はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

横浜遠征1/20。(東京藝術大学大学院メディア映像専攻修了制作展「OS1」)

2008-01-21 11:29:00 | アートなど
1月20日は、前日に引き続き横浜で展示をひとつ観て参りました。

観てきたのは東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻第1期生修了制作展「OS1」。19日に引き続きの鑑賞です。
昨日は修了間際に滑り込んだ形だったので1つひとつの作品をきちんと観ることができず歯がゆい思いをしていたところ。今度こそはじっくり観ようと昼ごろ会場へ臨みました。
リベンジ鑑賞でしたが、見れば見るほど充実の内容。
昨日ほとんど見逃してしまった映像作品や研究成果論文などを中心に拝見していたところ、結局4時間以上が経過してしまいました。
本当はこの後、同じく横浜地区で開催中の東京藝術大学先端芸術学科卒業制作展も観に行こうと考えていたのですが、残念ながら未遂に。
しかしながら、私にとってはこの展示だけでも十分なほど充実した鑑賞体験だったと思います。
2006年7月のOPEN STUDIO Vol.2からはじまって、都合4回にわたり同じ方々の作品変遷を拝見してきたわけなのですが、一人ひとりの学生さんたちが着実に力を身につけてゆく様子や、作品が如実に進化してゆく過程を目の当たりにし、そしてさらにこの修了制作展においては各個人の到達点のみならず学年全体の展示技術が格段に進歩していることを見せつけられ、たいへん感慨深いものを感じました。感無量、とでも言うべきでしょうか。関係者でもないのに勝手にそういった心持ちになりました。
そういった意味でも、今回の展示は一期生のまさに集大成だったのではないかと思います。
以下個人的感想。

1 坂本洋一氏「私をめぐる私について」
インスタレーション作品。大型の作品でしたが、私が行った時にはたまたま調整中で体験できず。残念。早期復旧を祈ります。

2 牧園憲一氏「frame-up given up」
写真作品。前回の展示と同様のコンセプト。風景の一部がフレームによって切り取られ、奇妙にシフトしながらフレームの外に浸食する。いっけん何の変哲もない風景にフレームを介して微妙ズレが生じることで独特の世界が立ち現れているような気がしました。

3 山峰潤也氏「viewing_image=view point++」
インスタレーション作品。奥の壁に大きなモニタが取り付けられ、その手前に3畳程度の長方形のフィールドがある。鑑賞者がフィールド内を移動すると、その位置に応じてモニタの映像が変化する。多様な視点、すなわち左右回り込みとズームインズームアウトが自在に切り替わることで、静止画でありながら多角的な映像が展開するとともに、鑑賞者へ思わぬ臨場感を与えているように感じられました。

4 津田道子氏 映像作品6作
実像と鏡の反射による虚像とが連続・交錯した映像作品6点。カメラの振り子運動を利用した小品「これそれ」「ストリップ」「家族」「飲み物」の4作と固定カメラによる短編2作(題名失念)。
小品4作:縦長の鏡と空隙が等間隔で交互に並び、奥にある実体と手前にある反射像があたかも連続しているかのように合成されて見える。カメラが動いてもこの見かけ上の連続性は保たれているので、奥と手前、ふたつの世界の切り替わりによって思わぬ映像が生まれる。「これ」と「それ」の切り替えが日仏英伊4カ国語で示された作品には目からウロコ。「ストリップ」と「家族」には妙にユーモラスな一面も感じられ、思わずニヤリ。家族3世代&猫が出演した「家族」は連続性と血縁の承継がオーバーラップするようで非常に微笑ましくも面白い。裸体の女性(奥。実像。)と着衣の女性(手前。鏡像。)が切り替わる作品「ストリップ」は、鏡によって透視しているような印象を与えていながら、その実は裸体側が実像であるという逆転性が面白い。
短編2作:二人の人間が鏡の貼り付いた椅子を積み重ねたり移動させたりしながらパフォーマンスする映像、そして2人の人間が縦に並ぶ鏡の間でパフォーマンスする映像、の2つ。仕組みと理屈はわかっているけれども、思わずどきりとする映像だと感じました。殊に2つ目の、縦に並ぶ鏡の間を人が駆け抜ける映像については錯綜具合が素晴らしく、どちらが実像でどちらが鏡像かがふっとわからなくなる瞬間があって驚きました。
舞台装置などに応用できそうな気がします。

5 井高久美子氏 「無関係な関係性」
インタラクティブ作品。映像が、いっけん無関係な器具のパーツ(電気スタンドの調光つまみ、鉛筆削りのハンドル、テーブルに刺さった木ネジ)の回転と連動しており、鑑賞者がそれらを動かすことで映像の時系列を操作できる、という作品。映像対象の動きのみならずフレームも操作できるのが面白い。動きの大きい部分ほど微調整したくなるのも一興。ネジをドライバーで動かす作品では、風車の映像が含まれていたため、あたかもドライバーで風車を回しているかのような感覚になるのがとても面白く感じられました。

6 木村奈緒氏「時計する地図」
インタラクティブ作品。インターネット上のレスポンスタイムにおける物理的時差を、世界地図のゆがみによって視覚化した作品。地球儀として回転している地図をクリックすると日本を中心とした世界地図が展開する。地図上の任意の都市をクリックすると、経由アクセスポイントが赤線で示されるとともにレスポンスタイム値が表示され、その値に応じたぶんだけ地図が変形する。
時計だけのときよりも概念が直感的に理解しやすくなっているように思います。都市が思わぬ経由線で結ばれ、地図が変形してゆく様子は、意味を抜きにしてもそれだけで純粋に面白いと思いました。何度も試してみたくなります。

7 渡辺水季氏「虚像の中の実像」
映像インスタレーション作品。プロジェクションされたピントの甘い映像に、鑑賞者が虫眼鏡をかざすことで焦点を操作し、映像を操作・探知する作品。加えて、明らかになった映像のなかには、じつは鑑賞者自身が映り込んでいて、プロジェクション映像と映り込み映像が交互に無限連鎖している、という作品。鑑賞者自身が作品に取り込まれ、映像と鑑賞者が作品のなかに併存するという構造、そして、見る-見られる=能動・受動の逆転、それらが鑑賞者の探知行為によってはじめて露見する、という点が非常に面白く感じられました。
前作を引き継ぎつつ、こういう形に発展したことに新鮮な驚きを感じました。とても印象深い作品です。

8 米澤慎祐氏「kinematainment」
映像インスタレーション作品。私が行った時にはたまたま調整中で体験できず。残念。早期復旧を祈ります。

9 佐藤哲至氏「Parametric Images」
映像インスタレーション作品。リング上のテーブルに映像が投影されている。一部分には歩く人の実映像、その他の部分には群点が流れており、歩く人の動きが群点のフィールドへ移動すると、その動きが点としてプロットされる。群点の中に紛れても人の動きは認識され、その動きを実映像のフィールドまで追うと、ふたたび人の姿が現れる。
バイオロジカルモーションを利用し、実映像と群点との移行によってその認識性を提示した作品。映像をサークル上に配置したことで、移行の様子を連続的に追跡できるのが興味深い。

10 小佐原孝幸氏「層画」
インスタレーション作品。錦絵様の美人画が壁に投影されている。その前を鑑賞者が横切ると、木の葉や花、着物の柄だけが黒く抜け落ち、それらが2層レイヤーから成る映像であったことが知れる、という作品。
レイヤーの区切りを特定のカテゴリに限局することで、栄華と没落の二面性、といった独特の詩的な空気が表現されていたように思います。同じ手法を使っていながら、前作「ゲシュタルト・ウーマン」とは対極にあるテーマ性を有する作品のように思えました。

11 越田乃梨子氏「壁・部屋・箱 - 破れのなかのできごと」
映像作品。二方向からの映像を上下あるいは左右に繋げることで、空間と位相のねじれを表現した作品。壁の表-裏を左右に繋ぎ、ひとりがふたりに見えたり、脚立を登る人が消失して見える「壁」、1階層の部屋の手前-奥を上下に繋ぎ、2人が4人に見えたり、空間を突き抜けて人が移動したように見える「部屋」、トンネル状の箱部屋の手前-奥を左右に繋ぎ、ひとりがふたりに見えたり、物理運動の法則がねじれたように見える「箱」、の3編から成る。
以前から一貫して同じテーマを扱いながら、より深化し、かつ確固たる個性をそなえた表現作品となっていたように感じました。また、パフォーマンサーを出演者に据えることで、同期生自らが出演していた前作までの柔らかい空気感が影をひそめ、身体表現そのものの持つシャープな雰囲気が前面に出ていたように思います。殊に「部屋」のディティールが醸し出す表現は強烈に『恐い』という感覚を呼び起こすものであったように思えました。
大スクリーンでの映写も、今回の重厚な印象を支えていたように思います。どこか箱庭的な印象だった前回とはまったく違う印象を受けました。映写環境が異なるとこんなにも印象が変わるのかと驚きました。
ほのぼのした不思議さから不条理なエアポケットまで - 類似の現象を扱っていながら見る者に喚起させ得る心象にはずいぶん幅があるのだなと感慨深いものを感じました。


12 重田佑介氏「ルールする運動」
映像作品。映像中の何らか動きが、同画面上に重ねられたオブジェクトの運動に変換される様子を示したもの。
道具する回転:下に隠れている映像の回転運動が上に重なった映像フレームの上下運動を規定しており、鍵やワイパー、セロハンテープ台等の回転運動とともに上の映像がめくれて、映像の動きを規定していた道具の正体があきらかになる。
複写する映像:コピー用紙が一枚づつ排出される様子を真上から映した映像が、コピー機から繰り出される紙の動きと同期し、コピーの様子を映している映像フレーム自体がコピー用紙のように次々横から重積されてゆく。なおかつ、紙の動きが画面中央に位置した線分の回転運動と同期対応している。
ワイプする製図:定規とコンパスで製図している映像が、コンパスの動きと同期しながら自己分割してゆく。映像フレームが入れ子のように4分割されてゆく様子にクラクラ。
数字するダイヤル:黒電話の回転式ダイヤルを回している映像。ダイヤルの動きに対応して、画面上に並んだ白い円がx軸方向に動く。
鉛筆する作文:鉛筆が原稿用紙上に文字を書いてゆくと、文字を構成する線分が回転しながら鉛筆を降りたり登ったりする。文字を置いてゆく過程、文字を拾ってゆく過程、最後に文字を交互に拾捨する過程を経てタケヤブヤケタという文字列が完成する。考え抜かれた構成。これはすごい。脱帽。
凧する風:風に舞う凧の映像に重層された正方形が、凧の動きに応じて回転する。
風景する移動:車窓からの風景。柱状に立つ物体の上部に白い線分がくっついていて、柱のx軸方向の動きに対応して回転する。線分は長いほどゆっくりに、短いほど早く動くので、遠近感と線分の長さによって様々な動きのリズムが生じる。さながら異国の風車の群れのよう。
演技するスケート:スケートリンクの映像。滑っている人々の頭部に様々な長さの黒い長方形がくっついていて、人のx軸方向の動きに対応して回転する。長方形は長いほどゆっくりに、正方形に近づくほど早く動く。人々は前後左右を縦横に滑るため、様々な回転運動が発生する。ユーモラス。

前作の延長上にありながら、映像フレーム自体を運動対象にするなど思わぬ発展を遂げていて驚きました。コピー機の「複写する映像」と見事な「鉛筆する作文」、そして独特の詩的空気を醸し出す「風景する移動」が個人的お気に入り。


13 河内晋平「身体の熟練度から考察する質の研究」
研究発表展示。職人の持つ質の判定能力が感覚の分解能に起因するものではないかと仮定し、指先触知による紙ヤスリの粗さ判定によって、職人と一般人の触覚的分解能の差を調べた研究の成果発表展示。職人群と一般人群とで明らかな有意差があるのも興味深いが、職人の特異的指使いを映像解析によって数値化し、その動作を一般人にトレーニングすることで有意な成績向上をもたらしたという結果が非常に興味深い。しかも、動作だけではなく触知刺激を伴った動作がないと成績は向上しないという結果も示唆的で面白い。
身体研究会の「真似る」を対象にした認知研究も興味深し。今後の発展に大いに期待。
置いてあった修論を拝見したところ、先行研究をずいぶんたくさん調べているなと感心。今回は一見して明らかな有意差がありましたので問題はないでしょうが、データ処理については保険として若干の統計解析をしておいたほうが後々有利にはたらくのではないかと思われました。なお、グラフにはn数と標準誤差を入れておいたほうが「偶然なんじゃないの?」という誹りを受けずに済むと思います。このあたりは、理系論文としては必須なのですが、こういった芸術分野においてはどうなのでしょう。気になるところです。

14 小野崎理香氏「虚空の海」
インタラクティブ作品。野外展示。入口門近くの通路に置かれた白い双眼の望遠鏡。中を覗くとモニタの中に小さなフレームがあり、それが現在の景色を写し出している。そして手元のボタンを押すことで、フレームに映る視点を静止画像としてモニタ上に残すことができる。来場者の視点が重層されることで、モニタ上に時間軸の異なるパッチワーク状の景色が生成される。という作品。
個人の視点が残り、重なってゆくという点、過去の来場者の痕跡を感じ取れるという点、そしてそれらも重層によって消えてしまうという点、表現手法は異なれど、前作と相通じる美しい表現だと思いました。加えて、設置する場所と鑑賞者との関係性を如実に露呈させるとともに、作品を通じて場所と鑑賞者とを接続する機能を併せ持った作品のように思えます。
行きと帰りの違いを見るのも楽しく、画面の変遷を時系列順に観てみたいなとも感じました。
もしも別の場所に設置したらどうなるか、場所によって傾向に違いは現れるのか等いろいろなことを考えてしまいます。放浪する作品であってほしいなと、勝手ながらそう思いました。


作品と作者が進化・深化してゆく過程をリアルタイムで拝見できたのはたいへんに貴重で面白い体験でした。また、作者たる学生さんたちとの交流も忘れ難いです。とても楽しい2年間をありがとうございました。
あの場所での、この1期生メンバーの展示は最後なのだと思うと、妙に寂しい気分になってしまいます。
面白い考え方や表現は人を揺さぶり、発見の幸せを与えてくれます。私がOPEN STUDIOで感じたのはまさにそれ。表現のもつ可能性と、そういった表現創出に取り組んでくれている方々がいるという事実、その双方に興奮と感動と限りない勇気を与えていただきました。
1期生の方々がこれから世の中に散ってゆき、各個人の活躍の場を開拓されてゆくことを期待します。


帰路では事故のためJR在来各線が止まっていることに慌てたりもしましたが、頼みの綱の東海道新幹線で無事予定の電車に間に合いました。
非常に印象深い遠征だったと思います。