恵那山に行く予定だったんだけどね。このときは、心が折れました。では、顛末記を。
2006年8月6日(日) 晴れ
メンバー 山の神と私
まだ暗い早朝のもみじ平キャンプ場
もみじ平キャンプ場でテント泊し、朝4:35起床。ねぼけまなこをこすって、朝露でしっとりと濡れたテントをたたみ、5:15山の神とキャンプ場を後にした。前回来たときには単独行で神坂峠から登っていて、今回も神坂峠から登るつもりでいた。しかし、このときは運悪く林道が通行止めになっていて、閉鎖されたその場所に明らかに登山者のものと思われる車が数台停められていた。こんな手前から歩くとなると、プラス2,3時間かと考えただけで、げんなりした。黒井沢ルートからならどうだろうと、地図を見ながら、山の神に告げると、歩く距離が短くならOKとばかりに、山の神はその案に飛びついた。さっそく車に乗り込み、園原ICから中央道に上がる。神坂PAで再び地図を見ながら、朝食。食べている間に気温はぐんぐん上がって25℃に達した。
ああ、これって昨日と同じパターンじゃないのか、昨日登ったばかりの大川入山の灼熱地獄が蘇ってきた。山の神も同じシーンを思い浮かべていたようで、どちらともなく、やめようとなった。登り始める時間もだいぶ後ろにずれ込んでしまったことだし、、、なんとも意気地のない話だが、これこそが山の神と私の、ムリは禁物ゆるゆる山行だ(笑)。
で、その後どうしたかといえば、馬籠散歩となった。
左:中山道の石畳 右:馬籠の宿
まだ観光するには早い、ひとけのない馬籠に到着した。中山道の石畳を見て、江戸時代の旅人に思いをはせ(ホンマカ?)、島崎藤村記念館に足を運ぶ。朝イチから入館者はいて、熱心に展示品に見入っていた。その見入っていた展示品をこちらも負けじとガン見していくと、嫌が応にも、藤村の几帳面ぶりに気づかされ、驚かされる。それ以上に驚かされるのは、藤村の父の残した掛け軸「忠告」だ。「本妻に長男あるときは妾をとるべからず」とある。家の存続、繁栄がこの根っこにはあるのだろうけど、あの『破戒』の藤村の父がこれか。裕福な家だと、お妾さんは当たり前だったのかもしれないけれど、時代が変われば、倫理も変わるのかとシンプルに驚かされた。しかも掛け軸だしね。
馬籠宿は予想外に歩きでがあって、駐車場に戻りながら、ああ疲れたどこか座る場所はないかとキョロキョロし、自然と茶房土蔵に吸い込まれた。午前中だからまだ客も少なく、ゆったりとスペースを使えた。コーヒーフロート(当時¥450)をオーダーし、まったり。さて次はどこに行こうかと山の神にいいつつ地図を広げると、馬籠宿からほど近い場所にある男滝・女滝に目が止まった。行ってみよう!と即座に決定。
左:男滝 右:女滝
男滝はすぐあれだとわかり、間近まで行ってマイナスイオンをたっぷりもらえた。女滝は、どこにあるんだという感じだったが、奥まったところに少し落差のある滝があって、それが女滝だった。山の神は、女滝はどうでもいいやという感じで、もう興味を失っていた。
滝見物のあとは、そのまま妻籠方面へ移動し、木地師の里を訪ねた。コの字形のテーブルや、チェスト、ちゃぶ台をはじめ、高価な木工品がずらりと並んでいて、目の保養になった。時計を見ると、昼も近い。朝食が早かったから、腹の減り具合も早い。さっそく近くの大衆食堂に入り、山の神ともども名物ソースカツ丼を食べた。まったく期待していなかったのだが、極上だった。やはりその土地の名物を食べるべきだね。お店を出た(12:30)後はまっすぐ帰宅。ギリギリ渋滞にはまらないかと思ったのは、高速にあがった最初だけで、結局帰宅は17時になっていた。
ちなみに、このとき登れなった恵那山再訪は、7年後の2013年となった。
参考:当ブログ「恵那山」2013年10月13日
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/ef6d2d80562a1db928c452a6ee856a6d