はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

札幌遠征3/29。(ポツネン『DROP』ネタバレ含)

2008-03-30 09:56:02 | アートなど
昨日3月29日土曜日は、札幌のかでる2.7で上演されている舞台「KENTARO KOBAYASHI SOLO LIVE POTSUNEN 『DROP』」の13時公演および18時公演を観て参りました。

短評はのちほど学会のほうへ上げるとして、とりあえず手短に雑感的総評。
以下、たたんでおきます。
ポツネン2005とポツネンmaruが連続したひとつづきのものを便宜的に区切った作品対であったとすると、今回の「DROP」は、別方向からの付け足し的な再話であると思えました。
具象としてのモノを多用するなど、今までとの方向性の違いを感じます。
技術的ハードルを上げていて、果敢なチャレンジ精神は感じられるものの、しかし、作品としての強度がそれに釣り合っていない印象を受けました。
一言でいうなら『もったいない』。
fun なおかしみはあるけれど、interest な面白さがモノに頼って影をひそめていたように思え、私にとっては残念でした。
比較すべきではないかもしれませんが、これでは先日観たフキコシ・ソロ・アクト・ライブに軍配を上げたくなります。

ちなみに、細かいモチーフや言葉運びは小林氏らしさにあふれたものであったかと思います。
ただ、作品を収斂させるポイントが見出せず散漫な印象がぬぐえないような気がしました。モノを媒体にした緩やかな連続性が提示されていましたので、ひょっとするとこれも『DROP』という題名の原義から導き出される演出の一部であったのかもしれません。
総じて今回の公演では小林賢太郎氏の「作品」に興味がある向きは物足りなさを感じるかもしれません。が、逆を言えば、今作は氏の作品のひとつの変遷過程として一見の価値があるのかもしれません。
全体的に新しい何かを模索している途上なのかと思える印象もあったので、次作が非常に楽しみです。



ユキチャン号勝利!

2008-03-29 15:40:44 | インポート
中央競馬会に所属する白毛の競走馬ユキチャン号が、本日29日中山第9レースで見事2勝目を上げたようです! やった!

なかなかの好成績。繁殖馬としての未来も夢じゃないかもしれません。

以上、嬉しすぎたので久々に携帯からお送りしてみました。 おそまつ。


「刑事の現場」に小松和重氏。

2008-03-15 22:46:00 | さもないこと
NHKで放映中の土曜ドラマ「刑事の現場」を見ていたところ、なんとサモアリの小松和重氏が出演!
突然の登場に驚くとともに、思わずなごんでしまいました。
録画していればよかったと後悔。
再放送は未定のようですが、気長に待ちたいと思います。
今回は第3話第2話。
全4話ゆえ残りは1話だけあと半分ですが、ドラマ自体も面白いのでなかなかのおすすめです。


イッセー尾形のとまらない生活2008 in 仙台。

2008-03-09 22:47:57 | 日記・エッセイ・コラム
昨日3月8日は、仙台市広瀬文化センターで上演されていた「イッセー尾形のとまらない生活2008 in 仙台」の19時公演を観て参りました。

私にとっての初イッセー尾形氏。想像どおりに良質の舞台でした。
強烈な個性を持った人々の日常を切り取った、抱腹絶倒ながらどこか人間の持つ業のようなもの悲しさも漂う一人芝居。老若男女7人を1人づつ演じ分けてゆくさまは、観ていて感心しきりでした。
巷には都市の理論に立脚した作品が多い中、イッセー氏の作品は日本国内どこでも通用するユニバーサルな視点を持っているように感じられ、その点においてとても嬉しく思えました。
おそらくこれは、十数分に濃縮された舞台が人間の個性そのものを見つめ、表現しているからではないかと推察されます。いっけんシチュエーションコメディのように見えますが、その人間のおかれた環境や文化的背景、育ってきた環境などが滲み出る内容でありながら、究極的には人間の置かれたシチュエーションを描いているのでなく、そこ描かれる人間の個性を描き出すにふさわしい状況を利用して人間そのものの性を提示しているのではないかという印象を受けました。
感得することの多い舞台。機会があればまたぜひ拝見したいです。

以下、軽く短評メモ。ネタバレになるので畳んでおきます。
題は勝手につけたもの。気が向いたら詳細を書き足します。

1 空港のカツカレー
 急遽熊本出張へ行くことになった中年男。空港のコーヒーショップでカツカレーを注文するが、たびたびかかってくる電話によって翻弄されるさまを描く。

2 喫茶フジ
 友人に頼まれて急遽喫茶店の店番をすることになった老婦人。モーニングセット目当てに来店する客との頓珍漢なやり取りを描く。

3 月見坂
 町内会の旅行で孫とともに中尊寺にやってきた老人。坂に難儀しながら登ってゆく道中、愚痴と挙げ足取りの人生をふいに見直すできごとが起こる。妄想と内省のあわいを描いた悲喜こもごもが展開。

4 白ギツネ
 ひなびた温泉ホテルに配置換えされた若者。田舎のギャップに愚痴をこぼしつつ客たちと交流するうち何かに目覚めるさまを描く。

5 ショータイム
 場末のバーで働く高齢ホステスヒトミちゃん。セメント工のヌズスさんに指名を受けて、客を楽しませようとあれこれ微妙なトークと特技を展開するさまを描く。芭蕉の俳句メドレーで歌い上げたブルース演歌が秀逸。

6 内田さん家
 素封家らしき内田家へ子供とともに招かれた、べらんめえな粗忽者荒川。荒川父の育ちのギャップと早とちりな性格から巻き起こる騒動を描く。

7 琵琶
 未婚女性の谷口。帰宅するなり会社でのストレスを琵琶に託して熱く歌い上げる。『天涯孤独の進化論』やエレキ的な奏法が鮮烈。

屈辱。

2008-03-07 07:23:00 | さもないこと
出張講義で出かけたら、本番直前にプロジェクターが故障。
スライド資料を配ると講義を受ける側の集中力が削がれるので、今まではいつも、内容についてストーリー立てをしたスライドで解説をし、最後に要点をまとめた資料を配る、という方式をとっていた。
こちらもスライド内容を見ながら時計を見つつフリースタイルで喋る、という方式。
つまり、逆に言えばスライドがないと喋れない状態。
しかたがないので40人ほどの受講者に近寄ってもらって12インチのiBook画面で講義をやった。
人生初。
見えない部分は喋りで補ったつもりではあるが、きちんと伝わったかどうか不安。
非常に悔しい。
スライド配布資料は保険として用意したほうが良いのかもしれないと思った。

それはそれとして、ノートパソコンで膝突き合わせて講義というのは相当笑える光景だったに違いない。
人数が少なかったのは唯一の救い。


実用のなかのクラクラ映像。

2008-03-05 19:46:20 | アートなど
津田道子氏のブログ2dalogで知った、NHKの動くカラーバー。
単なるチェック信号のはずなのに見ていてドキドキしてしまいます。
ある意味モーショングラフィック。クラクラです。
著作物性はないはずなので直接映像を貼り付けておきます。

</object>


なお、津田さんの作品もドキュメント映像として公開されているので、クラクラ映像が好きな方はそちらも併せてどうぞ。
http://www.2da.jp/2da/ja/work/ksad.html


フキコシ・ソロ・アクト・ライブ「『タイトル未定』-この公演のタイトルはタイトル未定です-」仙台公演。

2008-03-04 01:38:00 | アートなど
昨日3月3日は、仙台市民会館小ホールで上演されていた「フキコシ・ソロ・アクト・ライブ『タイトル未定』」19時公演を見て参りました。
俳優吹越満氏の独壇場ともいえる単独公演。ご本人曰く『不定期な定期公演』とのことですが、ここ数年は年に1回コンスタントに新作が上演されています。私は2年前に何となく見に行った17回公演「Mr.モーションピクチャー」のあまりの素晴らしさに衝撃を受け、それ以来毎回楽しみに足を運ぶようになりました。
前回の「XVIII」に続く今回。その公演タイトルはなんと「タイトル未定」。
しかも『この公演のタイトルはタイトル未定です』と副題のつく念の入れよう。
いったいどんな舞台になるかと思っていたところ、タイトルをふまえつつ、さらにその予想をはるかに上回る内容でございました。
場内感動と爆笑の嵐。毎度ながら少々の下ネタも含まれますが、文句なしで素晴らしい舞台でした。
詳細は後述しますが、見ていて今回ふと気付いたことを少々。

見ていていつも思うのが、このフキコシ・ソロ・アクト・ライブは、もはやインスタレーションアートなのではないかということです。
殊に毎回趣向を変えて繰り出してくるオープニングの舞台装置は完全に光のインスタレーションとして成立していると思います。
プロジェクションやキャプチャ、レイヤースクリーン、CG、スライドショー、映像との同期、などなど、多くのメディア映像技術を取り入れつつ、しかし、あくまで身体表現や日常目線にこだわっていることを考えると、吹越満氏は映像と身体表現との接点を模索している表現者なのではないかという印象を受けました。

老若男女問わず楽しめる舞台です。笑い嗜好の方、芝居好きの方、パントマイム好きの方、くだらないモノ好きの方、メディアアート好きの方、マジック好きの方には特におすすめです。
コンドルズ、ラーメンズ、水と油、piper、後藤ひろひと、これらの名前にひとつでもピンときた方はぜひとも一度観ておくことをおすすめしたいです(笑)。
仙台の後は大阪(3/5)、名古屋(3/6)、札幌(3/17)、焼津(3/21)、広島(3/24)、松山(3/26)、福岡(3/28)と全国各地を回る模様ですので、お近くの方はぜひ。おすすめです。
なお、公演詳細はこちらのサイトhttp://www.stage-mura.jp/archives/category/stage/fukikoshi/でご確認を。

そういえば、会場では昨年の公演『XVIII』のDVDが販売されていました。
amazonで引いたらヒットしたので上げておきます。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hazamanoiori-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000UYBLM2&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

ついでに一昨年の『Mr.モーションピクチャー』も。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hazamanoiori-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000ICLNOW&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
映像に収録されていない内容もありますが、フキコシ・ソロ・アクト・ライブに興味のある方はぜひ。

以下、今回公演の短評メモ。完全なネタバレですので未見の方はご注意を。
とりあえず一覧。のちほど書き足します。

1 ケータイ注意~オープニング~タイトル決定
 薄布による2枚のレイヤースクリーンと鏡、前後二方向からの光源によるアナログなキャプション投影。まるでインスタレーション。
 客席側からの照明を鏡に反射した光がフロントスクリーンを照らし、そこだけ鏡の形そのままにスポットライトが当たっているような効果が得られる。その鏡にマーカーで文字を書くことで、文字部分だけが光を反射しなくなり、文字がそのまま影=キャプションとして写し出される。
 この舞台装置上で以下のシークエンスが展開する。

a. ケータイ切った?というメッセージを文末から逆に提示。加えて、遅刻者へ『すわった?』『プンプんよ!!』などと揶揄。
b. 鏡で反射した光の文字を舞台側から客席側へスクリーン照射→その文字をキャプチャした映像を前面から奥へと投影→元からあった文字とぴったり重ねて、鏡の文字と入れ替える、という操作を繰り返しながらタイトル等を示してゆく。
c. 『タイトル未定』という芝居を見に行った男が困る寸劇を展開→タイトルが必要なので決めます、と宣言。会場の2人に好きな食べ物を訊ね、そのうち一方をタイトルにする。仙台公演タイトルは「さかな」。考えてくれた人はホンゴウさん。(対抗案は「肉じゃが」)
d. 決定タイトルを鏡に手書きし、それをふたたびスクリーンへ投影。

2 無対象の世界
 『表現』することではじめて対象が存在する世界に暮らす家族をひとりで演じたコント。
 パントマイムのように身体や音声で物体を表現するとそれが『無対象』として具現化する世界に住む3人家族の、何気ない朝の風景を描く。
 『表現することでそう見える』のではなく、あくまで『目には見えないけれど表現した通りに対象がそこへ生じている』のが無対象の世界。ややこしくも可笑しくて面白い。
 そのややこしい世界で父母息子の3役を演じ分けつつ『無対象』を表現する吹越氏にはただただ脱帽。

3 物の状態に関する質問
 舞台上に不可解な状況が示され、その状況に至った経緯を解釈して寸劇で表現する課題が吹越氏に課せられるという趣向。
 不正解だとブザー音、正解するとチャイム音が鳴り響く。
 今回の課題は「テーブルの上にトレッキングシューズが片足分だけ倒れて置かれている」という状況。
 『あした天気になあれ』と飛ばした靴が乗ってしまった(不正解)
 崖につかまっている男の手を踏んでいる足に向かって『俺をここから落すつもりか!』(不正解)
 黙秘を続ける容疑者に証拠の靴を持ってきた刑事(不正解)
 ゴキブリたたき(不正解)
 火星着陸(不正解のブザー連呼)
 よっぱらいがお土産と間違って持ってきた(正解)
 
4 幕間(逃げる帽子とペットボトル)
 帽子をかぶってペットボトルのお茶を飲む、という動作の途中に一瞬照明が消えると、その間に帽子やペットボトルが想定外の位置へ移動している。その様子がまるで帽子やペットボトルに逃げられているように見える、というパフォーマンス。
 間に闇をはさむことで、連続していないことがらがあたかも連続しているように見える。コマ撮りアニメの原理をそのまま身体と照明を使って舞台上で再現した表現。シンプルながら秀逸。

5 仕草をデコレーションする装飾店

6 物の状態に関する質問 第2問

7 物の状態に関する質問 第3問

8 白鳥の湖 掃除の情景

9 不完全なタイトル

10 劇団名前

11 命をかけた芝居

12 エンディング

おまけ ボツネタコーナー

「ライラの冒険 黄金の羅針盤」。

2008-03-02 02:01:09 | アートなど
昨日3月1日は映画を1本観て参りました。

ふと気付いたらこの日は1st Day。映画1000円均一の日です。
せっかくなのでこの日封切りの「ライラの冒険 黄金の羅針盤」を観ようと外に出てみればあいにくの猛吹雪。
一瞬気を削がれたものの、やはり行っておこうとホワイトアウトした道を運転しながら映画館へ遠征しました。

プルマンの原作は3部作とも読んだことがあり、それなりに評価してはおりますが、それほど思い入れはないほうです。(ダイモンという概念には大いに惹かれていますが:笑)ゆえにそれほど構えることなく映画を観ることができました。

感想はといえば、一言で言うなら「無難」。
冒険物語としての側面がわかりやすく強調されており、特に子供たちを意識して作られたのかなといった印象を受けました。感情を揺さぶられるような部分がすっぽり抜け落ちている感じです。そのためか、主人公であるはずのライラの主体性が全般的に希薄になっている印象。殊に、原作では衝撃的悲劇の中からの再起、という形で終了した第1部が、映画ではハッピーエンドで締めくくられていたため、ライラの選択が示されず、次作への期待感がそれほど惹起されませんでした。この先どうなるの?というワクワク感がない、とでもいいましょうか。
ダストや教権やダイモンその他もろもろの謎が前面に押し出されなかったのも残念。謎がなければこの作品の魅力と牽引力は半減してしまいそうな気がして、ちょっと残念に思えました。
いっぽうで、映像的な部分は文句無く素晴らしい。
殊にダイモンの描き方がとても自然で好感が持てました。
また、頻出する動物たちの造形と動力機械の美術センスが最高。
動物好きや古典的な機械好きなら、これを観られるだけでも損はないかもしれません。
冒頭で第3部まであることが明言されるのも好印象。
あまりにも大風呂敷な原作をうまくまとめ上げるのはそもそもハードルが高すぎるので、ストーリー構成に対しては期待していませんが、これからの2作ぶんあわせてぜひ最後まで見届けてみたい映画だと思いました。

ところで、事前情報を仕入れずに観たのでイオレクの声がサー・イアン・マッケランだとは知らず。
何だか聞き覚えのある声だなあと思っていたところ、エンドロールでのけぞりました(笑)。


御礼と事務連絡。

2008-02-28 20:02:56 | お知らせ
たいへん嬉しい贈り物をいただきました。
ところが、送り主の名前がないため、どなたがくださったのか不明な状態です。
つきましては、お心当たりの方はご一報いただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。


東京遠征2/26。(東京都現代美術館「川俣正『通路』」「解きほぐすとき」「[通路]講座:桂英史『アー

2008-02-28 01:26:13 | アートなど
一昨日、2月26日(火)は、東京で3つの展示と2つのトークイベントを見て参りました。

とりあえずリストと概要のみ。時間があればレポを書き足します。

・東京都現代美術館「川俣正『通路』」
 アートディレクター川俣正氏による企画展。美術館の展示室内にベニヤのついたてや進行中のプロジェクトラボ、川俣氏のプロジェクト記録、カフェ、レクチャースペース等を配し、美術館自体を「通路」として位置付け、プロジェクト自体を生成過程含めて提示してしまおうという意欲的な展示プロジェクト。
 今回の展示はその性格上、会期中常に内容が変化してゆくためパスポート券も発売されていました。「通路」会場内で行われるトークイベントはもちろん、他の企画展示や常設展も併せて会期中何度でも見られるので、現代美術館へよく行く方にとってはとてもお得だと思います。
 私にとって印象的だったのが横浜トリエンナーレの会場模型。川俣正氏ディレクションによる横浜トリエンナーレ2005の会場模型が展示されており、非常に懐かしく感じるとともに、模型を観ることで展示内容を如実に思い出すことができ、記録は非体験者よりも体験者にとってよりいっそう強い意味をもつものなのだなと気付きました。
 ベニヤに覆われた会場はまるで迷路や文化祭のよう。いわゆる一般的な美術展を思い描いて行くと拍子抜けするかもしれません。何度も足を運ぶことによって真価を発揮する企画展だと思いました。お近くの方はぜひ。4月13日まで。


・MOTアニュアル2008「解きほぐすとき」
東京都現代美術館が注目する5人の若手作家に焦点をあてた展示。自らの視点で世界を解きほぐして再構築した、強烈な個性を放つ作品群が圧巻。ボリュームこそそれほど多くはありませんが、どこかで遭遇すれば必ずそれとわかるような作家性を具備した作品が揃っていました。濃密。観ておいて損はなさそうです。


・「[通路]講座:桂英史『アート・アクティヴィティとアーカイブ』」
「川俣正『通路』」の一イベントして開催されたレクチャー。講師は東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻教授である桂英史氏。アーカイブ論をめぐるもろもろを雑談交え展開。内容、話術、桂氏のパーソナリティ、すべてにおいて非常に面白いレクチャーでした。旧知の仲らしき川俣氏との丁々発止も楽しく。
 興味深いトピックスはたくさんあったのですが、『アーカイブの本質は強烈な個にあり』という話、そして、『資料提供を目的とした主体は公開する前提で資料を蒐集すべきであって、いったん所蔵してしまった資料を公開するかどうか迷うなどもってのほか』という話、関連して、『入れる段階でフィルタリングし、いったん入れたものは捨てない』という桂氏のアーカイブポリシーの話、さらに『データ整理をくふうしすぎると見れなくなったり無くなったりする』という話、『文化資料の散逸を防げない状況をつくっている日本社会は、その意識のありようという点において危機的な状況にある』という話、『形がのこらない作品をつくる作家、メディアアートなどはアーカイブがすべてなのでドキュメントの展示のしかたを考えなければならない』という話、『優れたアーティストとは、鋭利なアクティビストであると同時に誠実なアーカイビストである。』という言葉などが特に印象に残っています。
 川俣正氏の今回の展示をアーカイブとして俯瞰することによってはじめて見えてくることもあり、そういった視点を与えてくれたという意味でもこのレクチャーは非常にエキサイティングなものでした。
 16時から延々2時間近く続いた講義と質疑応答は研究室の延長といった感じで楽しかったです。
 桂氏の話は始めて拝聴したのですが、あっけらかんと鋭利な言葉を放つ様子、そして記録と向き合う姿勢の真剣さがとても印象的でした。機会があったらぜひまた講義を拝聴してみたいと思います。


・クリエイションギャラリーG8「第86回ニューヨークADC展」
 新橋駅近くにあるリクルートビル1階のギャラリーG8で開催中の展示。国際的な広告賞ニューヨークADCの入賞作品を紹介展示したもの。

・「クリエイティブサロン:佐藤雅彦+ユーフラテス『新しい表現を生むための方法論』」
 上記展示会の関連イベントとして開催されたトークイベント。映像2作品でニューヨークADCの賞を受賞した佐藤雅彦氏と氏の研究室の卒業生から成るクリエイティブ集団ユーフラテスのメンバーを招き、受賞作を支える表現手法の根底にある知見や現象の研究事例とその手法がブラッシュアップされる過程、そして、最近の佐藤雅彦研究室周辺で取り組んでいるテーマ、これらについて実例を挙げつつ紹介がなされました。
 ユーフラテスからは山本晃士ロバート氏と うえ田みお氏、そして拡張ユーフラテスとしてフレキシブルに参入するTOPICSの石川将也氏、の3人が発表者として参加していました。
概要としては、
1、金賞を取った「ISSEI MIYAKE A-POC INSIDE」については、ロトスコーピングや奥行認知のワークショップ(山口情報芸術センターで高校生を対象に行われたもの)を介した技術蓄積の話、先行習作としての「TOKYO STRUT」の話、ディレクション担当のうえ田みお氏の話や映像制作用に山本晃士ロバート氏がつくったプログラムの話、など。
2、入選の「イデアの工場」 については、アイデアの元になった石川将也氏の「仮想工場」や、さらにその着想の元になった工場のハンドリング映像(佐藤氏がゼミで学生さんたちに紹介した)と、それがきっかけでメンバーが実際の工場見学や技術展示会に行くようになった経緯、それらの経験から捨象という手法にたどりついた話、など。
3、最近の佐藤研周辺話題としては、慶応大学の佐藤研1年生時田氏の共時性をテーマにした課題映像(折り紙)、同じく2年生の映像(ステープラー)、そして、東京芸大メディア映像専攻の藤幡研越田乃梨子氏の習作映像および修了制作「壁・部屋・箱 - 破れのなかのできごと」から「部屋」を、佐藤研重田祐介氏の「ルールする運動」から「道具する回転」を紹介。
4、最後に質疑応答で会場からの質問に回答。
といった流れでした。

トークイベントながら、話に登場する専門用語をまとめた持ち帰り用資料を用意するなど、完全な講義形式だったのが佐藤氏らしくてたいへん微笑ましく思えました。佐藤氏の関わるプレゼンテーションを拝見していつも思うのは、『伝えよう』とする姿勢が尋常でないほど徹底しているなあ、ということ。苦労話や雑談でお茶を濁すのではなく、『これはこうしてつくりました』と考え方をすべて正確に伝えようとする姿勢と、実際にそれを可能にする伝達手法は、見ていていつもたいへん感心させられます。
そして、気になっていたユーフラテスの面々(特に始めて姿を拝見した うえ田みお氏)のお話を聞き、わずかながらでも人物像を拝見できたのは大きな収穫でした。山本晃士のシャープな印象そのままの所作、石川将也氏の落ち着いた受け答えと成長ぶりも微笑ましく。佐藤匡氏が登壇していなかったのが残念でしたが、またの機会に期待。
メンバー個々の活動にも期待したいところ。ユーフラテスの動向には今後とも注目してゆきたいと思います。


TENORI-ONの日本でのイベント。

2008-02-22 23:05:53 | アートなど
メディアアーティスト岩井俊雄さんのTENORI-ON開発日誌2月22日付けエントリより。

YAMAHAと岩井さんがまったく新しい概念から開発している、光の楽器TENORI-ON。
日本でもなにやら魅惑的なイベントが開催されるようです。
http://www.yamaha.co.jp/tenori-on/event/index.html

ラウンチイベントは4月25日@青山スパイラルホール。
ということは、つまり、日本でもこの日付近でとうとう発売されるということなのでしょうか。
昨年の9月4日にイギリスのみで先行発売されていたTENORI-ON。
この異例の販売戦略は、音楽先進国のイギリスでマーケット調査を兼ねた販売なのかなと踏んでいたので、その売れ行きが気になっていたところですが、ビョークが5台まとめて買って行ってしかもライブに使っていただの、いろいろ朗報が聞こえていたため、日本での発売も時間の問題かなと思っておりました。
発売となれば店頭展示もされるでしょうし、とにかく実機を触ってみたい私には実にわくわくする情報です。

イベント詳細は上のリンクからどうぞ。
TENORI-ONのライブもあるようですので、
岩井氏や音楽、新しいモノに興味のある向きにはおすすめです。

ところで、ふと思い至って数えてみたら岩井俊雄さん関連エントリがすでに41件もありました。
そろそろ「岩井俊雄」というカテゴリを追加したほうが良いのかもしれません(笑)。


東京遠征2/17。(国立新美術館「文化庁メディア芸術祭」、アニメーション部門受賞者シンポジウム、上映

2008-02-20 23:20:50 | アートなど
先日、2月17日(日)は、東京で1つの展示イベントと、それに関連したトークイベント1つ、そして2つの作品上映を観て参りました。

行ったのは、東京六本木にある国立新美術館で開催されている「第11回文化庁メディア芸術祭」です。
いわゆるメディアアートや映像作品、インスタレーション、デジタル技術を介した作品はもとより、製品化されたデバイス、デジタルガジェット、ゲーム、書籍、ウェブコンテンツ、マンガ、アニメーションなど、幅広い作品を広義のメディア芸術ととらえ、公募された作品群の中から優れたものを選んで展示した、年に一度のいわば大規模な文化祭のようなイベントです。
昨年までは恵比寿にある東京都写真美術館が会場となっていたのですが、なぜか今年からはこの国立新美術館へ移行しての開催となりました。

私は2006年にこのメディア芸術祭の存在を知ってから、さまざまな表現形態に触れることのできる面白さが好きで毎年欠かさず観てきましたので、今回もぜひにと足を運びました。
しかしながら今年の印象は、あまり良いものではありませんでした。
『作品の内容以前に、展示環境が悪すぎる』というのが率直な感想です。
今回の会場は国立新美術館の2階E展示室。天井の高いワンフロアを使用しています。その中に6つの部門が併存し、映像上映やゲーム機実演などがあちこちで同時に行われます。上映ブースなどには一応のしきり等があるものの、天井が開放されているので音がだだ漏れ。さまざまな音がごちゃまぜになって目的の音が聞き取れません。
以前も音の混じり合いはありましたが、地下1階から3階までの4フロアを部門ごとに区切って会場としていましたので、ここまでひどい状況ではありませんでした。
これではせっかくの作品とその作者たちが気の毒でしかたありません。

また、アート部門が縮小されていたように感じられ、残念でした。
作品の実機展示がずいぶん少なかったような気がします。
高すぎる天井や電源確保がネックになったのでしょうか。
対してアニメーション部門ではブースを3つも設けるなど、以前より手厚い扱いになっていたように思います。
エンタテインメント部門とアート部門の映像作品が2部門合わせて1つのブースという少々気の毒な扱いを受けていたことを思うと、イベントの力点が変わったのかなという印象も受けます。

私見では、いっそのこと入口近くの大きな上映スペースは省き、ジャンルごとの個別上映スペースをもっと充実させたほうが良いのではないかと思えました。
音の混じり合いも何とかしたほうがいいのではないかと。どこに行っても鑑賞にストレスを感じるような状況でしたので、来年もこのような状態が続くのだとしたらわざわざ宮城くんだりからは行きたくないなと思ってしまいそうです。
パンフレットが値上がりしていたのも痛い。
展示方法に不満を抱いていたところ、去年の2倍の価格とあって食指が動きませんでした。
来年度以降の改善に期待。

以下、印象に残っている作品を順不同で。
・アート部門
「20万の亡霊」広島の原爆ドームが映り込んでいる古今の写真を、ドームが中心となるよう配置しながら時代順にひたすら重層していった映像作品。戦前の生活空間の中に溶け込んだ建物が、原爆被災を経て、復興してゆく街並みとともに象徴的意味合いを強めてゆく様子が生々しい。この作品で原爆ドームが何度も修復されていたことを初めて知りました。
公的な記録写真と思われるものから個人のスナップと思われる写真まで、じつに様々な写真が使用されていました。こんなにも多くの写真が残っていたものだと感心するいっぽうで、これらの写真の先には写真を撮った人間と、その人間たちの『これを撮ろう』という意思と建物を見つめていた視点が確実に存在しているのだという事実に想いを馳せて非常に感慨深いものを感じました。
「SUPER SMILE」カメラ目線で常時極上のスマイルを浮かべている女性のなにげない日常を描いた映像作品。非言語コミュニケーションのもつ多層性に気付かされる。インパクト絶大。ある意味恐い。

・エンタテインメント部門
「WINING ELEVEN」社会人の遭遇するさまざまな場面をサッカー用語に喩えて提示したショートドラマ仕立てのCMシリーズ。絶妙の可笑しさ。次々と繰り出される解説に思わず声を出して笑ってしまいました。もう一度まとめて見てみたいものです。
「フェイスバンク」シリコン製の顔がついた貯金箱。口にコインを入れると妙にリアルな口の動きで咀嚼し、飲み込んでしまう。非常に生き物ちっく。何度もコインを入れて魅入ってしまいました。
「匂いをかがれるかぐや姫」日本の民話を翻訳ソフトにかけ、その結果文をふたたび日本語へと翻訳した文章から成る書籍。おおむねのストーリーはなんとなく合っているものの、ディティールや想起される風景が大きく変化しており、内容も、より荒唐無稽になっていたのが印象的。バカバカしくて思わず笑ってしまうと同時に、民話が伝搬する過程でヴァリエーションが出来上がってゆくしくみを垣間見たような気がしてとても興味深い。

・学生CGコンテスト
「邂逅 わくらば」インスタレーション作品。玉石の敷きつめられた箱型の通路があり、その上を歩くと数歩遅れて後を追うように足跡どおりに玉砂利が動く。その様子はまるで目に見えない生きものが歩いているかのよう。口碑伝承に残る妖怪現象を連想しました。また、同時に、前を向いて歩いている限りこの追跡は自分では見ることができないわけで、知らぬ間に自分の痕跡を置き忘れているようでもあり、いろいろと示唆的で面白い。
「とりかげ」インタラクティブ作品。実物ではなくデモ映像のみ。鑑賞者がスクリーンに自分の影を写し、枝のように腕を差し出してじっとしていると鳥の影が飛んできて腕の影に留まる、という作品。私の個人的嗜好にヒット。鷹匠の気分になれそう。

・先端技術ショーケース
「感情音声のモーフィング」喜怒哀の3感情を音声的にモーフィングして提示するシステムのデモ展示。タッチパネルに触れることで同じ言葉を感情配合を変えて再生できる。抑揚の調整で微妙な感情が再現される様子が面白い。また、いろいろ試した後で感情負荷のない平坦な語調(アナウンサー口調?)を聞くと、その冷静度合いが妙に可笑しく感じられたのが印象的。



「アニメーション部門受賞者シンポジウム」
メディア芸術祭の関連イベント。アニメーション部門の大賞「河童のクゥと夏休み」制作者である原恵一氏、短編アニメーション優秀賞「カフカ 田舎医者」の制作者である山村浩二氏、功労賞受賞者のアニメ脚本家 辻真先氏の3氏を迎え、司会者の鈴木伸一氏が各氏の仕事についてインタビューしたもの。
司会の鈴木氏が名乗らなかったうえに席からテーブル上の名前プレートが見えなかったので状況を把握するのにしばらくかかってしまいました。
話の内容としては、昔話と苦労話に終始してしまった感が。もう少し作品・制作に係るロジックや手法、目指すもの、展望などについて聞いてみたかったので残念。
アニメーションについては門外漢なので、外野的視点で見ていたせいか、4氏の話を聞きながら妙な感覚にとらわれました。いわゆるアニメ業界というのは流通量が多い作品の制作者ほど『閉じている』ような印象を受けたのです。辻氏や鈴木氏、原氏の話を聞くにつけ、アニメーション制作の現場が限られた業界内でのみ再生産された価値観で動いているように思えてしまいました。広く世に発信され、多くの受け手に伝達される作品をつくっている主体が、その敷衍性とは裏腹に『外』を見ていない状況があるのではないか、それゆえに多様な作品が生まれ難く、そればかりか流通側が流通経路に乗り難い作品を評して『商業アニメ vs アートアニメ』という構図を描きたがっているのではないかと思えてしまってしかたありません。なんとも不思議で釈然としない気持ちになりました。



「上映会『河童のクゥと夏休み』『カフカ 田舎医者』」
前述の受賞2作の上映会。以下、簡単な感想。

山村浩二『カフカ 田舎医者』 短編アニメーション映画。カフカの同名原作を映像化したもの。雪の晩に急病の報を受けた田舎医者を巡る内省と不条理あふれる奇妙な世界を描く。奇妙な人物と予兆に満ちた画面構成。どこか空恐ろしく、禍々しくて落ち着かなくなるような作品に仕上がっていました。インパクトは絶大。好悪の分かれる作品かと思います。

原恵一『河童のクゥと夏休み』 長編アニメーション映画。小暮正夫氏の原作「かっぱ大さわぎ」等を大幅にアレンジして映像化したもの。長い眠りから甦った河童の子供クゥと小学生コウイチやその家族との一夏の交流を描く。一言でいえば『面白い』作品。おそらく幅広い世代に受け入れられること間違い無し。内容や設定としては荒唐無稽ながら、登場する面々のディティールが作品としてのリアリティを支えているのが特徴かと。
最大の難点は、これだけいろいろ考えているらしき作品なのに、あくまで都市の理論でものごとが描かれているということ。ある意味『今の時代』に特化し寄り添った作品のように思えます。そのため普遍性という意味ではいまひとつ。ゆえに私の心にはあまり響きませんでした。この場合、舞台が田舎でなければテーマに説得力が欠けるように思えます。僻地在住の目から見ると興醒めしてしまいそうな部分が散見されました。
いっぽうで、子供たちと彼らを取り巻く家族の描きかたは文句なく素晴らしい。非常に丁寧かつ説得力にあふれており、思わず笑いながら頷いてしまう場面も多々。人間を描く手際はお見事としか言いようがありません。
総じて良質の王道作品かと思います。機会があれば見ておいて損はないかと。おすすめです。
ちなみに作中にちょろっと登場する遠野は個人的によく馬に乗りに行っていたところなので私としては馴染みの深い場所。作中の遠野の風景からは非常によく取材をしたことがうかがえますが、半端にドキュメントめいているため、そのぶんかえってリアリティが削がれているように感じられて残念でした。



作品はいいとしても、イベントとして色々と残念だったので今回は敢えて辛口に。
来年度以降のメディア芸術祭運営者(特に文化庁)には改善点を整理してくださるようぜひ期待したいところです。


東京遠征2/16。(森美術館「UBSコレクション展:アートは心のためにある」)

2008-02-17 00:29:55 | アートなど
昨日2月16日(土)は、東京でひとつの展覧会を見て参りました。

本当は朝一で東京都現代美術館→メディア芸術祭→21_21 Design Site→森美術館、と回る予定だったのですが、体調がすぐれず、出発が夕方にずれ込んだため1か所だけの鑑賞となりました。

観てきたのは六本木にある森美術館の企画展「UBSコレクション展:アートは心のためにある」です。
スイスに拠点を置くUBSという金融機関が半世紀にわたって蒐集してきた現代美術のコレクションを、森美術館なりの解釈によって現代世界の潮流を写し出すキーワードでまとめた展示。
「ポートレートから身体へ」「造られた世界」「ランドスケープから宇宙へ」という3部構成。
なかなかよくまとまっています。
ただ、いつもより作品数は少なめで、ちょっと物足りないかなとも思えましたが、それを補う要素として特筆すべきはインテリアの配置です。"生活空間の中に配されたアート" というコンセプトで、展示室の各所に居室のようなインテリア空間が配置されていました。ソファーとテーブルはもとより、オフィスや書斎を思わせるデスクスペースも。それらの空間にはそれぞれiBookやMacG5が設置され、くつろぎながら展示情報やUBSサイトを閲覧できるようになっていました。家具のデザインも面白いものばかりで、おそらく家具好きなら、このインテリアゾーンだけでもかなり楽しめるはず。少し直島のベネッセハウスを連想しました。
展示自体は2時間あれば充分といった感じですが、敢えて展示会場でゆっくりしたい人にはおすすめです。



電光石火。

2008-02-16 10:50:40 | さもないこと
アップし忘れていた動画を上げておきます。
12月23日、東京オペラシティーの中庭で遭遇した場面。

<script type="text/javascript" src="http://www.flipclip.net/js/7eadeb406693fb6aa70b6256317de491" ></script><noscript>電光石火。
Powered by FlipClip</noscript>
[]
電光石火。
by aiwendil


足下のパン屑に、近寄るときはじりじり。去るときは電光石火。
したたかなたくましさ。
微笑ましい。


「距離感の窓」を公開。

2008-02-14 02:36:34 | お知らせ
Photo

本日、「距離感の窓」というプロジェクトを公開しました。
・こちら→http://homepage.mac.com/aiwendil/senseofdistance/top0.html
興味のある方はどうぞご笑覧ください。

構想から1年3ヶ月。ようやくといった感じの完成です。
コンセプトとグラフィックについては自分で担当していますが、技術知識不足のため、システムは盟友H-I-D-Eさんにお願いしました。

なお、内容解説は畳んでおきますので、ご覧になりたい方はどうぞ。

「距離感の窓」は、別々の場所を自由に重ねて見られるシステムです。
大人になってから子供の頃に暮らしていた場所へ行ってみて驚いたり、はじめて行く場所がひどく遠く感じたり、逆に遠いはずの場所がとても近く感じた経験はないでしょうか。
私の場合、以前から、車で移動する田舎と、自分の足で歩く市街地とでは距離感が変わってしまうような気がしておりました。それであるとき、地元と仙台駅周辺の地図を重ねてみたのです。するとどうでしょう、意外な場所どうしが同じ距離だったり、いつも歩いている道が思わぬ長距離だったりと、数字としてはわかっていたはずの距離が地図上で意外な一面を見せるではありませんか。
どうやら主観上の距離は状況によって微妙にゆらいでしまうようです。
この距離感のゆらぎが面白く思えたため、各人のよく知っている場所でこの現象を再現できないかと作ったのが「距離感の窓」です。

このように、私たちが身体感覚として持っている距離感は、じつは案外不確かなものです。「距離感の窓」で直接地図を重ねてみることでそのズレをあきらかにし、身の回りの現実と身体の新たな一面を楽しんでいただければ幸いです。

*なお、感想や不具合情報をお寄せいただけると助かります。