美ヶ原高原でスノーシューを楽しんだ翌日、諏訪の七福神めぐりを計画していた。
ちなみにこんなルート。
諏訪大社下社秋宮(恵比寿天) ⇒ 平福寺(寿老人) ⇒ 久保寺〔きゅうほうじ〕(毘沙門天) ⇒ 江音寺〔こういんじ〕(福禄寿) ⇒ 法華寺(大黒天) ⇒ 教念寺(弁財天) ⇒ 温泉寺(布袋和尚)
車で回って1日がかりという長い行程になる。
1月5日(土)まずは七福神ではないが、諏訪大社春宮を目指し、岡本太郎が絶賛したという万治の石佛を見に行った。春宮の駐車場に車を停め、本殿にお参りをして、山の神と境内の裏の方へと移動した。
2点とも:諏訪大社下社春宮
本殿よりこちらのほうが人が多いのは、それだけ人をひきつける魅力のある石佛ということなのだろう。どことなくユーモラスな実物には圧倒された。岡本太郎ばりに、おお、ゲージツ、バクハツだと口をついて出る。ちなみにこの石佛を絶賛したのは、岡本太郎ばかりではなく、あの山岳小説家の新田次郎もそうだというから驚く。新田次郎はこの石佛に触発され小説まで書いている。
自然石に彫ったという印を結んだ手、袈裟の味のあること。そして体に比して小さく個性的なお顔は思わず見入ってしまう魔力を宿している。
お参りの方法は独特で、万事うまくいく的なことを唱え、石佛に向かって左側から3周して、万事うまくいきましたと最後に心のなかで唱えると、本当にそうなるという。これからぜひ、そうなってほしいものだ。
諏訪のパワースポット、万治の石佛
さて、諏訪の七福神巡りに話を戻そう。最初は、諏訪大社下社春宮から歩いていこうと思っていた秋宮だが、グーグルマップで経路検索すると、15分程度かかることがわかった。往復では30分にもなる。後行程に影響しそうだと判断して車で移動することにした。
警備員に誘導されて混み始めた春宮の駐車場に入る。境内に入ってすぐの場所に社務所があって、御朱印帳を持っている人を見つけた。ここで七福神巡りの色紙を売っていそうだと山の神とともに列に並んだ。順番が来て、山の神が色紙をくださいというと、そっけなく若い事務職員にないといわれる。何かの間違いじゃないかと思っていると、後ろから色紙をもった年配の女性2人がやってきた。やっぱりあるじゃないかとその2人に声をかけると、ないということはない、あるはずと自信たっぷりに答える。
再び列に並んで、色紙をと声をかける。後方にいた年配の事務職員が今度は答えた。いまは売ってないんです。先ほど色紙を持っていた人は今年購入したのではなかったようだ。
思い当たる節があった。Webで調べていたとき、やけに情報が少ないなと思ったのだ。車でも駐車場の混み具合やご朱印待ちなどによっては、1日で回りきれないこともあり、2日がかりでまわったり、2年越し、3年越しで回っている人がいることもわかっていた。そんなデメリットから、諏訪の七福神巡りは廃れてしまったのだろう。
色紙がないということで、七福神巡りの意欲は萎えてしまった。やめよう、中止だ。今日はのんびりしていよう、どこか喫茶店で休憩だと山の神にいって、境内から出た。近くに喫茶室六花を見つけ、どっかと腰を下ろし、コーヒーで一服した。美術館のチラシやパンフレットを見ていたせいか、お店の人にここ2階の根津八紘(ねつやひろ)美術館はご覧になりましたかと声をかけられた。店内にもその画伯の素朴な水彩画が展示されていた。ちょっと見て行こうかと階段をあがり、ギャラリーふうの展示室を一巡りした。荒いものもあったが、なんともいい雰囲気をかもし出していた。
根津八紘美術館を出たその足で、諏訪湖畔の原田泰治美術館へと向かう。原田泰治はメルヘンチックな一種独特な画風をもつ画家でありイラストレーター。館内に入ると、なぜかさだまさしさんが名誉館長として写真が飾られていた。
ハーモ美術館エントランスのダリ「時のプロフィール」
さて、翌日はねらいをつけていたハーモ美術館を訪れた。アンリ・ルソーやグランマ・モーゼス、マティス、シャガールなど充実の所蔵作品が展示されていて、予想通りのクオリティに満足した。お客さんが少なく、ゆっくり思いのまま観賞できるのもよかった。お奨めです。
諏訪では、七福神めぐりは断念してしまったけれど、充実の美術館めぐりと酒蔵めぐりができた。また機会があれば、再訪しなければ。