目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

オミクロン対応ワクチンを接種(4回目)

2022-10-23 | 日記


※個人情報は消しました

10月21日(金)午後、会社を休んで新型コロナウィルスの4回目のワクチン(オミクロン型対応)接種に行った。1~3回目の会場は広く大人数に対応できるものだったが、今回は会場の規模は小さく、接種する人もだいぶ少なかった。

オミクロン株がコロナの主流になり、重症化するケースが減って、また経済と両立しようというwithコロナ政策になったこともあって、世間一般にはコロナを脅威と感じる気分は半減している。そんなこんなで当然ながら4回目を受ける人は少ないことが予想される。地元自治体から案内が来て、どうしようかと逡巡している人も多いと思う。

私の場合は、最初から接種するつもりであったが、いつでもいいかという気分だった。背中を押されたのは、先日会った人が介護ヘルパーをしていて4回目は必須だから早々に接種したと聞いたこと。体力に劣る高齢者に接する仕事だからまる必なのだ。ひるがえって私の場合はと考えたとき、仕事が年末に向けて徐々に忙しくなるだろうなという予感があり、早々に接種したようがよさそうだと、すぐに予約を入れたのだった。

1~3回目まではモデルナ製を接種し翌日に熱が出て、ほぼ何もできなかったのだが、今回はファイザー製。ファイザー製だと何ともない人が結構な割合でいるとのことだが、私の場合は、体の節々が痛んで、ここのところ悩まされていた腰痛も復活して、ほとんど動けない状態になってしまった。熱もあるんじゃないかと3回も体温を測ったけれども、これは杞憂で平熱だった。

そして今日、昨日腰痛があったことなどは嘘のように、なんともなし。奥多摩方面へトレッキングに行ったのだった(後日報告)。

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陶炎祭(ひまつり)の笠間とモンブラン

2022-10-16 | まち歩き

2022年5月5日(木・祝) 晴れ

メンバー 山の神と私

予報では天候はすぐれず、コロナ禍も開けずでいまひとつパッとしない2022年のゴールデンウィーク。とりあえず5月6日の宿を伊香保に抑え、榛名湖近辺の山をトレッキングすることにした。でも1泊2日では寂しいなと、やはり2泊だと5月5日をテント泊にして、連日のトレッキングにしようと考えていた。ところが山の神が雨かも知れないんだし、テント泊は準備がたいへんと反対して、けっこう切羽詰まったところで前橋のビジネスホテルに予約を入れることになった。仮に天気がよくても、私の足腰の状態があまりよくないこともあり、ちょうどよかったのかもしれない。

いっぽう天気予報は怪しいままで、どこか前橋方面であるいは、前橋にかんたんに出られる範囲内で雨でも楽しめるところはないのかと考えをめぐらした。そのとき、ふと地図を見て目についたのが北関東道だった。たどっていくと益子がある。GWはたしかまるまる1週間陶器市をやっていたはずだ。でも行ったしな。リピートするほどでもない。そうだ、近くに益子焼と兄弟的な位置づけの笠間焼の笠間があったはず。なにかやっていないのかと調べたら「陶炎祭(ひまつり)」というのが出てきた。これだ! 焼き物好きの山の神も食指が動いたようだった。


左:陶炎祭(ひまつり)会場入り口 右:このブース(テント)で私は湯呑みを購入

さて、当日渋滞に遭うのはごめんだと自宅を4:40頃には出発した。それもあって順調に走って常磐道に入り、途中朝食をとって北関東道友部ICで高速を下りた。陶炎祭の会場となる笠間芸術の森公園の駐車場は開園8:00になるまで閉まっていると思っていたのだが、早々に開けていて7:30くらいだったのに車を停められた。驚いたことにすでに何台か駐車していた。

直後8:00からと思い、山の神と駐車場でうだうだしていたが、続々と出発していくのをみてわれわれも出発することにした。公園内をそれなりの距離を歩いて会場に入る(入場料500円)。まだほとんどのブースは閉まっていたが、なんと開けているところもあった。広場まで出て、そこで山の神とひと休み。8:30頃ブースが大方オープンしたのを見計らって、ブースめぐりを再開した。

一つひとつのブースを覗くと、アーティスティックな逸品もあれば、普段使いをするぐい飲みや湯呑み、茶碗、マグカップなども多い。笠間焼は土がいかようにも使える万能性をもつため、作り手によって多様な作品が生み出されるとのことだ(『笠間の陶芸家たち』)。それもあって見ていて飽きないのがいい。


左:山の神と私がが購入したポット、マグカップ、湯呑み 右:コンフォートホテル前橋のツインルーム

会場内を経めぐった結果、山の神はアラジンの魔法のランプのような形状の白いティーポット(おまけで醤油皿2枚)と超軽量のマグカップをゲット。私はといえば、登り窯で焼いたという湯呑みをチョイス。おまけで合掌しているお地蔵さんをもらった。

このあと会場をあとにし、公園外で観光地価格の残念なごはんを食べ、周辺にある個性的なギャラリー(回廊ギャラリー門はお勧め!)などを歩いて回り焼き物を堪能した。駐車場に戻るためにまた公園内に入り、笠間栗のモンブランを食べた(冒頭写真)。うまいねえ。

次につつじ公園も予定していたのだが、山の神も私も歩き疲れてつつじを見る意欲がだいぶ減退していた。道端のつつじの花が終わりかけの感じもあって、あまり期待できないよなとなり、カットして前橋へ向かうことになった。前橋市内に入り、ホテルの契約駐車場に車を置き、コンフォートホテル前橋にチェックインした。

 
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木下沢梅林へ、リハビリ・トレック

2022-10-10 | 山行~中央線沿線・大菩薩

地蔵峰 標高 352m 木下沢梅林 310.5m 東京都

2022年3月21日(日・祝)曇り 

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:10高尾駒木野庭園駐車場--駒木野庭園9:30--10:11八王子城山道標10:20--地蔵峰--11:05摺差バス停への分岐(標高421m分岐)11:15--旧甲州街道--12:00頃 高尾梅の郷 まちの広場(昼食)12:37--13:20木下沢(こげさわ)梅園13:40--14:00頃 ふじだな14:30--15:15駒木野庭園--15:22駐車場

足腰が痛んでいるとなかなか山に行こうという意欲は湧かないものだが、仕事の繁忙期も収束に向かい、近場でお花見ハイキングくらいならリハビリにもなるし、気分転換にもなるしということで高尾の丘陵を歩きつつ梅林に行ってみることにした。

ゆっくりめの6:20に起床し朝食をとったのち、山の神とともに自宅を出発した。近所のコンビニで買い出しをし、中央道にあがってあっという間に高尾IC。事前に調べていた高尾駒木野庭園駐車場を目指した。カーナビに駒木野庭園を入れていたのだが、いつの間にか通り越していた。この駐車場へ曲がる道は意外に細くてわかりにくいので注意が必要だ。


左:高尾駒木野庭園駐車場(無料、トイレなし) 右:小仏関跡

駐車場は9:00に開けられるが、9:10到着ですでに3台駐車中。山の神と出発の準備をしている間に1台やってきたから、すぐに満車になったのかもしれない(キャパは10台くらい)。下の河川敷にも車が停まっていて、駐車場として開放されているようだった。

駒木野庭園のトイレを借りて9:30出発。小仏関跡に着き、地蔵峰への分岐を通り過ぎたと知る。少し戻るとトレランの人が曲がっていくのが見えた。そこだと山の神と行くも、道標などは一切なし。初めて来た人はまず見落としてしまうだろう。


左:梅が咲く農道に入る 右:八王子城跡ハイキングコース入口

中央本線をまたぐ小さな橋を渡り、農作業をする年配の方々を横目に見ながら、梅林のある農道を進む。やがて八王子城跡ハイキングコース入口に着いた。ハイキングコースと謳っている割には、険しそうな入口だ。

 狭い登山道をたどる

登山道に取りつくと、いきなりの急登。左手奥には高速が見える。いまのところ足腰に若干の違和感はあるものの、歩みに問題なし。久々の山歩きだが、なんとか歩けているし、なんともないかもとこのときは思った。


左:地蔵峰 右:八王子城山の道標

やがて地蔵峰。山の神と私を軽々と追い越していったパーティが小休止をしていた。ここには、後ろに江戸時代のものと思われる古い小柄なお地蔵様二体、前に真新しい背の高いお地蔵様二体の計四体のお地蔵様が鎮座していた(写真)。休むにはまだ早いと通過。

すぐに「八王子城山」とある道標に出てザックを下ろした。この辺りに唐沢山と命名されているピークがあるはずだったが、ここだったのか、結局わからずじまいだった。

 
左:八王子城山・摺差バス停分岐 右:分岐界隈でかろうじて咲いていたツバキ

11:05旧甲州街道に下る分岐が出てきて山の神とともに休憩にした。いま歩いてきた尾根の名前が太鼓曲輪尾根であるとここに標示があった。聞いたことのない、地図にも出ていない名前だ。


左:下山路は落ち葉の道 右:八王子JCT

11:15早くも山歩きは終了で下山を開始する。落ち葉を踏みしめながら下降していくと、すぐに八王子JCTが見えてくる。


左:中央道の横に下りてくる 右:道標完備で迷うことはない

このルートはバスを使う登山者やハイカーのために道標が完備され、まず道に迷うことはない。


左:トンネルをくぐる 右:高架下に出る

道標に従い歩いていくとトンネルが出てきた。先日の雨で土砂や灌木類がトンネル内に流れ込み、荒れていたが、通過するのに支障はない。トンネルを抜けると高架下。下っていくと、中央本線を横切る踏切に出る。

 見上げると高い

この時点では、予定より若干遅れている程度だったが、すでに腹が減っていてどこかこの近くで昼食をとれるような梅林はないのかと、八王子市提供の木下沢梅林のマップを見ると、近くに湯の花梅林があった。ここだと山の神に告げ、木下沢梅林とは逆方向に進み始めた。いま思えばこれが大間違いだった。

梅林はあったけれども、お弁当を食べるような場所ではなく、皆散策しては素通りしていく。


2点とも:高尾梅の郷 町の広場にて

結局お弁当を広げられるところと探し続け、車道を延々と歩く羽目になった。結果高尾梅の郷 まちの広場(トイレあり)まで来てしまった。それでも梅がきれいに咲いていて、地面を芝がカバーしており快適だったのには救われた。鼻白むのは、圏央道の高架がそびえていることだったけれども、見上げなければ視界には入らない。やっと腰を下ろし昼食をとっって人心地ついた。

さて腹がくちると、次は山の神とどうしようかとなる。ここまで来て、最終目的地である木下沢梅林をパスするのもなあと私。梅の開花時期だけ一般開放されている場所だけに、この機会を逸するともしかしたら、一生来ないかもしれない、なんて考えたら、行かない手はない。


左:木下沢梅林に到着 右:高架下を回り込んでいく

でも、歩き始めると車道がやけに長く感じる。やっと先ほど下山して来た分岐まで戻って、まだ半分も歩いてないことに愕然とする。長い、とにかく長~い。観梅の客が多く歩いているのも、そう感じさせる要因かもしれない。前方から観梅客が途切れることなくやってくる。

13:20木下沢梅林に到着した。あれっ、「こげさわ」とフリガナがついている。ここに来るまで「きのしたさわ」だと思っていた。きっと強引な当て字なんだろう。


紅梅がアクセントになっていていい雰囲気

中央道の高架下を梅林に沿って進んでいく。左手に回り込んでいくと、梅林の入口があった。天気がいまいちの割には人出があり、レジャーシートを広げてくつろいでいる。でも全体を見渡すと、だいぶ花は終わりかけの様相を呈していて、場所によっては完全に花は散っていた。


花は終わりかけのものが目立った

13:40山の神と梅林を後にし、また長い車道歩きが始まった。とはいえ、梅林に来る道すがら帰りはここに寄ろうとあたりをつけていた「ふじだな」というカフェを目指すという楽しみをとっておいていた。

そのカフェの建物が目に入るや、歩く速度もアップし黒塗りの目隠し板張りの店内へ。狙っていたテラス席は座ることができず、室内の席につく。どっかりと腰を落ち着け、コーヒー(¥350)をいただく。サービスに焼き菓子がついてきて山の神とポリポリ。


左:名物摺差のとうふドーナツはうまそうだった 右:駒木野庭園内の建物

ふじだなを出ると、あとはひたすら駐車場に向けて歩くだけだ。と思いながらも、摺差のとうふドーナツはうまそうだなと寄り道。店内を覗くも売り切れっぽいなと退散する。その後昼食をとったまちの広場を通過。私はすでにこの辺りでヨレ気味だった。そんな私を尻目に、山の神は先頭に立ち、スタスタと歩いていく。必死についていく私。でも舗装された道は足腰にはすこぶる悪い影響を与える。そのうち右足が動かなくなってきて、引きずりながら歩くことに。途中から川沿いにつけられた遊歩道を行けばよかったものの、地図をきちんと見ていなかったため、道のわかりやすさを優先して車道を進んでしまった。

それでもなんとか駒木野庭園にたどりつき、安堵のため息だ。結果的にはリハビリではなく、破壊しに行ったようなものになってしまった。

リハビリはつづく。

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楽しげな『フォンターネ 山小屋の生活』

2022-10-05 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

『フォンターネ 山小屋の生活』パオロ・コニェッティ 関口英子訳 新潮クレストブックス
 
書店でみかけて図書館で借りてみた本。200頁足らずでさくっと読めるのがいい。著者はイタリアの作家で、まったくなじみがないけれども、ベストセラー作家であると訳者あとがきに記されている。創作に行き詰まり、山にこもって自分をみつめなおそうとし、その間のことをつらつらと綴ったのがこの本だ。
 
この手の本でまずだれもが思い浮かべるのが、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活(WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS)』(原著1854年)だが、御多分に漏れずこの著者コニェッティも読んでいる。これを読んでしまった人は、山暮らしに相当いいイメージをもつのではないか。それにジョン・クラカワーの『荒野へ』という、いかにもという本も読んでいる。『荒野へ』はある若者がたった一人で山に入り、自給自足を試みた挙句、餓死(?)したらしい事故を追ったルポだ。
 
そんな本を読んでいるのだから、自分を変えよう、生き方を変えようという意気込みが見えてくる。でも悲しいかな、ミラノ出身の都会人である著者は、山の生活になじむのにたいへんな苦労をする。山の夜は真の闇であるし、夜行性の多様な動物が徘徊する。なかには山小屋の周りをゴソゴソと歩き奇声を発するやからもいて、それが気になりだすともう、だめだ。一睡もできず朝までまどろんだエピソードが出てくる。
 
また著者はこんな本も愛読している。私はまったく知らなかったが、フランスの地理学者であり、無政府主義者のエリゼ・ルクリュの『ある山の歴史The history of a mountain)』という本だ。著者コニェッティは、この無謀の権化のような地理学者の影響を相当受けているようで、山で遭難しかけたのもこの人の思想のせいではないかと勘繰ってしまう。山で道に迷ったら、来た道を戻るのが鉄則だが、コニェッティは違った。天の配剤とばかりに目の前に現れたアイベックスの後について獣道を進み尾根に出る。ラッキーと快哉を叫んだのだろうが、直後行き止まりの断崖絶壁に出くわす。なんと懲りずにこれを繰り返すのだ。最後は辛くも尾根から目的地の村を発見して事なきをえたと記しているが、なんともはや無謀な行動に驚く。
 
とはいえ月日を重ねれば、コニェッティも森の生活にも慣れ、仲間や愛犬ラッキーとの楽しい生活を送ることになる。そんな顛末を読めば、春夏秋冬と季節が一巡するくらいは山にこもってもいいかもしれないと思ったりする自分がいた。
 
 
 
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腰痛リハビリ生活のはじまり

2022-10-02 | 日記


Jochen PippirによるPixabayからの画像
正常な背骨の間隔がこれだ

今年の1月沼尻スキー場から東京に戻って、まともに歩行ができなくなり、長い腰痛リハビリ生活がはじまった(腰痛悪化のきっかけはこちら)。

最初に診てもらった整骨院で言われたのは、足の筋(下腿三頭筋か?)がよじれているということだった。それなら、そのよじれが治れば元通りかと簡単に考えていたのだが、その後の経過からそれだけが原因でないのが明らかになる。

そもそもずっと腰痛なのだ。その症状が重篤になったのに、足の筋だけの矯正で治るわけはなかった。

次に訪れた整骨院では、最初に長めの問診があり、私は以前整形外科で背骨の骨の間隔が詰まっているといわれたことがあるというと、それはヘルニアなんじゃないかと疑いをかけられ、仰向けに寝て足を上げてくださいといわれる。私がスッと上げてみせると、先生から、これはヘルニアじゃないねえ。ヘルニアの人は痛くて足が上がらないんだよと。

先生の見立てでは、骨盤付近の骨のずれが原因なのではないかということだった。それは時間をかけて矯正していくほかはない。半年から1年はかかるねえ。当面毎週来てくださいといわれた。長いなあと落胆しながらも、この際きちんと治そうと覚悟を決めた。

それにしても柔道整復師であるこの先生の施術はすさまじい。体が硬いねえと私の背中の上で自分の腕をゴリゴリ転がし、首の付け根をゴムのようにつまみ上げては手を放し、骨盤上部の隙間には点穴を打つように指をねじ込んでくる。痛いですかと聞かれたときは、すでに死ぬほどの痛さを味わっている。右足が痛んでいると主張すると、右足の付け根側部にも点穴攻撃を仕掛けてきて、これがまた激烈だった。

施術が激しければ、治りも早いんじゃないかと思い込まざるを得ない、耐える日々がはじまった。

参考:当ブログ
たたたた……腰痛はつづく

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