アートインナガハマ★スタッフのブログ

毎年10月の第一土・日曜日に開催の「アートインナガハマ」のイベント情報をお知ら致します。

アートで社会を変える!日比野克彦さんのインタビューを拝見して

2022-02-22 14:44:37 | 個人の意見

皆さま、こんにちは。

現在、当ギャラリーでは『木村充良展』を開催中です。

2月27日(日)をって終了しますので、ご興味のある方は、ぜひお越しくださいね!

もちろん、入場無料!陶芸が好きな人にとっては、見るだけでも十分楽しんでいただけると思います。

さて、本日は毎日新聞2月8日の【culture 文化】のインタビュー記事について取り上げたいと思います。

記事は、今年4月より東京芸術大学の学長に就任する日比野克彦さんをインタビューしたものでした。

当NPO法人ギャラリーシティ楽座は「芸術を通したまちづくり」を掲げていますので、インタビュー記事の『アートで社会を変える』という見出しにパッと目が留まり拝読しました。

※ちなみにNPO法人ギャラリーシティ楽座の設立目的を下記に記します。

この法人は、絵になるまち、絵のあるまちとして魅力にあふれ住むことに誇りと愛着の持てるまち「ながはま」の創出を図るため、芸術を通じたまちづくりを推進するにあたり、行政と住民とのパートナーシップでの取り組みを進めることにより、豊かな地域社会の創出と社会福祉の増進に寄与することを目的とする。

インタビュー記事で目を引いた内容を下記に挙げます。いずれも日比野さんの発言。

★知人から「うちの子、今度美大受けるの!」と言われたら「それはすばらしい!」って反応がどれくらい返ってくると思いますか?「大変そうだね」というのが社会の印象ではないでしょうか。

「いいぞ。芸術に携わることは社会で役立つんだから」と応援してもらえるような社会に、大学に、変革していく。それが私の役目です。

★今までのアートのメッセージは「感動しました」で終わっているような気がするのです。これからは、その先をフォローする。世の中にはどんな社会的課題があり、アートはそれに対し、どんな解決の糸口を提示できるのか。社会と接続し、発信する役割を担いたい。

★企業・団体が積極的に仲間に入れたくなる、雇用したくなる、そんな人材を育成し就職支援することもミッションです。

社会人として活動された経験があるからこそ、「アート」をそれに関わっている人たちだけの自己満足で終わらせることなく、社会の役に立ち、社会の中で重宝される人材へと育成することをミッションの一つとして掲げられるところに、新学長としてとても期待感が高まりました。

「アート」を「ビジネス」に繋げるのって、結構難しいんですよね「アート」って人によって捉え方が様々なので、評価も難しいですし。

新しい学長のもと、東京芸術大学がどのように進化していくのか、楽しみに見届けたいと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安楽死について、もっと議論していただきたいです

2020-08-15 20:51:04 | 個人の意見

皆さま、こんばんは。いつもは7・8月はアートインナガハマの出展者を選考し

合否通知やその後の出展料払い込み案内はじめ、数々の事務作業に追われ

お盆休みはない勤務体制なのですが、今年はコロナ感染拡大を受けて

アートインナガハマ出展者の募集も中止し、まだ開催の形式も確定していない状態。

ということで、今週一週間を含め前後の土日を入れて9日連続の長期休暇となっています。

ですが、なんといってもその原因となっているのがコロナ感染拡大防止のため!

なので、どこにも行けず、また子供の帰省も叶わず、家でゴロゴロしてゆっくりと

過ごしています

さて、本日はタイトルの内容について、私のモヤモヤとした気持ちを

記録しておこうとブログを書いています。

もう皆さんご存じだと思いますが、先日難病ALSの女性患者がネットを通して

依頼した医師2人によって薬物により死亡した事件について。

医師2人は「嘱託殺人容疑」で既に逮捕されています。

そしてその件について、自身が医師でALS患者の竹田主子さんの寄稿文が毎日新聞に

載りました。その記事を読み、私なりに色々感じることがありました。

今回、逮捕された医師が行った行為と安楽死の是非については、分けて考えないと

いけないと思います。

その上で、竹田医師の記事では、安楽死の法制化には反対の立場で意見を述べられています。

医師でありながらALS患者となってしまった特別な立場の方(かた)の意見です。

私がモヤモヤしているのは、ずばり「安楽死」についての考え方です。

個人の価値観が多様化し、その価値観を尊重する方向で世の中が変化してきている中、

人の死生観については、未だに議論が進んでいないと感じます。

私は、母が2012年に亡くなった時、初めて大事な人の死に直面し、自分の死について

じっくり考えました。そしてエンディングノートというものを買って、私の気持ちを

書ける範囲で記入しました。2015年に父が亡くなった時も、父の死を見届けたあと、

またエンディングノートに書き足しました。

その中には「延命処置について」といった項目や「介護」「葬儀」といった項目等

チェック項目にチェックを入れたり直筆したりしました。

それぞれの項目については、個人の考え方がそれぞれあり、何が正しいというものでは

ないと思います。

今回、51歳のALS患者が日々進行する難病を前に、自分の人生の最期の迎え方を

自分で決めた!この決断について、正しい・正しくない、または良い・悪いと

判断することなのか・・と私は思うのです。

それよりも、この事件を『自分の生き方や病気との向き合い方、そして最期の迎え方を

考える』きっかけにしてほしいです。

以前『アスリートの引退』というタイトルで意見を述べましたが、

まだまだできるのではないか?という人が現役引退を決めても、誰もその決断を

批判できないのと同じで、辞めるタイミングは本人のモチベーション次第で

成績や年齢ではないという事を、私たちは理解しています。

そういう柔軟な考えを、人生の送り方についても理解し合えたら、

『安楽死』について議論が進むのではないか。と思うのです。

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」という番組を以前見ました。

『安楽死』というテーマについて避けるのではなく、様々な立場の人たちが

意見をぶつけ合って、色々な考え方が尊重される国になってほしい…

今回は、私のモヤモヤとした気持ちを整理するために書いており、

まったくの個人的な話題&個人的な意見ですので、その点だけご理解ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リモート笑点を見て

2020-06-09 13:35:58 | 個人の意見

皆さま、こんにちは。

昨日に続き、仕事と全く関係ない話題ですが、先日久々に見た

『笑点』を見ての感想を書き留めたいと思います。

今年55年目を迎える人気番組『笑点』がリモート放送になった!と

ネットニュースでは知っていましたが、ちょうど2日前の日曜日に

そのリモート笑点を、初めて見ました。

『笑点』は大喜利に入る前、演芸コーナーがあり、今回

昨年のM-1グランプリ王者のミルクボーイがリモート漫才を披露したんです!

ミルクボーイの漫才は、いくつかのネタを見ている私ですが、

無観客&リモートでのお二人の漫才、実はあまり笑えなかったんですよね

ネタばれしている!というのはもちろんありますが、漫才にとって

このリモートの微妙な間!というか、TV上では2画面をくっ付けていますが

二人の現実の距離感から生まれる間!といえばいいのか、そんなものが

漫才には大事なんだなぁ~って、改めて感じてしまいました。

そしてもう一つ、実はお客様の反応も、漫才の笑いに大いに貢献していた!

というか、演者とお客さんのやり取り(笑いやリアクション)が

漫才の醍醐味である!と感じたんですよね。。。

ワイドショー等でリモート出演の方々が、時に応じてコメントを発するのと違い

観客を交えた一体感で楽しむものには、リモートは向かないというのが

私が見た感想です。

この新しい形態に慣れるのが先か、元の生活に戻るのが先か・・・

新型コロナウイルスとの戦いは、まだまだ続きますね

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横田滋さん永眠・・・無念

2020-06-08 14:37:38 | 個人の意見

皆さま、こんにちは。

今回はまったく仕事に関係のない話題について

記録として更新します。

去る6月5日、北朝鮮拉致被害者家族元代表の横田滋さんが

お亡くなりになりました。

娘のめぐみさんを北朝鮮に拉致されてから40年以上にわたり

娘さんの救出のために人生を費やしてきた滋さん。

以前、チラッと拉致被害者のことに触れた内容があり

その記事を振り返ってみました。

記事は2015年9月3日に書いたものでした。

あれから既に4年半以上経過しているのですね。

北朝鮮拉致問題においては、この4年半まったく進展無しです。

北朝鮮が、国家として日本人拉致を認め口頭で謝罪したという

事実があるにもかかわらず、なぜ被害者を救出するのに

こんなに難航するのか・・

一番若いであろうめぐみさんでさえ、既に50代半ば。そして

お父様は87歳でご逝去。お母様も80代に入り、本当に時間との

戦いでもあります。

なぜ、なんの落ち度もない人たちが

拉致され40年以上も解放されないのか。

また、一方では米国において黒人差別によるであろう事件が起こり

いま米国内において、いたる所でデモが行われています。

この黒人差別問題も、根深いものがあります。

いま世界中を恐怖に陥れている新型コロナウイルスは

人種や国境を越えて、誰にでも感染する可能性がある怖いウイルスです。

それと同じくらい自分の身近な問題という視点で、上記の拉致被害者や

人種差別問題を皆がとらえることができれば、これらの問題も

もっと進展するのでしょうか?

とにかく、めぐみさんのお母様がご健在なうちに、なんとしても

めぐみさんとの再会を実現してほしい。もちろんその他大勢の

拉致被害者家族の皆さんについても、そうなることを願っています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スポーツの指導とメンタルトレーニングの影響

2019-07-13 22:12:31 | 個人の意見

皆さま、こんばんは。

本日は、仕事を離れて個人の記録としてブログを更新いたします。

私は30代後半から初心者として、バドミントンを始めました。

キッカケは、市民講座でバドミントン初心者教室が始まり、

お友達に誘われたこと。

もう10年以上関わっていますが、一向に上達せず未だに趣味程度です。

仕事が忙しい時期や両親の介護の時期など、長くお休みすることもありましたが

未だに細くなが~く関わっています。

週1回のバドミントンクラブの練習時間は、ストレス発散になっています。

さて、ここで本題に入りますが、つい最近見た番組で

オリンピック選手にメンタルトレーニングを取り入れたら

成績が上がってきて東京オリンピックにもメダルの可能性大!という

話題を見た事と、私がよく見ているスポ少での指導があまりにも

かけ離れていて、とても違和感を感じるということです。

少し前の話になりますが、こんな記事が載りました。

中学や高校での運動部の指導は、未だにこんな指導が行われていたりします。

たちが悪いのは、試合に勝ったのは、その指導のお蔭だと

指導者はじめ・生徒や保護者が思ってしまう事。

昔、娘がスポ少のバレー部で試合に行った会場で、

他小学校の監督が大変口悪く叱責していて、

子供たちが監督を囲んで見るからに委縮している姿が忘れられません。

私がTVで見たメンタルトレーニングを取り入れた競技は

新体操フェアリージャパンで、メンタルトレーナーは

マジシャンの志村祥瑚さん。

スポーツとメンタルトレーニングの関係は私(たち)が思っている以上に

深い関りがあることが証明されています。

スポーツの上達は「心」で決まる

私の娘は小学校でバレーボールを始めましたが、6年生の冬に

辞めました。

娘の指導者もまた、娘に対して、できた事よりも

出来ないことに目を向け「なぜこんな事ができないのか!」

「なぜこんなにタイミングの取り方が悪いのか!」と叱るばかりで

娘は挫折してしまいました。

息子は野球を始めましたが、指導者の勝ちにこだわる指導のため

野球の楽しさを知る以前に競技に愛想をつかして中学校ではバスケットを

始めました。

指導者の一番の目的は何なのだろう・・・

競技に勝つこと? もちろんそれも大事なモチベーションになります。

でも、以前も何かで書いたように、その競技でプロになる子は

ほんの一握り。あとはみんな普通の大人に成長し、やがて社会人となったあと

ストレス発散を兼ねて何か楽しみとして関わっていければ

いいんじゃないでしょうか?

甘いですかねぇ・・・

私はもう一つ、小学校の頃習っていた「エレクトーン」という楽器を

大人になってから再度始めて、今はバドミントンと楽器の演奏が

ストレス発散や良い気晴らしになっています。

社会に出ると、色々な悩みや苦労、しんどい事が出てきます。

そんな時、自分の心と体をリフレッシュできるものがあるって

とても大事だと思うのです。

娘や息子も、そんなものが何かあればいいなぁ~と、親として思います。

そして最初の話題に戻りますが、スポ少で始めたスポーツや習い事が

そんな役割りを担う存在になること、

それは、指導者の指導のやり方にかかっているかもしれません。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

透析中止患者の死について個人的意見

2019-03-08 17:30:00 | 個人の意見

皆さま、こんにちは。

本日は、個人的記録としてブログを更新します。

昨日の新聞で目に飛び込んできた『透析中止 患者に「死」提案』

という見出しの記事を読み、数年前の父のことが思い出されると共に

私たちはこの件に関し、我が身に置き換えて、しっかりと考える

必要があると感じました。

まずは記事の内容について簡単にまとめると次の通りです。

人工透析を約5年間受けていた女性患者(当時44歳)が透析の針を入れる管が詰まり

外科医が管を首周辺に挿入する治療法と合わせ、死に直結するという説明と共に

透析を中止する選択肢を提示し、女性は透析を止める決断をした。

そしてその決断に対し、夫と看護師同席のもと 女性にしっかり意思確認をして

外科医が治療の中止を決断。女性は約一週間後に死亡したという内容。

ここで問題なのは、中止してしばらく経つと苦しくなり女性が「やっぱり透析を

開始しようかな」と話したが、外科医は正気な時の女性の固い意志を尊重し

苦痛を和らげる治療のみを行い一週間後に死亡したということ。

 

実は、今から約4年半前に父の主治医から私たち姉妹は呼び出され、

父と共に主治医と 父の今後の治療方針について話し合いをしました。

その頃の父の病名は慢性腎臓病という診断で、いつ腎不全に移行しても

おかしくないレベルということでした。

父と主治医の先生との話し合いでは、父は頑として「人工透析を受けない。

だからシャント手術をしない」と言い張りました。

そこで、先生は子供たちを呼んで、父を説得してほしいという感じでした。

シャント手術をしても、すぐに人工透析をするわけではない。しかし

いざ人工透析をするとなったら、シャント手術をしていないと透析できないから

念のため手術をしてほしい。お子さんたちはどう思いますか?

そう問われて、腎不全になったらどんな症状になるのか、透析生活は

どのような生活なのか色々と伺い、その日の夜、父・妹と3人で

話し合いました。

その結果、父の意思を尊重し透析を受けないという決断を

私たち姉妹は尊重し、シャント手術を断りました。

シャント手術を断ったからと言って、投げやりな生活をしているわけではなく

普段の生活の中で食生活など気を付ける点は気を付けながらも

なるべく自然な状態で過ごしていた父は、その話し合いから約8か月後

全然違う病名「急性硬膜化出血」で、緊急入院から一週間後に亡くなりました。

 

父は当時79歳、新聞記事の女性の年齢は44歳でした。

治療の選択をする上で年齢や家族構成等、影響するものが違ってくるので

父と女性を一概に比べることはできません。

けれど、患者の意思を尊重して決断を見届けた私たちの責任に対して

医師や病院を巻き込むのは、どうかと思うのです。

そこに議論をもっていくと、病院も医師も怖くて、患者の気持ちを汲むことが

できなくなるではないか・・と危惧します。

母は常々「点滴等の管につながったままの長患いは絶対にしたくない!」と

私たち娘に言っていたので、入院末期 口からの食事がままならなくなり

胃ろうの提案をされたとき、引き取る決断をしました。

家での見取りは、確実に命を縮めることではありましたが、母の固い意志を尊重し

自宅で できる範囲の介護で最期を迎えようと、父・妹と話し合って

決めました。

母の最期の迎え方、父の最期の迎え方は、私たち姉妹とその家族に

大きな影響を与えています。

私自身、母と同じように管でつながれた状態での長患いはしたくない。

そして父のように、自然の状態で最期を迎えたいと思っています。

母が亡くなった時、初めて身近に死を感じて「エンディング・ノート」を

買いました。ノートの書ける項目だけでも書いていこうと既にいくつか

書き入れています。

新聞記事の中で、今回の外科医の行為に対し医療関係者から批判の声が

上がっているという取材内容について、私は批判ではなく色々と考えるキッカケに

なってほしいと思っています。

今後 多死社会を迎える日本にとって人生の最期の迎え方、過ごし方が

なるべくその人の意思通りになればいいなぁと願います。

医療もそれに寄り添った形で、行き過ぎない医療もまた必要かと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アートインナガハマ反省会を通して、個人的意見です。

2018-11-30 12:15:58 | 個人の意見

皆さま、こんにちは。本日は11月ラストの日。

実は今週初めより、どうも喉の調子が悪く、市販のトローチで

しのいでおりましたが、いよいよ今日は本格的に声が枯れてしまい

朝一番で、掛かりつけの耳鼻咽喉科を受診してまいりました

今日は、なるべく電話がかかってきませんように…

さて、先日アートインナガハマ2018反省会の内容を少しご紹介しましたが、

その中で、あるスタッフの意見をご紹介しました。

「近年は、会場をひと通り回るなかで、これ!欲しい~と思うものが無い」

「本当に欲しいと思ったら、人は買うのではないか」というご意見。

 

このご意見に対し、私が思い当たる身近な実例を、今回ご紹介したいと思います。

 

実は、約3年前こんなブログを書いておりました。

もちろん目の前にできた新しいお店ですし、女子が好むスイーツのお店ですから

素直に「繁盛してほしい!」という願いを込めてご紹介しましたが、

心の隅では、このゆう壱番街通りはメイン通りから一本奥に入った通りだし

駐車場も離れたところに2台しか確保されていないし、お店もこじんまりとして

チョコレート専門店だけに、価格も一粒が市販の数倍お高く、

果たして長浜市民に受け入れられるかなぁ…💦と多少の不安もありました。

あれから丸3年、最初は物珍しさもあって連日お客様が絶えなかった

チョコレート専門店ですが、今の状況は・・・

これは、前回『グラスアート展in長浜』開催中の最終日(11/11日曜)の

ある時間帯を写メったものです。

グラスアート展もそこそこお客様にご来場いただきましたが、はるかに多い

お向かいのお店に入られるお客様を写したものです。

また、最近のある平日の風景

立地条件からしたら決して万全ではありません。そしてチョコレート専門店という

嗜好品的位置付けのジャンルに、長浜辺りではお高い値段設定。おまけに駐車場も2台のみ。

何をとっても不利な条件に思えますが、事務所の目の前でお店に入って行かれるお客様を

見ていると、その条件を物ともしない何かの魅力があるのでしょう。

あるスタッフのご意見は、そんな状況を指しているのではないか

私はこの風景を思い起こしていました。

立地条件や価格に関係なく、これが欲しいと思って、

ここまで訪ねてお買い求めくださるお客様が、実際いらっしゃるのです。

お客様が商品をお買い求めになる心理やニーズを、作り手は意識しながらも

この作家しか作れない独創性を追求し、いかにアピールしていくのか

そんなところを、最近のアートインナガハマ出展作家さんは意識されているのか否か…

アートインナガハマ応募用紙では恒例の、作品に対する想いやアピールの作文が

ありますが、良く書かれている「世界に一つだけの!」とか「私だけのオリジナル」

的な文言に対し、会場で拝見するそれは、他とどれほど違っているのか

見た目ではわかりにくいものも結構あるように感じます。(個人的感想ですが)

厳しい意見を書き連ねましたが、『人に「買いたい」と思わせる物を作ることは

相当難しい』というごく当たり前なことをしっかり意識して、ぜひ

「これ欲しい~」と思っていただけるモノ創りに励んていただきたく

アートインナガハマ出展作家さんへのエールを込めて

今回のブログを綴ってみました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滋賀夕刊の記事から 心配なこと・・

2017-12-29 19:06:01 | 個人の意見

皆さま、こんばんは。新年まであとわずか

本日は、仕事とは全く関係のない話題を取り上げます。

先日、地域新聞の滋賀夕刊12月25日号に書かれていた

『たった一人の野球部員 長浜農、合同チームの出場も危機』と、

それに続く『深刻、小中の競技人口減 外遊びしない、勝利主義、親の負担?』

2つの記事について、私自身、大変関心があると共にその現象を危惧しており

この問題を取り上げたいと思います。

記事の大まかな内容はタイトルでもわかる通り、長浜農業高校野球部員が

たった一人になってしまい、危機的な状況であること。

そして、野球をはじめサッカー等、スポ少の競技人口が年々減少しており

子供たちのスポーツ離れを危惧するということ。 

私たち夫婦は、息子が小学5・6年時、小学校のスポーツ少年団団長を

任されました。その頃でさえ、スポーツ少年団(スポ少)は同じような問題を

抱えており、『スポ少に入ってくれる子供たちを何とか増やしたい』という

各競技の指導者たちの要望を受け、団長2年目の冬に、各競技の要素を取り入れて

遊びレベルにした内容のものを、一日 小学校の体育館を借りて

(卒業する6年生を除き)1~5年生に向けて希望者を募り開催したことがありました。

遊びながら、何かしら関心を持ってくれて各競技に足を踏み入れてくれたら・・

という淡い期待をしての取組みでしたが、結果について私たちは、

息子の小学校卒業とともに役職を離れましたので わかりません。

(部員の入部は4月の入学式以降に行われるため)

しかしながら、一日くらい遊びながら体を動かしたところで、

スポーツに感心を持つ子が増えてくれるほど、話は簡単ではないだろう・・と

心配しておりました。

我が家の子供たちは、小さい頃から割と外で遊ぶことが好きで、

ブランコやジャングルジムで遊んだり、砂遊びも大好きでした。

小学校から始まるスポ少以前に、外で遊ぶこと自体が

近年の子供たちは少ないのではないか・・

スポ少から やがて高校野球や高校サッカーを経てプロへ!なんて子は

ほんの一握りであり、スポ少の意義は、本来そんなところに無いと思います。

小さい頃から体を使ったり動かして遊ぶことの大事さは色々なところで

見聞きします。例えばこんな記事を見つけました。

「幼児期時期応援プログラム」  いかがでしょうか

 

確かにスポ少には新聞でも書かれているように、親の負担や

指導者の勝利至上主義の指導法など、問題も多く抱えていますが、

子供たちの成長のことを考えれば、色々なスポーツに親しんだり

体を動かす機会を作ってあげることは、大人として社会として

大事なのではないか。

『我が家の子供たちが過ぎてしまった時期だから、もう関心が無い』と

他人事に考えてはいけない問題だと思います。

ましてや いま子育て真っ只中の親御さんたちには、

ぜひ考えてほしい問題だと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あくまでも、個人的感想です。

2017-08-06 16:39:22 | 個人の意見

皆さま、こんにちは。

本日2回目の投稿は、個人的内容です。

昭和44年に開店した長浜駅前の「駅前平和堂」の老朽化に伴い、

平成27年2月に平和堂「モンデクール長浜」が長浜駅直結の店舗として

オープンし、はや2年経ちました。

そして先週末、その旧駅前平和堂の跡地に「えきまちテラス長浜」が誕生しました。

先週末は大々的にセレモニーも開催され、どんな店舗に生まれ変わったのか

とても期待して先日、仕事帰りに立ち寄ってみました。

・・・

まず、私は仕事帰りで自転車で立ち寄りましたが、

専用駐車場・駐輪場はなく、モンデクール長浜敷地内の駐車場を

借りるということです

えきまちテラス長浜に入ってみて・・・

モンデクール長浜との差別化や、えきまちテラス長浜のコンセプトを

肌で感じることは、残念ながらできませんでした。

まだまだ動きだしたばかりなので、今後の展開に期待したいところですが、

なかなか商業施設の開発って難しいものですね。。。

ところで、駐輪場の件ですが、「モンデクール長浜」形式の駐輪場。

都会ではよくあるのかもしれませんが、長浜では珍しく、

私は、何度挑戦しても、上手くいきません(涙)

結局この日も駐輪場に入れられず、この状態のまま止めましたが、

皆さん、上手に止められますか

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスコミの責任について

2017-04-28 14:15:34 | 個人の意見

皆さま、こんにちは。前回ブログを更新してから はや2週間。

気が付けば明日からGW(大型連休)です!笑

我々 長浜芸術版楽市楽座運営委員会は、連休明けの週末5/12(金)に

今年度の当運営委員会の総会&懇親会を開催します。

もうしばらく、仕事ネタはお預けです。。

さて、今に始まったことではありませんが、このところ

政治家の失言がマスコミを賑わしていますね。

昨夜も 息子とその話題を話していましたが、実のところ

政治家の失言はさておき、それを取り上げるマスコミ側の対応は

どうなんだろう・・という点で見解が一致しました。

政治家の失言・失言・・と、その言葉尻だけを切り取ってTVに流したり

紙面に掲載したら、確かに世間が反応する通りの失言になるのだろう。

けれど、文章など推敲のできない会話や会見の席上での言葉というものは

その前後をすべて聞かないと、真意に辿り着かない場合も多々あります。

私は、政治家の味方でもマスコミの味方でもなく、一般庶民として

世の中の出来事に対し、できるだけ正確な情報を伝えてほしい。

その中で、自分の感性で物事の善悪や常識を見極め、判断し行動したいと

思っています。

マスメディアだからこそ、届けることができる正確な情報を

私は期待します。

余談ですが、「マスコミ」について少し検索していたら、TV・新聞等のほか

ブログや動画サイトなどを通じて情報発信する手段もマスコミの一種と

みなされることがあると書かれている記事を見つけました。

今、私が書いているブログも場合によっては、私見に留まらない危険性もあると

いうことですね。

あまり、炎上をあおるような昨今の風潮も考えていかなければ

改めて思いました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする