はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

福島遠征9/9。

2006-09-10 18:46:14 | アートなど
昨日9月9日は、福島県須賀川市の現代グラフィックアートセンター(CCGA)で開催中の藤幡正樹氏個展「不完全さの克服」を観て参りました。

Asahi01南東北フリーきっぷを使った鈍行の旅。
午前5時の始発電車に乗り、CCGA最寄り駅の水郡線小塩江駅に着いたのは午前9時40分。
無人駅にはコインロッカーもないという誤算。荷物を持ったままCCGAまで2.5kmの道のりを歩きました。
途中犬や虫にちょっかい出しつつ ゆっくりめに歩いて約40分で到着。
CCGAは閑静なゴルフ場の入り口に位置していました。
行ってみれば、奇しくもこの日はイベント日。藤幡氏の作品「オフセンス」と渋谷慶一郎氏とのコラボレーションコンサート&おふたりの対談が行われる旨を受付の方に教えていただきました。まだ席に余裕もあるとのことだったので、電車の時間を確認しつつせっかくなので申し込み。
イベントは午後3時半から。
それまでの間、展示を見たり、付近を歩いたり、ゴルフ場のクラブハウスで食事したり、CCGAロビーでくつろいだりと、非常にゆったりした時間を過ごすことができました。
藤幡氏の個展は、作品5点。インタラクティブ的な2点を含む作品たちは非常に密度の濃いものばかり。
まず、かつてせんだいメディアテークのオープニングイベントで観た「Beyond the pages」と嬉しい再会。
机に投影された書物を操作することで現実が変化する、という構成。無くなったリンゴは元に戻らない、ということに感慨。ひらがなの表示システムに気が付く。石の移動は質感を伴うようで何度やっても面白い。扉では座敷童に思いを馳せる。
「Unformd Symbols」はトランプの持つイメージとシンポル性を投影装置で操作することで実存と表象の関係性を問う作品。うまく騙される感が面白い。
「Pixel and Eyes」とある規則性をもって呈示された映像が小さな液晶モニタに流れる作品。白黒の分割が私の嗜好ストライク。
「Off-Sense」一つの空間、3つのフェイズを6つの人工知能が浮遊し、位相的に出会った人工知能同士が会話のようなものを繰り広げる。その音声と空間画像と各人工知能のアバターがリアルタイムで表示された作品。全貌を把握するのにしばらくかかりましたが、理解するにつれ『うひゃあ』となりました。
「モレルのパノラマ」真っ白な空間に投影される部屋自体の筒状パノラマ映像。鑑賞者が入り込むことで作品が変化してゆく。途中から作者も登場し不思議な同居感。くらくら。とても好きな作品。

ビオイ=カサレスの小説からのインスパイア作品があったり、パンフレットでボルヘスに言及していたりと、藤幡氏はホルヘ・ルイス・ボルヘスがお好きなのかな? と想像させる節があり、ボルヘス好きとしては妙に嬉しい限り。

イベント「トークセッション&コンサート:藤幡正樹×渋谷慶一郎(ATAK) メディアのコンディションを探る」では、形容し難い体験をしました。
渋谷氏のことはまったく知らずに臨んだわけなのですが、どうやらとあるシステムの上で構築した音を音楽として呈示しているらしいことは感じられました。木本圭子氏のことを少しだけ連想。しかし、全貌は私には解りませんでした。
惜しむらくは音楽というモノがタイムライン上に並んだリニアな性質のものであるということ。
いくら音楽原理がノンリニアな構造のものだとしても、実際に鑑賞者の耳に入るのは単一の時間経過にともなう音の変化だけにすぎません。
リニアな記憶力がなければ構造を理解しきれず、よって、音楽の真価を把握することはできません。
私は画像情報や意味関連を核にしたパラレルな記憶は得意なのですが、タイムラインの順番どおりのリニアな記憶が苦手なので、残念でなりません。
おふたりのトークセッションは40分にもわたる白熱したものでした。
途中、話が噛み合ない場面もありましたが、いろいろと示唆に富んだ対談だったと思います。

時間がおしたため帰りはギリギリ。CCGAの方に駅まで送っていただきました。
17時台の電車に乗って、ふたたび鈍行の旅。
電車の中で仕事などしつつ21時半過ぎに自宅へ帰り着きました。
これだけ移動して交通費2400円。
密度の濃いお得な遠征だったと思います(笑)。
Ccga


<font size="-3">大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ。</font>

2006-09-03 23:58:41 | アートなど
Daititanada01昨日9月2日は、新潟県の越後妻有地方(十日町市および津南町の一部)で開催中の「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」へ行って参りました。
このイベントは、720平方キロメートルに329もの現代アート作品を点在させるという、壮大且つつつましやかな里山タイプの芸術祭。
交通の便が悪いので宮城からの参加は難しいかと思っておりましたが、東京からの日帰りパックツアーが出ていることを知り、東京の友人をそそのかして共に参戦いたしました。
金曜夜に宮城からの夜行バスを利用して東京へ早朝着。
上越新幹線で越後湯沢へ。
越後湯沢からはパックツアーの接続バスで十日町駅へ。
十日町駅からはガイドつきバスツアーで「南回り1」というコースを回りました。
朝10時から夕方18時まで、都合50近くの作品を駆け足で鑑賞。
その後、十日町→越後湯沢→東京と逆の経路を辿り、ふたたび夜行バスで帰宅。
0泊3日。
非常に楽しく密度の濃い体験でした。

この芸術祭で特徴的なのが、その場にあることではじめて意味を持つ作品が多いこと。
もしも別の場所へ作品を移動しても価値が半減してしまうと思います。
いわば、人々の生活や文化を含めた包括的な意味で「土地固有」のアートが多いように感じました。
これは逆に言えば、『その場所に行かなければ意味がない』ということでもあります。
実際感じたのが、とにかく行かなきゃわからない、ということ。
少しでも興味のある方は、ぜひぜひ、とにかく行ってみて欲しい! と心底思いました。
また、この大地の芸術祭は運営がボランティアスタッフによって支えられているのも大きな特徴です。
ガイドつきバスツアーにはそれぞれ「こへび隊」と呼ばれるボランティアスタッフが同乗し、ガイド兼タイムキーパーとして活躍しています。
それだけではなく、こへび隊はいたるところで素晴らしい活躍ぶりを見せており、その姿がたいへん感動的でした。

もう一度行きたくてたまらないのですが、残念ながら会期は来週の10日まで。
3年後の次回はもっとじっくり回ってやろうと心に決めました。

以下、今回観た作品の感想を簡単に。

十日町
空家プロジェクトの4点。
No.41 土の音 たくさんの土鈴と焼き物の太鼓。土の楽器たち。音色がひとつひとつ異なって美しい。
No.42 最もよい彫刻 住民へのアンケートに依るベストパーツを集めた神様の彫像。やさしげな細面の観音像になっていました。頭に茨の冠、足下は蛇を踏みつけているのが印象的。
No.43 痕跡 歯科診療所の跡地をつかったインスタレーション。青い光が印象的。思わぬところで足踏み式の歯科ドリル現物を見られたのが感動。
No.44 ドリーム・ブランケット・プロジェクト 毛布の重層。その奥から語られる夢。圧巻。

中里エリア
車窓から2点。
No.171 中里かかしの庭 小紋柄のかかしが河川敷水田に散見される。
No.172 大地のグルグル 稲藁を使った巨大アート。揃った側面と渦巻きの曲線。とにかく美しい。圧巻。

No.170 小出の家 空家プロジェクト。建築プロセスを意識させる古屋。

No.184 ~187 ヘテロトピアへようこそ 廃校作品不在をコーディネートした作品4点。暗号作品に興味津々。
No.180 ブランコはブランコでなく 集落ごとに点在する巨大な竹のブランコ。ロープが非常に長いので、高くこいだ時の爽快感は格別。風景が変わります。おすすめです。

車窓から2点。
No.183 カクラ・クルクル・アット・ツマリ 棚田一帯に設置された小さな竹の風車が音を奏でる作品。えも言われぬ空気は感動的。すばらしい。
No.181 中里重地パブリック・アクセス・ネックレス 廃材利用のベンチ設置プロジェクト。座り放題の巨大ベンチから、各家々の玄関先に据えられた小さなベンチまで、集落まるごとをコーディネートした素敵作品。

No.178 ポチョムキン 産廃が不法投棄されていた川岸を公園に再生した作品。鋼鉄と玉砂利が不思議な枯山水的調和を演出。木々と光がとても美しい。
No.179 静寂の層 ポチョムキンを画廊に見立てて展示された写真作品。モノクロームの美しさが際立つ。

車窓から3点。
No.176 たくさんの失われた窓のために 谷間に向かって設置された窓枠と、そこにゆれるレースのカーテン。美しい。
No.175 森とつながる 木々に渡された鉄製の輪。そこに繁茂する植物。森と構造物がつながってゆく。
No.188 日本に向けて北を定めよ イギリス人作者が、自宅の構造をそのままの位相で設置した作品。地球は丸いんだなあと実感しました。圧巻。赤い鳥居との対比も面白い。

お弁当@林屋旅館 豪華弁当。
余談ですが、旅館の中庭に池があり、そこでなんと、イワナが飼育されていました! ずいぶん立派な体格だったので聴いてみれば、女将曰く、『養殖場へ繁殖用に貸し出し、そのお礼に現物支給で100匹の食用イワナを卸してもらったこともある』とのこと。イワナが稼いでくれたんですね(笑)。餌も動物性タンパクが必要なので、お刺身の余りを利用するなどいろいろ苦労されているのだそうです。飼育の腕に脱帽です。

松之山エリア
No.328 はがきプロジェクト 空家プロジェクト。それぞれの故郷について語るハガキを募り、暗闇の中にインスタレーションとして並べた企画。郵便局の識別バーコードをブラックライトで励起させた光が非常に美しい。一つ一つのバーコードの明かりと、故郷を語る人々とが一対一対応していることを考えると圧倒されます。二階にはハガキ表側の写真も。参加用のハガキ用紙も配布されていました。とても印象的な作品です。
No.329 最後の教室 廃校作品。旧東川小学校の体育館と校舎全体を使った闇と光のインスタレーション。人の不在を露にする舞台装置はとにかく圧巻。草いきれの体育館。回転翼で明滅する廊下。鼓動する闇の理科室。白布で覆われたバリケード。音楽室の魂の静寂。光の棺。 訪問者が異物になるような、圧倒的な存在感を持った作品だと思いました。もう一度行ってみたくてたまりません。大地の芸術祭へ行くならばぜひ体験してみてほしい一作だと思います。
No.298 森の学校キョロロ 自然博物館的な施設として6年前に建設された作品。豪雪に耐える鋼鉄製の建築物は、蛇が鎌首をもたげたような特徴的外観を有します。作品の一つである高い塔が印象的。暗く果てしない階段を登って辿り着いた展望台からの眺めが忘れられません。 館内では、地元でみられる生物たちを展示していたり、蝶のコレクションがあったり、木の作品をつくれる場所があったり。企画展では人間と同じ大きさに拡大した昆虫の写真が展示されていました。鱗粉の一枚一枚までが鮮明に映し出された写真には驚かされました。カラスアゲハの羽根に毛が生えていることにここではじめて気付きました。

松代エリア
車窓から1点。
No.283 農舞楽回廊 瀬替えによって消えた川の流れを黄色いポールで再現。

No.287 天竺 空家プロジェクト。外側からは想像もつかない世界が室内に展開。平泉の金色堂を思わせるような黄金づくし。日用雑貨を金で塗り替えたキッチュな絢爛豪華さはある意味バロック的。圧巻。
No.286 影/来し方行く先 空家プロジェクト。人々の記憶をまとった家。集落の家々に保存されていた記念写真をピックアップし、窓ガラスに焼き付けた作品。
No.291 無音花畑 空家プロジェクト。買い物袋でつくられた花が、小学校校舎に咲き乱れる。ストーブの花畑が印象的。古い小学校教室の様子も印象的。
No.292 私たちは、それをありありと思い浮かべることができる 空家プロジェクト。家屋二階の障子に描かれた半透明の絵画たち。屋外の風景を重ねることで思わぬ絵が立ち現れる。
No.290 七人の侍 英国の7人のアーティストが峠集落に暮らした滞在型アートの記録。
No.289 脱皮する家 空家プロジェクト。屋内のあらゆる可塑部を彫刻し、溝模様を刻んだ作品。とにかく徹底的。呆れ、圧倒され、感動すること請け合い。ものすごい存在感です。もう一度観たいと思えてなりません。
No.293 TOGE夏の庭 空家周辺に渡された水の道。樋と池を配したつつましやかな作品。

No.288 風のスクリーン 休耕田に設置された焼き物の壁。とんでもない構造物です。風景との融和が美しい。遠くからと近くから両方で観たい作品。

車窓から数点。
No.294 ステップ・イン・プラン 独創的なフォントの独創的な看板。一度見たら忘れられないこと請け合い。
No.282 風の原稿用紙 スキー場に整列した200もの白い升目。不思議な存在感を示します。
No.257 ○△□の塔と赤とんぼ 十字架のようにそびえる赤とんぼの塔。地元議員さんのエピソードが微笑ましい。
No.260 かかしプロジェクト 田に根付く家族を模したかかしたち。
No.252 円ー縁 6つの個性的な木工オブジェ。車座になって語り合う神像のよう。
No.251 花咲ける妻有 極彩色の巨大な花。草間禰生氏の作品だそうです。草間カラーと水玉は健在。圧巻。地元ではひそかに「人食い花」と呼ばれているそうです(笑)。たしかにそのくらいのエネルギーを持った作品。地元民の感覚は鋭く言い得て妙かも。
No.276 棚守る龍神の御座 丸太を組み上げたオブジェ。籠型の核にまとわりついた、流線型の勢いに満ちた丸太の束。まるで濁流で流された流木の束のようなエネルギーを感じます。あれほどランダムに、動的に丸太を組めるとは。とにかくものすごいオブジェです。一見の価値あり。
No.279 かかしの嫁入り 東京深川商店街のかかしコンテストから出張してきたカカシたちが田に整列。皆が故郷の方角を向いているのだそうです(笑)。東京現代美術館にお越しの際は、清澄白川で下車して深川商店街を歩いてみることをおすすめしたくなる作品たちでした。

No.234 農舞台 見た瞬間にうひゃあと叫びたくなるような建築物。MVRDVによる設計の文化施設だそうです。内部の配色にもクラクラ。とても印象的。ぜひまた訪れてみたいです。
周囲や内部に多数の作品があり、どれがどれやら書ききれないほど。食堂の配色と光の美しさ、そして、黒板づくしの教室という黒板好きの楽園(笑)のような作品が特に印象的です。
No.235 まつだい住民博物館 旧松代町全世帯を色と屋号で一枚づつの板に託し、駅からのアプローチを飾る。住民による歓迎のメタファー。よりしろやトーテムといったものも連想しました。
No.249 棚田 カバコフの作品。棚田に配されたオブジェと、空中に配されたキャプションが出会うとき、生きた絵本が立ち現れる。作品の位置と意味に気付いた時、なんてこった、と思いました。とてつもなく感動的。ある一点からのみ成立する舞台装置は場というものの力を存分に体現していたと思います。

車窓から数点。
No.233 ワンダフル赤ふん少年 赤いふんどしを締めた木彫の少年たち。川の記憶の担う作品。
No.231 ミルタウン・バスストップ 地元民のために企画されたバス停プロジェクト。かわいらしい外観。中がどうなっているのかを見てみたかったです。
No.230 イナゴハビタンボ 田の中に屹立する巨大な焼物イナゴの滑り台。エピソードが微笑ましい。これもぜひ実際に滑ってみたかった。残念。
No.229 人 自然に再び入る 休耕田に、植物と同化するかのように立つひとつの鋼鉄製人形。これもまたエピソードが微笑ましい。
No.33 マッドメン セメントと土でできた不規則な幾何学的構造物。薄闇に光を内包する姿が美しい。

(ふたたび途中休筆。また書き足します。)


Daititogeyakan



<font size="-3">茂木氏と空白。</font>

2006-08-18 23:05:17 | アートなど
最近、茂木健一郎氏が面白いです。
氏のブログ「クオリア日記」8月18日付けエントリ「自分でちゃんと空白をつくる」を読んでいて、『まったくもう、なんちゅう方だ、この方は! 大好きだぞ!』と思いました。
思わず身を案じてしまうほどに想像を絶する忙しさなはずなのに、大変になればなるほど軽やかな茂木節を炸裂させてくれる、そのおおらかさ。
私がはじめて茂木氏の名前を意識したのは「ちくま」の連載エッセイ「思考の補助線」においてでした。
とても静謐な、冷静で示唆に富んだ文章からは沈思黙考の科学者といった印象を受けたのですが、昨年8月の佐藤雅彦氏との対談でご本人を拝見してみてびっくり(笑)。
良く言えばフレンドリー。悪く言えば俗っぽい。対談ではそんな印象を受けました。
そのあまりのギャップにちょっとしたカルチャーショック(?)を受けてしまった私ですが、氏のブログを拝読するうち『はは~ん』と納得。このお方の中には科学者が目指す高みと日常のもろもろがきちっとした整合性をもって同居しているようなのです。対談で見せるなつっこさと鋭い論考イメージのハイブリッド具合もその延長かと。
そして、今年に入ってからは記事がますます面白くなってきたように思います。
殊に最近の氏の、冷静な視点で飾らず滑稽に自らを叙述する姿にはただただ脱帽。
読んでいて思わず笑ってしまうことも多いです。
(8月11日の記事に出てくる『ピピタンする』という単語には爆笑してしまいました。)
忙しくて余裕がないときほど豊かに炸裂する茂木節。
氏の精神性と創造性に心から賞賛を贈りたいです。
茂木氏が無事、珠玉の空白を手に入れられますようこっそりお祈りしています(笑)。



<font size="-3">記述ということ。</font>

2006-08-16 19:42:40 | アートなど
Rahmens.netでの小林賢太郎氏の8月15日付けコメントに驚きました。
ちょうどクリエイティブ・コモンズのことを考えていたところだったので、不思議なタイミングです。

私はメモに関する小林賢太郎氏の考えには賛同できません。
もっとも、レポートや感想類に苦言を呈するのであれば、著作権法的見地からは正当な主張だと思います。
芝居が言語で支えられている以上、舞台に関する言語ベースの叙述は多かれ少なかれ著作権に抵触するおそれをはらんでいるからです。公開されているレポートや感想はすべて法的にはグレイゾーンであると言えると思います。
しかし、メモを取るという行為に関しては非常に個人的な範疇の問題だと思うのです。

自分の話をしますと、私は相当なメモ魔です。
ラーメンズ関連の公演に限らず、おおよそほとんどの公演、講演、美術展、展示会、施設見学、シンポジウム、学会などなど、可能な限りほぼあらゆる興味事象と感想を自分なりに書き留めています。
その膨大なメモの中から、特に感銘を受けたもの・ひろく伝えたいと感じたものに関してだけを、感想やレポート、覚え書きとして表現しています。
つまり、メモしている段階では人に伝えるかどうかなどわからないのです。
メモはすなわち自分の体験を記したもの。
それを抑制するのは呼吸を奪われるように不自然なことのように、私には感じられます。
また、事象を記録するだけではなく、メモには自分の頭に浮かんだことをとどめておけるという性質もあります。
佐藤雅彦氏がヌーヴェルバーグの映画館で去来したイメージをひたすら書き留めたように、いろいろなことに触発されて浮かんだ考えを記録しておくことは、ある意味で創造性を支える原点とも言えます。
作品鑑賞中にペンを走らせる人を止めることは、物理的な作品保護の理由によるもの以外では、あってはならないと私は考えます。

著作権法という縛りもありますし、感想や覚え書きやレポートを控えて欲しいというのであれば、小林氏はそれならそうとはっきり公言すべきと、私は考えます。あのように半端なコメントでは妙な憶測や誤解をうむ恐れが強いと思うからです。
もしもグレイゾーン含め、制作者が感想や覚え書きが敷衍するのを望まないのであれば、こちらでも、たとえメモに依らないものであろうとも取り下げる意思はあります。似顔絵やハンコも同様。 著作権者の不利益につながる行為は私の本意ではないからです。
しかしながら、メモの自粛に関してはどうしても賛同できません。
ラーメンズ関連の公演に限らず、私個人に関しては これからもメモは続けてゆくと思います。

8月19日追記:誰も書かないことだと思うので敢えて書いてみます。
 舞台を観てその体験を表現したいと思うのは、その鑑賞者が創造性を持っている証拠だと思います。
 あのコメントは論旨がはっきりしないので何とも言えませんが、もしも小林氏が、舞台に関する情報を敷衍させるなと鑑賞者に望んでいるのだとしたら、それは鑑賞者の創造性を否定する考えだと思います。
デッドコピーは論外としても、 あのコメントによって多くの方々が舞台についての言及を差し控えるのだとしたら、それはとても悲しいことで、人間の創造性の持つ力を信じている私個人の視点から見ると間違ったことのように思えてなりません。
 法的な観点から情報敷衍を禁ずるのであればもちろん尊重しますが、その場合、私は表現者としての小林氏には失望すると思います。



<font size="-3">クリエイティブ・コモンズ。</font>

2006-08-16 07:33:34 | アートなど
ICCHIVE でその存在を知ってから気になっていたクリエイティブ・コモンズ
最近とても興味を持っています。
利用法によっては 作り手受け手双方にとって非常に有益なしくみだと思うからです。
学術研究における引用の範疇では取り扱いが難しかった事項に関しても、新たな切り口から考察や創作を行える可能性が生まれるのではないでしょうか。
このサイトにおいては まだクリエイティブ・コモンズで提供できるようなコンテンツを有していませんが、適用できそうな事項があれば随時準拠してゆきたいと考えています。

ところで、直接は関係ありませんが茂木健一郎氏の試みについて。
茂木氏はご自身のブログ「クオリア日記」に講演や対談の音声ファイルを逐一公開なさっています。
この試みは 氏が小林秀雄氏の講演テープに感銘を受けた体験に基づくものと推察されます。
茂木氏はクリエイティブ・コモンズを採用しているわけではありませんが、この氏の試みは、理念において非常に近い性格を有するのではないかと思えます。
この素晴らしい試みに感謝しつつ、これからもこっそり応援してゆきたいです。



<font size="-3">ジブリ映画「ゲド戦記」に対するル=グウィン氏の公式コメント。</font>

2006-08-15 23:15:55 | アートなど
長窪(ピピン)さまの「袋小路屋敷の庭」掲示板で教えていただいた情報です。
ジブリ映画「ゲド戦記」に対する原作者ル=グウィン氏の公式コメントが、8月14日付けで発表されたようです。

ル=グウィン氏の公式HP上コメント「Gedo Senki, a First Response」は→こちら

公式コメント公開経緯がちょっと悲しい。
宮崎吾朗氏、ちょっと軽卒ではないかと思えます。
対するル=グウィン氏はさすがというかなんというか、きわめて冷静に 真摯で的を射た文章を提示してらっしゃいます。
アメリカでの公開は最速でも2009年以降になるとのこと。
『作家と監督の幸福な出会い』とは言い難い結果になってしまったようですが、互いの仕事に無用な混乱が生じないよう祈るばかりです。



<font size="-3">木本圭子「Imaginary Numbers」。</font>

2006-08-14 22:01:18 | アートなど
土曜に東京都写真美術館の「ポスト・デジグラフィ展」で見た木本圭子氏の「Imaginary Numbers」が気になっていろいろ調べてみました。
どうやら書籍が現在も刊行中のようです。
amazonでの取り扱いもあるようです。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hazamanoiori-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4875023723&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=000000&bg1=ffffff&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

レヴューではなにやら酷評されていますが、おそらくレヴューアーは動画を見たことが無いのだろうと推察されます。
水に生じるカルマン渦や流体の挙動を美しいと感じる人間ならば、あの動きに反応しないはずがありません。
あの作品は動画でこそ本当の意味をもつものだと思います。
静止画では概念の持つ意味の面白さは伝わりにくいのではないでしょうか。
ということで、動画の販売を熱望してやまないわたくしなのでありました。
木本氏のサイトのムービーはバッファに時間がかかりすぎて充分に鑑賞できないのです。)
もしも作品領布について御存知の方がいらっしゃいましたら情報いただけるととても嬉しいです。



<font size="-3">東京遠征8/13。</font>

2006-08-13 23:43:33 | アートなど
本日も昨日に引き続き、東京で美術展を3つ観て参りました。

まずは、丸の内の宮内庁三の丸尚蔵館で開催中の「江戸の花鳥画 若冲を中心に」第5期展示。
今期は伊藤若冲の動植綵絵30幅のうち6幅と、森鉄山の「孔雀図」、円山応挙の「牡丹孔雀図」、そして作者不詳の「花卉図」などが展示されていました。
若冲6幅の内訳は以下の通り。
「老松孔雀図」「芙蓉双鶏図」「薔薇小禽図」「群魚図<蛸>」「群魚図<鯛>」「紅葉小禽図」。
孔雀祭り、お魚祭りのような展示でした(笑)。
まず、森鉄山の「孔雀図」はすごかった。
孔雀を間近で見たことのある方なら御存知と思いますが、オスの飾り羽根には緑と金と紫の金属光沢がございます。羽軸から羽毛の繊維が出ていて、その繊維と繊維を結ぶ灰色のひだひだ上に緑・紫・金に光って見える色素が乗っかっているわけです。そのひだひだ部分が、光の反射角度によって微妙に色合いを変えるため、まるでびろうどのような複雑な陰影が生まれ、あのような派手派手しい羽色を演出しています。
で、鉄山の「孔雀図」は、まさにこの陰影を忠実に写し取った精密この上ない描写なのです。
孔雀の羽根を手に入れて、羽毛の繊維を一本一本観察していたのではないかと思われるほどです。
どことなく静物画的なスタンスで描かれているような印象を受けました。
応挙の「牡丹孔雀図」は、孔雀と牡丹の配置全体のあでやかさを描いた、もの柔らかで華やかな絵。精密さは二の次で、雰囲気と躍動感を大切にしているような印象を受けました。
若冲の「老松孔雀図」は、松の枝で鳴く白孔雀を描いたもの。白一色という難易度をものともしない孔雀の精緻な描写は毎度ながら。繊細なレースのように透ける羽根の精密さたるや、呆れるほどです。それなのに、静物画を思わせるどころか、一瞬の動きを封じ込めたかのような不思議な躍動感を持っています。
はじめて実物を見たときから感じていることなのですが、若冲の絵はいつもどこか過剰であるような気がします。そしてその過剰さが生命感を生んでいるようにも思えます。過剰さはえてしてグロテスクな印象をもたらしがちですが、若冲の場合はなぜかそれがほとんど感じられません。むしろ生真面目なユーモアすら感じられる気がします。不思議です。
「薔薇小禽図」は、モッコウバラらしき3種の蔓バラが咲き乱れる中、コルリのつがいが画中に遊ぶ絵柄。まったく関係ないのですが、ずいぶん以前に読んだ最相葉月の科学エッセイ「青いバラ」の、バラの育種に関する歴史に思いを馳せてしまいました。
「群魚図」二幅は、もうニヤニヤしっぱなし。シュモクザメやネコザメを上部に見つけてニヤリとしたり、蛸の足先に某物を見つけて吹き出したり、コハダやサバやカタクチイワシ、シラウオに微笑んでみたり。二幅をこの配置で並べてくださった館側に感謝。
ところで、今回私が一番気に入ったのは「芙蓉双鶏図」です。
鶏が時折見せるとんでもない姿勢。第3期の「紫陽花双鶏図」もそうでしたが、『生き物は典型的な格好だけしているわけではない』と知らしめる見本のような描写が、鶏らしくてとても好きなのです。ときに間抜けだったり滑稽だったり、むちゃくちゃだったりする生き物の、その一瞬をとらえた鮮やかさは並大抵の観察では成し得ないものなんじゃないかと思えます。
若冲は鶏が好きだったんだろうなあ、と。しかも、野生に近い斑入りモザイクの羽色の鶏が好きだったんだろうなあ、と想像されて微笑ましいです。

三の丸尚蔵館での若冲の展示は今期が最後。9月10日で全会期が終わってしまいます。が、2007年には釈迦三尊図のある京都の相国寺で30幅が里帰り公開されるのだそうです。第1期と第2期で見逃した12幅と併せて30幅を総覧してみたくて仕方がありません。
叶うかどうかはわかりませんが、いつか行ってみたいと考えていた知恩寺の手作り市とあわせてぜひ訪問してみたいものです。


さて、次に、新宿初台の東京オペラシティーギャラリーで開催中の「インゴ・マウラー展」を観て参りました。
初期の照明作品(製品)から、低圧ハロゲンランプシステム、独創的な形の照明作品、インスタレーション、LEDや有機ELを利用したハイテク作品などが、テーマ毎にずらりと配置されておりました。
インスタレーションと、蝋燭を使った作品、そしてLEDのテーブルが気に入りました。
とりわけ、星をちりばめたようなLEDのテーブルは美しくて美しくて。しばらくぼーっと眺めていました。ベンチに座ってみたかったのですが、可否がわからず自粛。警備員さんに訊いてみるんだったと後悔しています。本当のところはどうだったのでしょう。気になります。
ところでこのテーブル。面白いなと思ったのが、電源供給の方法です。ぱっと見はどこから電気が来ているのかわからないように工夫されていて、はじめに見たときは一瞬、自発光ではなく反射光かと思いました。実際は電源操作部と思われる配線が、テーブル下に置かれた年代物の旅行鞄に巧みに隠されているようです。このこだわり。さすがだなと思いました。
そういえば、低圧照明システムのインスタレーションで台に置かれていた単体のハロゲンランプを見て顕微鏡やHPLCのUV検出器を思い出してしまった私はたぶん何かが間違っています(笑)。

企画展の半券で、同時開催の収蔵展「素材と表現」および若手支援の企画「山川勝彦展」も観ることができました。
「素材と表現」には、独特の質感を持った絵画と立体作品が多数展示されていました。ひそかに川瀬巴水の版画があって、個人的には思わぬ喜び。そして、河内良介氏の鉛筆画に衝撃。鉛筆があれほど表情豊かな表現可能な画材だったとは。美術部時代含め私はいったい今まで鉛筆の何を見ていたんだろう?と思うほど、目からウロコですっかり感心しきってしまいました。鉛筆ってすごいんですね。考えを改めねばなりません。
他にも個性あふれる作品がたくさん。企画展に負けず劣らず見ごたえたっぷりでした。
「山川勝彦展」は、若手作家の個展。緑を基調とした抽象と具象のあわい。一度でも一目見ればそれとわかる不思議な個性を持った作家さんだと思います。


さて、最後にインター・コミュニケーション・センター(ICC)のリベンジ鑑賞。
前回6月の訪問時には うっかりオープニング・シンポジウムを聴いてしまったがために、時間がなくて半分も観れていませんでした。
今回は折しも、キッズ・プログラムが開催中で、会場は親子連れと子供たちが大勢。作品そのものの面白さもさることながら、夢中になって作品と向き合う子供たちを見ていると面白さ倍増でした。
ギャラリーAに配置されたインタラクティブ型の作品群が、子供たちにも大人気。展示の仕方も参加しやすいよう工夫されていて感心してしまいました。
ちょうど15時からゴラン・レヴィンの「スクラブル」という作品の演奏会もあり、先日のOPEN STUDIOが記憶に新しい東京藝術大学大学院の学生さんが客演パフォーマンスをなさっていました。
ちなみにこの作品、8マス×32マスの格子が投影されたテーブルにモノを置いて影を作ることで、音階とリズムのシークエンスを生み出してゆくというもの。テーブルのY軸が音階を、X軸が時間を規定しており、白い光がテーブルのX軸上を走って、その光を遮るモノの位置と幅に応じて音楽が『演奏』されます。光が走る速度は1rpm~1500rpm以上。使い方によってはかなり多彩な音楽を奏でることができます。
パフォーマンスは二名での演奏でした。テーブル自体が結構な広さなので、かなりせわしなく動き回らないと速いテンポの演奏は難しいようです。高音部と低音部、シーケンス前半と後半をそれぞれ分担して多彩な音を奏でてらっしゃいました。
ところで演奏を見ながら、『これはTENORI-ONのテーブル版みたいだなあ』と考えていました。
「スクラブル」がもっと小さくなって、さらにシーケンスのレイヤーが加われば、岩井俊雄氏のTENORI-ONみたいになるのではないかと(笑)。
5月に拝見した公開講座でのTENORI-ONライブを見た限りでは、レイヤー&自動リピート機能が演奏の要となっていたように記憶しています。それらが 人間の持つ動作スケールの問題を補うための機能だったのだなと、今回の「スクラブル」を観ながらはじめて気付きました。
演奏会後に私もこの「スクラブル」を触ってみました。法則性をみようといろいろ実験していると、子供たちが次々参入。目的は達せられませんでしたが、予想外のコラボレーションカオスになって面白かったです(笑)。
(もしも液クロのチャート波形や生き物の動きを「スクラブル」にかけたらどんな音楽になるのでしょう? いろいろと妄想が広がります。)

無響室も体験。耳鳴りと無音の圧のようなものを感じました。そして、部屋から外へ出た時にさらに小さな感動を体験。世界が豊かな音にあふれていることを実感させられました。
他にも、前回は静止時間帯だった「ジャグラー」が稼働しているのを見られて満足してみたり、「木霊」と理想的なコミュニケートしている子供に感心したり、「仮想生命」創出に夢中になる子供たちに驚いたり。
予想以上にICCを満喫できました(笑)。

お子さんをお持ちの方々には、キッズ・プログラム開催中のICC、とてもおすすめです。


観られるものは観られる時に観ておく、試したいことは試したいときに試しておく、その姿勢の大切さをあらためて教わったような気がした今回の東京遠征でした。



<font size="-3">東京遠征8/12。</font>

2006-08-12 23:53:39 | アートなど
本日8月12日は、東京で展覧会2つと芝居を1ステージ観て参りました。

まずは、恵比寿の東京都写真美術館2階で開催中の「中村征夫写真展」。
じつは、この催しのことは現場に行ってはじめて知りました。
ポスターと共通券に惹かれて足を運んでみれば、『海中2万7000時間の旅』という副題が示す通り、海中写真家中村氏の個展。
多角的な視点でとらえた海の写真たちは実に多彩。
まず、ポスターにも使われている写真に不意打ちをくらい、冒頭からノックアウト。ポスターで既に見ているはずなのに、写真原版を目にした瞬間なぜだか思わず涙腺が緩んでしまいました。逆説的な見立てによる意味づけと配置の妙による効果だとは思うのですが、それだけでは説明できない不思議な感動に満ちた写真に思えます。
世界各地の海、日本近海、東京湾、様々な海の様々な生命たちを写した作品群は美しかったり、ユーモラスだったり、グロテスクだったり、神秘的だったり。多彩な生き物たちに焦点をあてた博物誌的コーナーもあり、貴重画像多数。シンデレラウミウシやインターネットウミウシなんて生物がいることを初めて知りました(笑)。海洋生物学視点からも楽しめそうです。
さらに圧巻は、モノクロームのコーナー。原寸大のザトウクジラにはただただ驚嘆。そして、照明の冴えにもただただ感心。光の粒子を物理的に記録する銀塩写真だからこそ再現できる表現というものが確実に存在するのではないかと、そう感じさせる質感豊かな写真群でした。
まだ昼前だというのに観客も多数。子供から大人までさまざまな年齢層が見受けられ、人気のほどがうかがえました。
写真に興味がある方のみならず、海の生き物好きにもおすすめしたい展覧会だと思います。

さて次に、同じく東京都写真美術館の地下1階で開催中の「ポスト・デジグラフィ展」。
デジタル表現の変遷を総覧できるかと足を運んだわけなのですが、その目的を忘れてしまうほどひとつの作品に激しく惚れ込むという思わぬ出会いを体験いたしました。それについては後ほど述べるとして、まずは展示概要を。
まず、地下の無料スペースには、展覧会のコンセプトと導入作品が配置されていました。
3D映像の再生ブース、ハイヴィジョン対応型ディスプレイ搭載パソコンなど、最新の視覚効果技術を示すいっぽうで、円筒鏡を使っただまし絵の作製法を解説する17世紀の図版や、モーフィングの基礎的考えの元となった蛙からアポロンへの変化図版など、視覚効果技術黎明期の歴史的書物を展示。さらに分野毎の歴史を総覧できる年表までが一挙に公開されていました。
巧みな導入だと思います。
有料スペースには、最新デジグラフィ技術の成果として、美術品の情報アーカイブ構築の一例や、3D対応ディスプレイなどが展示されていました。すごいなと思ったのが、入り口すぐ正面にあった3D対応ディスプレイ。これ、厚みや見かけなどはいっけん普通の液晶モニタと変わらないように見えるのですが、映像が流れるとあ~ら不思議。驚くほどの立体感を伴った視覚効果が得られます。よ~く見てみると、スリット型の走査線が細かく斜めに走っており、その配置が立体感の秘密を担っているのではないかと推察されました。しくみをもう少し知りたいものです。
他に、メディア芸術祭の受賞作品上映スペースも。
さらに、デジタル表現に関する歴史的催しの記録、さらには技術や思想のキーポイントを形成してきた論文や成書が時系列順に紹介されていました。
他にも、大画面で河口洋一郎氏の作品が上映されていたり、この催しの感想をgoogle earthと連動させる形で送信する参加型プロジェクトがあったりと、じっくり見るにはとても時間のかかる内容でした。
さて、ところで、今回私がもっともはげしく心を奪われたのが木本圭子氏の「Imaginary Numbers」という作品でした。
会場の片隅にひっそりと配置された壁埋め込み型の黒いディスプレイ。そこに、白い粒子が軌跡を描く作品なのですが、数秒見た時点でその場から動けなくなりました。あまりにも美しく感じられたからです。
複雑で繊細な、しかしどこか規則性を感じさせる粒子の軌跡は、まるで原子のスピンや銀河の生成を再現するかのよう。何らかの数理的アルゴリズムに基づくものではないかと直感しました。
呆けたように見入ることしばし。ドキドキしながらふと脇を見ると、「Imaginary Numbers」の元となった数式とパラメーターが解説されているではありませんか。しかも動画つきで!
こちらも食い入るように見つめることしばし。要素Aと要素Bの分岐式とパラメーターを、5つの集合点でフィルタリングしてやることで、あのような思わぬ美しさに満ちた表現が生まれるとは。納得するやら感心するやら。解説映像の素晴らしさもあいまって、動悸が止まらなくなりました。
この木本氏の作品に関しては未だ興奮醒めやりません。
怖いほどに大好きです。
何らかの数理概念を形にした繊細なモノクロ表現に反応してしまう自らの嗜好性を改めて実感しました。
(木本氏のサイトをみつけました→こちら
(白黒反転していますが、今回の展示に関連した画像が→こちら

内容が内容なだけに、すべての人におすすめというわけではありませんが、この「ポスト・デジグラフィ展」、デジタル技術やCG画像変遷に興味のある向きにはおすすめです。

写真美術館を出ると外は暗雲。恵比寿駅に着いた時点で土砂降りに。
鑑賞に予定よりも大幅に時間を取ってしまったので、慌てて次の目的地 新宿へ向かいました。

さて次に、新宿のシアタートップスで上演中の、親族代表「りっしんべん」15時公演。
嶋村氏、竹井氏、野間口氏からなる3人組のコントユニット"親族代表"のオムニバスコント公演です。
今年の初頭に「3」を観て以来2回目の作品鑑賞。
私自身は まだいまひとつ「親族代表」としての公演個性を把握しきれていませんが、前回同様とにかく演技力の高さに舌を巻きました。また、外部脚本が多いのでコント作品の内容は様々なのに、不思議と統一されたトーンが印象的に感じられました。
作家陣という観点からみると、シチュエーションのたたみかけで話を推し進めてゆく千葉雅子氏、手法と構造から言葉によって状況を構築してゆく小林賢太郎氏、それぞれの作法が如実に現れているようでとても興味深かったです。

観劇後には久々に紀伊國屋書店本店に立ち寄りました。
まずは「美術手帖」別冊の越後妻有アートトリエンナーレ特集を入手。
さらにバイオコーナーで最近の遺伝子工学雑誌を立ち読みし、siRNAとFRET特集に感慨。この分野はほんとうに発展目覚ましい。全力で走らなければすぐに置いてけぼりをくらいます。
最後に1階の文芸新刊コーナーをうろうろしていたら、思わぬところで佐藤雅彦氏の新刊「Fが通過します」に遭遇。"平積み"ならぬ"立て積み"とでも言えばいいのでしょうか、えも言われぬ形容し難い配置で大量に開架されておりました(笑)。
ディスプレイの様子を写真に撮りたくて仕方なかったのですが、涙をのんで自粛。
紀伊國屋書店さんは店頭販売の様子も広報すべきだと思います。だって面白すぎなんですもん(笑)。

昨日の後遺症か、ホテルの最寄り駅を間違えるという大ミスハプニングを最後にやらかしましたが、今日も総じてエキサイティングな素晴らしい1日だったと思います。



<font size="-3">360VR、圧巻!</font>

2006-08-05 14:40:22 | アートなど
岩井俊雄さんのTENORI-ON開発日誌で360VR.comのことが紹介されています。
360VRはネット上で360°パノラマ写真を公開しているJook Leung氏のバーチャルリアリティプロジェクト。
で、ボストンのシーグラフにこのLeung氏が現れ、岩井氏のモルフォビジョンの360VR写真を撮っていったのだそうです。
この360VR写真というのがまた、圧巻!
すごい臨場感です。
一見の価値あり。
面白い物好きはぜひぜひご覧あれ!

「TENORI-ON開発日誌」該当記事は→こちら
Jook Leung氏の360VR.comの該当ページは→こちら



<font size="-3">東京遠征7/30。</font>

2006-07-30 23:33:42 | アートなど
上京最終日の今日は、美術関連の展示をふたつ見て参りました。

まずは、品川の原美術館で開催中の「束芋 ヨロヨロン」。(原美術館のサイトは→こちら 重いサイトなのでナローバンドの方は注意。)
先週トップランナーで取り上げられたためもあってか、開館時間直後だというのに大盛況のにぎわいでした。
代表作「日本の台所」をはじめ、新作「公衆便女」など、6つのインスタレーションと複数のドローイングが展示されていました。
日本の都市文化と身体へのグロテスクな視点が特徴的。非常に個性的なアニメーションが、これまた個性的な舞台装置の中で映写されている作品群は圧巻。
今回の展示を見て、5年前の横浜トリエンナーレ2001で赤レンガ倉庫会場にあった作品が束芋氏の作品「日本の通勤快速」であったことに今更ながら気付きました。当時は名前をまったく意識していませんでしたが、斬新な舞台装置が印象的だったことはよく憶えていたのです。
毒を含む表現も特徴の一つ。一度見たら忘れられないこと請け合いです。
ところで、この展示を見ていて感じたのが、束芋氏は生命をグロテスクなものとして捉えているのではないか、ということです。たとえば頻出する身体パーツのモチーフ。変容を伴い、常に過剰なほどに生々しく表現されています。この方の根源的な意識では身体組織は気味の悪いものとして理解されているのかな、という印象を受けました。
そこでふと思ったのが、生物学における生命現象の描写との対比です。たとえば日常的にナマの組織や臓器を扱っている臨床家にとっては、生体組織は『システマティックで驚きに満ちた柔軟で美しいもの』として認識されていることが多いと思います。術野メモなどもリアルはリアルなのですがどこか無機的な印象を受けること多々。生々しい現実の生体を見ている人間よりも、イメージとして生体を想像している人間のほうが過剰な生々しさを描いてしまう不思議。面白い逆転現象だと思いました。
生命の受け取り方も人それぞれなのだなと感じ、少々釈然としない気分になりました。

さて、次に訪れたのは丸の内の宮内庁三の丸尚蔵館で開催中の「江戸の花鳥画 若冲を中心に」第4期展示。
今期は伊藤若冲の動植綵絵30幅のうち6幅と、「旭日鳳凰図」、そして酒井抱一の「花鳥十二ヶ月絵」などが展示されていました。
「動植綵絵」6幅の内訳は以下の通り。
「老松白鳳図」「向日葵雄鶏図」「大鶏雌雄図」「群鶏図」「池辺群虫図」「貝甲図」。
前回の第3期展示でも圧巻!だった若冲ですが、今回の展示もまたひときわとんでもない描写の傑作揃い。
「群鶏図」では呆れるほどのディティールとデフォルメーションにクラクラし、これは絶対に生物そのもに興味を持っていないと描きようがないに違いない、と思っていたら、「池辺群虫図」で完全に不意打ちをくらいました。
昆虫、節足動物、両生類、爬虫類・・・・。
ありとあらゆる虫たちが配された画面。蝶やトンボ、バッタ、蛙はまあいいとしましょう。しかし、画面下に目をやれば、なんとハサミムシやカマドウマ、オケラやゲジゲジまでいるではありませんか。
これら目にした瞬間、思わず涙が出そうになりました。本気で感動してしまったからです。
いわゆる不快昆虫、害虫と称される生き物たち。しかしその描かれ方は精緻にして的確。気味悪さを強調するようなこともありません。華やかな昆虫たちと何ら差別されることなく対等に描かれています。
『これはもう、本物だ。』と思いました。生物への愛情と的確なまなざし。こんな視点を持って絵を描いている人間が日本にいたという事実にすっかり嬉しくなってしまいました。
生物学に携わるすべての人間は、若冲の「池辺群虫図」を見ておくべきだと思います。いや、冗談ごとではなく本当にそう思います。
四の五の悩む余地なくただ単純に、生命は驚異に満ちた素晴らしいものだ!ということがすこーんと伝わってきます。
束芋氏の作品を見て釈然としなくなっていた気分をいちどにひっくり返してくれました。
思いついて、作中の生物たちの種類をメモしてきました。
私が認識できた種を以下列挙。
ジョロウグモ、クロアゲハ、シャクトリムシ、タテハの幼虫、アゲハ(春タイプ)、クロイトトンボ、オニヤンマ、カナブン、アブラゼミ、アキアカネ、ヒョウタンムシ、ヤマカガシ、ショウリョウバッタ、トノサマガエル、ガマガエル、アマガエル(灰色に擬態したもの)、アカハライモリ、トカゲ、カナヘビ、カブトムシ、オタマジャクシ、ナメクジ、カタツムリ、スズメガの幼虫、キリギリス、ウマオイ、スイッチョン、カマキリ、ミノムシ、カマドウマ、コオロギ、ハサミムシ、ゲジゲジ、ヤスデ、ムカデ、ジグモ、オケラ、ミミズ、クロヤマアリ、アブ、ハエ、トノサマバッタ、マルハナバチ、ヒシバッタ、モンシロチョウ、ジガバチ、ホタル・・・・・。
このように、尋常じゃありません。
虫好き必見です。

「貝甲図」もすごかった。若冲さん、なんでこの貝を知っているんですか?と問いたくなるような種類の貝までが、とにかくこと細かに描かれているのです。画面右端にツノガイを発見したときは、驚きを通り越して思わず笑ってしまいました。降参です。
陸前高田市の貝のミュージアムは、この「貝甲図」のレプリカを飾っておくべきだと思います(笑)。
そういえば、会場でたまたま一緒になった学生さんらしき二人連れ。自ら日本画を描かれるのでしょうか、単眼鏡で絵を観察しながらしきりに「すげー! 花の上の蜂、すっげー綺麗! 切れがある!」「あの羽根! ありえない! ありえない! おかしいよ、この人!」と絶賛していたのが印象的でした。この方々のコメントには私も同感です(笑)。

見るたびに新たな感動を生む若冲の「動植綵絵」。1期と2期を見逃したことが悔やまれてなりませんが、残りの第5期を楽しみにしたいと思います。
なお、「池辺群虫図」が見られる第4期は8月の6日まで。
少しでも興味のある方はぜひ足を運ぶべき! どうぞお見逃しなく!

ちなみに、ラーメンズの第11回公演「Cherry Blossom Front 345」のフライヤーに使われている絵は、この「池辺群虫図」をモチーフにしたパロディーだと思うのですが、言及されている方を見かけないので気になっています。どなたかご意見をお聞かせいただければ幸いです。

一昨日、上野の国立博物館でも若冲関連の展示(プライスコレクション)を見てきたわけなのですが、若冲の作品を見るのが目的ならば三の丸尚蔵館の展示に軍配を上げたいです。とにかくひとつひとつの作品の密度が濃い。不自然に混むこともありませんし環境も快適。
あまり宣伝されていませんので、本当に見たい人が見に来ているといった印象を受けます。
若冲のとんでもない絵をじっくり見たい方には上野よりもこちらがおすすめです。



<font size="-3">東京経由横浜遠征7/29。</font>

2006-07-30 01:15:03 | アートなど
昨日7月29日は、東京で芝居一つと横浜で展示を少し、そして友人との会食を楽しんで参りました。

まずは、東京下北沢駅前劇場で上演中の QC3000「脳内DISCO bug」14時公演。
オクイシュージ氏の放つ、アドリブと台本の境界融合を目指したコント集です。
私は久ヶ沢徹氏ご出演ということで足を運びましたが、期待以上の臨場感に満ちた舞台にニヤリ。どのようなゆらぎを持っていたのか、複数回見届けられないのが残念でなりません。
存在感のある空気を持った5人の役者さんたち。気になる存在が増えてしまいました。(そして、佐藤貴史氏はほんの少しだけ音尾琢真氏と似ているような気がしたのは私だけでしょうか。)
ところで最近、いろいろな創作物を見ていて感じるのが、都市生活に立脚した文脈が非常に多いということです。制作者が都市で生活している以上あたりまえのことなのかもしれませんが、なにか世の中の落とし穴を象徴しているようで釈然としない気分になります。もう少しひきつづき考えてみたい問題です。

さて、次に、横浜の新港地区で開催中の「OPEN STUDIO Vol.2」 のリベンジ鑑賞。前回見逃した数作品を滑り込みで拝見してきました。
気付いてみれば『なぜ前回気付かなかったのだろう』という映写位置。ひょっとすると、柱の出っ張りが前回の私の立ち位置からの視界を偶然塞いでいたのかもしれません。なお、見逃していたのはスライドショー作品3つ。以下ひとくち感想&勝手な解釈。
「bottom line」 : 視点対象の固定と周囲の変化。変わらないものと変わるもの。潔い。
「風景の箱」 : 風景をXYZ軸から捕捉し、直方体として表現。非常に面白い。とても好きな作品です。
「ビヴラート」 : 床面すれすれに映写される小さな小さな扉。まるで異界にでも通じていそうに見えてしまいます。縮尺が変わるだけでこんなにも印象が変わる不思議を実感。大好きな作品です。書庫の片隅にでもこっそり映写しておきたいなあと夢想してしまいました(笑)。

bottom lineにニヤリとし、風景の箱に感心し、ビヴラートに心をつかまれました。あぶなく見逃すところだったこれらの作品、出会えて本当に良かったと思います。
ふと思い返せば、私は極端な縮尺の、小さな作品が好きなようです。三重県立美術館で階段の隅にみかけた小さな小さな螺旋階段のオブジェ。横浜トリエンナーレ2001でみかけた小さな小さな扉。昨年のトリエンナーレ2005で観たさわひらき氏の映像作品「trail」。そして、今回拝見した扉の映写作品「ビヴラート」。いずれも、別世界や別の規範の気配を感じさせてくれるとでもいいましょうか。どこか懐かしさと憧れを惹起させるような心地良さを与えてくれる作品だと思うのです。
小動物たちを見ていても感じることですが、小さなものに宿る存在感は、独特の確固たる世界を築き得る要素なんではないかと思えます。

さて、最後に大学時代の友人と久々の会食。
話題は多岐に。以下、特に面白かったことだけキーワードで。
西ナイル熱と日本脳炎の抗体交差性について。
アメリカのBSEリスク評価の恣意性について。
プリオンの立体構造について。
鳥インフルエンザのバックミューテーションリスクと暴露群のポピュレーションについて。
パンダちゃん展について。
仔パンダの可愛らしさがズルすぎることについて。
クマの体重測定について。
イタリアのスリについて。
サラリーマンNEOについて。
ヨコハマEIZONEについて。

これだけ広範囲に話の通じる友人に感謝。
ごくごく個人的に嬉しいことも多く、たいそう充実した本日でした。



<font size="-3">横浜遠征7/23。</font>

2006-07-23 23:57:16 | アートなど
昨日に引き続き、横浜で開催中のヨコハマEIZONEへ行って参りました。
まずはZAIM。
昨日購入したチケットで入館。
行ってみると、いろいろな展示が各階で行われているという、まるで文化祭のような形態でした。
印象に残っているものだけ以下抜粋で。
・伊藤有壱 I TOON'S CAFE クレイアニメーション作家として知られる伊藤氏の展示。実際に撮影に使われた造形物が惜しげなく並べられていました。「ニャッキ!」や「グラスホッパー物語」などのセットもあって、実物は思ったよりも大きいことを知りました。他にも伊藤氏の事務所I TOONが手がけたCMなど、映像作品を上映するコーナーもあって、なかなか贅沢な作りになっていたと思います。
・明和電機 製品プロモーション映像のカット割りコンテ展示と、その実例である「魚器図鑑」映像が上映されていました。一部の量販製品展示もあり。カット割りコンテは、音楽のタイムラインに沿って厳密に時間と映像が管理されている様子を知ることができ、とても面白かったです。画像イメージを書き込むの四角い枠、リズムや歌詞を書いゆく時間進行枠、カットにおける注意事項やテロップを書き込むノート枠。とても機能的な書式デザインです。作る映像によってカット割りを書き込んでゆく様式が微妙に変わっているのにも興味を覚えました。
・デジスタ・アウォード 歴代受賞作品展 その名のとおり、NHK BS2で放映されているデジタルスタジアムの受賞作を集めた作品展。選りすぐりだけあって、とても見ごたえがありました。嬉しかったのが、実物を見てみたかった鈴木太朗氏の「青の軌跡」を拝見できたこと。観客が他にほとんどいなかったので、ほぼ独占状態で見ることができました。今年の4月15日に京橋で「大気のかたち」を観に行ったとき、会場でこの「青の軌跡」の映像が流れていたのですが、ご本人もおっしゃっていたように映像と実物とでは見え方がまるっきり違うことを実感。やはり実物作品の持つ質感と繊細さは、映像では到底再現しきれるものではありません。ぜひぜひ多くの方に訪れて観ていただきたい作品だと思いました。
 他に度肝を抜かれたのが間瀬実郎、AC部、小松好幸3氏のコラボレートによる「3D Table Theater」。アクリル板の反射を利用し、4つの階層に分割した映像を遠近法的に重ね合わせることによって、驚くほど立体的な映像が立ち現れる作品です。しくみは明快ですが、そのしくみから生み出される表現には原理だけでは説明できない感動が生まれているように思います。殊に、モノクロで構成された映像がとても美しく、いつまでもぼおっと眺めていました。
 鈴木康広氏の「遊具の透視法」も衝撃的な美しさでした。見た目にも美しいけれど、なにより概念的に美しすぎます。物理的には存在しない球形のスクリーン。それなのにたしかに映像は存在する。いわば人間の脳内にのみ見える世界の呈示。真横から見た時の左右反転映像にもかなりドキドキしてしまいました。
 映像作品はひと通り見たのですが、多くが都市の理論で私情を綴ったもののように感じられてしまって、いまひとつ私の心には響きませんでした。そんな中で妙に惹かれたのが近藤聡乃氏の「電車かもしれない」。

(途中休筆。のちほど書き足します。)



<font size="-3">東京経由横浜遠征7/22。</font>

2006-07-22 23:55:17 | アートなど
本日は、東京銀座を経由し、横浜でアート関連の展示を2カ所観て参りました。
まず、銀座の「月光荘」へ。
水彩画材用ちびバッグの使い心地が良かったので、ふだんも使えるサイズのかばんを新調。
リュックにもなる肩掛けタイプを連れ帰りました。
唯一の欠点はA4版サイズの紙が入らないことですが、それを差し引いてもとても便利。
さっそく愛用しています。
これでポケットの無い服を着ることができます(笑)。
ユーモアカードの新作展示があったので、ギャラリーも拝見。
独特のトーンあふれるカードたちにニヤリ。

次に訪れたのは、横浜のみなとみらい21新港地区にある東京藝術大学大学院新港校舎。映像研究科のOPEN STUDIO Vol.2を見るためです。
横浜を舞台にした映像芸術の祭典「ヨコハマEIZONE」とタイアップする形で、催しの期間中にラボの研究成果が作品展示という形で広く一般公開されています。
正直、少々見くびっておりました。観賞時間は1~2時間あれば充分だろうと。
ところが。
フタを開けてみれば大間違い。
非常に『濃い』のです。
研究科を率いる教授陣4名と16名の学生さんたちが、科が開講されてからの3ヶ月間、どのようなことを学び、実践してきたか。授業のコンセプトや概要とともに、その成果としての作品群が惜しげも無く展示されておりました。
まず感心したのが、それぞれの教授の持ち味を活かした授業カリキュラム。
エントランスのギャラリーには、各教授の授業と演習の内容が時系列順に示されており、その概要を知ることができます。
藤幡氏→佐藤氏→桐山氏→桂氏と、順を追って呈示される授業内容は、まるで獣医学でいうところの「基礎→応用→臨床」学習プロセスのように合理的。考え抜かれた構成に納得するやら感心するやら。
その授業で生み出された作品の一部がテーマごとに展示され、中には実際に触れたり体験したりできるものもありました。藤幡氏の担当したメディアアート演習課題と佐藤氏の担当したメディアデザイン演習課題だけでも独特の面白さに満ちた作品が十数作。それに加えて圧巻なのが、桂氏の担当した「インタビュー映像を撮影しエンドユーザーに届ける」という課題。教授4名それぞれにインタビューを行い、それを1教授あたり15分間程度のインタビュー映像として編集したものが実際に公開されていたわけなのですが、そのクオリティが高いのなんの。課題作品であることも忘れて魅入ってしまい、ごくごく普通に教授たちの話を傾聴し、いろいろな感銘を受けてすっかりテンションが上がりきってしまいました。
桐山氏の担当するIT関連課題にも非常に興味をそそられました。GPSとXMLを組み合わせたシステムの持つ可能性にはただただ感心するばかり。他分野での応用も考えられそうで、いろいろと想像が広がってしまいました。
他にも、桐山研究室の中が公開されていたり、授業の様子を紹介した映像があったりと、大学院の一端を窺い知れるようなコーナーも。総じてたいへんエキサイティングな、そして、とてもフレンドリーで開放的雰囲気にあふれたラボ公開でした。
メディアアートや面白い物好きな方々には文句無くおすすめです。
加えてICCや佐藤雅彦氏に興味がある方はぜひ足を運ぶべし! と声を大にして言いたいです。
私の場合、展示を余すところなく拝見したところ、結局3時間ほどかかってしまいました。
お出かけの際はぜひ時間に余裕を持ってゆかれることをおすすめします。

今回は本当に良いものを見せていただきました。日程を追加してまで行って良かったと心底思います。
お礼がわり(笑)に、以下憶えている限りの一作一感想+勝手な解釈コメントを。
1 入射角と反射角 : 物理運動の美しさが綺麗に視覚化されていたように思います。
2 音の原理 : いっけん不明な装置ですが、よく構造を見て理解し、さらに体験して驚くことで、強烈な印象を与える作品だと思います。シンプルかつハイクオリティ。すばらしいです。
3 振り子の原理 : 着眼点が非常に面白いと思いました。ただ、実際の映像ではタイムラグが出来てしまうのが唯一かつ最大の弱点ではないかとも思いました。惜しい。ぜひ改良版を見てみたいです。
4 train : 構造の持つ面白さが遺憾なく発揮された小品だと思います。どことなく漂う可愛らしさも微笑ましい。紙と線だけでこれだけの面白さが創出できる事実に勇気づけられた気がしました。
5 太陽と地球 : 視点の変換。鳥肌が立ちました。視点が変わる時のクラクラ感(まさに、コペルニクス的回転の具現化!)もさることながら、月視点のときの星々の軌跡がもう美しくて美しくて。大好きな作品です。
6 mouself : 切り離された要素。不思議な断絶感と同時に妙なユーモアを感じました。私には完全には理解しきれていないかもしれません。
7 台直しカンナ : 論理構造の視覚化。どこか騙されたような気になるのはきっと気のせい?
8 Blank : 純粋に面白いと思いました。あれだけで何なのかがかわかってしまうという事実。人間の認識がいかに上下方向に依存しているかの実例かもしれないと、何となく考えました。
9 指 : これも純粋に面白いと思った作品。音情報で映像選択性がはたらくことに驚きました。音とのシンクロで脳が勝手に映像を抽出してしまうという現象。非常に興味深いです。
10 前のまうしろ : 理解するのに頭の中を一回転させられたような気分になった映像です(笑)。反転の前後ろ。不思議なクラクラ感がありました。
11 Artificial Light : 配置位置が絶妙。驚きとともに目を惹き付けられ、しばらく見入ってしまいました。
12 ノート : 空白と補充。相対的な意味の変化。あらかじめ仕組みは解ってはいるのだけれど、実際に体験することでたしかに新鮮な驚きを味わいました。視覚情報が身体に与える影響について考えさせられました。
13 注視する鏡 : これも、解ってはいるけれど体験するとドキッとする映像だと思います。
14 dropping shadow : 位置情報の対応が醸し出す空気が面白い。なぜだか目が離せなくなりました。
16 風景の窓 : どこにあったのでしょう? 見つけられませんでした。残念。
19 「あ」 は iPod の 「あ」 : 同じく見つけられず。残念。
20 infloat : 文化的な価値・意味もさることながら、「浮遊する情報」のイメージに感動を覚えました。すばらしい技術、すばらしい概念だと思います。
21 ことば事典 : これから求められてゆく情報のフォーマットを呈示されているようで、不思議な感慨を覚えました。
22 パネル展示 : 心拍データを記録したプロジェクトがとても面白いと思いました。生命活動の情報を取り込むことで、データの中に独特の現実感が立ち現れるような気がします。
23 彩・二式 : 分解された色情報が、遠目には混合して元の色に再現するんだなあ、と、本質とは別のところで感心してしまいました。
教授陣のインタビュー映像 : もはや課題作品ということを忘れて見ていました。メッセージ、しっかりと届いていたと思います。
学生のインタビュー映像 : まっすぐだったり微笑ましかったり。「面接で『仲間を捜しに来た』と言って先生たちに爆笑された」と述べていた方のことが忘れられません(笑)。
授業の紹介映像 : こっそりハイクオリティ。小さなモニタで流しておくのがもったいないくらいの内容だと思います。学内の日常を切り取った映像は、見ていてドキドキが止まりませんでした。

ところで、今回拝見したインタビュー映像では先生たちのお話にいろいろ感得するところが大きかったわけですが、私にはとりわけ3つの言葉が心に残りました。
まず、佐藤氏の「本当はつまらないのに笑っているような現状、嘘ばっかりになっている世の中に、納得できる何かを呈示して体制内改革してゆきたい」という趣旨の言葉。ドキッとするほどの真っ当な言葉に思わず感動を覚えました。
二つ目は桐山氏の「各教授が持つ特色を組み合わせるための技術を提供してゆきたい」という趣旨の言葉。確かな技術を持つ者の、自信と謙虚さを兼ね備えた言葉に思えました。技術屋としての我が身を振り返りハッとさせられました。
最後に、藤幡氏の「job と work」をめぐる言葉。jobに追われてworkをリタイヤしてしまった自分のことに思い至り、やはりこれではいけない、と奮い立つような気持ちになりました。
いろいろな、本当にいろいろな意味で良い刺激をもらったOPEN STUDIO Vol.2。私にとっては限りなく貴重な体験だったと思います。

さて、最後にBankARTで開催中のEIZONE参加イベントEIZONE Media ART Marketおよび「地球」展。
EIZONE Media ART Marketは映像作品の販売市です。この会場とZAIMとの共通チケット(500円)で入場することができます。販売市が有料というと違和感を覚えるかもしれませんが、チケットには500円分の商品割引券がついてきますし、「地球」展や別会場の入場料も兼ねていますので、じつはものすごくお得なのです。
また、この会場では同時に「緑陰銀行Bamboo Bank 松本秋則展」という展示も公開されています。これ、竹で作られた不思議な楽器たちが竹林のようにそびえ、ときおり繊細で心地良い音色を響かせるというもの。これが非常に面白い。かしこに休憩スペースもあり、竹林を縫って壁に向かって投影されたプロジェクター映像の陰影をぼおっと見ているだけでも楽しい時間が過ごせました。
2階と3階の「地球」展はごくごくあっさり観てしまいましたが、地球と言語と境(ボーダー)を意識させる映像作品が6点。プライベートに立脚した作品は時間がなくてじっくり観ることができませんでしたが、メディア芸術祭で展示されていた作品と、インタラクティブ要素を加えた地軸操作作品が圧巻で興味を引かれました。
ふたたびArt Marketに戻ると、オープニングパーティーが始まっていて、なんとドリンクと立食形式の軽食が無料でふるまわれていました。私も少々ご相伴にあずかりました。
最後に、児玉裕一氏が関わるクラゲの映像と、山口情報芸術センターの日常カレンダーを購入。
ようやく馬車道を後にしたのは20時近く。都合7時間ほどの、密度の濃~い横浜滞在でした。
肝心のZAIMはまだ未見。あと1日でEIZONEを制覇できるのか不安ではありますが、明日も横浜を満喫しようと思います。