目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

楽しい?! 網走観光

2018-11-21 | 山雑記


2007年7月11日阿寒富士から圧巻の雲海を見る。右の稜線は雌阿寒岳

昨日、山の神の職場で網走に観光に行く人がいて、監獄以外で楽しいところはない?と話題になったという。

そういえば山の神と網走には行ったなあ、いつだっけ? たしか天気が悪くて、山に行けなかったから行ったんだよな。まったく思い出せず、このブログの記事を検索して調べることにした。キーワードは「1122メートル 網走」。ヒットした記事を読んで記憶が蘇ってきた。

そうだ、雌阿寒・雄阿寒岳に行ったときだ。11年前の夏、2007年7月だった。道東は予想外に寒く、テント場ではこごえていたっけ。

ということで、昨日は家に持ち帰った仕事をやるはずだったのに、しばらく自分のブログを読んで感慨にふけってしまった。丹頂鶴を見て、釧路川をカナディアンカヌーで下り、雌阿寒岳と阿寒富士に登って雲海を堪能し(上の写真)、網走観光、そして雄阿寒岳に登り、下山後は川湯温泉でまったりし、小樽でおいしいものを食べてフェリーで帰還するという長大な旅だった。 

最後に当ブログの一連の北海道行脚を総括した「エピローグ」の「充実の山旅だった」というフレーズに、そうだそうだとひとり盛り上がり、また北海道に行きたいなと欲望の渦が鳴門の渦のように激しくなっていた。

ところで肝心の網走のところを読むと、監獄以外にも訪れている場所が書かれていた。ヤマネ工房と能取岬、そしてネパール料理のビスターレビスターレ。記録を残しておかなければ、絶対に忘れていて、思い出すことさえなかっただろう。

さっそく山の神は、とっておきの場所かどうかはわからないが、今日職場の人に報告したと思われる。 

参考:当ブログの記事
丹頂鶴を見に行った
釧路湿原カヌー下り
雌阿寒岳・阿寒富士
網走~監獄博物館と能取岬
雄阿寒岳
雌阿寒・雄阿寒山行~エピローグ

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愛車フォレスター、やっぱりリコール

2018-11-11 | 山雑記

 

 
BRIDGESTONE BLIZZAK 17インチ

11月4日(日)にオートバックスでスタッドレスタイヤを購入した。例年12月に慌しく、タイヤを履き替えていたのだが、ご案内のはがきが来ていたのと、今月下旬に山行ついでに某温泉宿に予約をとっていて、車で行って雪に降られたり、路面が凍結していたりしたら厄介だというのもあって(まずないだろうけど)そうなった。それにこの時期なら比較的空いているだろうという思惑もあった(実際空いていた)。

愛車フォレスターに合うタイヤは、店頭にはブリヂストンしか置かれていなかった。どこかに他のメーカー品も置いているんだろうと勝手な希望的観測を巡らせつつ、カウンターで手続きを始めると、そんな希望的観測は簡単に打ち壊された。

お目当ては、エスクードに乗っていたときに履いていたYOKOHAMAタイヤだった。YOKOHAMAタイヤは、機能面でとりわけて劣るわけでもないのに、とにかく安くてよかった。しかし、店頭在庫がなく、取り寄せに1ヵ月もかかるという。いまブリヂストンで決めていただければ、値引きしますよと、店頭スタッフに価格を提示される。

・YOKOHAMA(ホイール付き4本) 120,000円(税込) 1ヵ月後の納品
・BRIDGESTONE(ホイール付き4本) 135,000円(税込) 即装着可能

15,000円も高いのは痛いなと思いながらも、再び12月に来るのは面倒だというのと、今月下旬の山行に備えて、すぐに装着できるのは安心だということで、ブリヂストンで手を打つことにした。これで車の装備は万端だと思っていた。

つまり、あのことはすっかり忘れていたのだ。

そして昨日(11月10日)、あのことを思い出させる人物から携帯に電話がかかってきた。携帯の画面にスバルの営業マンの名前が表示されていた。
「1122メートルさんのフォレスターは、リコールの対象車です。申し訳ございません」
ブレーキ検査の不正が発覚した後に生産された車なのに、、、不正は報道どおり続いていたのだ。もしかして今もか。とはいっても、再検査して何事もなくOKとなって、またフォレスターは戻って来るのだろうけど。

ということで12月にスバルに車を持ち込むことになった。12ヵ月点検も兼ねてのチェックとなり、3時間半くらいかかるという。ただ新車購入時に整備パックにも入っていたので、5万円のキャッシュバックがあるのだとか。リコールは困ったものだけれど、それだけキャッシュバックがあるのなら、いいか。そのお金で、奮発してうなぎでも食べにいこうかと山の神と2人ほくそえんでいた。

参考:当ブログ さらば、エスクードくん。こんにちは、フォレスターくん。

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謎が解明?『死に山』

2018-11-10 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『死に山――世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件の真相》』ドニー・アイカー著、安原和見訳(河出書房新社)

先日朝日新聞読書面で、横尾忠則氏が結局真相はわからずじまいで残念、的な書評を書いていたのがこの本。ただ、これが真相なのではないかという著者の鋭い分析(後述)が巻末に書かれていて興味深い。

事件は、1959年の冬に起きた。冷戦下のソ連・ウラル山脈に山登り好きのウラル工科大学の学生たちを中心にした9人のパーティが食糧とテントをもって入った。ある日彼らは一斉に命を落とすことになる。発見された死体は異様だった。ある者は肋骨を何本も折り、ある者は頭蓋骨骨折、ある者は舌がなくなっていた。一方では、服が焼け焦げていたり、火傷を負っていたり、まるで強風から身を守るように木につかまった状態で見つかった者もいた。不気味なのは、全員から放射線が検出されていることだ。そしてほぼ全員の死因は低体温症。テントは残されているものの、皆登山靴もはかず、しかも薄着だったという。いったい何が起きたというのか。

この本では、時系列で事件までのウラル工科大ディアトロフ一行の足跡をたどるとともに、事件直後の捜索隊の動きを並行して描く。同時に著者ドニー・アイカーが現地に入り両者の行動を忠実にたどって検証作業を進めていく過程も克明に描写する。この3つのストーリーが交錯して書かれていて、読者にどうだといわんばかりに、たたみかけてくる臨場感を生んでいる。

最終的には、この事件の原因と思われるもの、引き金になったと考えられるものや背景を消去法で一つひとつ、つぶしていく。
●この土地と深い関わりをもつマンシ族のしわざ
●雪崩に巻き込まれた
●強風に急襲された
●武装集団に襲われた
●兵器実験(ロケット実験/放射線関連の実験)の現場に知らずに進入していた
●火球が降り注いだ
●エイリアンが襲来した
●機密扱いになっている?

著者は理由を挙げ、上記をすべて否定する。しかし、取材過程で科学者から得た仮説に関心を抱き、ある結論に達することになる(ここからネタばらしなので、これからこの本を読もうという方はご注意を)。

それは、特定の気象条件下で生じる超低周波の影響の可能性が高いというものだった。左右対称のドーム型の地形で起きやすいとされているカルマン渦列と呼ばれる2本の竜巻。その2本の竜巻の間に超低周波は発生する。そのカルマン渦列がテントの両側を通過したのではないかと著者は推測している。真の暗闇の中で、超低周波で引き起こされる胸を圧するような不快な事態に遭えば、恐怖にかられ、本能的に咄嗟にテントからの脱出を試みるのではないか。テントの周りは雪の下に岩が隠れているところもあり、転倒したり、滑落すれば、大怪我につながる場所だった。また零下30度の気温で、テントから軽装で飛び出せば、無論長居はできず、低体温症になり動けなくなる。見つかった死体には、火傷のあとがある者がいたが、それは、乾いた枝を見つけ、懐に縫い付けてあった非常用マッチで焚き火をしたのではないかと推測している。ただ火が弱ければ、外気にさらされた体からは容赦なく体温は奪われていき、あっという間に低体温症に陥る。意識を失えば皮膚が火にさらされ続け、火傷を負う。

私には十分納得がいく仮説だったが皆さんはどうだろう。詳細は本を読んでほしい。

それにしても、こんな特殊な気象条件に偶然にも遭遇してしまった不運は、呪うべきものだったといえる。冬とはいえ、こんな目に遭わなければ、トレッキングを続け計画どおりに帰還するだけの力量を彼らはもっていたのだから。未知なる自然現象は、もしかしたら気づいていないだけで、まだまだ私たちの目の前に横たわっているのかもしれない。

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相
クリエーター情報なし
河出書房新社
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高潮ってなんだ?

2018-11-06 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本


 『天災から日本史を読み直す――先人に学ぶ防災』磯田道史(中公新書)

10月の末に訪れた甲州高尾山・棚横手山の台風被害がすさまじかったので、前々から気になっていた『天災から日本史を読み直す』を手にとってしまった。歴史学者の磯田先生が古文書をひもといて、天災の歴史を振り返り、先人から防災の知恵を授かろうというものだ。

この本では、地震、津波、噴火、台風、土砂崩れといった天災がとり上げられているが、そのなかから台風が引き起こす高潮について紹介しよう。高潮というのは、理解していたようでいて、じつは正確にはよく理解していなかった。ちなみにWikipediaでは、こんな説明が出てくる。

高潮(たかしお)は、台風や発達した低気圧が海岸部を通過する際に生じる海面の高まりを言う。地震によって発生する津波とは異なる。

やっぱりよくわからない。でも、磯田先生の説明は明快だった。

低気圧は海を吸い上げて潮位を上昇させる。気圧が1ヘクトパスカル下がると、海面は1センチ吸い上げられる。また、台風の疾風は海水を吹き寄せて海面を上げる。風速の2乗に比例して海がせり上がる。

数字で説明されると、イメージできるから不思議だ。2013年にフィリピンに上陸したスーパー台風(台風30号)の中心部は、895ヘクトパスカル(1気圧は1013ヘクトパスカル)だったというから、それだけで海面を118センチも上昇させるわけだ。さらにそこに通常の台風の2.17倍の力の暴風が吹き荒れたとされているので、2.17×2.17≒4.7倍の海面を上昇させる力が働いたことになる。

巨大台風がこれから毎年のように日本列島にやってくるとすれば、いままでは比較的看過されていた高潮にも注意をしていく必要があるといえるのだ。

磯田先生ありがとう。

天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災 (中公新書)
磯田道史
中央公論新社
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台風の爪跡が生々しい甲州高尾山・棚横手山

2018-11-04 | 山行~中央線沿線・大菩薩

甲州高尾山 標高 1106m 棚横手山 1306.2m 宮宕山(大滝山)1362m 山梨県

2018年10月28日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:00大滝不動尊奥宮駐車スペース8:10--菱山深沢林道--9:15甲州高尾山9:32--10:05富士見台--10:18源次郎林道10:25--10:40棚横手山--11:00頃 宮宕山(大滝山)11:09--11:23棚横手山(昼食)11:56--12:54展望台12:59--13:20大滝不動尊奥宮駐車スペース

最初の計画では、源氏山をロングコースで歩こうとしていたのだが、9月30日から10月1日にかけて日本列島を縦断した台風24号の影響で土砂崩れがいたるところで発生し登山道が寸断されていたとの山行記録を読んでしまい、行く気力が失せてしまった。

さあ、どこに行こうか。もっと近くで帰りにさほど渋滞にはまらないようなところということで、思い浮かんだのがここだった。

自宅を5:00過ぎに出発。中央道に上がると比較的交通量はあって帰りが思いやられるなと早めの下山を心の中で誓った。とはいっても、この日の行動時間は短く、渋滞は30分ほどで切り抜けられる予定だった。談合坂SAで山の神とともに前日に買っておいたパンで朝食をとり、勝沼で高速を下りる。少し遠回りになるが、コンビニがある塩山方面に移動して昼食の買出しをする。順調に進んだのはここまでだった。

 
左:大滝不動尊奥宮駐車スペース。右側に写っているのはトイレ(冬季閉鎖) 右:「棚横手山」の標示に従い林道へ

大滝不動尊の近くまで来て道標を見つけ右折。ぶどう畑のなかの細い道を上がっていくと、獣よけの柵が巡らせてあり、道もその柵で塞がれていた。行けないのか。いったん戻り、前宮からなら行けるかもと車を移動させたが、同じように柵が巡らせてあって、状況は変わらない。車から下りて柵に近寄って見ると、錠が下ろされているわけではなく、手でなんなく開けられるではないか。開けたら必ず閉じてくださいと記されていた。近くにいた犬の散歩中の年配者に聞くと、入ってだいじょうぶだという。ただ、山登りなら、奥宮のほうから行ったほうがいいといわれる。この先は道幅が極端に狭いからその車だと厳しいねといわれた。

引き返して、再び奥宮を目指した。山の神に道を塞ぐ扉の開閉を頼み、さらに上がっていくと、見覚えのある大滝不動尊奥宮に到着した。すでに車が2台停まっていた。

予定より遅れて8:10、山の神とともに奥宮前を出発する。当初の予定コースである奥宮からの登山道はなにやら避けたほうがいいようなことが書かれていたので、目の前にあった「棚横手山」の標示が出ている菱山深沢林道に足を踏み入れた。

 
左:倒木が林道をふさぐ 右:林道から左手の登山道へ

舗装された林道をテクテクと歩いていくと、山腹から転げてきた石がごろごろと落ちている。やがて道の半分を塞ぐ倒木、そして全面的に塞ぐ倒木も出てくる。山の神とひどいなといいながら、隙間を縫って歩く。

そのうち林道から枝別れした作業道なのか、登山道なのかよくわからない道に出くわし、稜線に上がれる道なのかと期待して上がってみたが、途中で道は途切れていた。やむなく引き返し、いずれにしてもこのまま林道を進めば登山道と交わるはずだからとどんどん進んだ。やがて登山道とおぼしき道が出てきて(写真右上)、林道を離れる。

まもなく左右に分かれる登山道を発見し左手へ。富士見台に向かったつもりが、ピークに達し先着様から「ここは甲州高尾山」と聞き言葉を失う。このまままっすぐ進めば、棚横手山では?


甲州高尾山から甲府盆地を望む

地図を見てもよくわからない。景色を見ているうちに以前来たときの記憶がよみがえり、ようやく位置関係が判明した。林道をかなりの距離歩いたようで、登山道が横切っているのにも気づかずに、ぐるりと回りこんで方向が逆転していたのだ。

それにしても甲州高尾山に山頂標示がないのは、台風のせいなのか。樹木もなくなっているような気がする。あいにく写真を撮らなかったので、直近で登った人の写真と比較できないのは残念だ。

 
左:稜線の樹木が根こそぎ倒されていた 右:大滝不動尊への分岐(帰路はここから下った)

剣ヶ峰には行かず、引き返す。稜線の樹木がそこここで根こそぎ倒れていて、強風が吹き荒れたことがわかる。先ほど上がってきた分岐を越えるとすぐに展望台・大滝不動尊への分岐が出てきた。やはりさっきのピークは甲州高尾山だと確信する。

富士見台側へ向かうと、派手にひっくり返っている巨木が根っこもあらわに横たわっていた。


気持ちのいい稜線を進む

幹の途中でぽっきり折れている木なども見ながら稜線を上がっていく。青空のもと、色づきはじめた木々の梢やススキの穂が風にたなびいている。気持ちのいい開放的な道だ。


富士見台への道

登山者が少ない静かな道を進み、 10:05富士見台に到着する。富士山はほとんど雲に隠れていて、富士見台になっていなかった。途中その姿を少しだけ拝めたが、この後その姿を再び見ることはなかった。

富士見台からいったん下り登り返すと、源次郎林道に出る。真ん前に登山道に上がる階段が付けられている。10:18ここで山の神とともに小休止をとる。

 
左:棚横手山山頂 右:宮宕山(大滝山)山頂。山頂標示のプレートはどこかへ吹き飛ばされていた

林道から棚横手山はすぐだった。年配の方たちのパーティと単独の方が下りるのと入れ違いに山頂に立つ。真新しい山梨百名山の標柱が立てられていて、見晴らしもいい。

ここから予定どおり宮宕山(大滝山)まで足を延ばすことにし、この山頂はスルーした。登山道はしっかりと踏み跡があり、それをたどればよさそうだったが、それらしきところに来ても、山頂標示を見つけられない。下山してから、ウェブ検索をして、山頂は写真右上のところだったと判明した。どうやら、ここも強風ガ駆け抜けたようで、山名を記したプレートが飛ばされたようだ。本来なら中央に見える樹木の幹(紐のあるところ)にプレートがあった。


宮宕山の奥にはカラマツの美林

ということで、宮宕山山頂がわからず、右往左往してその先にまで足を運んでしまった。正面にカラマツの美林が出てきて、ちょっと癒された。よく見るとカラマツの左右にはうっすらと道があり、右手に進めば宮宕山ではないかともこのときは思ったが、山の神が戻ろうよとひと言発したため、後ろ髪を引かれつつ、これ以上進むのはやめることにした。

 
左:引き返すと決まれば余裕ができ、紅葉も愛でられる 右:稜線から大滝不動尊奥宮へ下り始めると倒木だらけ

11:23棚横手山まで戻り、昼食にした。予定より若干遅れているから、のんびりせずに食べたらすぐ出発だと、おにぎりをほおばりバタバタと片付けて山頂を後にする。

来た道を戻り、 展望台・大滝不動尊分岐から下りに入る。自然の猛威を思い知らされる倒木だらけの道だった。いちばんひどかったのは写真右上の箇所で、右の斜面へ強引に上がり、倒れている木の枝につかまりながら横移動し、崩れやすい土砂に足をとられながら下降し登山道に戻った。

 
左:大滝不動尊奥宮 右:不動尊の傍らにあった石仏

林道に出て一息つく。その後、名ばかりで展望のない展望台で水分補給し、奥宮への下りに入った。朱色の建物が見えてきて、やっと着いたと安堵した。水量の少ない垂直の不動滝を背景に拝殿がそびえている。隣にはちょっと恐いたたずまいの石仏が並んでいた(写真右上)。

13:20急な階段を下っていくと、奥宮の駐車スペースに出た。朝停まっていた車2台はすでになくなっており、新たに1台。こんなに車が少ないのは、獣よけの柵のせいなのか、台風による倒木のせいなのか。

今回の山行は、結果的には源氏山と同様、台風の生々しい爪跡が残された登山道を歩くことになった。各地の山にもそうした爪跡は残されているだろうから、今後は当面行く前にチェックが必要かもしれない。

帰りは、やはり避けられなかった中央道の渋滞に少しだけはまり、16:00頃に帰宅した。 

参考:当ブログ丸坊主の甲州高尾山

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