目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

外国人観光客人気No.1の稲荷山

2015-12-31 | 山行~関西

標高 233m 京都府

2015年12月16日(水) くもり 

メンバー 山の神と私

コース JR稲荷山駅12:00頃--一番鳥居--本殿(お参り)--京阪伏見稲荷駅方向へ(昼食)--13:02奥宮--千本鳥居--三ツ辻--四ツ辻--中社--13:40上社(稲荷山山頂)--眼力社--14:00頃 四ツ辻(甘酒)14:20--裏参道--JR稲荷駅前

会社からリフレッシュ休暇をもらい、久々に京都を訪れた。例年12月も半ばを過ぎれば、紅葉も終わり、侘び寂びの世界を堪能できる静かな京都を味わえるはずだった。しかし、世の中変われば変わるもので、地球温暖化の影響でまだ紅葉が残っていたし、中国からの大勢の観光客、そしてクラブワールドカップで日本を訪れたサポーターたちで、嘘のような喧騒の街になっていた。

 
左:伏見稲荷の本殿 右:千本鳥居

さて、山の神が行ったことがないという世界遺産の平等院を午前中に散策し、その足でJR稲荷駅にやって来た。伏見稲荷に来てまず驚かされたのは、ここは外国人観光客人気No.1だということ。朱塗りの鳥居が参道を覆いつくしているのが、とてもクールだというのだ。たしかに他所では決して見られない異空間へといざなうパワースポット。不思議な感覚に誰もがとらわれる場所だ。

まずは広い参道を抜け、山の神と本殿でお参り。それから腹が減っては稲荷山まではいけないと、昼食をとれそうな茶店はないかときょろきょろと探したのだが、適当な店はない。いったん戻って食堂を探すことにした。人がたくさんいた京阪の駅方向へ進んでいくと、まるでお祭りのように屋台がたくさん出ていて、中国人観光客が大挙押し寄せていた。耳にするのは中国語ばかりで一瞬中国の観光地に来たような錯覚にとらわれる。参道を抜け、目の前に出てきた蕎麦屋に入る。蕎麦は外国人には人気がないのか、店内は日本語だけが飛び交っていた。

昼食をとり再び山の神と伏見稲荷に取って返す。奥宮を過ぎるとすぐに千本鳥居の始まり、始まり~。


登れども登れども、デジャブのように鳥居は続く

四半世紀前に私が訪れたときには、上社まで行かずに途中で引き返したと思うのだが、今回はてっぺんまで行って稲荷山の全貌を見ようと、山の神をけしかける。

 
2点とも:参拝客とハイカーでにぎわう上社(稲荷山山頂)

最初はしぶっていた山の神だが、歩いても歩いても途切れることのない鳥居を面白がって、やる気満々になってくる。四ツ辻をやり過ごし、そのまま快調に飛ばし上社に到着した。見晴らしがいいのではとちょっと期待していた上社だが、残念ながら展望はまったくなかった。しかし、展望など意に介さない人が大勢山頂にはいた。お正月でもないのに驚くばかりだ。ただちょっと意外だったのは、途中まで外国人だらけだったのに、ここ上社では少なかったことだ。まあ、長いといえば、長いコースだから、そうなるのか。

山の神と上社をお参りして、社をぐるりと回って下山開始する。

 
左:下山路も朱塗りの鳥居がたくさんある 右:四ツ辻の茶店

日陰の霊気漂う道を四ツ辻へと戻り、先ほどパスした茶店に入る。山の神と甘酒をオーダーして小休止とする。この四ツ辻だけが唯一コースのなかで開けていて、眼下に京都市街を見渡せる。


四ツ辻からの展望。手前の構築物は、もちろん鳥居

帰りは裏参道を下る。どこから湧いて出てきたのかというくらい観光客がいて、なぜか皆数珠つなぎとなってお山を下ることになる。そのうち住宅街に入り、神社に戻ることになる。それにしても、平日のなんでもない日にこれだけの観光客が住宅街を歩くということは、この近辺にお住まいの方々にとっては、脅威だろう。おちおち外にも出られない。

ところで余談だが、神社に戻ると、写真をとってほしいと中国のきれいなお姉さんグループが英語で話しかけてきた。もちろんOKといって写真をとった。次に写真をとってほしいと声をかけてきたのは、日本人の若者たちだった。明らかに日本人を探していたようだった。わざわざ数少ない日本人に声をかけなくても、周りにいくらでも人はいたのに。この内向き志向はなんなんだろうと、ちょっと恥ずかしい気がした。

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伯耆大山と出雲観光~出雲大社

2015-12-27 | まち歩き

2006年10月9日(月・祝) 晴れ 

メンバー 山の神と私

コース 松江8:40--9:40出雲大社--日御碕(ひのみさき)--布志名(ふじな)焼窯元--小泉八雲記念館--(松江城)--15:30松江駅

米子まで来たら、やはり足を伸ばして出雲大社(杵築大社)に行きたくなる。出雲大社は縁結びの神として有名だけれども、私はそっちにはとんと興味はなく、歴史に目が向く。国譲りの神話はとくに興味深い。神話ではあるけれども、歴史と遠い存在とは考えにくい。普通に考えれば、古代に大和朝廷とこの出雲が2大勢力を形成していて、出雲が大和朝廷に屈して、大幅な譲歩をしたと考えられる。でなければ、出雲にかくも大きな社を築くことにはならなかったであろう。雲太、和二、京三、すなわち出雲太郎、大和次郎(東大寺大仏殿)、京三郎(京の大極殿)といわれてきたのは、それだけ出雲大社が大きかった証であり、昨今発見された巨大な柱の跡は、それをさらに裏付けるものとなった。

それはさておき、出雲旅行記へと移ろう。前泊はルートイン松江。朝食バイキングをたらふく食べて、8:15分頃山の神とチェックアウトした。ジャパレンで予約していた軽自動車(ホンダライフ)を格安¥3,891(当時)で借りて松江を出発した。すぐに、本日は出雲大学駅伝で通行規制をするという看板や出場大学の幟をそちこちで目にすることになる。幟の中にわが母校の名前を見つけ、思わず、おお、と声を発してしまった。

9:40頃出雲大社に到着。3連休だけあって、駐車場はこの時間でもう満車に近かった。

 

駐車場から鳥居までいったん戻ると、そろそろ始まるのか、駅伝に出場する溌剌とした選手たちが大勢いた。鳥居をくぐって、山の神と松並木の立派な参道を歩いていく。


本殿を裏側から撮影。見慣れない大社造が不思議な雰囲気をつくり出している

拝殿に着いて、出雲大社独特の参拝方式、二礼四拍手一礼に従い参拝。予想外にこぢんまりとした拝殿で、というかテレビで見ていた巨大な注連縄でないのをいぶかしく思ったのだが、巨大注連縄は神楽殿のほうだった(下の写真)。

拝殿から奥の本殿(冒頭写真)に向かい、同様に参拝。参拝後入れないはずの本殿の庭に人影が見えた。予約を入れ正装をすれば見学が許されるようだ(平服は不可)。


注連縄に大量の賽銭が突き刺さっている神楽殿

隣の敷地にある、かなりカジュアルな印象の神楽殿も同様に参拝する。注連縄が途方もなく大きい。注連縄にお賽銭を投げて、それが突き刺さり落ちてこなければご利益があるといわれているが、真偽のほどはわからない。

 
左:日御碕(ひのみさき)灯台 右:日御碕

次に訪れたのは、日御碕(ひのみさき)。日本一の高さを誇る灯台と格式のある神社がある。神社は、出雲大社と張り合っていたというから、面白い。

 
左:山の神、日御碕にて 右:松江城

日御碕を後にし、山の神が行ってみたいといった布志名(ふじな)焼の窯元を訪れる。率直にいってしまえば、何一つ覚えていない。手帳に書いていなければ、訪れたことはないと断言してしまうところだ。最後に松江城の駐車場に車をとめて、八雲庵で名物、出雲そばを食べた。八雲流れで、小泉八雲記念館を見学し、松江城の外観を愛でて帰途につく。

松江15:54発の岡山行きやくも24号に乗車。車窓からは昨日登った伯耆大山がきれいに見えた。今日登っていれば、大展望を望めたに違いない。岡山からは新幹線。お弁当とビールを買って乗り込み、終点東京には22:06到着。長旅だった。

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伯耆大山と出雲観光~伯耆大山

2015-12-20 | 山行~中国・四国地方

大山(だいせん) 弥山手前山頂標示地点 標高 1709m 鳥取県

2006年10月8日(日) くもり

メンバー 山の神と私

コースタイム 大山ホテル8:00--夏山登山道--9:04 標高1100m付近9:10--9:35六合目避難小屋9:45--10:25大山山頂--大山頂上避難小屋(昼食)11:10--12:00六合目避難小屋12:10--二股--13:10大神山神社奥宮13:20--13:45大山ホテル

6:50のんびりと起床し、ホテルで湯豆腐やきのこ汁の朝食をとり8:00チェックアウト。大きな荷物はホテルに預け、山の神とともに出発する。大山寺橋を渡り、登山口はどこだと、まずは地図をチェックする。

 
左:大山寺橋 右:夏山登山道に入る

「夏山登山道 僧兵コース」の指導標に従い、山に分け入っていく。

 
2点とも:阿弥陀堂の石仏

登り始めてすぐに阿弥陀堂への分岐が現れる。ほとんどの登山者がお参りをしていくので、われわれも真似して後ろについていく。個性的な石仏がお堂の周りに安置されていて、思わずカメラに収めた。

 
左:気持ちのいいブナの原生林の中を登る 右:六合目避難小屋

3連休の中日とあって、登山者はすこぶる多い。昨日天気が悪かったこともあり、その分今日は上乗せなのだろう。前にも後ろにも登山者がいて大盛況だ。今日の天気は、予報では晴れなのだが、どんよりとした雲が空を覆っている。それでもブナの原生林を歩いていくのは気持ちがいい。山の神と快調に上がっていく。

歩き始めて1時間を過ぎ、そろそろ休むかと山の神に声をかけ、標高1100メートル付近でいったんザックを下ろした。しかしこれがかなり中途半端な地点だった。そこから歩き出すとすぐに六合目避難小屋が出てきた。昭文社の山地図の標準コースタイムはだいぶゆるゆるになっている。

 
左:大山頂上避難小屋 右:石室(いしむろ)

六合目を越えていくと、だいぶガスって来た。山頂は白いだろうなと覚悟しつつ、山の神とムダ話を交わしながら、ぼちぼち歩いていくと、たちまちにして大山山頂に着いてしまった。山頂は登山者でごった返していて、記念撮影は順番待ち(冒頭写真)。よくぞまあ、こんなに登ってきたものだと感心するほどの人の多さだ。家族連れや、グループ、会社の研修らしき集団まで下山していく姿を多数見ていたのだが、山頂にはまだ多くの登山者がいた。

山頂はちょっと冷えていて、展望もないことから避難小屋の中でごはんにすることにした。しかし、小屋の中に入ってみてびっくり。考えることは皆同じなのだ。それでも2階にスペースを見つけて、山の神と一息ついた。

 
左:石室付近の木道 右:下界はきれいに晴れている

11:10下山開始。帰路は気分を変えて石室側の登山道をたどる。地蔵ヶ池・梵字ヶ池を縫うように木道がつけられていて歩きやすいのだが、幽霊が出そうなほど一帯は薄暗くガスっていて、前方を歩く登山者の姿さえかすんで視界は悪い。

しばらく下ると、ガスが突然はれ、雲の向こうに青空が覗き始めた。天気予報どおり、下界は晴れなのだ。


登山道から日本海を望む

やがて弓なりの海岸線、弓ヶ浜海岸と日本海がはっきりと視界に飛び込んできた。

 
ブナ林と整備された登山道 右:山腹から上は白いベールに覆われた幻想的な光景

12:00一体これはどうしたんだというくらいすごい人の六合目避難小屋に到着。さあ、休憩だとザックを下ろした瞬間に携帯が鳴った。相手はなんと取引先の人だった。電話に出てみると、自分の担当の仕事ではない問い合わせで答えようがなかった。ワラにもすがる思いで私に電話をしたのだろうが、まったくといっていいほどお役には立てなかった。それにしても、3連休まで仕事に追い回されるとは因果な商売だ(お互い)。

人だらけですれ違うのに難儀してから、行者コースへ入る。ブナの美しい森の中、整備された歩きやすい登山道が続く。そこから二股へと下っていき、振り返ると、幻想的な光景が広がっていた。相変わらず山腹から上にはガスがたちこめていたのだが、これが思わず知らず山水画を思わせるたたずまいになっていた。

 
左:大神山神社奥宮から参道を下る 右:宍道湖の夕陽。山の神と小さな誰かさんのシルエット

13:10大神山神社奥宮に到着。トイレ休憩したのち参道を下り、13:45荷物を預けていた大山ホテルに無事下山した。

15:00本日の宿泊地、松江に向けて、まずは米子行きのバスに乗り込んだ。予期せぬ渋滞にハマって予定していた時間の電車に間に合わず、1本後の米子発16:35を余儀なくされる。松江に着いて、ルートイン松江にチェックイン。さっそく荷を解き、山の神と宍道湖の夕陽を求めてホテルを出た。観光客で賑わう湖畔に出ると、まさに今太陽が沈まんとしていて、湖面に赤い夕陽が映り込んでいた。茜に染まった空。うわさに違わず宍道湖の夕陽はすばらしかった。

出雲大社につづく
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伯耆大山と出雲観光~プロローグ

2015-12-13 | 山行~中国・四国地方

2006年10月7日(土) くもりのち雨 

メンバー 山の神と私

もう9年も前になるのかあと2006年の手帳を繰る。この日は、早い時間帯の飛行機に乗るため、タクシーを利用していた。そのおかげか予定より早く羽田空港に到着している。しかし3連休の初日とあって人が多すぎた。しかも人が多いところに持って来て、株主優待で安く上げようとしたために、長い行列に並ぶ羽目になり朝食の時間が飛んでしまった。腹減ったなとつぶやきながら、慌てて山の神とチェックインし、米子行きの小型ジェットに飛び乗った。

7:30に羽田空港を離陸し、ほんの1時間余りで米子空港に到着した。空港からバスに揺られて米子駅へ。道中申し合わせたように黄土色の屋根瓦が続くのは壮観だった。JRの米子駅からはどじょう掬いで有名なあの安来(やすき)駅へと向かう。安来駅からは、足立美術館行きの無料シャトルバスが出ている。20分ほどで美術館に到着した。

出雲ツアーでは必ずといっていいほど、この足立美術館が組み込まれている。それだけ見所がある美術館ともいえる。目玉はなんと言っても、庭園だ。恐ろしいほどに手入れが行き届いていて、きれい過ぎる。きれい過ぎるから逆に人工的な香りがきつすぎるきらいがあるともいえるか。

展示品では、横山大観と、魯山人の料亭復元が興味をそそるが、全体的には俗悪な印象が残った。

 大山寺の宝牛

 あたふたとまた無料のシャトルバスに乗って安来駅に戻った。乗客自らがドアの開閉をしなければならないワンマンカーに乗車し米子駅に舞い戻る。ちょうど昼時で、駅構内で大山地鶏(だいせんじどり)の親子丼を、山の神ともども食した。まずまず。

食後一服して13:30観光道路経由の大山寺(だいせんじ)行きバスに乗り込み、本日のお宿、大山ホテルを目指した。14:40無事ホテルにチェックインし、ホッと一息つく。少し休憩してから大山寺まで歩いてみようと、山の神と外に出ると涙雨だ。ホテルで傘を借りて、ゆるゆると歩いていく。天気が悪いせいか、散策している人はまばらで、寂寥感が漂っていた。

大山寺(冒頭写真)では、牛さんの鼻をなでてご利益を願い、明日の大山登山の無事を祈願した。

伯耆大山登山ヘ続く
出雲大社へ飛ぶ

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調布名誉市民水木しげるさん逝く

2015-12-06 | 日記


調布市文化会館たづくりに設置されていた、水木しげるさんの献花台

2015年11月30日(月)水木しげるさんは永眠した。私は水木さんを調布で3度ばかり目撃している。最初は調布パルコの入口だった。顔を見た刹那、どこかで見たことのある人だなと思っていると、服の左袖がたなびいているではないか。戦争で左腕を失ったまさしく水木さんだと、その瞬間にわかった。あとの2回は布田天神の参道である天神通りだった。訃報のニュースにも登場していた今川焼きの「あずきや安堂」の近くや、布田天神方向から調布駅に向かって歩いてくる姿をお見かけした。こうして3度もお見かけすると、親近感も湧いてくるというものだ。

もしかするとそのたびに水木さんの本を読んでいたのかもしれない。家の書棚にあったのは、以下4冊だった。本人の著書ではないが、奥さんの武良布枝さんの『ゲゲゲの女房』も読んだ。図書館で借りて読んだのか家にはなかった。

『生まれたときから「妖怪」だった』(単行本;現在講談社+α文庫)
『神秘家水木しげる伝記』(単行本;現在角川文庫)
『水木しげる 魍魎 貸本・短編名作選 地獄・地底の足音』(集英社文庫)
『水木しげる 怪異 貸本・短編名作選 墓の町』(集英社文庫)

なかでも『神秘家水木しげる伝』は、自らの半生をマンガ化したもので、水木さんを知るには格好の読み物だ。いま本の帯を見て気づいたが、「百歳まで生きねばならんね。」と入っている。どうやら、ずっと御本人は百歳まで生きるつもりだったようだ。そういえば数年前、テレビで荒俣宏氏がこんなことを言っていたのを思い出した。「生前墓をたてると、長生きするという俗説があって、水木さんもお墓をつくったから、長生きしているのでしょう」。でも残念ながら百歳はかなわなかった。


たくさんのお花と水木さんの記事が展示されていた

最後に、これだけは記しておきたい。なぜこの山ブログに水木さんのことを書いたかといえば、奇しくも私は、9年前に訪れた伯耆大山(ほうきだいせん)の山行記録をまとめようとしていて、水木さんを思い出していたのだ。恐ろしい偶然だ。

伯耆大山といえば、水木さんの育った町、境港にほど近い。登山後、境港に足を伸ばしてもいいかなと思い始めていた。米子で妖怪がペインティングされている電車を見てしまったことも、その後押しになった。しかし山の神がすげなく却下。後ろ髪引かれる思いだったが、行ったにせよ、水木しげるロードがあるくらいだよなと自分に言い聞かせて、あきらめてしまった。いずれまた彼の地を踏むことがあれば、ぜひとも訪れたいものだ。

私はゲゲゲ 神秘家水木しげる伝 (角川文庫)
クリエーター情報なし
角川書店(角川グループパブリッシング)
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