本日8月4日は、横浜で2つ(3カ所)の展示を観て参りました。
まずは、馬車道の
BankART 1929 および 海岸通りの BankART Studio NYK の2カ所で開催中の「
日仏現代美術交流展La Chaine」。
クリスチャン・ボルタンスキー発案の展覧会ということで足を運びました。
はじめに行ったのが、馬車道のBankART 1929 。
銀行跡地を利用したアート施設です。
こちらにはボルタンスキーの2作品と、松本春祟氏の作品群が展示されていました。
1階の大ホールを利用したボルタンスキーのインスタレーション作品が圧巻。
光を最小限に落した照明。時を告げる無機質な言葉が暗い室内に大音量で響き渡る。ホール中央には作家本人の幼少期からの顔写真が時系列順にモーフィングされた映像が延々と投影されつづけている。
だだっぴろくがらんどうのホールに配置された音と光が、止まることのない時間と、循環する生の記憶と、失われるものたちへの哀悼を静かに生々しく表しているようで、闇の中で目を凝らしながらつい作品に没入してしまいました。始めと最後に2回鑑賞したのですが、その2回とも気が付くと10分以上が経過していて、作品の吸引力を実感。
人を捕らえる場、空間、を作り出すその手腕にあらためて脱帽してしまいました。
地下のボルタンスキー作品も印象深いもの。
氏の誕生日にあたる9月6日に放映されたニュース映像が、生年から現代に至るまで数分に凝縮編集され、室内に投影されている。部屋中央のボタンを押すと、めまぐるしく流れていたその映像の一コマが数秒間静止する。というもの。
驚いたのが、ほんの一瞬しか映らないにもかかわらず、人はずいぶん多くの映像を認識できるのだということ。
目を凝らすことで数十年間の情報が一挙に受け渡されるような感覚を味わいました。
松本春祟氏の作品群「星座」は、4分割された四角形をモチーフに、絵画や映像やオブジェなどさまざまな手法がちりばめられたインスタレーション。
殊に印象的だったのは「シロクマ」。観客の居ないシアターを再現した奥のスペースに、不思議な存在感を感じました。
続けて、もうひとつの会場、海岸通りの BankART Studio NYK へ。
こちらは古い倉庫を改装したアート施設です。
心象風景のような独特の世界を紡ぐさわひらきの映像作品「Unseen Park」や生命の営みの一瞬をとらえたアンジェリカ・マルクルの「Choses vues」、そして、不可思議な映像で異形の者たちを描いたガブリエラ・フリードディスクドティールの作品「TETRALOGIA」も印象深いのですが、この会場で今回一番心を惹かれたのは、意外にも常設作品とその展示空間のほうでした。
施設3階にある空間には、丸山純子氏の「丸山花店」と、牛島達治氏の「homege to the Moon」「イトナミ、オクからテマエを超えてズウットズウット」「記憶-原動-場」のインスタレーション計4作品が設置されています。そしてさらに、この空間が一種独特の異様な世界として存在感を放っていました。
まず、この3階展示空間そのものが倉庫時代のまま改装もされず古びた香りを放っているので、建物そのものが打ち捨てられた異空間のような空気を持っています。濃厚な埃の臭い。地面は土間のようで樽の痕が丸く残る。落ちて残っているコーヒー豆。ハトやねずみの住んでいそうな気配。そこへ、古い扉から漏れる外光や照明光が加わり、えも言われぬ異界感を醸し出しているように思えました。
人が滅びたずっと後までも存在していそうな、不可思議な機械たち。そして幻想的な花。
まるで押井守氏の「アヴァロン」の世界のような雰囲気です。
時間の重みと場の持つ力を実感させられました。
廃虚好きや古いモノ好き、異空間好きはぜひともこの3階へ足を運ばれることをおすすめします。
なお、この3階常設展示は Landmark Project の一環として設置されたものなのだそうで、BankART Studio NYK で展示イベントが行われるときだけ限定で観ることができるようです。
EIZONE期間内は問題なく観られますが、その後の鑑賞には確認のための問合せが必要かと思いますのでご注意を。
さて、次に東京藝術大学大学院新港校舎で開催されていた映像研究科メディア映像専攻「
OPEN STUDIO vol.4」。
芸大大学院メディア映像専攻の制作展を兼ねたスタジオ公開です。
昨年の vol.2 、vol.3 がたいへん刺激的で面白かったので、今回も楽しみに足を運びました。
専攻開講2年目とあって学生数も2倍に増えた今回は、展示方法にも変化が見られました。
内容としては、修士1年の授業内容を紹介するスペースと、修士2年の個人製作を展示するスペースに大別されますが、両者をきっちりと区分し、さらに作品ごとの配置を考えて鑑賞者の動線を工夫することで、より『見せること』を意識したスマートな展示になっていたように思います。
回を重ねるごとに展示方法と内容が着実に進化・深化しているようで非常に感慨深いです。
また、この日はたまたま、教員である佐藤雅彦氏と桐山孝司氏の共同作品「計算の庭」のプレ展示が行われており、非常にスリリングかつエキサイティングな体験をさせていただくことができました。本展示が楽しみでなりません。
以下、今回展示への勝手に解釈&コメント&感想。
1 修士1年の展示:エントランスホールの大きな1壁面を利用したスペースを用い、1年生が4月からの3ヶ月間に取り組んできた授業内容と課題製作の概要をキャプションや写真パネルやプロジェクタで展示したもの。昨年とは違い、今年は修士1年のスペースがここ限定なので、大量の情報をいかにしてボリュームを抑えてわかりやすく提示するかに苦心しているのが感じられました。
様々な工夫が見てとれて、感心する所多々。
パネルを正方形に統一し壁一面に整列配置させることで、全体がすっきりとした形にまとまっていたのが印象的でした。
また、映像の展示法が秀逸。モニタを設置するのではなく、壁の正方形パネルに向かって正方形に調整した画像を直接プロジェクタ投影することで、写真パネルの中に映像が自然に溶け込み、壁の展示スペース全体の統一的トーン保持に成功していたように思います。
惜しむらくは音響課題関連の展示。ヘッドホンで実際の課題製作を聞くことができるようになっていたのですが、ヘッドホン用のパネルが展示に溶け込みすぎて、鑑賞者が勝手に手に取って良いものかどうか迷う雰囲気であったかと思います。せっかくの体験展示なのにもったいないなあと感じました。私の場合は再生ボタンがついていたのでかろうじて試聴用だと気付けましたが、もう少し鑑賞者が手に取りやすい工夫をすると、もっと多くの人々が自然に聴けるのではないかと思われ、今後の進化が期待されるところです。
ディスプレイモニタを高速度撮影でとらえた映像と、ティッシュに取り出し数が投影された映像、身体表現をモチーフにした映像などが気になりました。課題の中にも個性の表れが見え隠れしているようで、制作者と作品との対応関係が知りたいところです。ひとつひとつの成果作品をじっくり見られないのが残念でなりません。
2 津田道子氏「鏡の中のカメラ、カメラの中の鏡」: 映像作品。部屋を映すカメラ。そこへ鏡が置かれ、部屋を映した実像と、部屋の中央部に置かれた鏡に映る鏡像とが、あたかも連続性を持つかのようにぴったりと重ねられる。そこで、それらを映すカメラが振り子運動をはじめる。視点となるカメラが動くことで、実体と鏡像との疑似連続性が保たれたまま、その境界がスライドしてゆき、思いもよらない多重世界が立ち現れる。
いつも面白い構造を提示することで映像と世界の関係性をあらわにしてくれる津田作品。今回もエキサイティングな構造を提示してくれました。
実体と鏡像を接続させるだけでも面白いのに、さらにそこへカメラ=視点の振り子運動を加えることで、如実に構造の面白さが際立つ構成になっていたかと思います。また、物体だけでなく人や動物など制御し難いものを世界に組み込むことで、より臨場感が増していたように感じました。
シンプルな構成なので、しくみが露呈しているのも面白さを倍増させていたかと思います。
構造設備そのもののインスタレーション展示もぜひ拝見してみたいと思いました。
3 木村奈緒氏「access clock」: ネットワークにおけるシステム上の物理的時差を表現したインタラクティブ作品。それぞれ日本、アメリカ、ニュージーランドを示す3つの時計が壁に並んでいる。アメリカはyahoo、ニュージーランドはamazonのドメインに対応しており、日本を表す時計の針を鑑賞者が動かすと、他の2つの針が、それぞれのレスポンスタイムに即した遅れを伴って動き、ネットワークの時差を視覚的に表現する。
即時性を特性とするインターネットであっても、経由するノードが増えるごとに情報の物理的処理速度に起因する遅延が生じる、ということは、なるほどよく考えてみれば納得がゆくのですが、普段の生活ではほとんど意識する機会がありません。そういった、たしかにありながら知覚されない事象を如実に表すシステムとして非常に面白い作品に思えました。
自分の個人的経験を振り返ると、遺伝子配列の相同性検索サイトなどの利用時に、日本の国立遺伝研サーバーと海外サーバーでは微妙に応答時間が違うような気がしていたのですが、これもあながち気のせいではなかったのかな、と少し腑に落ちた気がしました。その実はどうなのでしょう。気になります。
4 牧園憲二氏「元気」: 写真加工作品。風景の中にフレームを配し、その中に切り取られた植物が位相のズレや増幅によって存在感を主張するかのような挙動を見せる画像4作品。人工物の中の自然物としての植物をフレームシフトすることで、逆にその人工性と、人工性を超えたところにある無秩序性=生命感が浮き彫りにされているような印象を受けました。
前回の作品手法を引き継ぎつつ新たなテーマ性を模索しているように感じられ、今後の方向性が楽しみです。
5 重田佑介氏「ルールする運動」: 映像作品。映像中の物体や人間・生物の動きに伴って、映像に重ねられた線分が一定のルールに則って様々な動きをみせる。孔雀、サイコロ、角材、卓球、釘打ち、辞書、犬の散歩、ペンギンなどの動きに付随するルールを創出付加した作品が5つのモニタで再生されている。
映像に線分が加わることで、本来なかった意味が付加される様子が非常に面白く感じられました。線分の動きによるルールの創出であると同時に、世の中の事象からのルール抽出的側面も併せ持った表現であるような気がします。
たまにルールの規則性が理解し難い部分もありましたので、ひょっとすると単純なルール表現ではない要素も込められていたのかもしれません。気になるところです。
6 坂本洋一氏「回すと灯りのつくスイッチ」: 関係性の逆転を扱ったインスタレーション作品。通路両脇に縦長で奥行きのある穴がいくつか配置されている。通路奥にはカメラが設置されており、通路をモニタしているのが見てとれる。通路脇の穴の中には電灯が仕込まれていて、不可思議な規則性をもってたまに灯りが点灯する。鑑賞者がインタラクティブを予想期待して通路を動くと、思ったような反応は得られず、規則性と相互作用の期待が裏切られる。作品解釈ができぬまま作品を後にすると、会場出口で最後に「作品通路裏に電灯を点けるためのスイッチと、通路を観測するためのモニタがあった」ことが知れる。
個人的に、今回一番印象に残った作品。出口で作品の構造に気付いた時には『やられた!』と感じるとともに思わず笑ってしまいました。鑑賞者の解釈行動や作品鑑賞そのものの特性を逆手に取って鑑賞行為自体を相対化してしまう手法、そして、同じ状況が異なる意味を持ちうる関係性の多重性に着目した展開。関係性のフレームチェンジという点では前回の作品「私と神様と王様」の延長線上にありながら、今回はデジタル技術を一切使わず、これだけのアナログで同一テーマを表現してしまっているところにすごさを感じました。脱帽です。
7 小野崎理香氏「memories of life」: インタラクティブ作品。切り株の絵が表示された台状のモニタにペンタブレットで触れると、年輪の位置に応じた樹木の姿が壁面に投影される。さらに切り株の欠損部にタブレットが触れると、樹木の伐採搬送工事場面が写し出される。
時と記憶の関係性を樹木の年輪というアナロジーに託して視覚化した点に、素直に感動を覚えました。年輪位置の組成や物性を調べることでその当時の環境を知る『環境復元』という科学分野に通じる概念だと思います。そういった生物学的な意味付けと象徴的な意味付けがぴったりと寄り添うような、情理兼ね備えたモチーフのように思えました。人間の知覚や記憶を越えて数百年オーダーで生き続ける生物種としての樹木に記憶の担体としての役割を担わせることで、単なる植物以上の存在意義が付与されるような気がします。
樹木そのものの持つ記憶に加え、もしも個的な記憶も包括するようなシステムが構築されたならば、さらに素晴らしい作品へと飛躍を遂げそうに感じられ、今後の方向性が楽しみです。
8 井高久美子氏「操作する時間」: インスタレーション作品。プロジェクタで壁面へ静止映像が投影されている。鑑賞者がプロジェクタ台から伸びるハンドルを回すと、投影された画像に時間が流れる。
シンプルながらテーマ性のはっきりした説得力ある作品に思えます。ただ、残念だったのが設備の脆弱性。私が訪れたときは会期終盤だったためか、不注意な鑑賞者が多かったためか、ハンドルがゆがんでしまいプロジェクタ操作部との接合部に不具合が生じていて、ハンドルを回してもなかなか映像に反映されない状態になっていて、非常にもったいないなと感じました。
物理的要件に左右される分野だけに、鑑賞者と作品との間合いの取り方が難しそうです。苦労がしのばれますが、ぜひ困難をクリアしてがんばっていただきたいものです。
9 佐藤哲至氏「仮定されたビジョン」: インスタレーション作品。大きな木製テーブルの上に木製のボールを転がすと、同時に仮想映像のボールが並行して転がってゆく。実体である木製ボールの行く手には投影された映像ブロックが、投影された仮想映像であるボールの行く手には実体である木製ブロックが配置されている。実体のボールは映像ブロックをすり抜け、対して映像のボールは実体のブロックに跳ね返された後にその中をすり抜ける。
実体と映像との関係性に着目した作品のように思えました。ちょうど
7月27日付エントリで、実体と映像の関係性について考えていたところだったので、不思議な符丁に感慨深いものを感じました。映像が実体の存在性に影響を与える可能性を追求してゆくと非常に面白いことになりそうな予感がします。技術分野からのアプローチだけではなく、概念の提示としてのアート的アプローチに期待する所以です。
今回の作品では、作品の素材や存在感に好感を持ちました。手触りや全体的な雰囲気が醸成する舞台装置的側面の重要性を再認識させられた気がします。
10 小佐原孝幸氏「ゲシュタルト・ウーマン」: インスタレーション作品。プロジェクタから壁面へモザイク壁画状の女性肖像が投影されている。鑑賞者が絵の前を横切ると、影がプロジェクタの投影映像を遮る。すると絵はすべて隠れず、部分的に存在し続ける。そこでようやく、女性の肖像として見えていた絵が2つのレイヤーから成る二方向からの合成映像であったと知れる。
シンプルかつ明快。ひとつのレイヤーでは意味を成さない絵が、総体としてはじめて意味を生ずる。ゲシュタルト理論の概念を実に鮮やかに具現化してみせた作品に思えます。
11 山峰潤也氏「多角的な肖像」: インスタレーション作品。壁面のモニタに写し出された女性の顔写真が、鑑賞者の立ち位置に応じて縦方向に分割されてゆき、最大8分割もの短冊状になる。細分された顔画像はぞれぞれ別の角度が撮影されており、分割数が多いほど多方向を同時に網羅した肖像になってゆく。
3次元の実体を見る場合に鑑賞者が360°移動しながらいろいろなアングルを探すはずの行為を、さらにひとつづつディメンジョンを落とし、鑑賞者の直線的な探索行動のみで平面から全周的な複合視点を得られるようになっているところが面白く感じられました。何となく『動くキュビズム』という形容が浮かびます。
12 越田乃梨子氏「イソウの部屋」: 映像作品。ふたつづきのメゾネットハウスのように並ぶ4つの白い部屋。その中に存在する二組の男女。中の人々が動くことで、本来の物理的位置関係とはズレた部屋同士のつながりが表現される。同一平面状にある4つの部屋を、横方向からとらえて画面上で格子状に並べ、それぞれの部屋同士の位相のねじれを表現。位相の繋がり方向を変えた4つの断章から成る。
構造を理解したと思って見ているとそれが心地良く裏切られる、だまし絵のような作品に思えます。淡い質感も手伝ってか幻想的なトーンが生じ、人形の家のような、どこか小さな異世界での出来事を描いているようにも感じられる気がします。ビル・ヴィオラの『キャサリンの部屋』や、「水と油」の舞台作品を連想しました。
越田氏は昨年から一貫して位相のねじれをテーマにしているように見受けられます。見せ方の進化もうかがえ、今後の展開が楽しみです。
13 渡辺水季氏「イメージの操作」: インスタレーション作品。壁面へプロジェクタ投影されたピントの甘い映像。鑑賞者がプロジェクタと壁の間に凸レンズをかざすことで焦点距離を操作し、一部だけクリアな映像を得ることができる。
昨年の「焦点距離」を発展させた作品かと思われます。映像に動きを加えることで、凸レンズを通した光路の反転に気付かされるようになっているのが面白く感じられました。また、あらかじめ一部に虫眼鏡を固定配置するなど、システムを理解させるための工夫が加えられているのに感心しました。今後どのような方向性を見せてくれるのか興味深いところです。
14 米沢慎祐氏「visual cue」: インスタレーション作品。床面に投影されたフィールドに等間隔で配置された二等辺三角形の間を仮想の見えないボールが転がってゆく。ボール自体は見えないが、その位置を三角形の頂角が指し示すので、三角形の挙動を頼りに鑑賞者はボール位置を推測し、手に持った網で捕らえる。三角形の底辺-高さ比は3パターンあり、頂角の高さを変えてやることでボール位置の認識性ががらりと変わってしまうことが実感できる。
存在そのものではなく、周囲の反応を検知することで存在の位置を知る、という間接的な検知システムに人間がきちんと対応できているのが面白い。ある意味でこれは、気配を検知しているととらえることもできそうな気がします。また、三角形の長さが変わることで認知性が大きく異なってくるのも面白く感じられました。正三角形での指向性の消失は当然ともいえますが、よく考えるとこれも不思議な現象です。指向性認知の閾値がどこにあるのかが興味深いです。さらに、もしも三角形ではなく短い線分や菱形を利用したらどうなるのだろうと夢想してしまいました。興味深いところです。
15 河内晋平氏「身体の分解能から考察する質の研究」: 実験研究展示。職人の持つ質の判定能力が身体の分解能に由来するものと仮定し、職人、造形作業をする人、物を作らない一般人、の3群に対し、触覚によるヤスリの粒度判別作業実験を行い、被験者が微細な違いを判別するときのプロセスを映像的に解析し、被験者属性群ごとの差や傾向を抽出しようと試みた研究の経過を示したもの。
職人の持つ共有的価値基準の生成に着目した結果、完全な自然科学的アプローチに行き着いているのが非常に興味深く思えました。実験システムの創出も面白い。それぞれの被験群別データから抽出した特徴を統計的に解析したなら、とても有意義な結果が得られるのではないかと予想され、今後の展開が期待されるところです。
16 中島隆氏「僧とタヌキ」: 絵本作品。禅僧の一人問答に託し、認識論的テーマを扱った作品。
絵柄と言葉運びがユーモラス。紙媒体でなければ生じない物質性の中で形のない認知テーマを描いているのが面白い。情報の固着と受容される情報の不確かさとの関係性がじんわりと滲み出る試みのように思えました。
17 橋本典久氏: 写真作品。昆虫が人間と同じスケールまで拡大された巨大写真として展示されたもの。
共同研究員とのことですが、昨年、大地の芸術祭においてキョロロでこの方の展示を拝見したことがありました。実体顕微鏡で覗いた世界がそのまま巨大化して出現したかのような画は圧巻。別スケールの世界を生きる昆虫たちが我々と同スケールになることで、普段気付かない世界があることを目の当たりにさせてくれるのが感慨深い。受容器の知覚システム自体が異なるので、昆虫たちの見ている世界を直接知ることはできませんが、こうしてスケールを合わせることで、彼らが互いをどう見ているのか想像をめぐらせることが可能になるのではないかと思います。
微細構造までもクリアに再現する解像度とプリント仕上げは相当の技術の結晶なのではないでしょうか。身近な昆虫の他に、いわゆる不快害虫や小動物、さらには微生物や生体内の小器官を拡大プリントしたならどうなるのか見てみたい気がしました。
おまけ 佐藤雅彦氏&桐山孝司氏「計算の庭」: 今年秋に森美術館で公開されるらしい作品のプレ展示。事前に具体的な内容を知ってしまうと面白くないので簡単な概要だけ。
鑑賞者が「計算の庭」というフィールドの中で演算の力試しをする体験型作品。フィールドの中には自然数つきの四則演算子が書かれた演算用のゲートがいくつかあり、数字の書かれたIDタグを持った鑑賞者が、自身を数字に見立てて演算ゲートをくぐるとそのとおりに計算が実行される。出口のゲートにはとある数字が書かれていて、その数字と同じ計算結果にならないとフィールドから出ることができない。
体験者は、自分の演算能力だけをたよりに行動するしかないので非常にスリリング。面白いです。外から見ているだけでは何が起こっているのかわからない、という体験者と外野とのギャップも特徴。また、同じ数字から始めて、どれだけスマートにゴールできるかを競い合うのも面白く、学生さんたちと一緒にたいへん楽しませていただきました。
小学生から大人まで、年齢問わず楽しめる作品だと思います。本展示が楽しみでなりません。
結局、すべてを見て回るのに3時間ほどかかったでしょうか。なかなか盛りだくさんの内容だったと思います。
また、この日はたまたまレセプションパーティーがあり、僭越ながら私も縁あって参加。おいしい料理のご相伴にあずかりながら制作者である学生さんご本人たちにいろいろとお話をうかがうことができ、たいへん楽ませていただきました。考えていることや目指していること、製作上のポイントや課題など、個性豊かで多岐にわたる話題は非常に刺激的で、私個人的にもいろいろと気付かせられることの多い、たいへん貴重な体験でした。
プレ展示で遊んだ時間も、むかし牛の出産のため徹夜で泊まり込んだり、実験や議論で夜中まで過ごしていた自らの研究室時代のことを思い出し、懐かしくも幸せな気分になりました。
この日ここで過ごした時間は私にとって宝物のような時間だったと思います。開かれた姿勢で最前線を走り続ける教員各氏と学生さんたちに感謝。
2年生の次作、そして1年生の課題製作ダイジェストで見受けられた個性の萌芽が興味深く、次回のOPEN STUDIOが今から楽しみでなりません。
大変密度の濃い横浜遠征1日目。
人間の個性と創造性に惜しみない感謝を。