑む「K2」の頂~ナショジオ2012年4月号

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽だまりトレック、槇寄山

2020-12-13 | 山行~奥多摩・奥武蔵

槇寄山 標高 1262.0m 大羽根山 992m 東京都・神奈川県

2020年12月6日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:56 中央区の森駐車場8:12--8:23龍神の滝--8:36仲の平--9:12指導標9:18--9:34大平分岐--10:10西原峠--10:13槇寄山山頂10:28--10:48田和峠--数馬峠--11:31大羽根山(昼食)12:10頃--12:55駐車場

8月に三頭山に行ったときに見つけた中央区の森駐車場。いつの間にこんなところにトイレ付の駐車場ができたのだろうといぶかしく思いながらも、そこから行ける山をチェックしていて、今回の山行となった。

5:00に起床し、5:40山の神とともに自宅を後にした。道路はそこそこ交通量はあるものの、混んではいない。五日市に入り、セブンイレブンで買い出し&朝食をとり、中央区の森駐車場には7:56に到着した。先着はなし、帰るときにも1台こっきりだった。意外と知られていないのか、あるいは季節をはずしているせいなのか。


左:中央区の森駐車。トイレあり 右:寒桜が咲いていた

駐車場を出発する頃には路線バスが到着し、数人が降りてきた。トイレに寄って、バス停横の登山口から登っていったようだ。われわれとは逆回りになるのだろう。逆回りなら、数馬の湯に出て、ひと風呂浴びてビールで乾杯したのちバスに乗れる。

山の神と私は、まずは龍神の滝を目指して、数馬の湯方面に向けて歩き始めた。右手の渓谷のほうに目をやると、なんと寒桜が咲いていた。こんなに寒いのにほぼ満開。

龍神の滝

数馬の湯第2駐車場から龍神の滝に下りる遊歩道がついている。人っ子一人いない渓谷への道を下り始めると、すぐに滝が見える。水流も少なく、小さな滝だ。滝つぼまで行って、下なめで写真を撮る(上の写真)。冬に見る滝は寒々としている。早々に元来た道を引き返し、数馬の湯を越えていくと、仲の平バス停が出てくる。もうその辺に左に折れる車道が出てくるはずと、気をつけていく。


左:仲の平 右:空にはぽちっと月

指導標を見つけ、ここだと山の神を振り返る。ふと視線を上げると青空の中に白い月が出ていた。左折してしばらくは車道が続く。こんな山中にも家があるのか、冬場はこの道は凍結するだろうなあ、どうやって移動するんだろうと山の神と話しながら、さらに奥へと進んでいく。


左:登山口近くには日当たり抜群の茶畑が 右:指導標のあるところで最初の休憩

やがて車道の終点に来ると、最後の民家がある。その民家の横から登山道に入って少し歩くと、イノシシが多いのか害獣除けの柵があり、細長く畑が続いている。最後の民家の畑なのだろう。そこを抜けると完全に山中に入る。登山道は思いのほか、陽射しが差し込み冷え込んではいない。

歩き始めて1時間ほどで、指導標が出てきて休憩にした。家で詰めてきた温かいお茶でほっと一息つく。


左:大平分岐 右:「国定忠治が遠見したところ」と書かれていた

大平分岐を過ぎると、個性的な字で書かれた「国定忠治が遠見したところ」という標柱が出てくる。何が見えるのだろうかと山の神とそこから登山道をそれてみたが、木が生い茂っていて遠見はほぼ不能だった。国定忠治が歩いた頃(19世紀半ば)は木がなかったのか。


左:陽だまりの道 右:西原峠、笹尾根に出た

やがて陽だまりの道になり、枯葉を踏みながら、尾根はまだかの合唱となる。10:10ようやく笹尾根、西原峠に出る。


槇寄山山頂から。霞がかかって、いかにも霊峰富士といった趣

峠から槇寄山山頂は指呼の間。あっという間に到着する。山頂からは富士山が一望でき、この日は霞がかかり霊験あらたかな尊いお姿を見せていた。


左:消えかかっている槇寄山山頂の山名標記 右:ゆべしとお茶で大休止

山頂では、山の神と日当たりのいいベンチを占領し、小腹が減ったなと自宅から持参したゆべしを食べた。風もないでいて、おだやかな天候がのんびりモードへと、、、


左:笹尾根歩き。まずは田和峠 右:数馬峠

登り時にはだれとも会わなかったが、そのうちに山頂に単独者がやってきた。やはり冬とはいえ、登山者はいるものだ。下山を始めると今度は2人組、その後も峠やその界隈、大羽根山の稜線で単独者や数人のパーティと出会う。メジャールートだからそれなりに歩いている人はいる。

槇寄山から下ってしばらくは笹尾根なのに笹がないなと山の神にいっていると、突然わんさか笹が登場した。笹尾根になったじゃないかと思わずひと言。


大羽根山山頂からの眺望。正面が御前山、右側のピークが大岳山

大羽根山の稜線に入ると、白樺の木が出てきて驚かされる。なぜこんなところに白樺があるのだろう。でも枯死しているものも目立つ。地球温暖化でこの辺りではもう生きていけないのかもしれない。もしかしたら、大羽根山の由来はその昔、白樺が林立していて、大きな白い羽のように見えたからなのかもしれない(勝手な推測!)。

11:31大羽根山山頂に到着。日陰で寒々とした場所だが、もう昼食にふさわしい場所はなさそうだし、ここで食べようと、山の神と腰を落ち着けた。


左:こぢんまりとした大羽根山山頂 右:冬枯れの道を下る

山頂からは北面が開けていて、正面に御前山、右手に大岳山が見えている。だれも来ない山頂で豚汁をすすりながら、コンビニおにぎりをほおばり、まったりしてから下りに入る。


左:まだ残っていた真っ赤なもみじ 右:駐車場に帰ってきた

下り始めると、いつの間にか中央区の森に入っていて、樹木のネームプレートが次々に出てくる。この木の名前はこれなのかと思って見上げても葉が落ちていてよくわからない。また至るところにレジャー用なのだろうけれど、ベンチが設置されていて、遊歩道も巡らせているようだ。苗木も多く植えられていて、将来的には花が多く咲く山域にしようとしているのだろう。

しばらく下ると、やがて見覚えのある道路、そして駐車場のトイレの建屋を見つけ、無事12:55愛車に戻った。

帰りは上野原ICに出て中央道に上がったのだが、なんと事故渋滞が発生していた。現場通過時に事故車を観察すると、どんな運転をするとこうなるのだろうか?という状態になっていた。なんと車輪1つがサスペンションごともげて転がっていた。ジグザグ走行と急ブレーキのせいか。車は某ルボ。あくまで私の印象だが、よく後ろからあおってくる車種だ。せっかく渋滞なしに早く帰れるはずだったのに、30分ほど時間をロスしてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最初に登頂したのは誰だ?「剱岳――線の記」

2020-12-07 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『剱岳――線の記』高橋大輔(朝日新聞出版)

新田次郎の『剱岳――点の記』を読んだ人なら、結末に出てくる測量隊が剱岳登頂を果たした歓喜が一瞬にして失せてしまった、錆びた鉄剣と錫杖頭の発見を覚えているだろう。このときに誰しもが思った疑問、では最初に登ったのはいつであり、そして誰なのだろうか。その疑問への解答にかなり肉薄(?)しているのがこの本であり、登山の魅力や謎を解明していくわくわく感に満ちている。

著者の高橋大輔氏はそれを探るために自ら剱岳に登り、文献を渉猟、手掛かりを得るためにキーマンを見つけては会いにいくという謎解明への執念を燃やし続けた。

しかし期待感いっぱいに読み始めてがっかりさせられるのは、著者はあのカニの縦ばい、カニの横ばいで有名な別山ルートをいきなり2回も登って、無駄足を踏んでいることだ。山のぼら―なら、ただの登山じゃないかと思うはず。下調べがおざなりであるとしか思えない。山頂の遺跡を調べるなら、もっと時間をかけてもいいのにその日のうちに秋田の家に帰るというのも解せない。調査に十分な時間をかけ、また山小屋に泊まればいいではないか。

また著者は剱岳への登頂ルートは4つあるとするが、柴崎芳太郎測量隊が登った雪渓の長次郎ルートや北部稜線ルート(通行が最も困難なバリエーションルート)は最初から度外視している。当時の装備では不可能の一言で切り捨てているが、実際に登ってみることはしていない。

とはいえ、本の最後のほうで展開する謎解きは、推理小説の種明かしのような興奮を覚える。地名からの推理はこの本の核心部分であり、非常に興味深いし、解釈はなるほどと思う。たとえば、立山を「たちやま」と読むこと。「たち」といえば、「太刀」を思い浮かべるし、「太刀」といえば「剱」に通ずる。また初登頂のカギを握るとする地名、ハゲマンザイの由来の推測も面白い。でも残念ながらエビデンスが圧倒的に足りないと私は感じる。

これからこの本に触発された人がいろいろと調べるだろうから、エビデンスが出てくる、あるいは反証が出てくるだろうから、それを待ちたい。著者自身がさらに調べて続編を書いてくれてもいいのだが、、、皆さんはどう感じるか、読んで確かめてほしい。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする