目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

湖東三山~西明寺・金剛輪寺・百済寺

2014-05-31 | まち歩き

標高 210~350m 滋賀県

2014年5月3日(土) くもり

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:10西明寺10:15--道迷い--11:15西明寺駐車場--11:30金剛輪寺12:40--昼食--13:10百済寺14:30

今回は山登りではなく、ハイキングの計画を立てた。新緑の3つの寺を歩いてめぐり、季節運行のシャトルバスで最初の寺に戻る予定だった。しかし、お寺の仏像や庭を心ゆくまで見ているととても回りきれない。それ以上に今回は道を間違ってしまって、あっけなくタイムオーバー。振り出しに戻って車で回ることになった。

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左:西明寺駐車場 右:西明寺庭園。右手のほうに不断桜

前泊の伊吹山の麓の宿を8:05に出て、長浜から高速に上がった。湖東三山PAスマートICで下りて、西明寺(さいみょうじ)の駐車場には9:10に到着した。GWだから満車に近いのではないかと危惧していのたのだが、予想に反してガラガラ。ちょっと拍子抜けする。庭園に入ると、まず不断桜が目を引いた。春だけでなく、秋と冬にも花を咲かせるという。

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左:西明寺蓬莱庭 右:国宝の三重塔

門をくぐると蓬莱庭。順路通りに歩いていくと、美しい庭の全貌を眺められる。さらにガマが鳴いている道を上がっていくと、本堂に出る。堂内には釈迦如来立像をはじめとして重要文化財指定の多くの仏像が安置されている。聞くところによると、織田信長が近江の寺を次々に焼打ちにしたらしく、多くのお堂が消失したということだ。それぞれのお堂に安置されていた仏像をいったん疎開させ、焼け残った本堂に集めたらしい。信長は比叡山や本願寺ばかりでなく、仏教勢力を根絶やしにするくらい、あちこちを焼いていたのだ。

002img_7455 西明寺から三山めぐりの遊歩道に入った

10:15西明寺を出た。駐車場を下った左手に遊歩道がつけられていた。薄暗い杉の道を進んでいく。最近手入れがあまりなされていないのか、ちょっと荒れている。道を間違ったのは、林道に出てからだった。その道を進もうとすると、山の神がこっちじゃないのと、山に入っていく道を指す。上のほうにピンクテープが付いていた。なんか違うんじゃないかと思ったが、少し上がっていけばわかるだろうと、登りはじめた。きちんとした登山道に見えた。しかし、しばらく行くと突然踏み跡が不明瞭になる。それでもテープを頼りに強引に登っていくと、伐採地に出た。ああハズレだ。このテープは林業関係者のものだ。山の神に戻ろうといって時計を見ると、もうリカバリー不能な時間になっていた。それでなくとも西明寺でかなり時間を費やしていたからなあ。

間違った分岐に出て、はてどうしようかとなった。私はこのまま歩き、最後の百済寺は明日の参拝として、着いたらそのまま西明寺に戻ろうと提案したのだが、山の神は首を縦に振らない。今日中に全部回って、予定どおり明日は竹生島に行きたいのだ。このまま歩いていくと、あわただしくなるのは確かだ。常に時間を気にしなければならない。

 

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左:金剛輪寺黒門 右:水雲閣隣の庭園。石組みは滝を表現

結局無理はせず西明寺に引き返し、車で移動することになった。肩を落としながら、引き返し始めると、意外にも人が歩いてくる。和服の方までいてちょっと驚かされた。

11:15西明寺の駐車場に戻り、再出発となった。車だとあっという間だ。11:30には金剛輪寺(こんごうりんじ)着。もみじが多い境内で新緑がすがすがしい。紅葉の時期は、そのもみじは血のりのように真っ赤になるらしい。まずは茶室の水雲閣とその周囲の庭園を愛でた。縁側に山の神と座って、和尚の解説テープを聞く。京都嵐山の寺にいるような錯覚にとらわれる。

003img_7465 奥が二天門。参道には奉納されたお地蔵さん

参道は奉納されたお地蔵さんがずらりと並んでいて壮観だ。すべて涎掛けと風車がつけられている。階段を上りつめると、二天門。そして本堂になる。本堂では、秘仏が公開されていた。聖観世音菩薩。奈良時代の高僧、行基がこの仏像を彫っていると、血が流れたという伝説が残っている。行基は驚いて、のみを置いたという。だからきちんと彫りぬかれていない観音様。生身の観音様と呼ばれている。一説には、彫っているうちに魂が宿ったとされている。こうしたいわれを聞きながら、生身の観音様を見ていると、本当に生きているように思えてくるから不思議だ。

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左:百済寺山門 右:百済寺の展望台から

さて昼メシはどうしようか。金剛輪寺から幹線道路に出て、道沿いに何かうまいものやはないかと車を走らせていると、赤信号。左手に「仕出し」の大きな幟が出ていた。ここでは食べられないのか。しかし通過するときに横目でちらっとその建屋を見ると、人がいてメシを食べているように見えた。あれ、食堂だねえと山の神。Uターンは面倒だから、次に出てきた店にしようと、どんどん走ってはみたものの、何も出てこない。百済寺のほうへ折れていくと、ますます何もない。しかたなく幹線道路まで引き返してさらに走っていくと、この先に道の駅と出てきた。そこでいいやといっていたのだが、道の駅の手前にあった台湾美食屋に思わずハンドルを切ってしまった。ここでボリューム満点の定食(もれなく台湾ラーメンがついてくる)を食べることになった。

13:10百済寺(ひゃくさいじ)着。満腹で重い足取りで山門をくぐると、甘茶がふるまわれていた。

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左:錦鯉と山の神 右:鐘を撞く山の神。ご利益があるといいのだが

喜見院の庭園に入ると、池があった。水面に口を突き出してパクパクやっている錦鯉が群れている。それを見た山の神は、すぐに鯉のエサを買って、撒き始めた。すごい勢いで食らいついてくる(写真左上)。朝から何も食べていないのか。

さあ、もう帰ろうかと山を下ろうとしていると、お参りの締めにと、山の神がそそくさと鐘楼に向かっていた。いくばくかの喜捨。そしてゴーンと一発低く響く音。何かいいことがあるといいな。

竹生島・向源寺・三井寺へつづく
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パノラマを愉しむ伊吹山

2014-05-25 | 山行~関西

標高 1,377m 滋賀県

2014年5月2日(金) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 11:00みかどや11:10--11:36 1合目11:40--12:23 3合目(昼食)12:46--13:14伊吹山避難小屋13:19--14:15伊吹山山頂14:37--15:35 3合目14:45--16:36みかどや

001img_7414 002img_7419 お花の山、伊吹山。左:スミレ 右:ミヤマキンバイ

有給をとって1日早く連休に突入した。早朝4:38家を出発。GW期間中とはいえ、とりあえずは平日だから道は空いていた。諏訪SAまで走り、朝食&休憩。ここまではすこぶる順調だったのだが……。高速に上がった当初から飯田・中津川間の通行止めが電光掲示板に出ていた。

事故なら2時間くらいで普通は解除されるよな、そろそろだよなと山の神にぶつくさいっていたのだが、諏訪SAを出るときにも、まだ通行止めは解除されていなかった。名古屋方面に南下していくと、PAにトラックが停められているのが見える。それは出口付近まではみ出さんばかりに停まっていた。通行止め解除まで待つつもりなのだろう。どうしようか?

そのうち、「重大事故」という恐ろしい表示が眼に飛び込んできた。これは当分ダメかもしれないな、下の道を行くかと意を決して、飯田ICで高速を下りた。

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左:みかどや 右:登山口である三ノ宮神社

インターを下りてからの道のりは長かった。50Km超。待つべきだったのか。でもいったん走り出したからには、もう迷っている場合ではない。山あいを縫っていく道の両袖に、鮮やかな花が現れ始めた。紅梅に白梅? 違った。花桃だった。デカデカと花桃街道の標識が出てくる。思わぬ眼福に禍福はあざなえる縄の如しなんて思ったりする。そのうち昨年登った南木曽岳周辺に出た。もう1回南木曽岳へ行こうかなどと山の神に冗談を飛ばしながら、先を急いだ。街中を走り抜け、9:15頃ようやく中津川ICにたどりついた。

高速に上がってみると、通行止めは解除になっていて、車がスイスイ走っていた。山越えをしてきたあの苦労はなんだったのかとがっくりくる。くたくた気味に尾張一宮PAに滑り込み、休憩。ここにはコンビニがあって、これ幸いと今日の昼食の買い出しをした。再び走り出すと今度は渋滞が待っていた。今日は渋滞はないと思っていたから、さらにがっくりだ。いったいいつ伊吹山の登山口に着くんだろう。11:00を境に、その前に着けば予定どおり登り、過ぎていれば翌日にしようと決めた。

結果登山口である三ノ宮神社まん前のみかどや(今宵の宿でもある)に到着したのは、11:00ジャストだった。遅いよな、これで出発するとヘタすれば18:00すぎの下山になるぞ。しかし、みかどやの女将に手渡された伊吹山ガイドのコースタイムを見ると、昭文社の山地図よりもかなり短い。それにどんどん日が伸びているからねと女将に言われ、行けそうか、行けそうだな、行こうとなった。

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左:1合目。パラの人たちがいた 右:3合目から伊吹山を仰ぐ

神社のトイレに寄って、登山口に向かうと、若者二人組が後からやって来た。こんな時間から登りはじめるのかと、自分たちをも省みず、だいじょうぶなのかと勝手な憶測をしてしまう。今年からという入山協力金1人¥300を支払い、山に入った。

登りはじめてすぐ、もう下山してくる人たちとすれ違った。早い。早朝に登りはじめたジモティなのか。1合目で水分補給して、ヒバリが絶え間なく鳴き続けるスキー場のなかを登っていく。12:23立派なトイレがある3合目に到着した。下山する人とこれから登る人が東屋とベンチにいて賑わっている。山の神と私は空いていたベンチで昼食にすることにした。

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5合目からは避難小屋が見える

5合目に着くと、ここにもベンチが置かれ、休憩している人が大勢いた。ここから進行方向を見上げるとちょこんと避難小屋が建っているのが見える。さらに上のほうに視線を移すと点が動いている。大勢登高中だ。

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左:行導岩(平等岩) 右:伊吹山頂にて

避難小屋で水分補給してさらに登っていくと、左手に行導岩が見える。ここに円空さんは籠もり、修行をしたようだ。そして8合目。ベンチを通過しようとすると、山の神に呼び止められた。山の神は早々にザックを下ろしてお茶を飲み始めた。登り一辺倒で汗もかくから消耗も激しいのだ。8合目で停滞していると、下山者が次々にわれわれの脇をすり抜けていく。

14:15伊吹山山頂に到着した。さっそく記念撮影だ。来る人来る人、「伊吹山頂」の文字の下でポーズをとっている。お隣には日本武尊の像がまつられていた(下)。

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左:山頂の日本武尊 右:ドライブウエイがあるせいか山頂はみやげもの屋でいっぱい

登山者はだいぶ下ったようで、ザックを背負っている人は少ない。逆にドライブウェイが山頂付近まで来ているので、軽装の観光客が多い。その観光客向けに食堂兼みやげもの屋が軒を連ねている。そのうちの1軒に入り、飲み物を買った。店の前に設けられたベンチに腰掛けてさっそくのどを潤した。

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下り始めると、3合目までよく見える

登山者がどんどんいなくなり、お尻に火がついてくる。14:37そろそろ下りようと、山の神とともに元来た道を戻り始めた。見下ろすと3合目の建物や、遠くには琵琶湖も望める。ちょっとしたパノラマを楽しみながらの下山となった。順調に下っていくと、5合目や3合目で休憩している登山者が数名いた。登っているときにはほとんど殿(しんがり)を歩いていたのだが、だいぶ追い抜いたようだった。

下山は、16:36。無事みかどやに到着した。てっきり18:00頃になると思っていたから、すごい得した気分だった。

湖東三山へつづく
竹生島・向源寺・三井寺へとぶ

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飛鳥

2014-05-15 | まち歩き

2005年5月5日(木・祝)

メンバー 山の神と私

コース 飛鳥駅--猿石、鬼の俎・鬼の雪隠、天武・持統稜、亀石--石舞台古墳--甘樫丘--飛鳥寺--入鹿の首塚--万葉文化館(昼食)--岡寺

山の神の意見を取り入れダイヤモンド・トレイル歩きは葛城山でいったん打ち切り、飛鳥を散策することにした。二上山も行ってみたかったのだが、まあ次回か。

飛鳥といえば、6~7世紀の古代日本の政治の舞台だ。当時は朝鮮半島から先進文化を導入し、みやびやかな文化が栄えていた。現代まで残されている遺物を見ていると、どんな生活を送っていたのだろうかと想像が膨らんでいく。

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この頃は石の文化とも言うべき時代なのか。彫像や石舞台など数々の遺跡は石が基本だ

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蘇我氏の邸宅があった甘樫丘にて。左のこんもりとした山が耳成山

役小角に始まり、聖徳太子から大化の改新あたりまで、古代史に一時期すごいハマっていた。文献を渉猟し、黒岩重吾の古代小説で想像をたくましくしていた。この時代は歴史の記述もあいまいなことが多く、研究者ですらまだ解明できていないことが多い。この時代を舞台にしたNHKのドラマ「大化の改新」がまさにこの飛鳥訪問の年、2005年に放送されていて、興味津々で見ていたのを覚えている。このドラマは、当時の最新の時代考証に基づいてつくられていて、衣装にしても、言葉にしても初めて見聞きするものだった。これが本当に日本なのかといった趣だった。とはいえ、その異質な日本にちょっとしたロマンを感じていた。

というわけで、飛鳥を歩いていると、いろいろな古代史の断片が頭のなかを駆け巡り始めてしまった。そうした断片と深く結びつき印象深かったのは、天智天皇がつくったといわれる大規模な漏刻(水時計)、そして飛鳥寺の飛鳥大仏(鞍作鳥作)だった。とくに飛鳥大仏の顔のでかさ、そして不気味なアルカイックスマイルは強烈すぎて、眼に焼きついて離れない。

話し変わって、飛鳥散策中、山の神が黒いカーディガンを紛失して騒ぎになった。ない、ないと来た道を引き返し、休憩した亀石あたりの茶屋で無事それを発見した。それももう9年前、いい思い出だ。これを書くにあたって、山の神にこのことを聞いてみると、そうそう、カーディガンはてっきり失くしたと思っていたのに、クローゼットに入っていた……。そりゃそうだ。無事発見したのだから。

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ダイトレ~金剛山・葛城山

2014-05-11 | 山行~関西

金剛山 標高 1125m 葛城山 959.7m 奈良県

2005年5月4日(水・祝) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:05登山口9:15--10:00千早城址のろし台跡10:10--10:45金剛山山頂(昼食)11:40頃--葛木神社--12:36旧パノラマ台12:46--13:23水越峠13:30--14:03休憩14:10--14:40ツツジ園--14:50頃 葛城高原ロッジ--15:30葛城山山頂--16:46櫛羅(くじら)の滝--17:00頃下山

前泊は富田林の翠月館。8:00に宿を出て、まずはコンビニで買出し。最寄り駅の滝谷不動駅から電車で富田林駅へ移動する。南口のバス乗り場からロープウェイ行きに乗り、9:05登山口で下車した。

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左:千早城址への急な階段 右:売店のある千早城址

さてどっちかなと、山の神と地図を眺めていると、登山者が続々と歩き出す。こっちだと後をついていく。やがて道標と急な階段が現れた。階段を上りきると、売店と千早城址の文字が眼に飛び込んできた。10:00のろし台跡で休憩。

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左:金剛山山頂 右:山桜が満開の山頂(国見城址)は、とにかく人、人、人

ブナの美林を見ると、まもなく金剛山山頂だ。登山口にも人は大勢いたが、山頂はすごかった。国見城址にいたっては、お弁当を広げている人、行きかう人の群れで人酔いするほどだ。平地の公園にいるような錯覚にとらわれる。国見城址の一角で、レジャーシートを広げて山の神と昼食にした。

ここ金剛山は、100回以上登山した人にはメダルを発行するシステムがあるようで、そのための受付所があった。登山1万回という剛の者もいる。

 

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左:葛木神社 右:葛城山のつつじはつぼみ。うっすら赤く見える

11:40頃葛城山へ向けて移動を開始した。この界隈は、7世紀役の行者(役小角)が修業の場としていて、一言神をまつった葛木神社や役の行者を開祖とする転法輪寺がある。役の行者といえば、大和朝廷に勢力争いで敗れたと言われる葛城氏の一族。一族の没落とともに山に入ったのだろうか。

12:36旧パノラマ台に到着。眼下に田んぼや集落が見える。旧パノラマ台を越えると、すぐに林道に出て13:23水越峠にたどりついた。東屋で休憩し、ここから上りに入る。一度休憩を入れ、急登を上がっていく。へばって足の運びが緩慢になった頃つつじ園に到着した。GWだとやはりまだつつじの花には早く、つぼみ状態だった。

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左:葛城山で仲良しカップル発見 右:山頂では記念撮影の観光客がひっきりなし

葛城高原ロッジに入り、アイスクリーム(モナカ)¥150を買った。ひと汗かいた後のアイスはうまい。山の神と人心地ついた後、山頂の標示へと向かう。あまりの観光客の多さにのけぞった。記念撮影のおばちゃんたちがわれもわれもと押し寄せてくる。

 

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葛城山山頂からの展望。だいぶガスってしまった

山頂からの景色は、やはりガスっていた。すっきりと見えていたら、かなりすごいだろうに、ちょっと残念だ。

下山は楽チンしようと思い、山の神とロープウェイの駅へ向かう。しかしここも登山者と観光客でごった返していて、1時間半待ちになっていた。そんなに待つのなら、歩こうよとなり、ほかの観光客たちとともに麓に向けて歩き始めた。

10p5042562 櫛羅(くじら)の滝

そのうち櫛羅の滝が現れた。熱心に写真に収めている人がいる。マイナスイオンをいっぱいもらい、思わぬ余得にあずかった。17:00頃下山。バスで御所駅に出た。

御所から電車を乗り継いで八木西口駅へ移動。駅からちょっと離れている橿原タウンホテルにチェックインした。山の神と腹が減ったねといいながら、ザックを下ろすやすぐに外へ出て、道すがら見つけていた居酒屋ますや(八樽)へ直行した。当時1品¥300とかなり安かった。ビールも飲んで二人で¥3,330。とてもリーズナブルだった。

飛鳥へつづく
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ダイトレ~岩湧山

2014-05-10 | 山行~関西

01p5032529 標高 897.7m 大阪府

2005年5月3日(火・祝) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 紀伊見荘8:48--9:25越ヶ滝分岐9:30--10:04三合目10:16--10:56五ツ辻--11:30岩湧山山頂(昼食)12:20--12:45小休止--13:23カキザコより下った小広い場所13:30--13:40滝畑ダム

タイトルのダイトレとは、和歌山・奈良・大阪にまたがる峰々を縦走できるロング・トレイル、ダイヤモンドトレイルの略称です。大阪府が1970年代に整備した遊歩道で、地元のハイカーにはおなじみ。東京ではあまり知られてませんが。

さて山行記録です。前泊は紀伊見荘(冒頭写真)。チェックアウト時に前の日に頼んでおいたお弁当を受け取り、入口で山の神と記念撮影をしてからおもむろに歩き始めた。

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左:三合目の看板 右:三合目のベンチで休憩

たいして歩いていないが、越ヶ滝への分岐が出てきて休憩とした。歩く道は、杉ばかりに囲まれていて、まったくつまらない。三合目手前で単独おじさんが追いついてきた。道を譲って先にいってもらう。声をかけるも完全無視された。なぜ? 少しすると、また単独おじさんがやってきた。この方もなぜか完全無視。呪われた道なのか!

10:04三合目にたどりつき、ベンチに腰掛けて休憩した。地図で行程をチェックする。

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左:五ツ辻の看板 中:岩湧山山頂の石碑 右:紀伊見荘のお弁当

三合目からは広葉樹林の明るく比較的平坦な道が続く。カエル(鳥?)のような鳴き声も聞こえてきて楽しい道だ。しかし、それはつかの間ですぐに杉林に戻ってしまった。10:56五ツ辻に到着。

五ツ辻から山頂まで辛抱強く杉林の中を登って行く。ようやく目の前がパアっと開けて11:30岩湧山山頂に到着した。山頂には、ベンチが置かれていたのだが、ことごとく占領されていた。山の神と右往左往しながらも、ちょうど席を立った人を発見。すかさずそこへ向かい、ザックを下ろした。宿で用意してくれたおむすび弁当を広げて、やっと人心地ついた。

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山頂で景色を堪能する登山者たち

山頂からの展望はといえば、晴れてはいるものの、少しガスが出ていて、大阪の街並みが霞んで見えた。金剛山や葛城山も一望できる。

どこで採取してきたのか、山頂には山菜を抱えている人が大勢いた。

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左:岩湧山山頂の看板 右:宿泊先の翠月館

12:20山頂を後にした。下り始めるとまたもや杉林ばかりで幻滅する。この山のいいところは山頂だけだなあと山の神につぶやく。一度小休止をとり、カキザコから少し下った小広いところで再び休憩。そこからほんの10分くらいで下山口の滝畑ダムに着いてしまった。13:40。

バスで15:00頃近鉄河内長野駅へ。滝谷不動駅へ移動し、駅からてくてく歩いて15分ほどで今日の宿、翠月館に到着した。この宿は現在ビジネスinn翠月となっている。

ダイトレ~金剛山・葛城山につづく
飛鳥へとぶ
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