セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

Y川さんの初収穫 小松菜

2009-05-12 | セカンドライフ




朝、何事かと言う元気さでドアを叩かれた。
外に立っていたのは1階のY川さん。明らかに明るい顔にこにこ。

「あのね、これ私の初作品なの。小松菜なんだけど間引きしたのよ。お初だからお持ちしたの」
「それはそれはご丁寧に」10cm位、立派立派。

何時も畑で会うと「も少し大きくなったら、つまんで食べてね」なんて言われて
いたけれど人様の大事な物そうはいかない。

まさかドア口迄ご自分で届けて下さるとは感激で有る。
思わず「おめでとう」と言ったら、「本当ね、おめでたいね」と重ねて大喜び。

気持ちって大事だな~と思った。
「勝手にどうぞ」も好意のうちだけれど自宅まで届けて頂くと、気持ちに
感謝がプラスされる。

早速、茹でてシンプルに鰹節をかけて頂く。
朝から嬉しいプレゼント。「Y川さんいただきまーす」
何時もなら2口で頂ける量を敬意を表して4口で頂いた。ゆっくりと・・・・

三木たかし氏逝去

2009-05-12 | セカンドライフ
忌野清志郎さんが逝って又5/11三木たかしさんが亡くなった。

私達世代が若い時随分楽しませて頂いた方々。
忌野清志郎さんは私の友達が30年来のファンで「可愛い!可愛い!」と言っていたので少し影響を受けていた。
彼女は歌は苦手だが彼の存在が好きだった。
声帯を取るか生命を取るかと究極の選択を迫られ声を取った。

唄いたくて唄いたくてパフォーマンスをしたかったんだね、身体中で。
唄えない事は「俺は忌野清志郎を捨てる事」だったのだ。
彼らしい短くも太い一生の仕舞い方かも。

三木たかし氏は黛ジュンちゃんのお兄ちゃんとして知った。
未だジュンちゃんが無名であちこち歌える場を探して唄っていた頃。
私は友達と新宿の歌声喫茶「ともしび」で週末を楽しんでいた頃、とても足の
綺麗な女性が舞台で唄っていた。

同年の私としては思わず自分の足を見てしまった。彼女はとびきり綺麗な素足だった。
三木たかしさんの作品を持ってどさまわりをしていた。
お兄さんはなかなかの美男子。芸能界って素敵な人がいるのねー、と感心した。

その後、あべしずえ、森山良子、石川さゆり、テレサテン、坂本冬美さん達の数々の
ヒット曲生み出した。
2000曲も作曲したと言う。産みの苦しみも何度も味わったそうだ。

感心するのはどれ一つとっても三木たかしさんらしさ(良い意味で)を感じない曲。
メロディーが綺麗で私でもヒットした曲ならどれでも唄える(上手と言う意ではなく)親しめる曲だった。


作曲と言うのは7つ(半音5)の音の組合せなのでどうしても自分の使いたい音が
又コード(和音)の進行が似て来てしまうものだ。

三木さんの曲はどれもオリジナリティーに富んでいて美しく心に残るメロディーだ。

1つの曲が纏まらない私、気持ちが高まって来ない(これが大事)私にはプロとは言え神業に思える。
64歳なんて若すぎる。声を取られたってギターで作曲や伴奏が出来るのに・・・・
残念でならない。

忌野清志郎さん三木たかしさん楽しい音楽を有難う。
苦しかったでしょう。ゆっくりお休み下さい。合掌。