目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

栄光の岩壁

2012-12-31 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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『栄光の岩壁』新田次郎(新潮文庫)

新田次郎生誕100年の2012年もふけていく。山岳小説でもっと盛り上がる年になるかと思ったが、あにはからんや、そうはならなかった。

それはさておき、新田次郎の代表作である『栄光の岩壁』をついに読了した。上下2冊はなかなか読みでがある。私はモームの『人間の絆』の主人公フィリップを思い出してしまった。足が不自由というだけで、ほかには何の共通点もないのだけどね。牽強付会してしまえば、どちらも青春ドラマというところで、通底するものがあるかもしれない。

『栄光の岩壁』の主人公竹井は、友人と冬の八ヶ岳をやって、凍傷に侵され、足の一部を切断することを余儀なくされる。普通ならここで、登山はすべて終わりとなるのだろうけど、ここからすべてが始まる。歩くことすら、危ぶまれたのだが、ある軍医の助言で、血まみれになりながらの歩行練習を続けることで歩けるようになる。そして、山へ。足ならぬ足で岩壁へ立ち向かうことになる。

当時は未踏の冬季ルート(壁)が残されていたから、それを攻略すべく、若き登山家たちが競っていた。その一角に竹井もいた。未踏の北岳バットレスの冬季登攀のときは、足のハンデをもろに蒙るわけだが、なんとかそれを乗り越えて、やりとげる。

後半(下巻)では、海外に飛翔する。アイガー北壁、そしてマッターホルン北壁に挑戦。天候の急変による断念や、難ルートにあえぎながら、苦しみながらも、最後は感動の登頂。この偉業は、読むものに深い感銘を与える。

この本でいろどりを添えるのが、竹井を支える、のちの奥さんとのラブストーリー。時代を感じさせる奥ゆかしさがある。また70年代ドラマでよくあった、主人公の足を引っ張るどうしようもない嫌な奴の登場。それを打ち消すように登場してくる、たくましい登山仲間の立ち居振る舞いは気持ちがいい。

この執念の登山家竹井にはモデルがいる。残念ながら今年2月に亡くなられてしまったが、芳野満彦氏である。新聞にも出たので、覚えておられる方もいるだろう。この小説がほとんど実話に基づいているというのは、驚嘆に値する。身体のハンデを背負っても、どうしても山に行きたい、そして頂を極めたいという熱き登山家は、実在の人物なのだ。

栄光の岩壁〈上〉 (新潮文庫)
クリエーター情報なし

新潮社

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兜山

2012-12-30 | 山行~中央線沿線・大菩薩

000pc182991標高 913m 山梨県

2005年12月18日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:04夕狩沢駐車場8:24--(山腹コース)--9:08ベンチ9:18--ピーク--10:00兜山山頂--10:04展望台(昼食)11:08--12:00夕狩沢駐車場

5:35家を出発し、コンビ二で朝食を買出し。中央道に上がって談合坂SAで、さっそくコンビニごはんとなる。7:30頃勝沼ICを下りる。フルーツラインに入って、兜山の山腹にある春日居GCを目指す。そこからアップダウンのある狭い道を走って、兜山登山口、夕狩沢駐車場に到着した。先着様は1台、スズキアルト。われわれよりほんの数分前に着いたようで、これから出発の準備のようだ。

車の外に出ると、キンキンに冷えていて、たちまち登高意欲が鈍る。家でぬくぬくとしていたほうがよかったかなどと、ぶるぶる震えながら、出発準備に入る。駐車場にはきれいな新しいトイレが併設されていた。

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左:夕狩沢駐車場 右:兜山の森案内図

8:24駐車場を後にする。山腹コース(林道)をたどり、ぼちぼち歩いていく。日が当たらないところは、極端に寒い。兜山への指導標(矢印)2つ目で曲がる。アカマツ主体の雑木林でとても雰囲気のある道を行く。しかし、しばらく歩いていくと、あれれ、となった。なんか戻っているよね、これ! そう、間違ったのだ。最初の兜山への分岐の道と合流した。

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左:ベンチでくつろぐ山の神 右:ピークの×印?

今さら戻るのもなあ、ということで、そのまま前進。ちょっと登っていくと、見晴らしのいい場所にベンチが置かれていた。さっそく山の神と休憩。ちょっと日が差してはいるものの、腰かけていると、ジンジンと体の芯から冷えてくる。

分岐を左に折れて、ピークへ。赤い色のばってんマークが付けられていた。樹間からは棚山と思しき山が見えていた。寒いので、写真だけ撮ってそそくさと移動開始。

04pc182988 05pc182992左:;樹間から棚山。上空には雪雲が 右:兜山山頂

ほどなくして小雪が舞い始める。棚山の上空には雪雲が見える。あれがこちらに移動してきたら、吹雪かれるかもしれない。

10:00兜山山頂に到着。葉が落ちているため、樹間から、景色が望める。でも、この山頂からものの数分のところに展望台があるので、そちらに移動する。

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右端に富士山、御坂山塊そして甲府の街並み

展望台で、お弁当を広げる。ここだけ、冷たい風が流れ込んで来ない暖かな陽だまりになっている。しかも見晴らし抜群で、富士山や御坂山塊、甲府盆地を見渡せる。12月の富士山は、さすがに真っ白だった。

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富士山。中央下で黒くとんがっているのが、節刀ヶ岳

お湯を沸かし始めたが、ガスカートリッジのガスが残りわずかで、バーナーの火が弱い。そのせいでお湯がなかなか沸かず、また日向ぼっこができるということもあって、ここでのんびりしてしまった。

004pc182997_2 展望台にて

11:08下山開始。落ち葉が深く積もっているところがあり、足場が悪い。一部鎖が付けられている急な坂を下り、12:00駐車場に着いた。

帰途は、フルーツ公園を抜けて、ほったらかし温泉へ。車がいっぱい停まっていて、大混雑かなと思いながら中に入ってみると、それほどでもない。湯船に浸かると、見晴らしは抜群で目の前に大パノラマが広がる。開放感抜群の温泉だった。大人¥500。温泉のあとはお茶。ぷくぷくの湯の無料駐車場に停めて、お茶をする。ついでにお土産も購入。ひらたけやシイタケ、りんごジャムを家用に購入。帰りの中央道は、渋滞もほとんどなく順調に家にたどり着いた。めでたし。めでたし。

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八王子城山

2012-12-23 | 山行~中央線沿線・大菩薩

標高 445.5m 東京都

2004年12月23日(木) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 松竹バス停9:44--10:25ベンチ休憩10:35--梅林へ下る--11:10山王台--八王子神社--11:20山王台(昼食)12:15--天守閣跡--12:55富士見台13:03--14:35高尾駅

これは8年前の記録です。近場でラクして行けて、そこそこ楽しめそうなところという選択基準で、八王子城山に行こうと決めたような気がする。

家で朝ごはんを食べて出発。電車で八王子に出て、バスに乗り換える。9:10陣馬高原下行きに乗り込む。乗客は登山者ばかりのようだ。9:44松竹バス停で下車。松竹橋を渡って、今日の山行が始まった。あたりは一面霜が下りていて、かなりの低温。空気がキーンと張り詰めている。

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左:松嶽稲荷神社 右:恩方松竹コースの案内板

杉の巨木に圧倒される松嶽稲荷神社の鳥居前で、山の神がザックをおろして、この道でいいのかと地図のチェックを始める。いいんだろうね、たぶん。テルモスのお茶を飲んで、再び出発。それにしても寒い。少しばかり車道を歩いていくと、分岐に案内板があった。このコースは恩方松竹コースというらしい。

そのうち杉林になり、日が差さない、ただただ暗いだけの登山道になる。それでなくても寒いのに、寒さを助長する無機質なさびしい風景と暗さだ。そのうち開けてきて、八王子城址が近いとわかる。

そういえば、昨日のNHKニュースで、まだ12月だというのに梅の花が咲いていると報道していたのを思い出し、梅林へいったん下ってみる。本当だった。紅と白の花がそちこちで咲いていた。

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まだ散らずに紅葉していた八王子神社境内のもみじ

上り返して、山王台。見晴らしは抜群だ。下界の街並みを見下ろせる。

山王台からちょっと下に八王子神社がある。まだ気持ち紅葉が残っていて、訪れる人は皆、神社の頭上にしな垂れている黄色い色に目をみはる。

山王台のベンチに戻って昼食にする。今日はハイキング日和のせいか、団体が次々に上ってきて、11時台前半ではあるけれども、ベンチやテーブルは埋め尽くされてしまった。時折冷たい風が流れてきて、「寒いねえ」の声がこぼれてくる。

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左:八王子城本丸址 中:富士見台 右:富士見台で休憩する山の神

12:15山王台を出発。急な上りの連続、そして天守閣跡を通過する。やがて富士見台に到着する。名前の通り、富士山を一望できるのだが、あいにく山頂は雲で隠れていた。ここで小休止する。

13:05富士見台を後にし、蛇滝口へ下ろうとすると、圏央道(現在は開通済み)の工事のため、通行止めになっていた。代わりに高尾駅へ下る新しい道がつけられている。その急な道を下り、14:35高尾駅に着いた。

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陽だまり山行、高松山

2012-12-15 | 山行~丹沢・道志

標高 801.4m 神奈川県

2003年12月7日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム JR山北駅9:20--10:23山ゆりの滝10:36--尺里峠--11:43休憩11:55--12:30高松山(昼食)13:20頃--13:40ビリ堂13:45--14:55電波塔下15:10--15:50山北駅

9年前の山行、丹沢前衛の山、高松山をとり上げよう。電車で行ける近くてお手軽な山だ。しかし油断すると、予想外に車道歩きが長く、電車に乗り遅れる心配があるので注意が必要だ。

さて、その日は6:00起床で、朝ごはんを家で食べて出発した。電車の山旅だ。小田急・新松田駅から有名なマニラ食堂をすり抜けてJR松田駅に移動し、御殿場線に乗り換える。最終目的地の駅、山北駅には9:02到着した。駅舎を出ると、驚くほど昭和の趣が色濃く残る駅前で、タクシーが客待ちをしていた。もしかして、登山者ねらい?

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左:山北駅前 右:道祖神

しばらく車道歩きとなる。尺里(ひさり)で東名の高架下へ向けて左折する。道祖神が愛らしい姿で山の神と私を迎えてくれる。

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左:里山の風景 右:今度は石仏が

高圧線が目立つのが玉に瑕だが、のどかな里山の風景が目に飛び込んでくる。のんびりと山の神と舗装路を歩いていく。今度は屋根つきのおうちに石仏が。信心深い人たちの集落なのだろうか。

10:20地味で滝と呼ぶには、あまりにもかわいらしい水量の「山ゆりの滝」で休憩。名前がついているということは、以前は水量がもっとあり、水辺に山ゆりが咲き乱れていたのだろう。

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左:高松山山頂 右:山頂の広場。展望は木があっていまいち

大六天との分岐に来た。尺里(ひさり)峠だ。ここを左折して、お山に分け入っていく。途中1度休憩をはさみ、最後にバリバリ急登を越えて、12:30ようやく高松山山頂にたどり着いた。

山頂の展望はあまりよくない。目の前の木を伐ってしまってもいいのにと山の神と嘆き節を交わす。しかし一面に広がる草原状の広場は決して悪くはない。寝転んで、お昼寝にはもってこい。すでに団体さんが20名くらいいるのだが、広々していて、あまり気にならない。

レジャーシートを広げ、のんびり昼食をとって、13:20頃下山開始。

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左:ビリ堂 右:石仏がいたるところに

13:40ビリ堂に到着。ビリ堂なのに、お堂はない。大昔にはお堂があったのだろうか。石仏2体が鎮座している。小休止をとって、先へ。杉林の暗い登山道が続くが、時折また石仏が路傍でわれわれを迎えてくれる。

みかん畑を抜けて、14:55電波塔下でのどをうるおし最後の休憩。そこから40分ほどで山北駅に到着した。

帰途、地元駅前の居酒屋で山の神と生ビールをぐいっと一杯。これぞ、電車山行の正しい終わり方。店を出ると、昼間のぽかぽか陽気はどこへやら、急激に冷え込んできたのであった。

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8~9世紀の大地震と火山の噴火

2012-12-09 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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『歴史のなかの大地動乱――奈良・平安の地震と天皇』 保立道久(岩波新書)

貞観地震・津波とはどんなものだったのだろうという単純な興味からひもといた本。読んでみると驚きの連続だ。とにかくこの奈良・平安の時代は、地震、津波、火山の噴火、疫病の流行、旱魃が立て続けに起こる。さらに都では落雷が頻発する。ときの為政者である天皇は、自らの不徳のせいであるとして、祈祷を各地で行う。その祈祷はいわば荒ぶる神々の鎮魂が目的なのだが、自然の猛威の前にそんなものは蟷螂の斧にもならないほど無力だ。

当時は、凶事はすべて神々の仕業とみなしていた。たとえば政変で失脚し、死んだものたちの怨霊(神)の仕業であるとしたり、火山の噴火が起これば、山の神の怒りであるとした。その怒りを鎮めるために、神格を上げ、位階を上げてみたりするが、当然効果なしで、その後も次々に災禍に見舞われる。

こんな時代に生まれなくてよかったと胸をなでおろすものの、この時期のすさまじい大地震と、それと連動して起きた(?)火山の噴火は気になるところだ。ざっと抜き書きしてみると、以下のようになる。

762年 中部地方地震(M7.0)
781年 富士山噴火
800年 富士山噴火
802年 富士山噴火
830年 出羽秋田地震(M7.0―7.5)
832年 伊豆火山噴火
837年 陸奥鳴子火山噴火
838年 伊豆神津島大噴火
839年 出羽鳥海山噴火
863年 越中・越後地震
864年 富士山噴火
869年 陸奥海溝地震・津波(M8.3) いわゆる貞観地震・津波
871年 出羽鳥海山噴火
869年 肥後地震(貞観地震と同年)
874年 薩摩開聞岳噴火
887年 南海・東海地震(M8.0―8.5)
915年 十和田大噴火

阿蘇山も864,867年に噴火しているが、地震との関連性はわからない。十和田大噴火(この噴火によってカルデラ湖、十和田湖ができた)は、縄文や弥生時代の出来事と勝手に思い込んでいたが、10世紀の出来事だった。

では、最近の火山活動はどうなんだろう。
124回火山噴火予知連絡会2012年10月24日発表によると、現時点で活動が見られる火山は以下の4座。
・霧島山(新燃岳)
・桜島
・三宅島
・択捉焼山

ほかにここ数年で活動が見られた山をいくつもあげている。たとえば、十勝岳、岩手山、秋田駒、吾妻山、草津白根山、浅間山、弥陀ヶ原、富士山、阿蘇山。

大地震のあとには、火山の噴火が“つきもの”といわれている。とすれば、今活動をしている上の4つの火山が大噴火してもおかしくないし、3.11の直後に富士山のふもとを震源とする大地震もあったので、久々の富士山噴火があってもおかしくない。しばらく山頂付近が立ち入り禁止になっていた岩手山とか、いまだに活発な火山活動で山頂を踏めない浅間山とか、時折観光客が足止めされる阿蘇山とか、怖そうなところは多い。

この本によれば、8~9世紀は朝鮮半島でも大地震が起きるという異常なほどのプレートの活動期だったわけだが、先般の3.11を境に、これに匹敵するようなプレートの活動期に入ってしまったのだろうか。

歴史のなかの大地動乱――奈良・平安の地震と天皇 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店
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