目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

石川直樹 この星の光の地図を写す オペラシティアートギャラリー

2019-02-26 | イベント

2月24日(日)産経新聞の記者さんからいただいたチケットで、山の神と東京オペラシティのアートギャラリーで開催中の石川直樹「この星の光の地図を写す」を見に行った。

彼の旅した足跡をたどるような小ぶりな(?)写真がポツン、ポツンと並べられていた。ぼんやりとしていてピンが来ていないもの、わざと斜めにして見ている人を不安にさせるもの、、、

どんよりとした、そして陰鬱な雲が印象的なもの、雄大な自然の造形を切り取ったもの、野生の動物たちを活写したもの、、、

南太平洋のプリミティブな人間が創造したのであろう素朴な音楽が奏でられる中、エフェクトをつけた静止画がまぶたに焼き付けられる。

ノースフェイスのドームテント内で映像を流してもいた。

展示内容は、パンフレットによればこうだ。

Gallery1
DENALI 1998/POLE TO POLE 2000/POLAR 2007/ANTARCTICA 2011/NEW DIMENSION 2007

Gallery2
CORONA 2010/THE VOID 2005/Mt. Fuji 2008/K2 2015

Corridor
MAREBITO 2009-/ARCHIPELAGO 2009-/AUTHAGRAPH/知床半島 2017/石川直樹の部屋

最後の「石川直樹の部屋」に置かれていた書棚は眺めていて飽きなかった。冒険ものや山岳もの、民俗学、人類学等の本がずらりと並んでいて、こうしたジャンル好き人間には、垂涎のラインナップといえよう。

2019年1月12日(土)にスタートしたこの展覧会は、3月24日(日)で終わってしまう。油断は禁物。この土日にでもさっそく行って、石川直樹の世界を堪能しよう。

この星の光の地図を写す <北極カバー>
クリエーター情報なし
リトル・モア
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凍ったトラバース道、奥日光・高山

2019-02-24 | 山行~尾瀬・栃木・茨城

高山 1667.7m 栃木県

2019年2月17日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:45竜頭の滝上駐車場9:07--高山登山口9:14--10:10休憩10:20--11:10高山山頂(昼食)11:40--12:10アイゼン装着12:35頃--12:45熊窪分岐--スノーシュー装着--13:38幕張峠--14:00石楠花橋--14:15駐車場

スノーシューで歩けるお気楽山行と思って計画した割には、ちっともそんな山行にはならなかった。Webで見つけた2,3年前の山行記録どおり、山頂への急登あり、凍結したスリル満点のトラバース道あり、むき出しの舗装路ありで、気の抜けない(?)バラエティに富む山行になった。

自宅は5:30に出発。もともとの計画が5:20出発予定だったので、やはり10分遅れだった。東北道に入ると、意外なほど空いていて、拍子抜けするくらいだった。それだけ最近はスキーをする人が減っているということなのだろう。

佐野SAで朝食をとり、順調に進んで日光宇都宮道路に入る。怖ろしいほど交通量はない。清滝ICを出てすぐのところにあるファミマで本日の昼飯を買出しして、一路、竜頭の滝を目指した。

 
左:竜頭滝上駐車場 右:駐車場から至近距離にある高山登山口。でっかい指導標がある

8:45竜頭の滝上の駐車場に到着した。すでに何台か停まっていて、お隣さんはザックを出して準備中だ。てっきり同じ高山かと思ったのだが、結局高山では誰ひとり会わなかった。

9:07駐車場を後にする。まず下山路に使う山の家の道が出てくる。それをパスして、高山登山口と大きく標示されたところから登山開始となる。 

 
左:増えすぎた鹿が入れないように柵が設けられている 右:全体に雪は少なかった

雪はそれほどなく坪足で十分。さくさく上って行くと、すぐに鹿フェンスが出てきてウワサに違わず鹿害が深刻なのがわかる。

日影の道を進んでいたものの、高山まで1.5Kmの標示のところで、山の神は着込み過ぎたのか暑いから1枚脱ぐわといって足を止めた。

 
左:ここで山の神レイヤー調整 右:陽だまりでティータイム

そこからほどなくして、ティータイム休憩にした(10:10)。なかなかの上りで汗ばんだのと、乾燥しているせいかやたらと喉が渇く。もってきたテルモスのお茶とチョコレートで元気をつける。

このあと、登山者がまったくいなかったこともあってか動物や野鳥を幾度となく目撃した。まずは進行方向向かって左手から現れ、登山道を矢のようなスピードで横切っていったテン(おそらく)。山の神にほらっと声をかけたときには、すでに姿は見えなくなっていた。しばらく進むと、枝から枝へと飛び回る野鳥たちに気づいた。かなりの個体数で、近くにも止まっていた。最初シジュウカラかと思ったが、胸にネクタイがなく、ヒガラのようだった。ヒガラの宴会場をしばらく上り続けていると、急登が目に入った。

 
左:高山の最後の急登。新雪が積もれば、雪崩が起きそう 右:誰もいなかった高山山頂

左に巻いている道もあるが、そちらには踏み後がない。踏み後のある直登コースのすぐ上方にピンクテープを発見した。間違いない。斜度はスキー場の上級者コースくらいの30度以上はありそうだ。雪は比較的締まっているが、積雪量は多く、ときどきズボッと踏み抜くこともある。キッついなあとぼやきながらも、11:10標高1667.7メートルの無人の高山山頂に着いた。

山頂では樹間から写真を撮ってみたが、あがりはやはり今イチだった(下2点)。芽が吹いて葉が出たら、まったく展望なしの山頂なのだ。

 
左:山頂から男体山を望む 右:山頂から白く輝く中禅寺湖を望む

さて、お昼にしようかと山の神に声をかけると、ここは風が冷たいから、もっと下に行こうとのたまう。でも下山路も等高線が詰まっているので、ここで食べたほうが無難じゃないかと話し、腰を落ち着けることになった。 

 
左:下り始めると凍結してつるつるの怖ろしい所も 右:アイゼン装着に悪戦苦闘する山の神

山の神のいうとおり、じっとしていると身にしみる風の冷たさだ。そんなこともあり、サクッと昼食を済ませ、11:40に下山を開始した。歩き出すと、凍結していて慎重に歩かなければならない箇所が多く、山の神が業を煮やしてアイゼンを着けようといいだした。あともう少し耐えれば、熊窪分岐に出てアイゼンは不要になるのだが、、、

安全第一。着ければ安心ということもあり足を止めた。私が8本歯のアイゼンを装着し終え、山の神を見やると、マニュアルを広げ、まだ片足も着けることができずに6本歯アイゼンと格闘していた。どれどれと私もそのマニュアルを見るが、パッと見ではよくわからない。8本歯も6本歯も同じだろうと、こうつけるのだと説明してみたものの、6本歯はちょっと違っていた。結果ここで25分くらいはいただろうか。でもアイゼンを着けたのは正解で、この安心感は絶大だった。

 
左:平坦地に出てアイゼンをはずす 右:雪深くなってスノーシューを装着

先ほどまで神経をすり減らしながら、慎重に下ったのが馬鹿らしくなるほど、アイゼンは楽チン。サクサク下って12:45に熊窪分岐。もうアイゼンははずしてもだいじょうぶそうだけど、もっと下まで行ってからにするか。そういいつつふと視線を前方の木に移すと、何か目の前を横切って飛んでいくものに気づいた。先ほどたくさんいたヒガラではなく、今度はのど元のオレンジ色が鮮やかなウソだった。次から次へとウソが何羽も現れては飛んでいった。

まもなく平坦地に出て、アイゼンをはずしてザックに仕舞う。スノーシューは今回は使わないで済むかと思っていたら、ズボッと何度も足を深みにとられる。いよいよスノーシューの出番だ。


まっすぐの雪道をスノーシューで進む

履きなれたスノーシューを機敏に装着し歩き始めたけれど、あっという間に幕張峠に到着し、その先もスノーシューと思っていたのに幕張峠からの車道はなぜか除雪されていて路面がむき出しになっていた。まさかこんな道を歩くことになるとは思わなかった。スノーシューをはずして、単調な道(左下写真)を消化していく。

やがて石楠花橋に到着。何人かの登山者の姿を見つけ、もうその辺が駐車場なのだと実感する。

 
左:幕張峠。除雪してあって鼻白む 右:石楠花橋に到着。ここを右折して川沿いに進めば竜頭の滝

竜頭の滝へとつながる川沿いを下り、14:15駐車場へ戻った。帰りは、この駐車場からほど近い三本松茶屋に足をのばし、甘酒を飲もうということになった。 1杯350円の温かい甘酒で山の神とほっこりする。

帰路は首都高で少し渋滞にあったものの、さほど長いものではなく18:15頃には無事帰宅。その後静岡おでんを供する店へ山の神と繰り出したのだった。

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レトロな8本歯アイゼン

2019-02-16 | 山道具&ウェア

 カジタックス8本歯アイゼン

明日はスノーシューに行く予定で、昨晩スノーシューを納戸から出して準備万端だった。ところが今日会社で仕事を終えて帰宅すると、山の神がノートパソコンで過去の山行記録をチェックしていて、待ちかねたようにトラバースするところが凍結しているかもしれないと私を脅した。むむむ。

アイゼンはどこに仕舞ってたっけ、と納戸の中を見渡して、すぐに思い出した。もう20代、30代の人は見たこともないであろうキスリングに冬山装備を詰め込んでいた。キスリングの紐を解いて中を探すと、テント用のスリッパ(いまはカッコいい別名があるのか?)なんかが出てきて懐かしい。冬用テントの外張りやらなんやらを引きずり出していると、下のほうから8本歯アイゼンが出てきた。

いったい何年使っていないのだろう。もしかして10年以上使ってないかも。とりあえず玄関先で袋から取り出してみると、なぜか泥だらけだった。まっ、使わないかもしれないからこのままでいいやとそのまま仕舞おうと思ったが、ふと明日必要になったときに装着できるのかと不安にかられた。地べたに置いて装着方法を確かめる。あれ、金具のわっかがひとつないとあせる。

あった、あったよかった。触っていると装着方法なんてすぐに思い出すものだ。でも、こんなレトロなアイゼンをいま使っている登山者はいるのだろうか。目立とうと思って結構キスリングは使ったけれども、このアイゼンも見て懐かしいですねと声をかけられるかもしれない。

さあ、明日は雪の状態によって使うかどうか決まるわけだけれど、なんにせよ道具を使うとなると、なんかうれしい。

RIW0ILND アイゼン 8本爪 ステンレス鋼の氷の爪 登山 滑り止め 転倒防止 靴カバー スチール歯チェーン 氷 滑り止め 転倒防止 雪道や凍結道路 登山 雪山 トレッキング クイックフィット 簡単装着 収納袋付き 男女兼用
クリエーター情報なし
RIW0ILND
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栗城史多とはいったいどんな存在だったのか?Nスペで総括

2019-02-10 | テレビ・映画

これまでNHKは積極的に栗城史多(くりき・のぶかず)くんをとり上げてきたこともあり、2018年5月の彼の死に接するにあたり、彼がいかなる存在だったのかを総括する番組をつくった。NHKスペシャル「“冒険の共有”栗城史多の見果てぬ夢」1/14(月・祝)21:00放送。先日録画していたこの番組をようやく見ることができた。

番組は、栗城くんに同行したカメラマン魚住司氏や、マネージャーの小林幸子さん、最後までアドバイスをしていたあのピオドール賞登山家の花谷泰広氏ら関係者の証言を交え、彼の目指した登山を浮き彫りにした。まずは、たんたんと彼の生い立ちをたどる。原点は高校時代の演劇にあり、劇作家を目指したこともあるという話は有名だ。北海道生まれの栗城くんは高校卒業後、意を決して上京するのだが、あえなく挫折。地元に帰って大学に入る。そこで登山を始めて、その面白みを知ることになるのだ。

栗城スタイルをつくり上げたのは、学生時代に果敢に挑戦した北米最高峰のデナリ登頂のときだ。植村直己さんばりに自作自演で登山の模様を動画に収めた。その臨場感、展望のすごさに周囲は度肝を抜かれ、彼は賞賛された。それがきっかけとなり、さらなる冒険にと彼をかき立てることになる。

それからというもの栗城くんは高い山に登るたびに、ネットで動画を配信し、視聴者との“冒険の共有”をはかることになる。けれど、彼の挑戦する姿を奇跡とし、酔いしれ、感動し応援したのはつかの間だった。次第に極端な演出をしているのではないか、ビービー泣いてばかりでまた登頂断念か、彼が標榜する「単独・無酸素」は厳密には違うものではないかという疑念まで頭をもたげ、誹謗・中傷するアンチが増えていくことになる。

エベレスト登頂に何度も失敗し、凍傷で指9本を失ったにもかかわらず、「単独・無酸素」にこだわり、同じ北西壁ルートを行く栗城くん。もう引くに引けなくなったとしか思えない。登山家の花谷氏が凍傷になりやすくなったその体では、北西壁は無理、まずはノーマルルートでの登頂を目指すべきというアドバイスをしたのだが、彼はそれを振り切ってまた同じ場所へ行ってしまった。なぜか? その一因として、象徴的な映像をこのNスペでは流していた。ノーマルルートには、栗城くんの冒険の演出にふさわしくない膨大な数の登山者がいるのだ。数珠繋ぎで登って行く登山者の群れが画面には映し出されていた。

番組後半で重大な証言が紹介される。栗城くんはエベレストに登頂できても、できなくともこれでエベレストは最後といっていたのだ。そう決めたからこそ、追い詰められ、精神状態は不安定になったし、体調管理もうまくいかなかったことは容易に想像がつく。

トップクライマーの半数は命を落とすといわれている。雪崩などの不慮の事故、ちょっとした油断、どうしても登頂したいという無謀な決断(無理をしなければ登れないという現実もあるが)、etc. なんとも後味の悪い幕切れとなってしまった。

栗城くんは、間違いなく“冒険の共有”にがんじがらめになっていた。ただ共有するだけでは、感動も応援も得られない。失敗の先には必ず成功が期待されているのだ。それがなければ、資金集めに支障が出て、次の冒険の実現が危うくなってくる。完全に追い詰められていた。まるで船戸与一の小説の主人公のように物語の結末に訪れてしまったカタストロフは、必然なのかもしれない。

参考:当ブログ
栗城史多くん追悼2018年5月
NHK「5度目のエベレストへ~栗城史多 どん底からの挑戦~」2016年1月
栗城史多 オン・ステージ2011年2月

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雑司が谷七福神

2019-02-03 | 七福神めぐり

雑司が谷七福神 東京都

2019年1月13日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 11:30頃 目白駅--鬼子母神(大黒天)--観静院(弁財天)--大鳥神社(恵比壽神)--清立院(毘沙門天)--清土鬼子母神(吉祥天)--雑司が谷霊園(夏目漱石の墓・永井荷風の墓)--13:00頃 甲州屋(昼食)--中野ビル前(布袋尊)--仙行寺(華の福禄壽)13:30--池袋駅

2019年の七福神巡りは諏訪と決めていたのに、色紙が売っていなかったため結局をやめてしまったことは前回のブログで報告したとおり。

近場で回れるところはないのかと記憶をたどったときに、ふと思い出したのが、この雑司が谷だった。町おこし目的で2011年にスタートしたのがこの七福神。毎年どこに行こうかとWeb検索していたので、その存在は知っていた。


色紙代500円。あとは各所に置かれたスタンプを自分で押していく(無料)

2時間程度ですべて回れるという情報を得て山の神と遅めの出発にした。11:30頃目白駅に到着し、七福神巡りスタート。駅を出てすぐに流麗な筆運びでしたためられた「学習院」と書かれた門が目に入った。警備員が立っていて、部外者入るべかるずと威圧している。緑豊かなキャンパスの横を進み、目白通りを渡る。目白小学校の横の細い路地をすり抜けていくと明治通りにぶつかり、渡ってさらに路地を進む。たちまち鬼子母神の裏手に出て、豊島区のサイトでダウンロードした案内マップの縮尺は意外に大きいことがわかった(大縮尺)。

 
左:鬼子母神境内の大黒堂 右:団子屋と思った大黒堂のなかに、名称どおり大黒様がおわした

境内の建物を回りこんでいくと、傍らに大黒堂と掲げられた木造の建物があった。この中に? でもどう見ても団子屋にしか見えない。中を覗くとやはり団子を食べている客がいる。でもおわしました大黒様。さっそくお参りして、入口の横にあったスタンプ台で最初の押印にチャレンジ。失敗しないか、念入りにインクをつけ、慎重に押した。

うまそうに団子を食べる人たちを見た山の神は、団子を食べたいというが、まだ私の腹は減っていない。弦巻通りに何か店があるんじゃ(実際はほとんどなかった)といいながら、スルーすることになる。

 
左:観静院の弁財天 右:大鳥神社のピカピカの恵比壽神

次に鬼子母神からもう目と鼻の先くらいの距離しかない観静院へ。参拝者がそこそこいて、すぐに弁財天を見つけられた。柄杓で水をかけ、石に掘り込まれたその神々しいお姿を眺め、お参りする。

観静院を出て次はあれじゃないのと山の神が指をさしたのは、先ほど行ったばかりの鬼子母神だった。ちゃう。目の前の弦巻通りを左へと進んでいくのだ。1ブロックも歩くと東京音楽大学が出てきて、たしか高校時代の同級生がここを卒業して音楽の教師になっているはずだと思い出していた。やがて右手に大鳥神社を発見。

山の神と茅の輪くぐりを3回やって本堂で参拝した後、傍らに鎮座していた真新しい恵比壽神の前で手を合わせた。この柔和な顔立ちは、誰かに似ている、、、

 
左:高台にある清立院へ 右:清立院の毘沙門天

都電の線路を越え、弦巻通りを離れる。そして高台にある清立院の階段を上った。このお寺は日蓮宗で、境内に大きな日蓮上人の像が置かれていた。この界隈は日蓮宗のお寺が多いようで、読経は「南無妙法蓮華経」と聞こえてくるし、日蓮宗と掲げているお寺も見かけた。なにか上人と縁の深い土地柄なんだろうか。

さて肝心の毘沙門天は本堂の正面に安置されていた。「豊島区指定文化財」と標示されている由緒正しき像だ。山の神と参拝して、次に最大の難関、清土鬼子母神に向かう。雑司が谷霊園沿いの道を進み、適当なところで右へ折れてみる。目印の日本女子大学が出てきたので、間違ってはいない。あとはどんどん下っていくだけだ。途中われわれ同様に七福神巡りをしている年配の夫婦が道に迷っていて、けんかになっていた。この辺りがわかりにくいのはたしかだが、頻繁に地図を見ていれば、あさっての方向に行くことはない。

 
左:清土鬼子母神の吉祥天 右:雑司が谷霊園、夏目漱石のお墓

最後狭い道に入り、なんとかたどり着いた。日当たりが悪くなにか霊気がただよっているような場所。早くお参りを済まそうと、ぽつんとたたずむ吉祥天に手を合わせて、すぐに雑司が谷霊園を目指して歩き始めた。

霊園は先ほどの清土鬼子母神とは打って変わって開けた場所にあり、日当たりもいい。ここにある夏目漱石のお墓はぜひとも訪れたいと思っていた。メインの参道沿いにあるのだと思い込んでいたので、なかなか見つけられなかった。一人奥に入っていく若い人がいて、もしやそっちかと行ってみると、そこに花が手向けられた目指すお墓があった。山の神とともに文豪にあやかり、ぶつぶつと脳内で将来の希望を唱えた。

 
左:永井荷風のお墓 右:昼食は東通りの甲州屋でおそば

霊園は広大で見渡す限り墓石が並んでいる。もう一基、永井荷風のお墓がルート上にあったはずと注意して歩いていくと、なんなく見つかった。再びお参りをして、霊園を後にする。東通りに入って、もう池袋駅が近いことがわかる。時計を見ると、もういい時間になっていて腹も減ったし、そろそろ飯にするかと山の神と蕎麦屋ののれんをくぐった。

昼食後は、多くのイベントを仕掛けることで有名な個性派書店、天狼院書店に寄った。ちょうど読書会をやっていて、棚の一部を見られないということはあったが、ちょっと気分は高揚。その足で残る2人の神様へ会いに行く。

 
左:中野ビル前の布袋尊。豪快な笑顔が福を呼ぶ 右:仙行寺の華の福禄壽

ビルの谷間に屋根をつけてもらい、鎮座していたのは布袋尊。ガハハ笑いをしているような表情を見るとなごむ。そしてオーラスの華の福禄壽のある仙行寺へ向かう。このお寺に入って驚かされたのは、なんといっても池袋大仏。華の福禄壽の存在を忘れさせてしまうくらい大きいし、強烈なオーラを放っている。暗闇の中に浮かび上がって見えるような照明の演出がなんとも不思議な空間をつくり出している。

華の福禄壽に手を合わせ、最後のスタンプを押して、今年の七福神めぐりも無事終了した。ちなみにここ雑司が谷七福神は年中いつでも回れるようだ。色紙が500円でスタンプ代は無料だから、お金も節約できる。皆さんもハイキングがてら、ご利益も得られる(?)雑司が谷七福神へどうぞ。


仙行寺の「池袋大仏」

帰途なんでもそろっている巨大書店、ジュンク堂に寄って歴史の本などを閲覧した。充実の1日だった。

過去の七福神めぐり:
七福神めぐりhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/8d9f16337cf2cb97d013ccc74a2bc6b3
東海七福神と品川富士http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/e7dcc0df1eca1c89dea42374fd68f971
池上七福神http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/e7dcc0df1eca1c89dea42374fd68f971
千寿七福神(北千住)http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/e5c9ac63891aa7ecf16842f63bfb796a
下谷七福神http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/d9d2bc94d677699ddba1c85946e81c9e
新宿山ノ手七福神http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/18d67a1f45c22a06563d3e3068401343
元祖山手七福神https://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/d71ede57f7afa89a6a771ce490131507

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