なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

砂の山崩し

2008-09-12 17:53:29 | Weblog
 この年になりますと、昨日のことより遥か昔の子供時代のことを思い出すものです。
 時として、何の脈絡もなく鮮やかに脳裏に浮かんできたりして、”何の脈絡も無く”では無く、何か引き金とかヒントみたいなきっかけがあったのか?とか、こういうことを思い出すのには何か意味みたいなものがあるのだろうか・などと考えたりします。
 それはそれで、かなりの暇つぶしにはなりますが、ヤヤ後ろ向きな姿勢と言うか・・・ヤヤ甘い・あるいはややほろ苦い思い出に一時浸れますが、もしかしたら「ボケ老人の道」を辿っているのかも知れないという寂しさはある。
 マア、しかし、最近の思い出より、古い時代の思い出の方が圧倒的に多いのですから仕方が無いのかも知れません。

 ところで昨日の「あと一息が遠い」に関連するイメージは砂に関する遊びです。
 画像的イメージとしたら、遥かに続く砂の山・砂漠ですね。
  水が無いとか潤いが無いというようなイメージではなく、単に砂の上を歩くイメージです。
 それもまっ平らな砂漠ではなく、一つの砂の山を越えるとまた次の山が現れるという景色です・・・これは私にしてはスケールが大きすぎで。
 鳥取砂丘というか・・・あれは平ら・風紋のイメージ
 どちらかと言えば浜松砂丘ですね、あるいは房総にある砂の壁
  足元の砂が崩れるよりあ早く登らなくてはいけないという・・・スケールを大きくすれば巨大砂地獄みたいなイメージですね。
 もがいて足を動かし続けて現状維持、止まればズリ落ちる砂の山
 もうすぐ上にたどり着くと言う寸前で、力が尽きズルズルと下まで落ち、これではならじと奮起してまた上を目指す。
 
 プロレベルの”道を究める”ではありませんが、アマレベルの遊びで、道楽レベルでこういう気持ちにはなるらしい。
 素人の趣味・道楽を楽しむのには二つあって、一つは”真面目に苦しむ?”事を喜びとするか、もう一つは露天風呂みたいにどっぷりと浸かって楽しむか。
 イヤ、考えてみれば私のはそんなにカッコよくも無ければスケールも大きくない
 例えれば「砂の山崩し」・・・本当の名前を知らないので仮の名前です
 バケツに2,3杯の良く乾いた砂で円錐形の山を作って、真ん中の一番高いところに割り箸で作った小さな旗を立てる・・・割り箸だけでも好いけれど。
 そして数人のゲーム参加者が順番で、両手で砂の山を端から掬い取る
 これを売り返すと砂の山はだんだん小さく痩せていき、最後に真ん中の割り箸の旗が倒れる・・・この時のプレーヤーが負け。
 砂丘ではなくて、砂のイメージと砂場のスケールではこちらなんですが、元に返って囲碁とはどう結びつくのか・・・
  マア、ヒマなジイサマにお付き合い願いました。

 ネットであえお3つ勝ち越すと自己MAXタイの地点・・・今夜は相手がいない
 上ばかり見ていて、、、もしかしたらここが最近の最高到達点で、この先の生涯でここより高いところが無いとなるかも・・・
 その可能性もかなりあるのですから、観戦もまた楽しからずやです。