目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

竹内洋岳氏エベレスト登頂50周年記念の妄想登山

2020-04-29 | イベント


エベレストのベースキャンプ地(Russell_YanによるPixabayからの画像)

8000メートル峰14座全山踏破した竹内洋岳氏が、日本の登山隊がエベレスト(8848m)登頂を果たした1970年から今年で50年になるのを記念して、一般に公募してエベレスト登山隊を編成し、奇しくも植村直己さんと松浦輝夫さんが登頂を果たした、5月14日に参加者全員がサミッターになろうという企画を立ち上げた。

新型コロナウィルスの蔓延さえなければ、、、

ということであきらめきれない竹内氏は妄想登山をフェイスブックで展開している(現在ベースキャンプ)。
https://www.facebook.com/hiro14takeuchi

ベースキャンプまでの行程は以下のサイトで追えるようになっている。
https://honeycom.co.jp/hirotaka-takeuchi/delusion-everest/

竹内氏によれば、ベースキャンプからエベレストに登る行程よりも、ベースキャンプにたどり着くまでのトレッキングのほうが楽しいという。たしかにサミットプッシュはつらいだけのような気がする。ヒマラヤの集落を移動し、移りゆく景色を楽しみながら、おいしいものを食べ、お茶を飲むのは極楽なんだろう。

最近の記事ではプジャ(チベット仏教の法要)を、妄想ではなく現実に行うのだと告知を出していた。祈願するのは、道中の無事では無駄になる。やはりここは新型コロナ感染の収束だろうか。なにはともあれ、妄想から早く現実の登山へ移行してほしいものだ。

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龍王峡・鬼怒沼Part2

2020-04-26 | 山行~尾瀬・栃木・茨城

鬼怒沼湿原 標高約2000m  栃木県

2007年10月14日(日) くもり時々晴れ  |

メンバー 山の神と私

コースタイム 6:30女夫渕駐車場6:42--7:35鬼怒川河原7:45--八丁の湯--加仁湯--8:20頃日光澤温泉--8:45休憩8:55--9:50湿原直下10:00--10:10鬼怒沼湿原(昼食)10:55湿原散策11:20--12:20オロオソロシの滝見台12:26--日光澤温泉10分休憩--14:10ベンチ14:20--14:50女夫渕駐車場

前泊は川俣温泉国民宿舎の渓山荘。5:00に朝風呂に浸かり、朝食は前日につくってもらっていたおにぎりを食べる。お会計は昨晩済ませており、そのまま6:20山の神とともに宿を後にした。

6:30前日に下見に来ていた女夫渕駐車場に到着、気温は10℃くらいでひんやりしている。山支度を整え6:42出発だ。前日よりも心なしか木々の色づきが進んでいるように思ったが、気のせいだろうか。この日は迂回路に惑わされることなく余裕綽々で進み、前日同様河原に出て最初の休憩をとる。


左:加仁湯 右:日光澤温泉

八丁の湯を過ぎるころから、軽装の団体ハイカーが増える。ツアー客なのだろうか、日光澤温泉の近辺からはもう信じられないくらいの大量の団体客、しかも年配者ばかりが歩いている。


左:日光澤温泉の建物をくぐっていく。鬼怒沼、丸沼登山口 右:日光澤温泉にあった仏像にお参り

日光澤温泉に鎮座していた新しそうな仏像に山の神とともに道中の無事を祈り、歩みを進める。丸沼への分岐から結構な急登が始まる。


左:色づきはまだまだ 右:鬼怒沼湿原の木道に入る

急登をしのいだところで水分補給をする。そこからだらだらとシラビソの原生林を上がっていくが、なかなか湿原が現れない。もうすぐ湿原っぽいけど、だいぶ歩いているから少し休むかと山の神に声をかけ、9:50腰を下ろした。

休憩後なだらかな道を進むと、すぐに木道が現れ一気に視界が開けた。ようやく鬼怒沼湿原に突入だ。


左:池塘に映り込む山の端が美しい 右2点:山の神と私

写真を撮っていると、予想外のスピードで雲が広がって空を覆い、あたりは薄暗くなった。池塘の水面に鏡面のように映っていた山影や青空がたちまち消えていく。


燧ケ岳

やがてまた厚い雲がほどけ始め、薄日が差してくる。開放感たっぷりの湿原で、心地がいい。山の神とよさげな場所に腰を落ち着け、まだ10時台にも関わらず昼食にした。朝食が5時台だからすでに腹は減っているのだ。それにしても人が多い、多すぎだ。

昼食後は避難小屋に移動し、デジカメの電池を入れ替え、手がかじかんできて軍手をはめた。気温にして5,6℃くらいだろうか。10月ということもあるが、湿原は冷え込んでいた。その後燧ケ岳や日光白根山など周囲の山をぐるりと見渡し、そのパノラマを堪能しながら、湿原を戻っていった。


左から根名草山、温泉岳、日光白根山。完全に曇ってしまった

うすぐもりのなか晴れ間もあったのに、またもや瞬時にして雲が厚くなり、今にも泣きだしそうな空に様変わり。それを機にここで雨に降られるのは勘弁と山の神とお帰りモードに切り替わる。


オロオソロシの滝

12:20往路はパスしたオロオソロシの滝展望台に寄り、遠くに見える滝に目を凝らす。オロとは日陰の意味とのこと。近所にはヒナタオソロシの滝もある。

急な道を下り、丸沼分岐から日光澤温泉に戻り、トイレ休憩(有料100円)。あとは来た道をひたすら戻るだけだ。だいぶヨレて足が棒のようになってきた頃、往路でチェックしていたベンチを見つけた。これ幸いとどっかと腰を下ろして最後の休憩をとる。ちょっとだけ元気が出て、最後のひと踏ん張り。14:50女夫渕の駐車場に着いた。

ザックを車に放り込んで、女夫渕温泉ホテルの隣の茶屋でコーヒー(400円)をオーダー。熱い飲み物に生気を取り戻して、ここの登山道は、崩れやすく、落石も多く、また川は倒木が多くて、荒れ放題だよなと山の神と愚痴る。これが日常茶飯事だとすれば、登山道をしょっちゅう付け替えなければならない。

帰りは、霧降高原を経由して日光の市街地を通った。霧降高原は名前どおりに濃霧が出ていて視界が極端に悪く参った。それから日光道、東北道を走り、自宅には20:30頃に戻った。

Part1に戻る

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龍王峡・鬼怒沼Part1

2020-04-19 | 山行~尾瀬・栃木・茨城

龍王峡 標高400~500mくらい 栃木県

2007年10月13日(土) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 〈龍王峡〉龍王峡駅駐車場8:30--むささび橋巡回コース--9:35駐車場

〈八丁の湯まで散策〉10:30女夫渕駐車場10:43--迂回路--12:06河原(昼食)12:45--12:55八丁の湯13:10--14:03ベンチ休憩14:15--14:45駐車場 渓山荘(泊)

NHKの「逆転人生」で加仁湯の女将が九死に一生を得たエピソードを披露していたころ、この記録をまだアップしていないことに気づき、準備しながらも1年が経過してしまった。調べてみると、加仁湯を訪れたのは2007年で、はや13年の月日が流れている。光陰矢の如しとはこのことだ。おそろしや。

この日は自宅を5:05山の神とともに出発した。天気予報が行楽日和としていたこともあり、首都高、東北道ともに交通量は多かった。佐野SAで朝食をとり、日光宇都宮道路へ、そして今市ICで下りた。

虹見滝

8:30龍王峡駅の駐車場に車を入れ、散策することにした。計画では、ここに寄るかどうかはその時の気分次第にしていたのだが、観光客がすでに多く到着しているのをみて、寄っていこうと山の神に告げた。ちょうどバスから降りてきた観光客の後ろにこれ幸いとくっついて、渓谷へ向かう。

 
左:五龍王神社 右:多くの観光客でにぎわう河原から虹見橋を見上げる

龍王峡は滝あり、神社あり、渓谷美ありで、さらにはそれらを存分に堪能できるハイキングコースが整備されている。コースをぐるりと歩いても3~4時間程度なので、全部踏破してもいいかもしれない。

 
左:渓谷はエメラルドグリーンの水をたたえている 右:まもなくやってくる紅葉時期はすごいだろうなという景観が続く

山の神と私は女夫渕周辺を歩く予定だったので、全部歩くことはせず、むささび橋をわたって引き返すことにした。

車にいったん戻ってからお土産物屋を覗き、女夫渕へ向かう。途中狭い道が出てくるが、それを解消するべく拡幅工事をしている箇所もあった。

 
左:両脇の岩壁が迫っている。どんどん侵食してゴルジュになるのか 右:女夫渕駐車場

10:30すでにかなりの車が停まっている女夫渕駐車場に到着。山支度をして、山の神とともに10:43出発した。このとき渓流沿いに女夫渕温泉が見えていたのだが、なんといま検索したら、ホテルは2013年廃業と出ていた。繁盛していたように見えたけれども、このあとに何が起きたのだろう? 交通の便はいいからつぶれるような要因は思いつかないのだが、、、いつか泊まってみたいと思っていただけにとても残念だ。

話がそれたが、登山道もそれる。本来の道が工事中で、ちょっとわかりにくい迂回路に誘導されることになった。しばらく歩いて、昼食のとれそうな適当な場所がないか物色しながら進んだが、見つからない。それでもようやく河原に下りられるところを見つけ、12:06山の神とメシだ、メシだと清流の傍らに腰を下ろした。

 
左:奥鬼怒歩道へ 右:河原に下りて昼食にする

昼食中に大勢のハイカーが八丁の湯方面に歩いていくのを見送った。われわれも昼食後彼らの後を追うように出発する。すると、なんとそこからほんの10分ほどでおしゃれなログハウスの建つ八丁の湯に着いてしまった。こんなに近いのなら、ここまで来て昼食にすればよかったと後悔するが、この近さを知らなければどうしようもない。

八丁の湯の周囲の山々は色づき始めていて、ここも龍王峡同様紅葉はすごい景観になるのだろう。今日はここまでにしておこうと山の神と話し、引き返すことにした。明日は女夫渕から鬼怒沼を往復だ。

 
左:八丁の湯 右:渓山荘の客室から

帰途はベンチの置かれた場所で一度休憩を入れ、14:45女夫渕の駐車場に戻った。

その足で本日のお宿、川俣温泉国民宿舎の渓山荘に移動し15:05チェックイン。古い外観でちょっと引いたが、中に入ると小ぎれいでまったく問題なし。翌日の弁当を頼んでも当時で1泊2食付きで1万円くらいと格安なのはありがたかった。露天風呂からは、川のせせらぎが聞こえ、わずかながら紅葉した山、青空を流れていく白い雲を眺められ、雰囲気は抜群。晩飯にはマツタケの天ぷらをつけてもらった。

Part2へつづく

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あきらめないぞGW山行、一転断念

2020-04-18 | 山雑記

ゴールデンウィークは氷ノ山に行く計画を立てていた。4泊5日でキャンプ場に2泊、もう2泊は早々に宿を予約していた。東京に非常事態宣言が出たものの、収束のめどが立ち、非常事態宣言は解除されるかもしれないと強気でいたのだが、事態は悪化する一方。さすがにもう遠出するのは無理、東京ナンバーの車は停めているだけで破壊されるのではないかと危惧し、4月15日(水)にまず兵庫県の温泉宿をキャンセルした。つづいて16日(木)の全国非常事態宣言で、当初帰途に泊まるつもりだった長野のビジネスホテルもキャンセルした。長野の山に登って1泊2日の山旅は可能かもという淡い夢も木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。

まさかCOVID-19にこんなに振り回されるとは夢にも思わなかった。1月は中国だけの問題と思っていたら、イタリアでパンデミックに、そしてヨーロッパじゅうに蔓延し、アメリカもトランプを筆頭に対岸の火事扱いだったのが、ニューヨーク州でパンデミックに陥るとは夢想だにしなかった。

日本では、いまだ死者数が207人(クルーズ船除く、4/17現在)と少ないが、そもそもPCRの検査数が少なくて感染者の数はもっと多いのではないかと疑われている。あまり当てにならないかもしれないが、中国の統計によると、湖北省(武漢のある省)を除いた中国全土の感染死亡率は0.9%と発表されている。仮に日本の死亡者207人から単純計算すると、感染者は2万3000人となる。現状9852人だからけっこうな開きがある。先日LINEで行った厚労省の調査※で、37度5分以上の熱が4日以上続いた人の数が2万7000人と出ていて、奇しくも同じような数になる。ただし厚労省のこの調査の回答者は2400万人で全人口の20%しかいない。でもわざわざ回答に協力するくらいだから、体調が悪い人はほとんど回答しているとも考えられる。
※第1回「新型コロナ対策のための全国調査」https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10798.html

自分の解釈に都合のいい数字を集めてしまったが、日本の感染者は現時点で、2万人超と考えていいのではないだろうか。

では、ほかの感染国に比べて極めて少ない死亡者の数はどう考えればいいだろう。SARSだ、MERSだと騒いだ時にも日本は少なかった。最近話題になったのは、その原因としてBCGワクチン接種が挙げられている。免疫学の世界的な権威であるドイツのマックスプランク研究所のシュテファン・カオフマン教授によれば、欧米諸国に比べ、BCG接種が多い日本では明らかに死亡率が低く、何らかの因果関係があるはずであるとしている。実際にBCGの効果で免疫力が一定程度高まることが最近の研究で分かってきた。

そうした明るい話がある中でも、どんどん感染者は増え、事態は悪化しているように思える。そこでGWまで規制の網をかけ、国民の多くがレジャーへと出発しないように全国緊急事態宣言になったわけだ。人が移動しなければ、ウィルスも移動しないのだから。

すでに1か月以上外出禁止のアメリカ在住の方からアドバイスをもらった。自分の身に降りかからないようにするためには、すでに言われ続けている以下の4つしかないようだ。

手洗い マスク stay at home social distancing

ということで、非常事態宣言が解除されるまでは、山行は控えてなるべくお家にいることにしよう。

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秘湯五色温泉で全国行脚の老夫妻に会う

2020-04-13 | まち歩き

2008年9月19日(金)厳美渓(げんびけい)から山形県米沢市の秘湯五色温泉に移動した。一関ICから東北道にあがり、福島飯坂ICで下りる。いまは東北中央自動車道という便利な道があるからあっという間、、、と思ったら、近くにICがないので、いまも福島飯坂で下りて行くほかないようだ。

五色温泉は一軒宿宗川(そうかわ)旅館があるのみだ。くねくねとした県道154号を駆け上がっていくと、どんづまりにこの宿はある。広い駐車場に車を置いて、チェックインした。設備は古く、他の泊り客の声が響くこと響くこと。


客室より一段高いところにある露天風呂棟

まずは宿いち押しの露天風呂だと、山の神と別棟(上の写真)へと向かった。浴室から眼下の景色がすばらしいが、湯船に浸かると景色は半分になる。内湯は昔混浴だった名残で浴室への入り口が2つあった痕跡があり、片方をふさいで壁にしている。さらには洞窟風呂もあって楽しめる。洞窟の奥から湯が沸いているようで、奥にいくほど温度は高い。

ひと風呂浴びたあとは、お待ちかねの夕食だ。地元の高級牛、米沢牛のすき焼きと牛サシにうまいうまいと舌鼓を打つ。しかしじつは、この宿で最も印象に残ったのは、温泉でも、米沢牛でもなく、泊り客だった。

夕食時、隣のテーブルにいた老夫婦が山の神と私に話しかけてきた。帯広の自宅を8/25頃に出発したのだという80代の老夫婦だった。毎年8月の終わりに北海道の自宅を出発し日本列島を南下し九州へ、11月には反転北上して北海道に戻る旅をしているのだという。普段は移動に使っている大きなワゴン車内で持参のふとんを敷いて寝ているというのだが、毎日それだとつまらないので、5日おきくらいに温泉宿に泊まることにしているのだと。

それを20数年続けているというから、すごい。しかも立ち寄る街ごとに親しくなった人がいて、ほぼ全国を網羅しているというから驚きだった。現役時代からすでにこうした旅を始めていて、仕事から引退し自由時間を存分に使えるようになって、完全にはまったのだと打ち明ける。おじいちゃんは、もう楽しくて仕方ない様子で、とめどなく湧いてくる旅のエピソードを話し続け、こちらも興味深く拝聴した。行き当たりばったりの全国縦断の旅、さぞかし楽しいことだろう。

酸ヶ湯で会った山旅の夫婦といい、全国を経めぐるつわものたちは増えているようだ。山の神と私も引退したら、一遍はこんな山旅をしてみたいものだ。


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