はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

横浜&東京遠征1/26。(横浜BankART1929「食と現代美術part4」、BankART NY

2008-01-27 11:35:48 | アートなど
昨日1月26日は、横浜で3つの展示と東京でひとつの舞台を観て参りました。

まずは概要だけ。のちほど書き足します。
(*2月4日に大幅追記しました。)

・横浜BankART1929「食と現代美術part4」
 食をテーマにした企画展。会場でランチバイキングもあったのでご相伴にあずかりました。なかなかユニーク。出張料理人の映像が鮮烈。
 他には「ギア・テーブル」「エプロン」「牛のロボット」が特に印象深い。

・BankART NYK 東京藝術大学先端芸術表現科卒業制作展「project the projectors 2008」
 東京芸大美術学部先端芸術表現科の卒業制作展。はじめて横浜での開催とのこと。33人による展示。分野の枠にとらわれない実に多彩な表現がありました。のちほど短評をアップします。
(以下2月4日追記)
以下、覚え書きメモと個人的感想。
1 上石智哉氏「trance」 立体インスタレーション。白い皮毛で覆われた自動演奏するグランドピアノ。巨大。
2 山口実加氏「LATIN ALPHABET」 立体インスタレーション。鉄製の豪奢な調度やシャンデリア。よーく見るとすべてがアルファベットから構成されている。圧巻。
3 石塚つばさ氏「MOTHER」 立体インスタレーション。芝で覆われた直径3mほどの巨大な円形丘状オブジェ。巨大なウニを連想しました。妙に好きな作品。
4 ヨシノ氏「発芽したい」「Pe」「いらいらちゃん」 映像作品。モニタがふさがっていて鑑賞できず。背後から覗き見るに、かなり個性的な表現だったようです。
5 ホウキダタクスケ氏「EMBLEM OF HERMONEY」 写真。アーミーウェアに身を包んだ男性が様々な場所を背景に立つ姿。
6 森田舞氏「GARA and image」 油彩。他の生物種の柄模様をまとった生きものたちを描いた作品群。スズメ柄のワシ、トラ柄のハムスター、アマガエル柄のリス、ヒョウ柄のアリ、インコ柄のペンギン雛、アゲハチョウ柄のダチョウなど。種の認識が形態よりも柄に引っぱられる傾向があるとはじめて気付きました。非常に鮮烈。個人的にとても印象に残っている作品です。
7 佐藤久依氏「Field's」 写真。女性の腋下毛を大写しにした作品。タブーへのクローズアップ。あっけらかんとした表現。
8 北野亜弓氏「人の話の聞き方」 『2007年12月2日、25日、31日と2008年1月2日にドトールコーヒー駒込東店で聞いた話のすべてについて』と題した横長大判のドローイング。題名の通り、漏れ聞いた他愛もない会話の言葉たちが紙上にちりばめられている。発話主体が動物や無関係とおぼしき人の姿にすり替えられているのが妙に可笑しい。ユーモラスかつ痛烈。
9 和田信太郎氏「不確かな投影」 インタラクティブ作品? テーブル状のモニタ。私が行ったときは稼働していなかったのか、全容がよくわからず。残念。
10 峰野加奈子氏 未見。残念。
11 河本奈々氏「すとんつ」 抽象画。素朴な質感の和紙。白地にパステルカラー。岩絵の具? どこかとぼけた味わいの印象的な大判。
12 中島祐太氏「中島アニバーサリープロジェクト」 プロジェクト展示。作者たる中島氏が、身近な人々と折りに触れ協定を締結した証である協定書の数々や、たくさんの焼物オブジェが展示されている。個人を国家に見立てた視点と、工作用紙で作られた立派(?)な協定書が斬新。興味深い。
13 八幡亜樹氏「ミチコ教会ドキュメンタリー映像」 時間がなかったためさらっとしか観られなかったため全容がわからないのですが、野山のバラック小屋で暮らす老女ミチコさんが自宅の小屋を教会に見立てて結婚式を挙げさせる様子を追ったドキュメンタリーの体裁をとった作品のように見えました。ミチコさんの存在やミチコ教会婚の架空性については判別できず。映像をきちんと観られず残念。
14 辻本崋那子氏「トーキョー」文字だけが抽出された東京の風景。鮮烈。
15 藤本涼氏「landfall」砂漠を模したかのような稜線に行き交うモノたちの風景。独特の空気。
16 間瀬朋成氏 生体材料や氷など、永続性に乏しく環境依存性の高い素材を利用した衝撃の作品群。個人的にはとても印象深い。
  「パラゴンミラー」ウミガメ(タイマイ?)の剥製を6体放射状に連ね、腹側を銀色に着色し天井から吊り下げたオブジェ。銀色の腹側が入口を向いているため、いっけん樹脂製の模造品のように見えましたが、裏に回ってみて度肝を抜かれました。強烈。
  「ラストホウプ」メロン大の球形の氷の中に閉じ込められたFRP製の胎児模型。透明な球はいっけんガラスのように見えるけれど、近づいてよーくみたら氷、というびっくり構造。凍結された胚=胎児のイメージが醸し出す強い空気。秀逸。
  「インビジブルフィッシュ」空を泳ぐコイなどの魚の群れ。よく見ればすべて剥製。天井から糸で吊るされている。
  「ステンドアイス」オブジェ群に度肝を抜かれて失念。残念。
17 佐橋景介氏「キャプチャ」未見。残念。
18 勅使美千代氏「dismembered flowers」円形のフィールド上に円を描き螺旋状に立ち並ぶ花のオブジェ。細い茎の先端に咲く白い花々。いっぽうで、白い花の輪の外に散り落ちている花。落ちた花はどこかしらが赤く染まっている。
 非常に『恐い』という感覚を惹起させる作品に思えました。集団適応と集団疎外。社会の持つ両義性を思い起こさせる。示唆的。
19 佐々木友輔氏 パフォーマンスにつき未見。
20 大西健太郎氏 パフォーマンスにつき未見。
21 富塚絵美氏 映画作品につき未見。
22 初川日和氏「おくりもの」プロジェクト展示2つ。ひとつは、幼稚園児たちにチョコレート製のナイフとフォークを託してテーブルに供したプロジェクト映像。もうひとつは、一日ひとつの島唄を歌い、日記とともにその音声を展示する、という進行型プロジェクト。毎日増えてゆく作者の想いと贈り物たる島唄とのリンクが興味深い。時間がないとじっくり見れない&聞けないのが難点。
0  山田健二氏「Booking Void Inn AKIYAMAGOU」屋外展示。山中の雪室に滞在し、その様子と作者そのものの心象変化を記録・記述したプロジェクトの一端をインスタレーション的に再現したもの。一隅を埋めるポラロイド写真、生々しいメモ書きの配置が印象的。
23 南雲由子氏「iei プロジェクト #2明日を架ける馬」『生前に遺影を撮る』というプロジェクトのコンセプトと経過の記録、そして成果としての遺影たちを展示。参加者たちの生き生きとした様子が逆説的で興味深い。人間の生と死と記録を巡る諸々が露見するようで示唆的。
24 竹内公太氏「ポータブルマインド」指名手配写真の被疑者を油彩の肖像画として写し取った絵画群。知らないはずなのにどこか既視感のある顔ばかりが並ぶ様子は圧巻。おそらく作者の意図とはまったく関係ないと思いますが、刑事事件上はあくまで被疑者であって犯罪者としては確定していないはずなのに社会的には『犯人』として流通してしまっている顔ぶれの大集結に、事件の物騒さとは別なところで、どことなく空恐ろしさのようなものを感じました。不在と犯人像の創出、再生産されるイメージと現実との乖離、そういったものを連想します。
25 芥川真也氏「プラシーボ」未見。残念。
26 土手里江子氏「unvestigio」巨大なスクリーン状絵画。緻密でリアルかつ宗教画のように静謐な画面。展示会場であるBankART NYK室内を思わせる古びたコンクリート倉庫のような空間に山羊の群れが集っている。山羊たちは皆1つの方向を見つめており、その視線の先には、天井から落下している途上だろうか、まるで宙に浮いているかのように見えるソファーがある。落下の一瞬を切り取っただけなのか、あるいはソファーが宙に浮いている奇跡の瞬間を捕らえた光景なのか定かではないが、その画面は何か予兆のような空気を感じさせる。
元となる古典絵画があるのでしょうか。ほぼ原寸大らしき絵の巨大さもあってか、妙に印象的。とても好きな作品です。
27 吉園綾氏「胎動」プロジェクション映像。小さな円形の光の粒がスクリーン一面に写し出されている。ノイズのようでありながら、見つめるうち何らかのうごめきが見てとれる。抽象と具象のあわい。未象、とでも形容すべきか。個人的には血球の顕微鏡像を連想しました。
28 宮澤穂乃香氏「間結 -mayu- 宇宙卵とうた」おそらくインタラクティブ作品。フィールド上に巨大な白い皮毛クッションのようなオブジェがあり、鑑賞者は靴を脱いでフィールドへ侵入しそのオブジェに触れるようになっている。触ってみるも反応がわからず。残念。
29 岩城諒子氏「脂肪」豚の脂肪でできた胸像。おそらく自己像? 生々しい。
30 小暮絢氏「float」部屋の角に設置した薄布のスクリーンへ壁の画像が投影されている。壁と薄布と投影画像それぞれに灰色の汚れが配置されているが、一見しただけではどの染みがどのレイヤーに属しているのかがわからないようになっている。壁の汚れと薄布の汚れと投影された染みと鑑賞者の影が渾然一体となった視覚効果が面白い。
31 松下徹氏「abandaned place」自動車鋼板パーツを利用した作品。彩色され宙に下げられた自動車パーツたち。
32 投石浩次氏「Sequence E」インスタレーション作品。用具置き場のような空間でモニタ映像とプロジェクション映像が提示される。エスカレーターの手すりに乗って運ばれる紙コップや車窓からの夕景など。いずれも15秒程度のエンドレスリプレイ。
33 金徳喜氏「BARDO」インスタレーション作品。暗闇の中、天井から吊るされたペンライトで地面が10カ所ほどほのかに照らされている。ひとつひとつの灯りに近づくと、その下にはセミやトンボ、蟻や蝶など昆虫の遺骸の写真が配置されているのが見える。ペンライトの部屋からカーテンで半ば仕切られた奥の空間へ行くと、そこにはガラスでできた小さな山のオブジェが9つ並び、下から白い光で照らされている。ふと上を見ると、それら山の模型の影のひとつひとつがセミやトンボ、蟻や蝶の形として天井に浮かび上がっている。という作品。
 小さな命への弔いと、山々に託した白い光が浮かび上がらせる生きものたちの記憶。静謐な空間に浮かぶガラスの白い光と昆虫たちの影。オブジェの影に気付いた時には鳥肌が立ちました。ひそやかで神々しい、思わず祈りを捧げたくなるような展示空間だったと思います。とても好きな作品。私の中では最も印象深い作品です。

東京藝術大学先端芸術表現科の展示ははじめて拝見したのですが、様々な様態の表現に触れることができ、たいへん興味深い体験でした。生物を扱った表現に惹かれやすい、という自分の嗜好を期せずして実感できたのも面白かったです。
同じ東京藝術大学であっても、メディア映像専攻との明らかな方向性の違いが現れているのも印象深く思えました。

 

・東京藝術大学大学院メディア映像専攻修了制作展「OS1」
 リベンジ鑑賞。先週観られなかった作品が復帰していて、さらに他の作品もひそかに進化していて楽しめました。こちらものちほど追加評をアップします。
(2月4日追記)
以下、追加感想と覚え書きメモ。

1 坂本洋一氏「私をめぐる私について」
インスタレーション作品。円形にめぐらされた大きな壁があり、その周囲が通路のように少し明るくなっている。明るい部分に足を踏み入れてみるが、いっけん何も起こらない。しばらくすると、少し前方にふと、四角い図形が現れる。図形に近づこうとすると、図形は不規則な動きで逃げてゆく。図形を追って壁の周囲を半時計回りに廻っていると、ふいに少し離れた場所にあるモニタに気付く。モニタには壁の一部を俯瞰するような映像が映っており、じつは反対側にももうひとり鑑賞者がいて、同じように逃げる四角を追っていたことがわかる。すなわち、鑑賞者の190°先に現れた四角をふたりの鑑賞者がそうと知らずに互いに追った結果、壁の周囲をぐるぐる回っていたと気付く。という作品。
見えない支配、見えない操作、知らないルールにより支配された結果として生じる現象、そういった概念を実に鮮やかに表現した作品だと思いました。互いに操作し合っていると気付かないまま自己と他者の動きを規定してしまうという、実社会にもあふれる構造に思いを巡らせてしまいました。作品によって生じる現象の面白さもさることながら、社会を語る上で哲学的にもとても示唆的な内容ではないかと思えます。

8 米澤慎祐氏「kinematainment」
映像インスタレーション作品。表面がタッチパネルになったテーブル状のモニタにサッカーコートのような線が黒地に白で描かれている。コート内には動くボールが存在しているが、普段それは黒い背景に隠れて見ることができない。しかしパネルに触れるとそこに三角形の白い矢頭が発生し、その矢頭が隠れたボールの方向を指し示すので、矢頭の動きによってボールの位置を推定認識することができる。鑑賞者はテーブルをはさんで2名が対面しながら、パネルを触り、矢頭を置きつつボールを操作して見えないサッカーをプレイする。という作品。
矢頭を介して見えないものを見る、という探索行為の面白さが際立ち、単なるサッカーゲームとはひと味違った面白さが生じていたように思います。純粋に面白くて何度も遊びに興じてしまいました。
今書いていて思い出したのですが、そういえば、表現形式としてはまったく異なりますが、国際学生バーチャルリアリティコンテスト(IVRC)2006に出品されていた奈良先端研の「Planet of Grassland」は実体でこれをやろうとした作品だったのかな、とも思えます。
間接的検出、すなわち気配の表出ともいえるであろう物体認知、非常に面白いテーマです。


9 佐藤哲至氏「Parametric Images」
映像インスタレーション作品。先週とは作品の内容が変わっていて驚くとともに感心。
リング状のテーブルに映像が投影されているというのは先週と一緒だが、今度はテーブル上を多数の黒い正方形が等間隔で時計回りにゆっくりと巡っている。テーブルの3カ所に小さな台があり、傍らには「人」「ひと」「トランプ」「積み木」等と書かれたカードが置かれている。カードを台の上にかざすと、台の左側に黒い正方形から飛び出したドットが白い点となってカードの事象を表す動きをプロットする。さらにその先へ文字内容の映像が投影され、言葉、ドットの動き、映像、概念が重層されることになる。やがてドットはプロットされた動きを離れてふたたび元の正方形に戻ってゆき、同時に映像も修了し、意味が消失する。という作品。
概念と言葉と映像と実体、それらの接続と断絶、といったことを考えさせられる内容に思えました。意味にはいくつもの階層があって、我々は普段それらをあまり意識せずに暮らしているけれど、捉え方によってはそこに重大なコミュニケーション上のクリティカルポイントがあるのかもしれない、そんなことを考えました。
氏についてはOPEN STUDIO Vol.3で提示されたテーマを着実に追いつづけている姿勢が感じられ、感慨深いものを覚えました。
今後の躍進に期待です。


10 小佐原孝幸氏「層画」
インスタレーション作品。先週とはモチーフと手法が変わっていて、こちらも驚くとともに感心。
森の中で上を見上げている少年の絵が壁に投影されている。その前を鑑賞者が横切ると、一部が影で遮られ、森の木々の中に隠れていた絵画が出現する。隠れていたものが見えたのに加え、それらが実は数層のレイヤーから成る映像であったことが知れる、という2段がまえの驚きを提示した作品。
美人画バージョンでは特定のカテゴリに属するモチーフをレイヤーで隠していましたが、今回の森の画廊バージョンでは、ランダムに配置されたレイヤーを逆手に取って、既存の意味を壊して新たな意味を抽出する、という、意味合いが生じていたように思います。Vol.3での「抽出と欠如」にも通じるものがあるように感じます。さながら前作と前々作を統合したとでもいえそうな進化ぶり。表現されるものがどんどん深化しているようでとても感慨深いです。


この東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻という若い専門課程に興味を抱いて一般展示にはじめて足を運んだのが2006年7月。そこで展示内容と学生さんたちの開かれた姿勢に感銘を受け、それ以降、定期的に開催されるOPEN STUDIOは毎回楽しみに拝見してきました。
一期生に係る2年間の鑑賞体験と学生=作家さんたちとの対話、そしてその集大成ともいえる今回の修了制作展カタログ、これらすべてが私にとっての宝物のような存在です。
そこで提示される表現はいつも個性的で前向きな輝きを放っていたように思います。見ていて毎回嬉しくなってしまうこと数多でした。
メディア映像専攻の開かれた姿勢と独自の面白さを追求する姿勢。一期生の皆様が、そんな心意気も含め、世の中をひそやかにじわじわと刷新するような、そういった強くて前向きな表現を提示しながら活躍の場を拡げてゆかれることを期待しています。



・六本木インボイス劇場「BLUEMAN GROUP in TOKYO」夜公演
 アメリカのパフォーマンスグループ、ブルーマンの日本公演。一旦行けなくなり、チケット譲渡先を探していたところ、ふたたび行けることになった曰く付き(?)の舞台。2回目の鑑賞。今度は余裕を持って楽しめました。
(以下2月4日追記)
首から上を真っ青に青塗りした男性=BLUEMANの3人組による大掛かりな舞台。ロックのようなビートとモンティ・パイソンを彷彿とさせる過激な客いじりパフォーマンス。若干のイリュージョン。壮大な馬鹿馬鹿しさと、そして、現代アートに通じるロジックと表現。
『踊らないコンドルズ』『アメリカ版明和電機&ドリフ』といった形容が浮かびました。前宣伝が少々大げさなぶん、現代美術に慣れ親しんでいる方にとっては少々物足りない部分があるかもしれません。
上質なテクニックに支えられた壮大な馬鹿馬鹿しさを、肩肘張らずに楽しむのがよろしいかと。
大王こと後藤ひろひと氏やpiperの舞台が好きな方、コンドルズが好きな方にはおすすめ。

ところで、ふと考えたこと。
現代美術の展示は、えてしてBULUEMANの舞台に負けず劣らず面白い(少なくとも私にとっては)のに、なぜあまり観客を動員できないのだろうか?と。
こういったBLUEMANのような舞台が満員御礼になるのであれば、現代美術にも潜在的な需要があるように思えてなりません。
需要と供給を結ぶための情報がうまく流通していないような気がします。
もしそうだとしたら残念でなりません。