(手合い時計・チェスクロックではありません)
週末は忙しい日で、特に午前中は忙しかった・・・イヤ忙しいと感じる事無く時間が過ぎて行った感じです。
いつものように自転車で書類を運んだり、書類を貰ってくる仕事も(まだまだネットのメールではすまないことも多いのです9あったのですが、朝買ったペットボトルのお茶を机の上に置いたまま、栓を開けるのを忘れているうちに昼になった。
周りの人の動きで「?」を感じて、電話機のデジタル時刻表示を見ると、まもなく12時になります・・・ということは、概ね12時3分前です。
全く、時間と言うことを考えずに仕事をしていたらしい・・・久し振りに。
これは、子ども時代にはよくあったことではあるのですが。
真面目とかと関係なく、面白くなる・真剣になると回りが見えなくなるのです。
これは勉強・仕事・遊びの区別が無い
ですから、授業が終わっても、面白いことがあれば休み時間もその教科書を読んだり、実験を続けたり・・・そういう性格を「ガリ勉」と誤解する人もいたけれど、実情は全く違う(遊びが面白ければ休み時間が過ぎても教室に帰ってこないのですから)。
家では勉強などしないのですから・・・学校の勉強は学校でやるだけ。
ともかく、事務所で時計も見ずに仕事をしていたことになる。
要するに”我がままに”仕事をしているのでしょう。
仕事=公の行為ですが、回りが見えていないということは、ある程度は「私的興味」もあったのでしょうね・・・
ところで私は腕時計をしていません。
父に腕時計を買ってもらったのは中学生のころで、当時の学校の規則ではバス・電車通学者以外は腕時計を学校にして行っては行けない。
マアどちらかと言えば贅沢で、生意気。
ところが、夏場の汗に弱いし・・・腕時計が嫌いになりまして・・・高校時代はたいていポケットに入れておいて、授業中は机の上、大学以降は親に貰った時計が壊れ、代わりに貰った時計が不調になって以来、時計無しの生活。
これで、さして不便を感じないで生活してきた。
今日の場合・・・事務所に壁かけ時計は3つある。
面白いことに、連動していないので、皆時刻にずれがあり、オーバーに言えば皆勝手な時刻を指している。
一番早いものと、遅いものでは約7分差
電話についているデジタル表示・・・これは電話に表示されていて、いかにもマトモそうな振りをしていますが、標準時刻を表示しているとは思えない。
今、事務所での私用のパソコンは2台、1台はここ3年はオフラインで使っているので、時刻は相当怪しい。
もう一台のデスクトップはインターネットで使用しているので、恐らくこれが一番正確でしょうが、これは常時立ち上げているわけではないのです。
結局、5つ6つのいい加減な時刻表示に囲まれ、それぞれの狂い方を計算に入れて生活している。
それで何とかなっていると言うか、慣れてしまっている。
マアどうしても正確な時刻を知りたければ、首から下げている携帯で見ますが・・・そこまでしなくても生活できるものです。
普段は、通勤時など通りかかったコンビニとか、ガソリンスタンドなどの壁掛け時計を見る習慣があります。
そういえば家にいるときは、今使っているパソコンだって時計が表示されているし、壁掛け時計の他に3個ほどの置き時計を”配置”してある。
そして朝などはTVをつけておけば、勝手に・ついでに時刻を教えてくれる。
好きな番組の一つに「お宝鑑定団」がありますが、時に超高額な腕時計が出てきますが、理解を越えて、不愉快になります。
マア、買いたくても買えませんから貧乏人の僻み・・・仮に手に入っても、汗をかかないと言う条件で生活しない限り意味のない物。
働く必要がない人用、あるいは常にエアコンの中にいる人用でしょうか・・・
やはりイソップ調で、「私には使えない」と嘯く・・・買えませんね。
ステータスだとしても、私には意味がない。
うーん高価なもの、ぜいたく品とは一生縁が無いでしょう。
常に実用一点張り
住んでいる場所の制約も有り、不要なものは整理する、無駄なものは買えない・置けない。
何と言っても私自身が無用の長物になりかかっていますから。
そういう圧力に耐え、パソコンを買って、ネットにつないで、囲碁を打って・・・年々回りの女房殿や娘の圧力が強くなるので、負けない力をつけないといけないですね。
週末は忙しい日で、特に午前中は忙しかった・・・イヤ忙しいと感じる事無く時間が過ぎて行った感じです。
いつものように自転車で書類を運んだり、書類を貰ってくる仕事も(まだまだネットのメールではすまないことも多いのです9あったのですが、朝買ったペットボトルのお茶を机の上に置いたまま、栓を開けるのを忘れているうちに昼になった。
周りの人の動きで「?」を感じて、電話機のデジタル時刻表示を見ると、まもなく12時になります・・・ということは、概ね12時3分前です。
全く、時間と言うことを考えずに仕事をしていたらしい・・・久し振りに。
これは、子ども時代にはよくあったことではあるのですが。
真面目とかと関係なく、面白くなる・真剣になると回りが見えなくなるのです。
これは勉強・仕事・遊びの区別が無い
ですから、授業が終わっても、面白いことがあれば休み時間もその教科書を読んだり、実験を続けたり・・・そういう性格を「ガリ勉」と誤解する人もいたけれど、実情は全く違う(遊びが面白ければ休み時間が過ぎても教室に帰ってこないのですから)。
家では勉強などしないのですから・・・学校の勉強は学校でやるだけ。
ともかく、事務所で時計も見ずに仕事をしていたことになる。
要するに”我がままに”仕事をしているのでしょう。
仕事=公の行為ですが、回りが見えていないということは、ある程度は「私的興味」もあったのでしょうね・・・
ところで私は腕時計をしていません。
父に腕時計を買ってもらったのは中学生のころで、当時の学校の規則ではバス・電車通学者以外は腕時計を学校にして行っては行けない。
マアどちらかと言えば贅沢で、生意気。
ところが、夏場の汗に弱いし・・・腕時計が嫌いになりまして・・・高校時代はたいていポケットに入れておいて、授業中は机の上、大学以降は親に貰った時計が壊れ、代わりに貰った時計が不調になって以来、時計無しの生活。
これで、さして不便を感じないで生活してきた。
今日の場合・・・事務所に壁かけ時計は3つある。
面白いことに、連動していないので、皆時刻にずれがあり、オーバーに言えば皆勝手な時刻を指している。
一番早いものと、遅いものでは約7分差
電話についているデジタル表示・・・これは電話に表示されていて、いかにもマトモそうな振りをしていますが、標準時刻を表示しているとは思えない。
今、事務所での私用のパソコンは2台、1台はここ3年はオフラインで使っているので、時刻は相当怪しい。
もう一台のデスクトップはインターネットで使用しているので、恐らくこれが一番正確でしょうが、これは常時立ち上げているわけではないのです。
結局、5つ6つのいい加減な時刻表示に囲まれ、それぞれの狂い方を計算に入れて生活している。
それで何とかなっていると言うか、慣れてしまっている。
マアどうしても正確な時刻を知りたければ、首から下げている携帯で見ますが・・・そこまでしなくても生活できるものです。
普段は、通勤時など通りかかったコンビニとか、ガソリンスタンドなどの壁掛け時計を見る習慣があります。
そういえば家にいるときは、今使っているパソコンだって時計が表示されているし、壁掛け時計の他に3個ほどの置き時計を”配置”してある。
そして朝などはTVをつけておけば、勝手に・ついでに時刻を教えてくれる。
好きな番組の一つに「お宝鑑定団」がありますが、時に超高額な腕時計が出てきますが、理解を越えて、不愉快になります。
マア、買いたくても買えませんから貧乏人の僻み・・・仮に手に入っても、汗をかかないと言う条件で生活しない限り意味のない物。
働く必要がない人用、あるいは常にエアコンの中にいる人用でしょうか・・・
やはりイソップ調で、「私には使えない」と嘯く・・・買えませんね。
ステータスだとしても、私には意味がない。
うーん高価なもの、ぜいたく品とは一生縁が無いでしょう。
常に実用一点張り
住んでいる場所の制約も有り、不要なものは整理する、無駄なものは買えない・置けない。
何と言っても私自身が無用の長物になりかかっていますから。
そういう圧力に耐え、パソコンを買って、ネットにつないで、囲碁を打って・・・年々回りの女房殿や娘の圧力が強くなるので、負けない力をつけないといけないですね。