はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

<font size="-3">「命の授業」に疑問。</font>

2005-11-12 23:13:16 | 役にたたない獣医学ひとくちメモ
フジテレビで放映されている「たけしの日本教育白書」で紹介された「命の授業」。感動的な教育話のように紹介されていますが、畜産に携わる者としては非常に疑問です。
食用豚は愛玩動物ではありません。
食用豚には食用豚の尊厳があると思います。
育てて食べるならばきちっと6か月肥育し、しかるべき検査を受けて食用にすべきです。
3才の雄豚ではもはやまともな食用にはなりえません。
事前に必要なリサーチもせずに、いたずらに飼い続けて感情移入し殺す殺さないでもめる様子は、私には命を弄んでいるようにしか見えませんでした。
子供たちと動物たち双方のためにも、教育へ安易に畜産の真似事を取り入れるのはお願いですから止めてください、と心から思いました。
テレビの影響が心配です。



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13 コメント

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はじめまして。 (toshi)
2008-11-06 17:23:59
はじめまして。
 「教育の窓・ある退職校長の想い」ブログのtoshiと申します。
 本記事に関わる映画が近く公開されますね。わたしは、この授業が感動的なことと、それだけに、その影響に不安を感じる立場から、記事にしております。後半部は、貴記事と同じような趣旨になっていると思います。
 そこで、貴記事にリンクも貼らせて頂きました。事後承諾をお願いすることになり、まことに申し訳ありません。
 もう一つ、TBの仕方が分かりませんので、本コメントのHNに貼り付けさせて頂きました。ご高覧賜れば幸いに存じます。
 
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>クロさま (aiwendil)
2006-10-18 23:28:28
>クロさま

はじめまして。ご来訪ありがとうございます。

私も、育てた動物を自ら食べる、という授業には賛成です。しかし、テレビで紹介されていた授業のやり方には全く賛成できません。なぜなら、無計画な成り行きにより、結局は『飼えなくなったから食肉センターへ送る』という本末転倒で無責任な意味づけが成されてしまっているからです。

もしも実現可能であれば、理想はプチ養豚だと思います。
親豚を1頭飼って種付けし、生まれた仔を育てて出荷し、食べる。
これならば、生と死と食を総括的に学習することができると思うのです。

私が獣医師として子どもたちにぜひ知ってもらいたいと考えていることが2つあります。
まずは、救いたくても救えない命がたくさんあること。だから命は最大限に尊重すべきだということ。
そして、自分たちの食と生が、他の生物たちの死の上に成り立っていること。だから自分の命はもちろんのこと、虫一匹でも重要な存在だということ。

 子豚の死亡率は1割から2割。子豚を育てるならば、必ずその死に直面するのが宿命です。どんなに手を尽くしても失われてゆく命があるということを、出産込みのプチ養豚ならば実感できると思います。 さらに、育てた子豚を食べるために出荷することによって、ついモノとしてとらえがちな食物や生物も生きて産まれてきたからこそ存在しているのだと、そしてその生を支えているのは餌となる生物たちの命なのだと実感できるのではないかと思います。

これらが難しいとしても、もしも食べるために豚を飼うのなら、少なくとも養豚の現場と食肉処理場についての学習と見学を済ませて充分に理解を深めてから実践に移すべきなのではないかと私は考えています。

そういうわけで、テレビで紹介されていたようなやりかたの授業には、私は反対なのです。

ところで、私にもいくつか命に関する強烈な原体験があります。

まずは、ヤモリVSカエル事件。
小学1年生のとき、物置倉庫の裏でアカハライモリをバケツで飼っていました。餌はオタマジャクシ。ある時、ひときわ大きなオタマジャクシを捕まえて餌としてバケツに投入し、その後、子ども特有の気まぐれでイモリのことは忘れてしまいました。しばらくしてから思い出してバケツをのぞいてみると、そこには・・・・巨大なカエルが一匹。

捕食被食の逆転。強烈な驚きとともに生命の厳しさを意識した瞬間でした。

つぎに、茹でドジョウ事件。
小学校3年生のとき、親にせがんで魚屋でドジョウを買ってもらい、学校へ持っていって水槽で飼いました。一学期が終わり、夏休み中は自宅で世話することに。終業式の日、ドジョウは先生が水とともにビニール袋に入れてくれたので持ち帰り、ちょっとのつもりで玄関先に置きました。昼ご飯の間にすっかり忘れてしまい、思い出したのは夕方。気が付けば、夏場の直射日光でビニール袋の中の水はお湯になり、ドジョウは熱死していました。

この件については今でも悔やまれてなりません。

命を感じる機会は、教師が思っている以上に身近に潜んでいるものなのかもしれませんね。
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 誰も読まないかもしれませんが…… (クロ)
2006-10-09 10:56:51
 誰も読まないかもしれませんが……

 この授業、私もテレビで拝見しました。
 様々な意見があり、賛否両論だと思いますが、私としては毒にも薬にもならない授業を幾つも積み重ねるよりも、このように間違いなく心に残る授業を行う必要性を感じました。
 もちろん、今回の授業は疑問を感じる点がありました、3年間と言う期間は間違いなくどのような生き物に対しても愛着を感じてしまうほどの年月であり、それを後に殺すと言うのは教育上あまり良い影響を与える物とは思えません、しかし、この授業を受けて人格が歪んでしまうとは思えません、むしろ命について真剣に考えるのではないかと思えます。

 私が小学生の頃にこのような授業が行われたらどうなっていたのか、それは想像の範囲を出ませんが、少なくともただ飼うと言うだけではなく、後に食べると言うのは重要な要因ではないでしょうか?
 
 小学校低学年で教室にて飼い、無残に命を散らした金魚・トカゲ・ハムスター……その命はどう考えても心にはあまり響かなかったと思います。
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>鈴木さま (aiwendil)
2006-07-31 00:48:20
>鈴木さま
教えられる人間などどこにもいないと思います。
ですので、以下は私の「解釈」です。

命としては等価です。
どんな小さな生命体であろうと、人間が何もないところから命を生み出すことはできません。
そういった意味では、豚に限らず、人も牛も鶏も蛇も蛙もハエもトキソプラズマも大腸菌も、すべての生命が持つ命は等価だと私は考えています。

では、何が問題となるのか。
それは人間が動物を囲い込むための理由です。

動物と人間の関係は、本来互いに独立であるものだと思います。
人間が動物を飼うのは、愛玩用であろうが食用であろうが救護のためであろうが、突き詰めれば人間のエゴによるものです。
人間はすべからく自分のために動物を飼っている、と言って過言ではないと思います。
しかし、だからといって動物をないがしろにしていいというものではありません。
自然状態からはずれた状況の中に動物たちを囲い込むにあたっては、そうするための明確な理由と適切な手法がなければならないと私は考えます。
農家の方々が豚を飼うのは命をもらって生きてゆくためです。
市井の方々が猫を飼うのは保護する喜びをもらって心の糧にするためです。
愛玩動物を飼うのならば、責任もって生をまっとうさせるのが人間の義務だと思います。
同様に産業動物を飼うのならば、適正飼育し目的に見合った出荷をするのが責任だと思います。
理由も不明確なままただ漫然と愛玩飼育し、飼えなくなったから出荷する、という行為は、ただやみくもに動物を囲い込むこと自体を目的とした究極のエゴ行為であると、私の目には映ります。
私はこういった行為にはどうしても賛同することはできません。

つまり、区別云々以前に、『動物を育てるのならばそれ相応の覚悟と知識が必要であって、その部分の教育がないまま動物を育てるべきではない』というのが私の主張です。

ご理解いただけるかどうかはわかりませんが、実際に生物の生と死の現場に携わってきたひとりとして切実な解釈を述べさせていただきました。
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今さら、コメントを付けても読んでもらえるかわか... (鈴木)
2006-07-26 17:49:08
今さら、コメントを付けても読んでもらえるかわかりませんが。

食用豚と愛玩動物の区別を「命」の観点で教えてください。

確かに知識をもたずに動物を育てるのは悲しい結果を生むかもしれませんが、食用だとか愛玩用だとか区別することの方が危険な思想だと思いました。
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>mogさま (aiwendil)
2005-11-21 01:48:31
>mogさま

たとえば、母豚を飼って子豚を出荷する、というのならわかるのです。
あるいは子豚を飼ってきて肥育・出荷する、か。
いわばプチ養豚ですね。
意気込みや理想を持つのは良いことですが、知識がそれに伴わないのはとても不幸で悲しいことだと思います。

テレビがすべて悪いとは思いません。
むしろ有益な部分もたくさんありますから。
ただ、今の時代は、情報の善し悪しを視聴者自身が判断できねばならない時代なのかなと思えるこの頃です。
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☆う~ん、なんというなんということでしょうか??? (mog)
2005-11-19 01:30:32
☆う~ん、なんというなんということでしょうか???
 3年間と言う飼育はありえない...その豚はもはやペットではありませんか..、学校のうさぎや鶏となんら変らぬ存在だと私は思います。食肉センターに送る、というのならやはりおっしゃるとおり適正なる飼育方針のもとに行わなければなんら意味のないおろかな所業になってしまい教育どころではない。この事はきっとこの子ども達にとって大きな大きな心の傷となってしまったことでしょう...。ペットと家畜の飼育は根本的に違う事を何故大人たちはきちんと指導しなかったのでしょうか..安直で間違った動物愛護はどれほど犠牲を強いたのでしょうか..。テレビと言う媒体の胡散臭さ、汚さをもう一度しっかり覚えておかなくてはならないと思いました。
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>ケイさま (aiwendil)
2005-11-18 01:30:31
>ケイさま

おそらく、12日に放映されたのはその昔の番組を再編集したものだと思います。
当時の担任の先生が、現在では教育大学の講師をなさっていて、その教育大学の講義で昔の「命の授業」ビデオを教材として使っている、と紹介されていました。
"次世代の教育を担う教師のタマゴたちに『昔の画期的な授業』を示す"といった雰囲気の映像を導入として、昔の「命の授業」映像の抜粋に新たなナレーションを加えたものが放映されました。
とてもドラマチックな映像ですので、『これはすごい!』と思ってしまうように作られています。
これを見て私は、編集って恐いな、と思いました。

畜産の本義、食べることの本義を理解しないままに真似しようとする方々が出てくるのではないかと心配です。


>tanifujiさま

すみません、ここ最近、サーバーの調子がいまいちのようで、夜の11時前後に表示不具合が多発しています。
私自身、記事の重複投稿を何度もやらかしました(^^;。
御迷惑おかけしていますが、気長に様子をみてやってくださいませ。


>mogさま

おひさしぶりです(^^。

食品の生産流通過程を知ることは大切です。
しかし、先日のテレビで放映された内容は、それ以前のとんでもない問題を含んでいたと私は思うのですよ。
どんな内容だったかは番組オリジナルの映像を見ていただくのがいちばんなのですが、概要をお話しますと、
ある小学校教師が、『クラスで豚を飼い卒業時に自分達で殺して食べる』という「命の授業」を考案し実行します。実施クラスは三年生。生徒は皆で小屋を作り、餌の調達や掃除などを受け持ちます。豚に「Pちゃん」と名前を付ける子供たち。世話をするうち豚の性格などもわかり、すっかり馴染んでゆきます。ところが、三年が経ってみると皆がPちゃんを生かしておきたいと考えるようになっています。卒業を前にして、一旦「また三年生に引継ぐ」という案が採択されますが、飼育費用や管理の問題、三年後に同じ問題が起こる、保護者の「責任を果たすべき」という意見、などから議論は差し戻し。そこから「下級生に引継ぐ」VS「食肉センターへ送る」派で教室を2分する大激論に発展、採決は16対16で判定は担任の先生に委ねられ、結局食肉センター案が可決。卒業式の朝、涙にくれる生徒たちに見送られて「Pちゃん」は食肉センターへ運ばれてゆく、という筋書きです。
まるで感動話ですが、ここにはとんでもない錯誤が組み込まれています。
私が一番問題だと思うのが、目的が不明確なまま豚を飼育してしまったことです。目的意識の低さは、食べるためだった豚がすっかりペット化している点からも明らかです。
本当に食べるためなら、6か月間適正に肥育して、きっちり育てた豚をきっちり検査して食べる。そうせねば意味がありません。三歳の雄豚ではまともな食用にはなりませんので、この場合の「Pちゃん」は全くの無駄死にに近いです。ほとんど単なる「処分」です。
よく調べもせずに勢いで飼い始め、可愛いので飼い続け、飼えなくなったから処分する、これでは犬や猫を捨てる無責任な飼い主と同じ思考構造に他なりません。
こんなことを手本にされては困ります。
ですから、ほんとうに「食べるために飼う」のであれば、しかるべきリサーチをしてから、家畜たちの尊厳を損なわないように適正に飼育してほしい、と心から思うのです。
返信する
ご無沙汰しています、7月に生後10日くらいのと外猫... (mog)
2005-11-17 12:36:43
ご無沙汰しています、7月に生後10日くらいのと外猫ちゃんのちびと2匹預かって預かりパナシになっていてちょっと焦り気味のイオレスとなっています。むむむ、8匹じゃ住人の倍じゃもの。さて、その問題のテレビを見なかったのでなんとも申し訳ないのですが、教育として家畜の事を問題にするならやはり全ての工程を見せて考えなくちゃ教育の問題にはならないと私は思います。パッケージされたお肉となるまで、食とはどういうことなのか、お肉を食べるにはどういう道をたどっていくのか。今の子供たちって食ということについてとてつもなく欠落しているものがあるのではないでしょうか。戦後、まだまだ食するということが大変であった時代に生まれたものとして『いただきます、ご馳走様』の言葉が持ち続けてきた来しかたこれまでの意味を『わすれちゃなんねぇ』と思っております。ちなみに『まだまだ里親募集中』です。
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お久しぶりです。お元気ですか? (tanifuji)
2005-11-13 15:13:04
お久しぶりです。お元気ですか?
「ポツネン」のチケットも無事取れたようで何よりです。

ところで「世界一受けたい授業」にトラバさせて頂きました。
トラバ失敗のメッセージが出たため、3回も送ってしまいました(^_^;。すみません。
お手数ですが余分なトラバ削除して頂きますでしょうか?
よろしくです!
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その番組は途中まで見て、見るのを止めてしまった... (ケイ)
2005-11-13 13:45:40
その番組は途中まで見て、見るのを止めてしまったのですが、まだ「命の授業」とかいうのをやっているのですね。

以前にも似たような番組があって、そのときにもaiwendilさんがおっしゃるような批判が出ていたのに、まだやっているのか、そしてまたもやテレビで美談として取り上げているのかと、正直、疑問符以上です。

そもそも、どういうきっかけでそういう授業を始めたのか。何か、そういういろいろな授業の試みのアンチョコというか、そういうものがあるように聞きます。

現実の生活に役に立つ授業をと考えて、新しい試みをするという姿勢を否定するものではありませんが、それなら、どういう意図でやるのかを明確にしなければ意味がありません。
安易な机上の空論に基づいてこのような授業が行われているのではないことを望みます。教師の方たちには、事前に実際にそういう仕事をしている方たちの指導の下、自らその仕事を体験してみるといった準備、また社会の仕組みなどに十分な知識や、広い視野を持って望むのでなくては、ただの思いつき以上のものにはならないのではないかと思います。

テレビの影響、本当に心配ですね。
返信する
>aidanaさま (aiwendil)
2005-11-13 02:49:40
>aidanaさま

生き物の生死をあつかうということは、それだけで相当の責任と覚悟が要ることなのです。
加えて、食肉を生産するということは、口に入れる人間=消費者への責任をも伴うということなのです。
教室の会議では却下されていましたが、もしも『自分達で殺して食べる』という選択肢が採択されていたとしたら、と畜場法違反の『密殺』で完全な犯罪です。食べてはいけない状態の肉を知らずに食べてしまったらいったいどうするつもりだったのか、考えるだに恐ろしいです。

もし畜産を教育に取り入れるのだったら、子供たちと共に畜産農家へのリサーチ、食肉処理場の見学、関係法令などの『安全を守るための世の中のしくみ』の学習、等を済ませてから飼育を実践せねばならないと私は思います。
豚のためにはどのように飼うのが良いか、良い肉質にするにはどのように飼うのが良いか、育てる上で気をつけることは何か、どのような時を経てどのようにして肉になるのか、肉にするために気をつけることは何か、食べるためにはどのような手順が必要か・・・・等々、学べることはたくさんあるはず。うまくすれば、生命と食品、生活全般についての大人顔負けの総合学習的な知識が身につくでしょうに。
それが無理ならば、少なくとも教師だけでもこれらのことを事前に把握していなければならないと思います。
そもそも『生きてゆくために食べる・飼う』という大前提を欠いた安易な飼養は勘違いと悲劇の元。
教師の方々にはどうかそのあたりの認識を持っていただきたいと思います。
切実に、そう思います。
返信する
なるほど…。 (aidana)
2005-11-13 01:32:08
なるほど…。
私もちょうどその番組をみていましたが、生徒の方たちの真剣な議論の方にばかり目をとらわれて、まんまと感動したくちです。
aiwendilさまの意見を聞けて、大変勉強になりました!
しかし多分、一般視聴者では、私と同じ反応をした人が多いのでは…。私はaiwendilさまのおかげで別の視点を持てましたが…。
影響が確かに心配ですね。
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