なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

「すごい」の話

2008-09-18 16:55:42 | Weblog
 数日前に、朝TVを見ていたらNHKのアナウンサーが、何かのレポートで「すごく使いやすい」とコメントしていました、
 そのすぐ後の番組のアナウンサーも、何かの花を見て「すごく綺麗です」・・・
 言葉は時代とともに変化していきますから、私らが子供の頃に禁止されていた使い方が、今は当然のごとく通用しているのですね。
 マア私は意識して「すごく」を極力避けていますが、自分でも使うことがあるから勝手な言い分ではあるし、誰かがそういう表現で話している場合は当然理解できるわけで・・・自分では使わないけれど、通用はする。
 仮に先ほどのコメントを「たいへん使い易い」、「とても綺麗」と置き換えた場合、どう変わってくるか・・・多分意味は同じように伝わるはずではあるが、、、
 「たいへん・・・」「とても・・・」という表現を発した場合、それを繰り返せば、「お高くとまっている」「すました表現をする」みたいな評価を受ける可能性が大きい。
 
 同じような言葉を共有しないと仲間になれないと言うほど大きくは無いが、多少隙間が出来る感じはする・・・
 しかしいつの間にかNHKでも認知されていると言うことで、表現が悪いけれど、多数の傾向に合せて”共通意識みたいなもの”を共有しようとしているかの様に感じます。

 少し前に民放の番組であるタレントがホスト役で、ゲストに向かって「こいつ、カッケー」と大きな声で・・・
 意味としては通じなくもない・・・そういう自分が嫌ですが
 しかし、ゲストを「こいつ」呼ばわりすることと、「カッケー」と言う言葉には
 全くのアレルギーです、こういう人は人間としてのレベルが低いとか、知能程度を疑うような気分になるのです。
 マア、嫌なら見なければ良いわけで、すぐにチャンネルを回しました。

 新しい表現方法とか言葉がどこかで発信されると、すぐに広がるようで
 質問でもないのに語尾を上げる・・・いい年をした人が可愛い子ぶって?
  若い女性ならまだしも、いいおじさんまで。
  「全然」も面と向かって使われると、なんだかがっかりします
 仕事で話している若者に「全然大丈夫です」などと言われると、年令を越えて仲間に入れてもらえたような気がしないでもありませんが、なんだか仕事にしては「軽い乗り」と言う感じで、思わず相手の顔を見てしまいます。

 文句ばかり書きましたが、私らの世代もだいぶ日本語を乱したのですよね。
 「ドジ」「ヤバイ」などというと年配者は顔をしかめたものです。
 特殊な業界・職業の言葉だったはずですし
 「つんのめる」の「つん」などは江戸時代の奴言葉が残ったものですから、言葉が変わっていく証拠みたいなものですね。
 ということは「すごい」も「凄い」という凄まじいとか、凄く恐ろしいという意味を含んだ言葉から単に「very」になっていくのですね。
 時代の流れかもしれませんが、言葉の持つ「厚み」みたいなものも無くなっていくような気がしました。
 朝から「すごく」聞いた一日は調子が出ません。
 すごく=「凄く」で、季節外れに怪談:『陰にこもってもの”凄く”』のイメージ。
 ”凄く”キレイと言われれば、何やら恐いまでの・人間離れをした美しさをイメージしてしまいますから『一度出会ってみたい』などと妄想したり。

 碁に関して師匠から「お前はすごく弱い」と言われたなら「凄まじく弱い」の意味で”合っている!”。
 一概に表現間違いでもない・・・

 昔・学生時代の部活の後輩に女性トリオがいまして、三人はいつも一緒に行動している・・・彼女たちに綽名を。
 一人は「ドジラ」、もう一人は「グズラ」、三人目は「ネズラ」
 怪獣調に・・・私も言葉を乱している一人ではある。