はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

東京遠征3/3。(文化庁メディア芸術祭)

2007-03-03 23:28:47 | アートなど
本日3月3日は、恵比寿の東京都写真美術館で開催中の「文化庁メディア芸術祭10th」へ行って参りました。

この催しは、文化庁が主催する、いわば新しい芸術文化の祭典です。
いわゆるメディアアートだけでなく、映像やマンガやゲームなどを含む様々なメディア上の表現を総体的に『メディア芸術』と括り、広く参加作品を募集。その後の審査で、入賞あるいは最終審査に残った作品が展示されています。
入場無料でマンガ等の作品体験コーナーもあるとあって、土曜の今日はたいへんなにぎわいでした。
私は11時前ごろに到着、3Fのアート部門から順次下へ降りてゆく形で会場を回り、多くの作品を堪能しました。
残念ながら、今年は1Fホールの上映会イベント整理券が10時から一度に配布されたらしく、1Fイベントはひとつも見ることができませんでした。
遠方からの来場者にはちょっと厳しい。
昨年はふらりと寄ったら、たまたま色々やっていて、3つほどのプログラムを見ることができたのですが、今年はちょっと様子が違うようです。残念。

とにかく作品数が多すぎて(特に映像系)すべてを見ることはできませんでしたが、今日見た中でも特に印象深かったものをいくつか。
『アート部門』
木本圭子氏の「Imaginary Numbers」: 昨年8月の「ポスト・デジグラフィ展」で私の心臓を鷲掴みにした作品。(当時の感想記事は→こちら および→こちら)記憶のままの圧倒的美しさ。闇に浮かび流れる粒子たち。自然に潜むかたちと数理概念との交歓。やはり何度見てもくらくらきてしまいます。自宅で流れていたら延々見てしまいそうです。
リスーピア高野次郎氏の「素数ホッケー」: 理屈抜きに今回一番感動した作品。エアホッケーのようなテーブル上をカラフルな数字が流れてくる。その数字が素数なら打ち返さずに自分のゴールへ入れるとその数字の大きさがそのまま得点として加算される。素数以外の数字は打ち返してやると、最大公約数とその約数に因数分解されて数字が二つになり、ふたたび壁に当たって跳ね返ってくる。素数を間違って打ち返してしまうと、そのまま戻ってこず、得点の機会が失われる。素数以外の数をゴールへ入れてしまうと、その数の大きさが得点から減点されてしまう。因数分解された数字からは美しい音とともにカラフルな光の粒が広がり、約数も色を変えて軌跡を描く。ゴール時には軽やかなピアノの音が、減点時には低く重いピアノの音が鳴り響く。見ていてとても美しく、楽しい。
つまり、『遊びながら素数と素因数分解を覚えよう!』という教育ゲーム的作品なわけですが、それと同時に理数概念を美しく形にしているところ、そして見る人を惹き付ける楽しさにあふれているところ、それらが総体的な感動を与えているように感じられました。見ていて思わず微笑んでしまうような作品です。
個人プレイだけでなく2人での対戦もでき、小学生と大人が互角に戦っている様子が見られてたいへん面白く感じられました。子どもも大人も夢中になっていたのが微笑ましい。
こういうシステムは大好きなのですが、生憎わたくしゲーム音痴。実際にやってみたところ、動作が鈍いので数字の動きについてゆけず惨憺たる成績でした(笑)。(全般的に球技は苦手です。エアホッケーは勝てたためしがありません・・・。)
しかし、他のプレーヤーを見ていても面白いので、延々観戦して楽しみました。何度でも見たい作品です。
『アニメーション部門』
短編「レッツゴー番長 デッドオアアライブ 完全版」: 会場の一角で流れていて、思わず眼を奪われた作品。途中から見たわけなのですが、それでも十分楽しめました。モノクロで、鉛筆と墨しか使っていないのでは?と思わせる作画なのに加え、ひと昔前の劇画調で、内容もある意味ベタなのですが、ぱっと目を惹く不思議な魅力をたたえていたと思います。さらに、惹き付けた目をそのままグイグイと引っ張ってゆく構成力も抜群。台詞が全く無いにもかかわらず、ストーリーが余すところ無く伝わっていたのが印象的でした。言葉や色が無くても、シンプルな絵と音楽だけでこれほど豊かな表現ができるのだと知って少し衝撃を受けました。派手さや技巧だけに走らずとも十分素晴らしい作品ができることを、この短編は図らずも証明しているような気がします。全体を初めからもう一度じっくり見てみたい作品です。
『エンターテインメント部門』
辻川幸一郎氏「CORNELIUS "Fit Song"」: ミュージックビデオ。会場が騒がしくて音楽との同期を充分に体験できなかったのが残念でなりませんが、映像だけ見ていても非常にエキサイティングな要素にあふれていたかと思います。部屋の中で動き出すモノたちを、コマ撮りとCGを駆使して描き出す手腕には脱帽。何度も見たくなります。私にとっては、どことなく さわひらき的な香りも感じられた作品でした。

他にもいろいろとあったのですが、とりあえず4点のみ。
できれば明日もいろいろとリベンジを果たしたいです。


「resfest 10」@仙台(なのか?)。

2007-02-25 23:03:38 | アートなど
昨日2月24日は、せんだいメディアテークで開催されていた国際映像フェスティバル「resfest 10」 へ行って参りました。
少なくとも私はそのつもりだったのですが、しかし。
行ってみれば「せんだいメディアテーク月例上映会」としての名目が前面に押し出されていて、「resfest」としてのアイデンティティは非常に薄いものになっていたような気がします。
上映内容も5プログラムのみ。ひとつ間違えば「resfest」とは名ばかりかと思われかねない、どうにも釈然としないイベント形態でした。
メディアテーク側でも「イメージの庭」などのイベントでresfest作品を上映したりと、以前から布石を打っておいた成果のイベント誘致なのだろうな、と、その努力はうかがえるのですが、それが施設運営組織全体にはコンセンサスを得られていないのでは?と思えてしまうようなぎこちなさを感じてしまって、私にとってはどうにも落ち着かない鑑賞でした。

しかしまあ、上映作品自体は、どれもさすがの出来。単一文化に染まらない創造の多様性が炸裂していて非常に楽しめました。
次々と繰り出されるハイクオリティなショートフィルム世界に触れるうち、2時から9時の7時間があっという間に過ぎてしまいました。ショートフィルムおそるべし。
唯一の心残りは「BY DESIGN」と「EVERYTHING UNDER THE SUN」を観られなかったこと。
こんなことなら東京でもっと観ておくんだったと激しく後悔しています。

以下、短評と覚え書きメモ。

◇プログラム「SHORTS ONE」世界のショートフィルム。
[THE TALE OF HOW]:ファンタスティック。
[RABBIT]:アニメーション。教材的な絵柄で無邪気なグロテスクを描く。強烈な印象を与える作品。
[I AM (NOT) VAN GOGH]:コンペの審査面接で語られる構想がリアルタイムで映像として提示される。時計の回転と雑踏の中に紛れ込むコマ撮りランナーが印象的。
[A PERFECT RED SNAPPER DISH]:完璧な鯛料理を求める料理人。些細なミスを連発するうち対処法がクレイジーになってゆく。マッドサイエンティストを連想。ブラック。
[FOOD FIGHT]:食べ物同士が戦う。戦争の歴史になぞらえた展開。兵器を食物に置き換えることで戦争の愚劣さを露呈させる。見た目はお馬鹿で笑えるけれど、奥は深い。考えさせられる。
[THE BOX]:帰宅する女性。テレビをつけると自分の行動が映っている。パニックする女性。現在に近づく映像。ついには女性はテレビに取り込まれてしまう。ホラー的。本来は追いかけ再生された映像が現実に追いつくことはないけれど、それを意識させないトリッキーな編集手法が秀逸。
[SILENCE IS GOLDEN]:困った隣人デニス、アルコール依存の母。少年の心象。因果。動き出す落書き世界が印象的。
[0.08]:ドキュメント。ごく普通のサッカー少年、ヴィクター。ただし、彼の視力は0.08しかない。カメラの描き出す0.08の世界。感動的。レンズのもたらした可能性に感慨。
[FOG (NIEBLA)]:スペインの山村でかつて起きた事件を語る老人。空からきた羊。村に起こった変化。幸福のノスタルジー。
[TEN THOUSAND PICTURES OF YOU]:プリント写真が映像として動き出す。スターと女性。裏切りと報復。被写体の逆転。
[GAME OVER]:かつて一世を風靡したゲームをアナログなオブジェで再現。昆虫標本と花のインベーダーゲーム。ピザのパックマン。目玉焼きのモンスター。ほのぼの。

◇プログラム「CINEMA ELECTRONICA」世界のミュージックビデオあれこれ。
[GNARLS BARKLEY : 『SMILEY FACES』]:ドキュメンタリー仕立て。様々な時代・場所に出没する二人。ナールズ・バークレーは音楽の立役者だと主張する学者と、彼らは存在しないと主張する学者の対立。
[TIGA : 『U GONNA WANT ME』]:回転。残像。光跡。ビームアートのよう。
[ADAM FREELAND : 『HELLO, I LOVE YOU』]:森を行く幼い少女がロボットに出会う。家に連れ帰り、はじめは両親に拒絶されるが次第に家族同様に。しかしあるとき、急に暴走を始めるロボット。家族は逃亡を余儀なくされる。
[HIFANA : 『NAMPOOH』]:マペットの旅。CGとの共演。変な生き物大集合。マペットの水着がgood。
[SIR ALICE : 『L'AMOUR MADE IN TAIWAN』]:いかにも怪しげな帽子とサングラス・コートの男女。スパイ的ドラマが展開。
[DJ UPPERCUT : 『WHAT YOU STANDIN' FOR』]:ひと昔前の東欧的プロパガンダ風グラフィックで展開するアニメーション。ロボットのような顔と、レコードから飛び出す鉄のようなフォント。顔のパーツからも文字が生成。
[PLAN B : 『NO GOOD』]:モノたちが自ら動いてかしづいてくれる部屋。寝ながら歌う歌手に寄ってたかって身支度させる服たち。しかし、コード類の反乱に続き、モノたちが浸食をはじめる。コマ撮りの妙味。ほんの少しさわひらき的?
[SEOUL DIARY]:モノクロの街。歌手が持つ本の世界。紙の着せ替え。巨大ロボ。韓国文化からの視点。
[JAMIE LIDELL : 『NEW ME』]:馬車のいる石畳の街角。『アタック25』のようにひとつの風景画面が25枚のパネルに分割されており、なんと、それぞれ時間軸が異なっている。その中に現れる白い服の男。時間軸の異なるはずのパネル間を移動して歩き、パネルの真ん中でダンスを踊る。やがて男は1人またひとりと増えてゆき、それぞれのパネル中央でぴったり同期したダンスを踊る。とにかくすごい! クラクラきてしまいました。この日観たものの中でダントツのマイベスト映像です。
 追:もう一度観たくてたまらず思わず検索。公式サイトに動画を発見!(→こちら
 う~ん、何度観てもドキドキしてしまいます。
[THE HEAVY BLINKERS : 『TRY TELLING THAT TO MY BABY』]:お菓子の住む世界を旅するマフィン坊や。頭に載せたチェリーをめぐる悪意無いいたずら。パラダイス。
[MASSIVE ATTACK : 『FALSE FLAGS』]:火炎瓶に火をつけて投げる青年の表情をスローモーションで追ったビデオ。ドラマチック。ビル・ヴィオラの作品を連想しました。
[THE PRESETS : 『GIRL AND THE SEA』]:森を出て海へ還る人魚。彼女を育てたオオカミが崖の上から海を見つめ、人魚との日々を回想する。ノルシュタインのアニメーションのような柔らかな色使いが印象的。
[CODLCUT : 『SOUND MIRRORS』]:水中で輝きながらうごめく生物たち。音楽と同期しながら次第に進化してゆく。美しく伸びる光跡。やがてクラゲが誕生し、ぼんぼりのように多数浮遊する。光の洪水。
[VENETIAN SNARES : 『SZAMAR MADAR』]:弦の音にあわせて震える光跡。闇に浮かぶストーンヘンジのような荒野。雨の水滴と稲妻の閃光が音と同期し、美しい光景が展開する。途中で映像がピクセル落ちして真っ暗になり、音声も途切れ、ブルースクリーンに映像出力信号のような文字列が出現。う~ん、アヴァンギャルド。上映事故かと思いました(笑)。
[GRAVENHURST : 『THE VELVET CELL』]:ラフな線描とシルエットが音と同期。サラリーマンと建築物。
[HALFBY : 『RODEO MACHINE』]:カラフルな人々が繰り広げる妙なパレード。グルーヴィジョンズっぽいなあ、と思っていたらどんぴしゃでした。パレードの沿道でひそかに様々な人間模様が展開しているのが可笑しい。最後のスパイスも最高。
[PSAPP : 『ON SITE』]:ゆるーい絵柄の猫たちが繰り広げる戦いの中をくぐり抜け、姫君の居る塔を目指す子蜘蛛たち。ほのぼの克つシュール。
[PLASTIC OPERATOR : 『FOLDER』]:妙な街に妙な天気予報。天気予報のキャスターに恋する青年が告白して空を翔る。
[VITALIC : 『BIRDS』]:ジャンプする小犬たちをスローモーションでとらえた映像。ビーム光と跳ね上がる毛並みが不思議な視覚効果を生む。
[BASEMENT JAXX : 『TAKE ME BACK TO YOUR HOUSE』]:ソビエト時代の極寒の森林。山小屋で歌う女性。コサックダンスとバラライカ。戦車で迎えに来た軍人に『戻って来てくれ』と乞われ、戦車に乗り込む女性。
[JUSTICE VS. SIMIAN : 『WE ARE YOUR FRIENDS』]:熟睡する人々への過激ないたずら。部屋中がしっちゃかめっちゃかに。
[ALL HE NEEDS ]:男たちのロマンスを描いたドキュメンタリー風映像。


◇プログラム「RADIOHEAD, THE VISIONARIES」レディオヘッドのミュージックビデオ総覧。
[STREET SPIRIT]:モノクロ。歌い手、少年、椅子、エキゾチックな女性ダンサー、犬。トレーラーハウス周辺で展開する印象的な風景。スローモーションを組み込んだ、時間軸の異なる人物の同居。
[PARANOID ANDROID]:手書きイラスト風アニメーションで展開するコミカルな不思議世界。ヘリコプターに乗った天使が印象的。
[KARMA POLICE]:闇の中、歌い手の乗った古びた車が男を追う。追い詰められた男は車のオイル漏れに気付き、地面のオイルに火を放つ。バックで炎から逃れようとする車。迫る炎。車は火に包まれ、いつの間にか歌い手は消えている。
[NO SURPRISES]:固定カメラ。水槽の中で歌う歌い手の顔アップ。水槽に映り込む鏡文字の歌詞。次第に水が迫る。顔が水没し、息を止める。水が引くと、ふたたび歌い続ける歌手。
[PYRAMID SONG]:海に沈む街。影の男がボンベを背負って海中をさまよう。軌跡を描く光。骨格だけになって沈む人間たち。住宅、テーブル、マリンスノー。海上で戯れる光たち。
[KNIVES OUT]:テレビモニタの中で電車に揺られる男女。ズームアウトするとそこは病室。奇妙な手術を施される女と男。心臓の頭を持つ骸骨になった歌手がギターを抱えて歌う。
[GO TO SLEEP]:3DCG。ロンドンの街。歩くビジネスマンたち。建物が崩壊する中、公園で歌う歌手。やがて建物は再構築する。
[THERE THERE]:深い森をさまよう歌手。木の根に小人リスの家を見つける。『楽しい川辺』や『ピーターラビット』の世界のように盛装してお茶会を開く動物たち。猫の結婚式とカラスの神父。光るコートと靴を見つけて身につけると、番人のカラスが追ってくる。逃げるが森の魔力に捕らえられ、足から全身が樹になってしまう。
[I MIGHT BE WRONG]:粗い粒子の映像。歌手のアップ。地下駐車場のようなところで歌う歌手。
[LIKE SPINNING PLATES]:CADのような立体図面。出来上がった謎のマシン。高速で回転するマシンの中にはシャム双生児(?)。スキャンされる赤子。遊離する骨。謎は深まる。
[NATIONAL ANTHEM]:ライブの観客顔どアップ映像。強烈。
[SIT DOWN STAND UP]:ブレて増幅する街。立体駐車場。駅。過ぎ行く風景。
[CREEP]:コーンヘッドのようなアニメーションキャラで登場する歌手。周囲に風景が書き加えられ、増えてゆく物体。ビルの中のオフィスが出来上がる。前面の壁とレンガで塞がれた視界を、窓を突き破って外へ。ゴミ箱へ落下すると、今度は風景が順番に消えてゆく。
[HARROWDOWN HILL]:本城直季の写真を動画にしたような映像と、飛翔する鳥にまとわりつく手のコマ撮りアニメ、警官隊との衝突、水中へダイブする歌手の映像がめまぐるしく交錯する。

いずれの映像でも、最後に落書き一発ギャグ的な映像が挿入されていて、RADIOHEADのロゴマーク(怪物の顔)で締めくくられていたのが印象的。


◇プログラム「RESMIX ELECTRONICA」日本のミュージックビデオあれこれ。
力尽きたのでとりあえずここまで。
ちなみに、このプログラムで特に印象的だったのは2作。
グルーヴィジョンズの「HALFBY『SCREW THE PLAN』」のネタ振りっぷりと、児玉裕一氏の「POLYSICS『ELECTIC SURFIN' GO GO』」での まさかのスロトングマシーン2号ちゃん登場にテンションが上がりました。


東京遠征2/10。(東京現美「闇の中で」&国立科博「ものつくり展」&森アーツギャラリー「グレゴリー・

2007-02-10 23:59:32 | アートなど
本日2月10日は、東京で展覧会3つを観て参りました。

とりあえずのリスト。

・木場 東京都現代美術館「闇の中で」: ボルタンスキーの作品を観たくて足を運びました。常設展の中にある企画展、という小規模なものでしたが、テーマに統一性があって十分見ごたえのある展示だったと思います。
大地の芸術祭での「最後の教室」が記憶に新しいボルタンスキー。その作品は期待どおり、いや、期待以上に素晴らしかった。ボルタンスキーの作品については、私は到底語る言葉を持たないのですが、それでも敢えて言うなら、不在や喪失、そして追憶や忘却といったものを鮮烈に印象づけるような作品だったと思います。圧倒的な作品の力を前に、思わず涙してしまいました。
・上野 国立科学博物館「常設展」「ものつくり展」: 常設展の某標本が観たくてずっと以前から行く機会をうかがっていた国立科学博物館。ようやく行くことが叶いました。常設展チケットで観られる「ものつくり展」も充実。材料加工技術の総覧的展示は圧巻です。
・六本木 森ビルアーツギャラリー「グレゴリー・コルベール展」: 先週のリベンジ鑑賞。何度観ても素晴らしい。コルベールの映像世界はまるで神話のよう。『そういえば人間も動物だったんだ』と気付かせてくれるような優しさと美に満ちています。おすすめです。


東京遠征2/4。(森美「日本美術が笑う」「笑い展」&森アーツギャラリー「グレゴリー・コルベール展」ほ

2007-02-05 01:10:06 | アートなど
引き続き、2月4日に東京で観たもの。
まずはリスト。

・六本木 森美術館「日本美術が笑う
・六本木 森美術館「笑い展
・六本木 森アーツセンターギャラリー「グレゴリー・コルベール animal totems
・新宿 伊勢丹ギャラリー「國重友美×英漢字 展」
・新宿 伊勢丹ギャラリー「泊昭雄 写真展 ~ナガレ~」

今日のマイベストは「グレゴリー・コルベール animal totem」。内容を予期せず観たため鮮烈でした。
会期中にまた行きたいです。
すべての生き物好きの方には特に強力おすすめ。

東北新幹線運転停止に戦々恐々としながらも、21時過ぎに17時20分発の電車に乗るという珍しい体験をしつつ、なんとか仙台へ。図らずも、単一交通手段の危うさを実感。
ある意味で忘れられない東京遠征です。
(とりあえずアップ。あとで書き足します。)


東京遠征2/3。(国立新美「日本の表現力」&明和電機「六本木メカトロニカ」&ラーメンズ「TEXT」)

2007-02-03 23:57:45 | アートなど
本日2月3日は、東京で美術展1つとアートライブを1つ、そして、芝居を1つ観て参りました。
まずは、六本木の国立新美術館で開催中の「日本の表現力」。
そして、上記「日本の表現力」のクロージングイベント「明和電機ライブ 六本木メカトロニカ」14時半公演。
最後に、天王洲アイル銀河劇場で上演中のラーメンズ「TEXT」19時公演。
それぞれに、たいへん個性的な表現を観たわけなのですが、同日にこれらをハシゴすることで結果的に、人間の表現活動というものが持つ幅の広さを実感させられる体験となりました。

「日本の表現力」は、文化庁メディア芸術祭の10周年記念として企画された展覧会。
1950年以降の日本のメディア芸術をリストアップしてweb上でメディアジャンルごとに人気投票を行い、上位100作品をまとめて展示したイベントです。アート、マンガ、アニメ、エンタテインメント、CM、ゲーム、おもちゃ、などなど。たいへんたくさんの作品がピックアップされ、年代別ごとにまとめられています。
懐かしのマンガから最新ハイテクゲーム機まで、実にさまざまな作品がところ狭しと並べられている様子は圧巻。
しかし、いかんせん、数が多すぎる。
会場の広さに対して作品が多すぎるので、くまなく観るのはとても大変です。
加えて、映像作品は展示スペースの通路におそろしく出っ張ったモニタで流されているので、そこがボトルネックの役割を果たしてしまい、ゆっくり立ち止まって観ることが難しい状況になっています。
せっかく壁掛けできそうなモニタなのに、なぜ床置きにこだわるのか不思議でならず、映像を見せる気がないのではないかと思わず疑ってしまうほどの配置でした。
まあしかし、その点を除けば大変充実の内容。会場の半分を使って実際のインスタレーション作品も何点か展示されており、私にとっては嬉しいことに、岩井俊雄氏の「時間層(II)」を観ることもできました。
無料展示であることを考えると、とても太っ腹な企画展であったと思います。

明和電機の音楽ライブは初見。どのようなものかと思っていたら、製品の説明パフォーマンス、音楽ライブとインスタレーションアート、コメディーショー等々、様々な要素を併せ持った独特の明和電機ワールド。立派にアートとして成立しているのみならず、ある意味でメディアアートというものの特性を体現するような存在に思え、非常に興味深かったです。
それを痛感したのが機器トラブルの場面。
物理的要件を必要とするメディアアートの本質を奇しくも露呈させているようで、とても示唆的。
しかしそれすらもパフォーマンスに取り込んでしまう構造には舌を巻きました。
(とりあえず欄だけ確保。のちほど書き足します。)


東京遠征&感冒1/20。

2007-01-21 22:57:14 | アートなど
昨日1月20日は、東京と横浜で企画展1つと舞台を1つ見て参りました。
ついでに風邪をひき、ダウンして予定を切り上げ帰って参りました。
まだ風邪ひき真っ最中なので、以下メモ程度に。

まずは、東京台場の日本科学未来館で開催中の企画展「65億人のサバイバル」。
人類が置かれている現状を提示、問題提起し、それらの問題を克服し人類が地球で生き抜くための最先端科学技術を5つのテーマで紹介した企画展。それぞれのテーマがわかりやすくまとめられていたものの、それらがどのように結びついてゆくのか、あるいはどう結びつけてゆくべきなのか、統括的な視点がなく、全体的に散漫な印象を受けました。
鑑賞者それぞれに考えさせる、というコンセプトなのかもしれないが、いまひとつ伝わり難い。
『うわーすごーい。ふーん。』で終わってしまうのがもったいないような気がしました。

ところで、関連して、せっかくなので、7階レストランで企画展特別メニューのアイスプラントのサラダを食べてみました。
アイスプラントは、塩分含量36%で生育するというアフリカ原産の驚異の植物。
葉の表面の細胞が水胞状に発達しており、子持ち昆布を柔らかくしたような食感。
それ自体に塩味があるので、オリーブオイルをかけただけで充分に味わえます。
不思議な味でしたが、もしも流通したならば、ちょっとした珍味として定着しそうな感じでした。

つぎに、横浜のBankART studio NYKで開催されていた「オブジェ・ヴォラン」の18時公演を鑑賞。
元倉庫を利用した仮設の劇場での公演です。
フランスのアートジャグリング集団「オブジェ・ヴォラン」の初来日公演。
今回は2名からなる演目「サークル」「透明」「コントルポワン」の3セット。
感想としては 『ものすごいものを見てしまった!!!』 の一言につきます。
シンプルで幾何的な物体を駆使し、投げ上げ、弾ませ、受け止め、奏でる。
物理法則と超越的な身体能力が融合した「世界」は、まさにアート。
幾何的な動きやモーショングラフィックスが好きな私にとっては、嗜好をピンポイント爆撃される勢いでした。
超絶技巧もすばらしいのですが、私が殊に感動してしまったのは「透明」の中のワンシーン。
パイプ状の物体をジャグリングすることで、物体自体から音が発せられ、ジャグリングそのものが音楽になる、というパフォーマンスです。これ、投げ上げる物体1つ1つの長さが違うのでそれぞれに固有の音があり、ジャグリングの手法が変わるごとに奏でられるメロディも違ったものになる、というもの。とてもアナログかつシンプルな原理で、『ジャグリング=音楽』という概念をあれほど見事に美しく表現している事実に鳥肌が立ちました。私にとっては、昨年末に観た「ベアリンググロッケン」に負けず劣らずのインパクトです。
もう一度見たくてたまらず、最終日の21日も見る気満々だったのですが、ホテルに戻ってみたら38℃を超える熱が出ていて泣く泣く断念。
ぜひまた来日公演をしていただきたいものです。
なお、オブジェ・ヴォランのHPは→こちら (「サークル」の動画が少し見られます)
会場となったBankART のHPは→こちら (ほんの少し公演の動画が見られます)

本当は今日オープンの国立新美術館やオブジェ.ヴォランの21日公演、ついでに東京芸大大学院映像研究科の「ポケット・フィルム・フェスティバル」へ行く予定だったのですが、発熱のため断念。
満身創痍の帰宅と相成りました。
なんとも残念でなりません。
もう少し丈夫になりたいものです。


タレルの部屋が問いかけるもの。

2007-01-16 00:06:59 | アートなど
P1050868今回の金沢行きは、21世紀美術館を見るのが目的でしたが、その中でも特に主目的としていたのがジェームズ・タレルの「ブルー・プラネット・スカイ」を見ること。
『タレルの部屋』と呼ばれる部屋そのものが「ブルー・プラネット・スカイ」というひとつの作品になっていて、美術館の常設作品として常時無料開放されています。
わたくし、13日と14日の両日、タレルの部屋を昼・夕暮れ・夜、と鑑賞し、何とも曰く言い難い体験をいたしました。
現場で見上げる空と光への驚嘆、そして、そこで撮ってきた写真を見て感じる新鮮な驚き。
タレルの提示する『光を体験する作品』に様々な意味で感動してしまいました。
寒い中、凍えながら延々鑑賞した甲斐は十分ありました。
刻々と変化し、常に異なった表情を見せる空=光。
レイリー散乱の結果として現れる空の青と、宇宙の中にある地球や光といった物理的意義、そして受容器としての自分の身体を意識させる、複層的かつ発見と驚きに満ちた作品だと思います。
空と室内との光の関係性によって見える色が変わってくるのにも驚きますが、もっと驚いたのが撮ってきた写真の色合いです。
徐々に変化する光の中では、人間の目には明暗順応の作用がはたらきます。そのため、我々にとっては光の変化は均質化されてしまい、変化の一瞬一瞬においては実際よりも変化がわかり難くなっています。
つまり、少しづつ変わる対象に対して、『小さな変化はわからないのに、気が付くと大きく変わっている』という現象が起きるのです。
この現象を、タレルの部屋でも実感しました。
あまり変化がないように見えるけれども、微妙な変化があるような気がして、定期的にひたすらシャッターを切っておりましたところ、撮れた写真を総覧して息を呑みました。
予想以上に変化が激しいのです。
まるで思ってもみなかった色合いが多様に展開しているではありませんか!
うひゃあ!
正直ものすごく驚きました。
光というもの、そして人間の知覚というものについて、タレルは実に見事に問いかけているように思います。
震えながら見上げつづけた2日間。
行ってよかった、心底そう思いました。
今度はもっと暖かい時期に行って、もっとじっくり体験してみたいものです。

以下、備忘録的に鑑賞体験メモ。
13日昼 :雪混じりのみぞれ  灰色の曇天一色。しかし、よ~く見ていると、雲の濃淡の間に無数の雪片が見えてくる。そらからやってくる雪の、その途方もない数と、渦を巻く様子に驚愕。とてつもなく幻想的。クラクラ。
13日夕暮れ :曇り 灰色の曇天に雲の濃淡。昼には気付かなかった室内の灯りと、外の明るさとの関係に興味津々。外が暗くなるにつれ、空と室内との明るさが等しくなり、やがて逆転。曇天のはずなのに、藍色に色づく空。闇に沈むまでを確認。
13日夜 :雨 漆黒の空。静謐な空間に感慨。
14日昼 :薄曇り 薄雲と時折見える青空。晴れ間から差し込む光が壁に図形を描く。新鮮。
14日夕暮れ :晴れ 青空。切り取られたまぶしい青。次第に移ろいゆく光。空の光が弱まるとともに意識される室内の灯り。出現する黄や橙の色。深みを増す空の色。様々な色。寒い。けれど目が離せない。刻々と変化する光。常に新たな発見が。驚きと感動とともに、空が闇に沈むまでを確認。
14日夜 :薄曇り 雲が明るいことを発見。空は闇。残念ながら星は確認できず。

15日 :撮ってきた写真をiPhotoで総覧して驚愕。

色合い変化の度合いを下に。重くなりそうなので写真は畳んだ先に置いておきます。
Bpst01_p1060229
 

Bps01_p106019316時18分。昼間の顔。
 
Bps02_p106020116時37分。少し夕暮れ風味。
 
Bps03_p106020616時43分。かなり夕暮れ風。
 
Bps04_p106021516時51分。空と室内との明るさが近づいている。
 
Bps05_p106022516時58分。空と室内の光が混じりあう。
 
Bps06_p106023117時03分。思ってもみない色が出現。
 
Bps07_p106023617時07分。明るさ逆転。
 
Bps08_p106024317時11分。橙が引いてくる。
 
Bps09_p106024717時14分。美しい藍色。
 
Bps10_p106025017時22分。全体が闇に沈む。
 
Bps11_p106025317時28分。再び赤みが差す。
 
Bps12_p106026117時56分。すっかり闇が。
 
Bpst01_p1060229_117時ちょうど。
 
Bpst02_p106023417時03分。
 
Bpst03_p106024017時08分。
 
Bpst04_p106024617時11分。
 
Bpst05_p106025117時23分。
 
Bpst06_p106025517時29分。
 
Bpst07_p106026317時57分。
 
 
なお、ここに示したのは多彩な変化のほんの一例に過ぎません。
少しでも興味を持たれた方は、ぜひぜひ現地で現物をご覧になることをおすすめします!

金沢遠征1/13。

2007-01-13 23:50:02 | アートなど
本日1月13日は、金沢へ行って参りました。
目的は、かねてから行ってみたいと思っていた金沢21世紀美術館。
現在開催中の企画展が2月半ばまでだったのと、ちょうど「がんばれ!図工の時間!フォーラム」のイベントがあるらしいので、ここぞとばかりに えいやっと足を運んでみました。

金沢21世紀美術館は、建物としても面白そうなうえ、ジェームズ・タレルの常設展示があるというのでオープン当初から非常に気になっておりました。
しかし、宮城からだと案外交通が不便な石川。電車だととんでもないくらい時間がかかります。
ところが先日ふと、仙台ー金沢を結ぶ夜行バスがあることに気付き、これならいける、と一念発起。
ようやく念願が叶いました。

行ってみれば、やはり21世紀美術館自体が非常に面白い建築物でした。
建家は円形でガラス張り。
その中に直線で構成された施設が様々なパーツとして格納されています。施設の間には光庭が設けられ、通路はこれまたガラス張り。非常にオープンな印象を与える建物です。円を横切る形で何本か直線的な通路が通っているので、建物の外から向こう側が見通せたりもします。
基本的には外周部分が通路とオープンスペースを兼ねた空間として、中央部分が企画展などの作品収蔵課金スペースとして使用されます。
ちなみに常設展示は3点。いずれも展示室そのものが作品となるインスタレーションです。

行ってみて感じたのが、やはり建築の面白さ。
新鮮な非日常感が味わえました。
多種多様な現代美術の展示にはぴったりの空間に思えました。
なお、オープンスペースと無料展示スペースでは自由に写真撮影もできます。
タレルの部屋もそのひとつ。
建築構造や備品含め面白い写真がたくさん撮れますので、独自の視点を持った方にはおすすめです。

さて、まずは企画展「リアル・ユートピア~無限の物語~展」。
カズオ・イシグロの著書『わたしを離さないで』からインスピレーションを得て企画された展覧会とのこと。
現代の理想郷を複層的で多様なものととらえ、気鋭の4作家の視点から描いた様々な『世界』を提示してみせたもの、といった内容でした。
出品作家は、草間彌生、木村太陽、イ・ブル、岸本清子。
木村太陽の作品は、東京現代美術館で見た「低温火傷」で出会って以来の再会。6年前と比べて作品がパワーアップしているのがうかがえ感慨深いものがありました。日常の中に潜む狂気のようなものを増幅してみせる氏の手腕に脱帽。
草間彌生の作品は、2年前に東京竹橋の国立近代美術館での草間彌生展でも見たインスタレーション3点と絵画1点。
「天国への梯子」もあったのですが、鏡の歪みが大きいのに加え、ここでは作品に踏み込めない仕様になっていて、無限感が充分に活かされていないのが残念でした。
インスタレーションの展示のしかたというものについて非常に考えさせられました。

(とりあえずここまで。のちほど書き足します。)


東京遠征12/24。

2006-12-24 23:58:33 | アートなど
12月24日は、昨日に引き続き東京で展示会を2つ観て参りました。

本当は、銀座のINAXギャラリーで開催中の「世界のあやとり」を見たかったのですが、行ってみると日曜祝日は休館とのこと。
が~ん。
気を取り直し、月光荘と品川経由で友人と合流し新宿初台の東京オペラシティーへ。

まずはインター・コミュニケーション・センター(ICC)で開催中の企画展「OPEN SKY 2.0」。
アーティストの八谷和彦氏のOpenSkyプロジェクトを総覧した展覧会です。
OpenSkyプロジェクトとは、『個人的に飛行機を作って実際に飛べることを証明する』というアートプロジェクト。2004年の『愛・地球博』でも機体が展示され、話題となりました。ロマンを感じる飛行機として『風の谷のナウシカ』に登場するメーヴェに着想を得たため、実作機はメーヴェのように美しい海鳥のような無尾翼機となっています。しかし、常に人身事故の危険を伴うプロジェクトゆえ、着想元への迷惑がかからぬように八谷氏は『宮崎氏やジブリとは無関係』というスタンスをとっています。
元々はオープンソースでのプロジェクトを考えていたようですが、安易な模倣による危険を避けるために今は設計公開はしていないようです。
そのかわり、テストフライトを一般に公開し、見学者との交流を行うなど『開かれたプロジェクト』の姿勢はつらぬいてらっしゃいます。
それを象徴するかのように、今回の展示スペースの入口には左写真のような注意書きがありました。
Alart01・写真撮影OK
・メモ/スケッチOK
・乳幼児の入場歓迎
・介助犬OK
・コスプレ入場OK
 
 
 

これを見た瞬間、『なんて素敵なんだろう。八谷さん大好きだー!』 と思いました。
おかげですっかり嬉しくなってしまって、鑑賞前からテンションアップ。
最良のメンタルコンディションで展示に臨みました。
内容は、プロジェクトを支える設計図の展示、OpenSkyプロジェクトで制作された歴代テスト機の実物展示、テストフライトを記録したコメントつき写真展示、プロジェクトの背景を解説したスライドショー、テストフライトを疑似体験できるかもコーナー、OpenSkyプロジェクト記録映画、フライトシミュレーション体験できるかもコーナー、Q&Aコーナー、秘密の小部屋、などなど。
たいそう盛りだくさんで、予想を遥かに上回るボリュームでした。
何かを作り出そうとする人間の開かれた情熱に触れることで、勇気をもらえたような気がします。
八谷氏が好きな方はもちろんのこと、ナウシカが好きな方、飛行機が好きな方、グライダーが好きな方、実現し難い何かを実行しようとしている方、面白いモノが好きな方、そして空を愛するすべての人にはおすすめの企画展です。
ちなみに、私にとっての今日のベストワードは
『ロマンとエンジニアリングさえあれば、人間は空を飛べる。 by土佐信道』
八谷氏の友人の言葉として紹介されていたフレーズ。
不意打ちにノックアウトされました(笑)。

なお、この企画展は2007年3月11日まで。
一度足を運ぶと、会期中は1日だけ再入場できるとのこと。嬉しい配慮です。
興味のある方はぜひ。おすすめです。


さて、次に同じく新宿初台のオペラシティーアートギャラリーで開催されていた「伊東豊雄 建築|新しいリアル」を見て参りました。
会期終了日とあって、たいへんな人出。
建築家の展覧会にこれだけの人が集まることに驚くとともに、東京という場所の文化層の厚みを感じました。
伊東豊雄氏は、せんだいメディアテークの設計者として認識している程度だったのですが、氏の仕事を模型や型枠提示で拝見してみると、ひとつの方向性のようなものがみとめられ、たいへん興味深く思いました。
氏の設計もすごいのですが、それ以上に感心してしまったのが、日本の型枠工や建築に携わる技術者の持つ能力の素晴らしさ。
木枠を組んだり、鉄骨で曲線を成形したり、コンクリートを流し込んだりして、設計者の構想したおそろしく不規則な曲面を具現化してしまうその腕に、感動を覚えました。
作る人も使う人もたいへんではありますが、できあがった建物の象徴する非凡さは、単なる実利では語れない精神性を宿しているような気がします。
鑑賞者が靴を脱いで歩く、曲面構成を再現した展示室があったり、コンセプトを解説しつつ実際に竣工した建物を紹介する映像があったり、模型があったり、実物大図面が一部壁面に描かれていたり、氏の仕事が時系列順に解説されていたり、こちらもなかなか盛りだくさんの内容でした。
中北の芸術センターなど、実際に行ってみたいと思わせる楽しさにあふれた建築物でもあると思います。
各務原市営の斎場などは、屋根に上ってみたくてしかたありません(笑)。
荒川修作の養老天命反転地公園を彷彿とさせるような気もしましたが、型破りで非線形のモチーフを再現すると、どうしてもそうなってしまうものなのかもしれません。
intarestの対象としての建築、という意味で伊東氏の仕事は非常に興味深いです。
会期は24日で終了してしまいましたが、いずれ各地のアートショップで図録が出回るかと思いますので、興味のある向きはそちらを待たれてはいかがでしょうか。

Tree01帰りに見たオペラシティー中庭の巨大電飾ツリー。
 
Tree_and_singingmanそして「シンギング・マン」との競演。
強烈です(笑)。

バラエティに満ちた創作物に触れた東京遠征。
非常に有意義な2日間だったと思います。


仙台遠征12月16日-17日。

2006-12-20 23:25:26 | アートなど
先週の土曜、12月16日は仙台で芝居ひとつと展示会3つを観て参りました。
以下、簡単に。

まずは、OCT/PASS と きらく企画 の共同企画公演「ザウエル」。
じつは、今回の観劇はかなりのギャンブルでした。 
OCT/PASS の2000年公演「又三郎」がトラウマになって、私の観劇人生には空白の3年間が生じたという過去があります。
しかし、ラーメンズ効果で再び劇場に足を運ぶようになり、サモアリや猫のホテル、ペンギンプルペイルパイルズやpiper、コンドルズや水と油など、多様で個性豊かな舞台表現に触れ、観劇の楽しさを思い出したこの数年。
アート経験値も積んだ今なら大丈夫かな、と、半ば興味本位で足を運びました。
が、結果惨敗。
人によってはぴったり嗜好にはまるのかもしれませんが、私には許容しかねる世界でした。
4つの点で私の逆鱗に触れてしまうという驚きの内容。
ある意味レアな作品だと思います。
悪意に満ちた痛さが好きな方にはおすすめかもしれません。
舞台装置や効果、照明や空間の使い方はよく工夫されていて秀逸。
役者陣には、魅力的な個性を備えた方も大勢いらっしゃいました。
ただし、大事なところで言い淀みが生じるのが勿体ないなあと残念に思いました。

ところで、この日は終演後にトークイベントがあって、劇団代表と某施設管理者との対談が行われたのですが、そこで、何と言いますか、非常に『閉じた』感じの印象を受けました。
観客と対峙し客席に向かって開かれているはずの舞台芸術なのに、ともすると観客から離れて閉じてしまう危険性が高いのではないかと、そんな気がします。
作家自身が見えないアートのほうが、鑑賞者に対して開かれている場合が多いような気がして不思議でなりません。
仙台の演劇事情はハード、ソフトともに予想以上に厳しそうだなと感じ、残念で遣る瀬無い気分になりました。
バランス感覚優れた若い才能の発掘が期待されます。


さて、次に、せんだいメディアテーク6Fで開催中の「Re: search オーストラリアと日本のアート・コラボレーション」。
オーストラリアと日本の作家が、交換留学のような形で作品制作を行った成果を展示した企画展。
仙台という都市を視座に据えた作品がテーマとなって、東京などの中央都市では味わえない独特の統一感が立ち現れていたと思います。
作品数こそ多くはありませんが、ここ数年横浜や東京で見かけたことのある作品の発展型に出会えたり、思わずニヤリとしてしまう作品に出会えたりと、予想以上に楽しめました。
芝居から受けた毒をすっかり洗い流してもらったような形。
アートの力は偉大です。
印象に残った作品をいくつか。
Alex Davies「会話」: 雑踏を記録したビデオ映像。何気ない風景が延々流れる中、通行人の視線がカメラを向いたその瞬間だけがスローモーションになる、という映像を大画面で映写した作品。とてもシンプルだけれど強烈なインパクト。生物学的な認識特性に依拠した非言語コミュニケーションの可能性の大きさを痛感しました。秀逸です。
志賀理恵子「角隠し」: 多重に露光した写真のプリント作品。現実と空想のあわいのような、形容し難い写真世界が独特。中ほどにあった、眠りにつく男女が緑青を背景に中空で対面している風景が静謐で印象的でした。
Alex Davies「群衆」: 鑑賞者の姿が取り込まれ、蓄積された過去の映像と合成されて再生されるインスタレーション作品。立ち止まって注視すればするほど自己の姿も記録されてしまうというのが何とも皮肉。
クレイグ・ウォルシュ「BIG IN JAPAN」: 仙台を舞台にした広告アート。そのずば抜けたローカルさに思わず素笑い。フェイクも含め、素敵です。これはぜひ明るいうちに行くことをおすすめします。
Haines/Hinterding「建物と植物と星々のための電磁的構成2006」: メディアテークを支える柱のチューブに銅線を巻き付けて電磁波受信アンテナ化し、受信波をノイズ音声として提示したインスタレーション作品。携帯電話を時報にかけてかざしてみたら、心持ちノイズがにぎやかになったのが面白かったです。
The SINE WAVE ORCHESTRA: サインウェーブオーケストラの進化版。空間に配置された8つの柱。そのひとつひとつに音程調節ツマミがついていて、鑑賞者は自由に『演奏』することができます。そしてその演奏された内容が、そのままアーカイヴとして記録されて、今まで記録された内容と共にリピート再生される、という作品。ICCや横浜トリエンナーレ2005で見たものと比べて、自分が残した音の痕跡が直感的に伝わるので、今回のほうがより洗練されている印象を受けました。
平川紀道「compath」: 仙台視点の上空ナビゲーション。知っている街が対象になっているのが新鮮で面白い。

同じくせんだいメディアテークの5Fで開催されていた「村岡由梨 yuRi=paRadox 眠りは覚醒である」。
せんだいアートアニュアル2005 smt賞受賞記念の村岡由梨氏個展。
強烈な個性の発露としての映像作品と、その制作に関連するマテリアル実物が展示されていました。
とにかく独特で強烈な世界観と個性が圧巻。一度見たら忘れられない表現だと思いました。

関連して、同じく5Fの展示「せんだいアートアニュアルの5年間」。
創設から5年間の受賞作について、概要と審査員のコメントがパネル展示されていました。
せんだいアートアニュアルの紹介を兼ねた総覧的展示といったところでしょうか。
せんだいアートアニュアルの実物展示はまだ未見。
展示開催期間が短すぎるのが主な敗因。
次回展示はなんとか都合をつけて行ってみたいなと思いました。

この後、温泉へ行き、それから車で移動して友人宅に宿泊。
そのまま翌日は、旧知の友人たちと久々のホームパーティ。
たいへん盛りだくさんの週末でした。


【情報】NAMIKIBASHI「The Japanese Tradition - 日本の形 -」発売情報。

2006-12-15 06:47:24 | アートなど
既に出ていた情報ですが、amazonでの取り扱いが始まったようなので挙げておきます。
teevee graphics の小島淳二氏とラーメンズの小林賢太郎氏からなる映像制作ユニット「NAMIKIBASHI」の新作が、「The Japanese Tradition」シリーズとしてDVD化されるそうです。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hazamanoiori-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000LP66C0&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

ちなみに、私にとって最たる関心事は、「谷篤さんは制作に参加しているのか否か?」ということ(笑)。
谷篤氏はteevee graphicsのアニメーター/ディレクター スタッフのひとり。
砂原良徳「LOVE BEAT」のミュージックビデオや、スターフライヤー就航記念CMを手がけられた方です。
NAMIKIBASHI関連ではFPMのPV「Tell Me」や「SAKURA WONDERFUL JET」のアニメーションを担当しています。
じつはわたくし、この方の作る映像の動きがものすごく好きで、好みのツボをピンポイント爆撃され続けております。
今年2月にせんだいメディアテークで行われたショートフィルム上映会&トークイベントで、心惹かれる映像がことごとく谷氏の担当作だと知って以来、氏のことがとても気になっていました。
先日のRESFEST2006にエントリーしていた「折り紙」のスタッフ情報に谷篤氏の名前がないのを知って、私はものすごくがっかりしてしまったわけなのですが、そのあまりのがっかり具合に自分でも驚きました。
どうやら私は自分が思っている以上に谷氏の作品が好きなようです(笑)。

そういうわけで、「折り紙」などの「Japanese Tradition」新作に対してはモチベーションが下がっておりましたわたくし。
しかしここにきて、DVD収録作品の多さに谷さん登場の新たな期待を抱いています。
3月が楽しみです。


東京遠征12/3。

2006-12-06 23:50:13 | アートなど
先週の日曜、12月3日は、2日に引き続き東京で展示会3つを見て参りました。

まずは簡単に概略のみ。

デジタルアートフェスティバル(DAF)東京2006@台場 パナソニックセンター東京
デザインフェスタ Vol.24@ 東京国際展示場
DAF東京2006@渋谷 トーキョーワンダーサイト渋谷

この日も盛りだくさん。
とりあえず欄だけ確保。
詳細はのちほど。


東京遠征12/2。

2006-12-06 15:49:15 | アートなど
諸般の事情(笑)により記事が遅くなりましたが、とりあえず忘れないうちにアップ。
先週の土曜12月2日は、東京で展示会1つと芝居を1ステージ観て参りました。

まずは、横浜新港地区で開催されていた「OPEN STUDIO Vol.3  おもしろさへの焦点」。東京芸術大学大学院映像研究科のメディア映像専攻における、ラボ公開を兼ねた制作・研究発表イベントです。
今回は、5月のVol.1、7月のVol.2を経た第3回目の開催。
校舎を使って一般に制作物を公開するという意味では前回同様ですが、制作物の位置づけが前回とは大きく異なりました。展示物はいずれも16人の学生さんたちそれぞれが作家として制作した自分の作品。つまり、一人ひとりが独自のテーマを自ら発案し取り組んだ成果が展示発表されているということになります。
そのようなコンセプトだけあって、今回は作品も多様。さらにテーマ自体が作家本人の中から生まれたものなので、当然の帰結として作品にも個性が表れていて、その点が非常に面白く感じられました。
シンプルで鋭かったり、壮大だったり、微笑ましかったり。
そしてなにより、科学研究の中間発表とは違って、経過報告ではなく作品としての提示を求められるのがこの分野のシビアなところだと感じました。科学以上にハイペースで走り続けているその姿勢にはただただ感心するばかりです。
以下、作品覚え書きと、敬意を表して勝手にコメント&感想。

1 津田道子氏「風画@新港」:エントランスに設置された作品。風除室に生じた気流によって感知ファンが揺れ、その動きと連動してディスプレイ上に線が描画される作品。設置場所によって反応がまったく違ってきそうなのが想像され、別位置での稼働を観てみたくなりました。
2 小佐原孝幸氏「抽出と欠如」:OPEN STUDIOのポスターにも使用されている、写真を加工した作品群。鉄塔の支柱や自転車のフレーム、ビール瓶など日常目にする風景を対象に、あるべきものの一部を消失させた画像プリント11作品。規則性をもった物体の一部を欠損させるだけであれだけの心象を惹起できることに驚きました。鉄塔や観覧車のモチーフでは、なぜだか見ているだけでドキドキしてしまうほど。タクシーとそろばんのモチーフには、「不在」というものを強烈に感じさせられました。作品形態は全く異なりますが、なぜかボルタンスキーの作品を連想しました。ビール瓶、そしてプリングルスは、手法こそ他の8作品と一緒ですが、欠如ではなく消去法による抽出に主眼を置いた作品のように思えました。ロゴやラベルの存在をこれほど強烈に感じさせる手法があるとは驚きです。殊にプリングルス。思わず笑ってしまいました。あの行列は最強だと思います。個人的にとても好きな作品群です。
3 山峰潤也氏「テマエトオク」:広い部屋に対面して設置された2脚の椅子。奥の1脚は床に投影された白い線で視覚的に区画されている。音声の流れるヘッドホンを装着し、区画されたほうの椅子へ座ると音が遮断されたかのようにヘッドホンの音声が途切れる。 というインスタレーション。まるで目に見えない防音室があるかのように感じられる効果が面白い。防音される椅子が入れ替わればもっと面白そうだなあと夢想してしまいました。
4 坂本洋一氏「私と神様と王様」:広い部屋の床に42個×32個ほどの白いドットが10cm程度の等間隔で投影され、3m×4mほどのエリアを形成している。その中に、ドット7マスぶんほどの大きさの白い正方形があり、鑑賞者が踏もうとするとパッと位置を変えて逃げてしまう。いくらがんばっても踏むことはできない。(神様)
 次の部屋に行くと、さきほど動き回っていたエリアがカメラを通してモニタに映し出されていて、さらにそこではエリア内の正方形を動かすことができるようになっている。正方形を踏もうとする鑑賞者をモニタで見ながら、じつはこんなところで操作が行われていた(かもしれない)、というインスタレーション。(王様)
 「神様」と「王様」の関係性がとても面白いと思いました。あらかじめ決まっていてどうしても無理なこと、すなわち、法則による制約かと思っていたものが、実は恣意的に操作され演出された「無理」だったかもしれないという構造。被験者が置かれている状態は同一なのに、その意義が全く異なってしまう可能性。壁で隔てられた秘密を開示することにより、一種の驚きとともにその概念を提示する手法はとても意義深いものだと思います。
 作品の本質とは関係ない話ですが、もしも大勢の人々が映写エリアに大挙して押し寄せたら逃げる正方形はどうなってしまうのか? 逃げ場を失わないのか? という素朴な疑問が浮かびました。気になるところです。
 子どもの集団に遊ばせてみたい作品だなと思いました(笑)。
5 木村奈緒、重田祐介両氏の合作「ヒトケイ」:どこにでもありそうな、シンプルな形の壁掛け時計。ところが、時計としてはありえないような突飛な動きで針が動いてしまう。という作品。時計であって時計でない、まさに非時計。
 はじめに目にした時はたまたま動きが止まっていて、しかも偶然に正しい時間を指していたので、作品の意味がわからず不審に思っていたところ、展示を一周した後に再び見に行って衝撃を受けました。挙動不振な時計の様子は、狂気的でもありますが、ある意味ユーモラスで、その動きを見た時は思わず笑ってしまいました。不規則で痙攣的な動きはどこか生物的でもあるように感じられました。印象深い作品です。
6 米沢慎祐氏「Monster」:左右二つに並んだディスプレイ。黒い背景の中、それぞれに目玉のような映像が一つづつ浮かんでいる。鑑賞者が前を通ると、視線で追うように目玉が動き、近づくと、注視するように目玉が大きくなる。その様子がまるで巨大な生物がこちらを見つめ返しているように感じられる。さらによく見ると、目玉の中の瞳孔部分に、鑑賞者の姿が映像として映り込んでいるのが見える。という作品。瞳の中への像の映り込み現象をよく観察しているなあと思いました。鑑賞者の動きが作品の挙動に影響を与え、さらに鑑賞者の動きそのものが作品の中に映像として反映されているという2重のインタラクションも面白い。目玉をモチーフにしている時点で、作品が生物じみた要素を帯びたものになることは明白。一歩間違えれば気味悪さや不快感が生じそうなところを、どこかとぼけたユーモラスなモンスターに仕上げているところが絶妙だと思います。子どもたちの反応が見てみたい作品です。
7 越田乃梨子氏「二画面による実験」:左右に分割されたひとつづきの映像によって、位相のねじれを表現した作品。奥行きを逆転させた映像間をボールや人が動くことで、形容し難い騙し絵的効果が生じ、見る側を翻弄します。その不自然さに一度気付いてしまうと、思わず目を奪われて見入ってしまう作品だと思いました。後出する同氏の作品に通じるものが感じられ、位相のねじれが越田氏のテーマのひとつなのかなと想像されました。
8 津田道子氏「camera>TV on cart」:壁に描画された円。それを撮影するカメラA。その映像を写し出すTVモニタA。そのモニタを撮影するカメラB。その映像を写し出すTVモニタB。カメラAとモニタAは同じカートの上に搭載されており、壁に対してX軸方向に平行に移動する。そのため、円に対してカメラは動いているが、カートの動きが相殺され、モニタA上の円はモニタ上をスライドしながらも、まるで慣性によって一点に滞空しているごとく固定されて見える。それゆえ、床に固定されたカメラBは常にモニタAに映った円を中心にとらえることができ、結果として、別の棚に固定されたモニタB上には、元の壁同様静止している円が写し出される。というインスタレーション作品。
動いているのに動いていない。動いていないとされる場合の観測基点をどこに据えるかで「動き」の関係性が変化してしまう。そういった構造の面白さを見事に露呈させた作品だと思います。
このような構造をどこかで見たことがあるような気がしていたものの、観賞中には思い出せず気になっていましたが、帰宅途中に思い出しました。慣性を利用した免震構造に似ているのです。
他にもまだ意識の底に引っかかる類似構造があったような気がして気になっています。しばらくの間、宝探しのお題として楽しめそうです(笑)。
9 佐藤哲至氏「情報コミュニケーションの考察と実験」:情報コミュニケーションという事象そのものを要素還元し、一般解として提示してゆこうとする壮大なテーマの研究プロジェクトを、文章および例示実験作品としての星座描画システムで表現した研究展示。テーマが広く、しかも根源的である性質上どうしても抽象的になりがちな主題を、具体的なシステム作品と併存提示することで両者を架橋したのかなと想像されました。プロジェクトが立体的になるいっぽうで、テーマと作品両者の位置づけに少なからぬギャップが生じるおそれもはらんでおり、バランスの取り方が難しそうだとも感じました。展開によっては非常に興味深く有意義な研究になるものと予想され、今後がとても楽しみです。
10 河内晋平氏「映像を用いた、伝統工芸における質の判断力の研究」:伝統工芸等の製作過程における、言語では伝達し難いにもかかわらず確実に共有されている『美意識』や『質』の判定基準が、同一文化グループの中で生成されているという仮定のもとに、それらの基準の生成機構を分析し、かつ、他者との共有が可能となるような視覚的手法(たとえば映像化など)を構築する、というプロジェクトの基礎研究。第1段階として、研究対象とした刀鍛冶職人へのビデオアナリシスを用いたインタビューから得られた知見をパネルにまとめたものを展示。さらに、インタビューの映像をサンプル展示。
 研究上の問題点として挙げられていた「『質』の判断意識を聞くべきが『技術面』の問題に話題がスライドしてしまう」という現象は、じつは質と技術が不可分に結びついているが故のものなのではないかと感じ、興味深く思えました。質と技術と美の判断基準との関係性を掘り下げたら面白いのではないか、また、それらにはいずれも身体性が関与しているのではないかと勝手に考えて面白がってしまいました。また、解析対象として挙げられていた「ある瞬間に突然『わかる』」という体験は、工芸職人に限らず技術屋であれば少なからず誰しも経験があるもののような気がして興味深いです。現状では作業量をこなすことで突然訪れるあの『わかる』瞬間を確実に伝えることができたなら、どんなにかいいだろうと思います。色々な意味で今後の展開が気になるテーマです。
11 渡辺水季氏「焦点距離」:スクリーンにプロジェクションされたピントの甘い林檎の映像。プロジェクタの隣に大きな虫眼鏡が置かれていて、『これでピントの合う場所を探してください』と注意書きが添えられている。鑑賞者は虫眼鏡のレンズを手に取ってあちこち試してみる、という作品。
 虚像と実像の関係性で、レンズを腕いっぱい遠く離してスクリーンの映像を反転すれば良いのかと思って見ていたら、じつはプロジェクタの光をレンズに通すことで、写像の一部分だけ焦点を合わせることが出来るというのが正解だったようです。ちょっと気付きませんでした。
12 井高久美子氏「顔」:モニタに写し出された人間の顔。静止画像かと思いきや、目などのパーツが徐々に変わってゆき、それによって顔の表情が変化する、という作品。
 一部の変化が全体の印象を左右するのが面白く感じられました。前の週にビル・ヴィオラを観たばかりだったので、手法は異なりますが、ヴィオラのスローモーション作品を思い出しました。
13 小野崎理香氏「door」:同じ線分が背景との相対性により次々と意味を変えてゆくシンプルなアニメーション作品。抽象と具象の間で、どことなくユーモラスな世界が展開するさまが微笑ましい。
14 越田乃梨子氏「箱の中」:白い箱の上に写し出された映像作品。真っ白な部屋の角に白い箱と椅子が据えられ、その中に白い立方体を持った女性が座っている。アングルが部屋の角から角へスライドしてゆくたびに、人物の位置と重力方向が入れ替わってゆく。さらに、人物の持つ立方体にズームアップした映像が再びズームアウトすると、それが部屋の角に置換されている。というだまし絵的作品。
 同じ構造物=画面  における重力方向が変化するという意味で、エッシャーの「相対性」という作品を思い出しました。また、凸面→凹面という位相の置換も、だまし絵としてはよく目にする概念ですが、しかし、それを実写映像として具現化していることにとても面白みを感じました。
 ホワイトアウトしそうな、ある種幻想的な淡い画面も印象的。大きな白い部屋に投影したり、逆に、小さな箱の中に映像を仕込んで覗き眼鏡箱的な形態にしたら面白そうだなと夢想してしまいました。
15 安本匡佑氏「桐山研究室公開」:ラボ公開を兼ねて、安本氏の手がける3作品を展示したもの。作品名を見てくるのを忘れてしまいましたが、前回も展示されていた「彩二式」を発展させた作品や、空間上に情報を配して読み出せるようにするためのプロジェクトなど、実用性と密接に結びついた技術作品が主体であったように思います。
16 重田佑介氏「コレクターに聞いてみた」:対面する壁2面に投影した部屋の映像が、部屋の主らしきインタビュー音声に合わせて顔のようにゆがんで喋る、というインスタレーション作品。
 天井まで壁一面を埋め尽くした書籍やビデオのあふれる部屋が、その主の声とともに喋るさまは、まるで部屋自体が意志を持ち、あるじと一体化したような印象を与えます。人格の拡張としての部屋、という概念が端的に表現されていたような気がしました。
17 牧園憲二氏「shutter change」:写真を加工した作品群。写真の中の一部に位相のズレや、モチーフの増幅、そして、対象を限定したtime extention的な効果を盛り込んだ20作品。いっけん、小佐原氏の「抽出と欠如」と似通った形態であるように見えますが、テーマとしては明らかな方向性の違いを感じました。日常のエアポケットのような画が満載なのが印象的です。
18 牧園憲二氏「上と下と左と右と斜め」:二つの正方形が左右並んで映写されている。正方形の中には赤白青白赤白青・・・と規則的に並んだ斜線模様が描かれていて、それらの模様が右側は右へ、左側は左へとスライドしている。映写された模様をさまざまな形のフレームで切り取ると、思いもよらぬ視覚効果が得られる。というインスタレーション作品。
 古典的な、理容所マークを彷彿とさせるものから上下の動きを知覚させるものまで、シンプルなしくみながら新鮮な驚きを味わいました。斜線は偉大です。
19 津田道子氏「TV in TV」:暗いテレビモニタに鏡像として映り込んだ自分を映すカメラの映像が、会場のモニタに写し出されていて、そのモニタには鑑賞者もまた鏡像として映り込む、という構造の面白さを提示した作品。
 制作者と鑑賞者を作品の中で同じディメンジョンに存在させる、という意味で、形態は違えど藤幡氏の『モレルのパノラマ』と同様の構造を実現しているように思いました。あれだけシンプルながら実に見事だと思います。

この他、実際に制作者に質問をしたりお話をうかがったりすることもでき、じつに楽しく密度の濃い時間を過ごすことができました。感謝。
今回のOPEN STUDIOを通じて強く感じたのが、こうしていろいろなことを考え、実践し、具現化させてくれている人々がいるという事実のありがたさです。多くの若者たちが真摯に向き合っているその現実に触れ、とても頼もしく感じました。
アートの担う役割というものは複層的で、一筋縄ではゆかないものだと思います。しかし、だからこそ多様な表現が存在する意義があり、またその表現が文化全体に影響を与え得る可能性も生ずるのだと思えます。
表現のために走り続けるその先に、学生さんたち各自の目指す面白さが実現されることを願ってやみません。
次回のOPEN STUDIOが今から楽しみです。


さて、次に、下北沢本多劇場で上演されていたサモアリナンズの「昔の侍」19時公演を拝見しました。
2年前の「AB男」後初の、サモアリ復活公演です。
妖刀を巡る事件に巻き込まれた用心棒とその周辺を描いた物語なのですが、物語の内容やあらすじはもはや無意味。
馬鹿馬鹿しさへの全力投球と小松氏の素笑い、戦略的に組まれた肩すかしと挑発と脱力の応報は、見ていて清々しさを感じました。
後方席で俯瞰するように見ていてもこれですから、間近で見ていたら一体どんなことになっていたのか、想像するだに面白いです。
カオスと即興とナンセンスに宿る普遍。
これからもずっとサモアリナンズがサモアリナンズでありつづけることを願ってやみません。


この日は他にも、OPEN STUDIOの会場に来場していたメディアアーティストの方にお会いしたり、サモアリ観劇後に大勢の方とお会いしたりと盛りだくさんでした。
多種多様なものをたくさん見たり、いろいろな人に会っていろいろな話をしすぎて、情報処理が追いつかないような不思議なくらくら感を味わいました。
実に充実した東京遠征第1日目。
人間の創造性と多様性に感謝。


東京遠征11/25。

2006-11-26 23:59:23 | アートなど
昨日、11月25日は前日に引き続き、東京で展示会を3つ観て参りました。

まずは、六本木ヒルズの森美術館で開催中の「ビル・ヴィオラ『はつゆめ』」。
ビデオアートの第一人者、ヴィオラの映像作品とインスタレーション作品を集めた大規模な企画展です。
土曜でしかも六本木ヒルズとあって、結構な人出でしたが、みなさんあまりじっくり作品を観ずに目の前をどんどん通り過ぎてくので、私としては自分のペースでゆっくり鑑賞することができました。
もったいないと思う反面、自分にとっては都合がいいのでちょっと複雑な気分です。
印象的だったのは、『クロッシング』と『ヴェール』、『ミレニアムの5天使』。対立する概念を融合し、新たな表現に昇華させる手腕はさすが。具体的な意味は持たない映像であるにもかかわらず、非常に文学的なものを感じました。
そして、スローモーションによる作品群。どれも見る者に強烈な心象を惹起させる作品です。普段の生活では目に見えない瞬間を提示するという意味では写真家の橋村奉臣氏作品にも通ずるものがあるような気がしました。そこにあるけれども見えていない、そのような風景を提示されることによって、人間は驚きとともに特殊な感情を抱くものなのではないかと思えます。
さらに、妙に好きだったのが『キャサリンの部屋』。季節と時間を表すように並んだ5つの部屋に、ひとりの女性が生活しているその様子を映し出した作品。小さなモニタで映像が一列に並ぶことによって、人形の家であるかのような不思議な可愛らしさが生まれていたように思います。また、同時に、一日と一年の持つ周期性が同居することで、どこか普遍的な永続性が醸し出されていたように思えました。人間文化の深層を映し出す神話や民話を思い起こさせる作品でもあるような気がします。これも、ある意味とても文学的な映像作品ではないでしょうか。
あまり体調が良くなかったので、少し急いで見て回りましたが、それでも2時間半ほどかかりました。
時間が許せばもう一度じっくり行ってみたいと思えます。

さて、次に、品川のYKK APのショールームで開催中の、福田茂雄によるエッシャーの『滝』立体作品展示。
エッシャーの名作騙し画『滝』を実際に立体で再現した作品が展示されているというので足を運びました。
『滝』がペンローズの三角形を元に構想したものだと聞いていたので、立体による再現のしくみについてはあらかた予想はついていて、実際予想どおりの構造ではあったのですが、実物を目にしてみると水の流れなど実に見事。
白一色で構成された模型は非常に良く出来たものであると思います。
なお、この展示はYKK APショールームの一角を利用して開催されているもの。窓やドアの製品を見て回ったその奥にちょこんと『滝』の展示があります。ごくごくあっさりした展示ですし、解説パネルは少々にわか作りな感が否めませんでしたが、『滝』の立体や福田茂雄氏に興味のある向きにはおすすめです。
ちなみに、この企画展に行ってアンケートに答えると、エッシャー作品に登場する不思議な生物『でんぐりでんぐり』をモチーフにしたストラップがもらえます。先着2000名さまとのことでしたが、あの感じですと、まだまだ余裕がありそうです。ストラップというよりキーホルダーと言ったほうがいいようなプラスチック仕様ではありますが、『でんぐりでんぐり』ファンにはちょっとおすすめかもしれません。

さて、本当はこの後、台場の科学未来館と東京国際交流館で開催されていたサイエンスアゴラ2006や、新宿初台のオペラシティアートギャラリーで開催中の「伊藤豊夫展」へ行こうと思っていたのですが、体力の限界を感じて断念。
代わりに、新装開店した銀座の月光荘へ行き、その途中でギンザ・グラフィック・ギャラリーの「中島秀樹展 CLEAR in the FOG」を観て参りました。
ちょうど最終日ともあって、結構な人出。1階には大判のポスター類がずらり。さらに地下には、氏の手がけてきた雑誌・CDジャケット・書籍などが所狭しと並べられていました。
草間弥生展の図録など、見慣れたものもあってちょっとびっくり。
1階の作品は販売もされているとのことで、受付に値段表が置かれていました。レストランのメニューのような風情なのが妙に微笑ましい(笑)。
地下にあった、刺繍を利用した作品が私にとって一番印象に残りました。

移転した月光荘は、旧店舗の風情を残しつつなかなか素敵な改装を遂げていたと思います。
機会があれば地下でゆっくりお茶でも飲んでみたいです。

結局この日は最終電車で帰宅。
道路の気温表示は0℃。
とても寒くてたまらず、お風呂に入ってもまだ寒いのでおかしいなと思っていたら、どうやら風邪をひいていた模様。
26日はずっと寝込んでいました。
のど、鼻、咳、熱、頭痛、筋肉痛、のフルセット。これには参った。
東京の風邪は手強い。
早く復活できるようがんばります。


東京遠征11/24。

2006-11-25 01:52:03 | アートなど
昨日11月24日は、前日に引き続き東京で展示会を二つ観て参りました。

まずは、木場の東京都現代美術館で開催中の企画展「大竹伸朗 -全景-」および常設展。
大竹伸朗展については、完全に見くびっておりました。
とにかく半端ではない作品数。圧巻です。
2時間程度あれば充分だろうと思っていたところ、結局は常設展とあわせて約4時間かかってしまいました。
おそるべし。
地下1階から地上3階まですべてのフロアを総動員してコラージュや写真や絵画、立体、インスタレーション等々、様々な作品が所狭しと並んでいます。
具体的には、ライフワーク的なスクラップブックからはじまり、学生時代の落書きと作品、各時代時代で生み出した表現の数々がほぼ時系列順に並んでおり、氏の半生を記録する壮大なアーカイブのような展覧会でした。
作風も、媒体もがらりと変わる変幻自在の大竹作品ですが、なぜか常に変わらないのが密度の高さ。一見シンプルな作品でも、なぜだか高密度のエネルギーを感じさせる雰囲気のように思えました。不思議です。
企画展の作品を形容するなら、全般的に『何でもありのカオスとエネルギー』その一言に尽きるのではないかと感じます。
とにかく圧倒されました。

さて、次に渋谷のBunkamuraミュージアムで開催中の「スーパーエッシャー展」。
これも、少々見くびっておりました。
公式HPには、平均鑑賞時間約90分とあったので、2時間をみれば充分かなと考えていたら甘かった。
5時に入場して、会場を出たのは閉館ギリギリの9時。たっぷり4時間かかった計算です。
作品数が多いのもさることながら、内容的にも非常に密度の濃い企画展だったと思います。
2001年に大阪のサントリーミュージアムで観た「エッシャー展」よりも、ずいぶん構成がしっかりしていたように感じました。
私自身、版画の真似事でハンコを彫っているので、以前よりも着眼点が異なっていたせいか、いろいろと発見が。エッシャーの作品は木版が多く、ハンコ作成の上でもたいへん参考になる部分がたくさんありました。
ところで、観ていて強烈に感じたのが、エッシャーは数学やルールの人だったのだなあ、ということ。
作品制作の根底には常に、元となる数理概念や論理が潜んでいたようです。
そういう意味では、科学者と非常に親和性を持ったアーティストだったのだなと、今更ながら感慨深く思えました。
印象に残っているのは、作品では「夜のローマ」シリーズ。画を構成する線を、縦方向のみ、横方向のみ、十字形のみ、放射線のみ、45度方向のみ、など独自のルールで制限した作品群は、その制約がありながら不思議な精彩を放っていたように思えました。
正則分割のための習作ドローイングも、作者の考え方を知る上で非常に面白い。
(途中休筆。のちほどまた書き足します。)

他にも、森美術館で開催中の展覧会「ビル・ヴィオラ 『はつゆめ』」にも行くつもりだったのですが、残念ながら時間切れ。
色々な意味で密度の高い展示巡りだったと思います。