はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

<font size="-3">わからない、わからないよぅ!</font>

2005-08-08 22:20:34 | インポート
あまりにも不思議なので、柄にもなく書いてみます。
郵政民営化関連法案否決に対する衆院解散という今日の出来事が100年先の日本史の教科書にどのように記述されるのか、それがひたすら気になっている昨今。
それ以上に気になってしかたがないのが、「賛成か反対か?」という論調ばかりを取り上げる各種メディアの報道姿勢です。
まるで、賛成と反対の二者択一しかこの世に無いかのような錯覚を、観るものに与えてしまっているように思えてなりません。
要約された情報は、要約した者のバイアスを含んでいる可能性が高いのが明白。
そこで、わたくしも自ら判断すべく郵政事業民営化関連法案原文をひととおり読んでみました。
結果、わかったことがひとつ。
結局、一番知りたい詳細部分は、法ではなく施行令や施行細則の部分なのです。
ですから、今の段階では善し悪しの判断のしようが無い、というのが正直な感想です。
いや、むしろ、この形のまま法律として運用されるのは疑問だと言っても良いかもしれません。
とにかく不思議なのです。
私はずっと、郵政民営化というのは「民間でできることは民間で」というのは建て前であって、その実は郵政財産の不適正な運用防止をはかるための作戦だと解釈していました。
ところが、今度の法案を読んでも、私にはそのような意図を読み解くことができませんでした。
そうなると、なぜ郵政法改正ではなくいきなり郵政民営化になってしまうのか、そこのところが私の乏しい頭では理解できません。
せっかくリスクを冒して民営化したとしても、運営主体の中枢メンバーが変化無いのであれば、結局同じことが繰り返されるのでは無いか、そう思えてならないのです。
そうなってくると、今の自分にとって切実な問題を中心に法案に対する考えがめぐってしまうことは自然な現象でしょう。
地方に住む人間の多くは「郵便局が減るかもしれない? また地方切り捨てか? ふざけるな!」と程度の差はあれ感じているのではないかと私は勝手に想像しています。
銀行が無い町においては、JAと郵便局が、ある意味ライフラインです。
ただあたりまえのライフラインを担保してほしい、という欲求は、取るに足らないかも知れないけれど、かなり切実です。
『かもしれない』をちらつかされるだけでも慌てるくらい、相当に切実なのです。
切実な欲求の集積は、マスを扱う存在にとって、きっと無視できないもののはずです。


公営のまま資金の不適正運用を防止することはできないのでしょうか。
地方民だって不必要なハコもの公共事業や福利厚生施設なんていらないのです。
「経済ってそういうことだったのか会議」で『経済(economy)の原義は"共同体のありかた"(euconomy)である』と解説した竹中氏。
氏の真意はどこにあるのか、それが今の私にとって、何よりもっとも気になることかもしれません。



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2 コメント

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私は何となく郵政民営化の目的は「郵政財産の不適... (eucatastrophe)
2005-08-09 23:25:37
私は何となく郵政民営化の目的は「郵政財産の不適正な運用防止をはかるための作戦」ではなく、郵政民営化法案の第一条(目的)そのまんま、「民間にゆだねることが可能なものはできる限りこれにゆだね」ること、つまり「小さな政府」の実現が最終目的であるような気がします。結果として政府がカバーしなくなった部分については、通常の経済活動の中に放り込んで「より自由で活力ある経済社会の実現に資」してもらいましょうということなんではないかと。

衆参両院を通じての議論のわかりにくさや違和感の原因の一つはここにあるような気がしてなりません。「小さな政府」について、その必然性は?実現のための手段は?そのメリット・デメリットは?そのコストは?そもそも誰がコストを負担するのか?などの議論を深めずに、いきなり手段としての郵政民営化をおしすすめようとしたために混乱に陥ったのでしょう。何のための民営化なのか、その前提についての説明や議論が欠けていたのです。法案を提出した側と審議する側で違う土俵に立っていたとしたら、分かりやすい説明も何もあったものではありません。理解するための「前提」が相手と異なっていれば、「前提」を説明しない限り、議論なんてできっこないのです。

ともかく、判断は国民に委ねられたわけです。ごまかしや詭弁ではない、まともな説明能力があってかつ社会をきちんと構築できる政治家に投票しましょう。いるかな?(笑)
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私がいちばん気になる点は、都市と地方の温度差です。 (aiwendil)
2005-08-15 22:08:37
私がいちばん気になる点は、都市と地方の温度差です。
無理な合併促進で名ばかりの「市」が雨後のタケノコのごとく誕生しているいっぽうで、かつては「小さな社会」として成立していたたくさんのコミュニティを新しい「中心部」が無惨に破壊しています。
この現実に都市部の人間はまったく気がつきません。
この日本には、不便な、いわゆるかつての郡部のほうが多いのに、世の中は何故か都市の理論で動いています。
私はここに最大の矛盾を感じます。

「田舎の不便さが良い」という主旨の、田舎幻想ともいえる言説を排出する都市在住の文化人を見るたびにたまらなく悲しくなります。

都市部では助かるはずの命が地方では助からなかったりする。都市では容易に手に入る知識が地方では入手できない。あることになっている企業サービスが「一部地域」の名の元に供給されない。このような現実は実体験として私の中に刻み込まれています。

名の通った知識人と言われる方々が発する言葉は、多くは「都市の理論」の上に成り立っているように、私には思えます。
たとえば3年間北上山地の奥地で暮らしたとしたら?
たとえば3年間津軽半島で暮らしたとしたら?
それでも同じことが言えますか?
私はそう問いかけたくてたまりません。
あの雪や、寒さや、とてつもない不便さを身近なものとして知った上での言説でなければ、さらなる苦難を強いる言葉に説得力は生まれません。

世論調査が都市部を主に行われることで、都市の理論が情報のインフレを伴って世の中に浸透している、と、そして世間はそれに気付いていない、と、私にはそう思えてならないのです。
ですから政策云々以前に、私を含む皆が自分の生活区以外の地方にも想像をめぐらせてほしいと、都市人は地方を、地方人は都市を、それぞれ想像たくましく「どんなところにも人間は住んでいる」というあたりまえのことを思い出し、各地に住む人々のことを思い描いてほしいと願ってやみません。
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