冗談では他所のうちの喧嘩と対岸の火事は大きいほど面白いなんて無責任なことを言いますが、これが関係者ともなるととてもそんなことを言っていられません。 先日「碁盤がない」で書きましたが、これも施設を管理する立場からすれば究極の予防措置みたいなものですね。
道路から躓く危険性がある小石は排除する、池の周りには人が絶対入れないように柵をめぐらす、料理や鉛筆削りで怪我をしないよう刃物を持たせない、、、転ばぬさきの杖と言いますか、ことなかれ主義と言いますか。
施設に囲碁・将棋盤を置かねばならないと言う規則はないのだから火種になる可能性があるものは排除するのだろう。
そういえば、昔公園のゲートボールでもトラブルがあったような記憶がある。
ともかく囲碁・将棋は喧嘩の種になるので定住型の高齢者施設では囲碁・将棋盤を置いてないところが多いそうです。
ふと気になったのは、ここで「定住型」と「高齢者」がキーワードなのかな?と言うことです。
例えば、私がたまに顔を出すコミュニティセンターの囲碁・将棋クラブの平均年齢は所謂老人施設で暮らす人よりはかなり若いと思う。
年齢制限はないから小学生から高齢者までOKなんですが、実際は現役世代は少なくてリタイア組みが多いようで・・・マアご隠居さんがおおぜいいる感じ。
ここは、多分自宅に住んでいて遊びに通ってくる人のクラブで公共機関の建物の一室を借りている。
そして、囲碁、将棋はそれぞれ自主運営で部屋は共同で自主管理。
要するに、ここの部屋に囲碁・将棋をやりたくて集まってくると言う形です。
ところが近所にここと似たような施設があります。
はっきりとは知らないのですが、そこも公共施設のようで、運営そのものも公的な機関が関与していると思える。
コミュニティセンターの隣の敷地にある大きな建物の一部(多分1,2階)が「いきいきクラブ」とか言う施設らしくて、ここは60才以上が利用する施設。
囲碁将棋だけでなく、ダンスとか他にもあるらしい。
ところで、私も60才以前の頃、その施設に行ってみないかと誘われたことがある。
「60才未満だから遠慮します」とは答えたが、誘ってくれた人の口ぶりでは「そんなに厳格に守られていないですよ」でした。
では、何故隣のクラブに誘ってくれたのか?
(その人はどちらの施設も利用している人です)
想像の部分が多いのですが・・・
棋力的には全体的に「いきいき」の方が下らしい・・・それはマア平均年令的なこともあるし、元々コミュニティの方がいろんな人が来ているから仕方が無い。
上下は良い悪いでは無い。
でも、ある程度強い人とが固定化された感じで、「強い」ということから「威張る」という弊害もあるらしい。
いや、それも「威張られる」人の感じ方の問題もあるかもしれない。
ともかく、「井の中の蛙」「鳥なき里の蝙蝠」から、新しい風みたいな役割を期待されたらしい。
勝負事のクラブでは「勝ちたい」「負けたくない」というぶつかり合いの他に、集団の中で「強い」「威張る」という形もある。
そういえば、コミュニティの将棋クラブ(囲碁・将棋の境目は部屋の真ん中にある衝立だけです)では諍い事が多い。
流石に殴り合いまでは無いけれど、怒鳴りあいは珍しくはない。
あんなにトラブルがあるのに将棋クラブが消滅しないのが不思議なくらいなんですが・・・続いている。
もっとも、以前通って来ていた人が来なくなったり、衝立のこちら側(囲碁)に鞍替えしたりはある。
さて喧嘩の種は「助言」とかマナーに関することのようですが、ここでの将棋の場合は強い人が威張ると言うか歯に衣を着せないで言いたいことを言うところにもあるらしい。
こういうところは、「助言」「指導」「感想」「威張る」、、、なかなかく別がつかないところもあって難しいから、日頃の態度と言うか人柄と言うか、、、ともかく波長の合わない人とはトラブルになり易いらしい。
それに、勝った人が思い切り何かを言う傾向があるらしく、、、こういう発言の中には納得できることもあるかもしれないが、どこかに『あっちだって、素人のくせに』という気持ちもあるでしょう。
だから、「将棋の勝負に関すること」と「人にものを言う言い方」という論点のかみ合わないところでの喧嘩になったりするようです。
結局はお互いに相手の顔を見たくないと思うのですね。
ところで将棋の場合はハンデ戦がやりにくいと言う事もあるのでしょうか。
見ていると、ここでは大駒落としの対局は勿論、片香の将棋も見たことが無い。
つまり、オール平手先。
だから、勝敗としてはかなり偏るはずで、似たようなメンバーが長い間指せば、お互いにランキングを決めているような感じでA>B>Cみたいな序列が出来て、勝敗の優位性だけでなくものを言う時の物腰に反映したり。
将棋の持つ「王を捕獲する」という勝負の激しさみたいなものも原因だろうか?
ともあれ、どんなに激しい戦いをしても、勝敗がつけばお互いに仲が良い友人と言うのが理想なのだが、なかなかそうはいかない場合もある。
それでも、毎日おおぜいの人が顔を出すのはどうしたことか?
ただで遊べるところがそうは無いというのも理由でしょうが、喧嘩はともかく人がいるところには刺激もあるのでしょうし。
さて定住型となると、シコリの出来た人と顔をあわせる可能性が高くなる・・・管理する方の人が先回りしている?。
もっとも、隣の将棋クラブのトラブルに関与する人は同じ人みたいです。
つまり、定住型であろうと、通い型であろうと「メーカー」が問題だと思うのです。
それでも囲碁・将棋は脳を刺激するはずです。
ゲートボールも体を動かして手足を動かし、作戦を考える、、、
人と接する刺激自体も大事なはず。
トラブルの方だけを見れば困ったことですが、良い方を見れば大事なこと
原因者を排除するという事以外の解決法が大事ですね。
定住型では世話をする人が手をかけられるか、コミュニティなどでは自主的なマナーについての気持ちに鍵があるような気はするのですが・・・
道路から躓く危険性がある小石は排除する、池の周りには人が絶対入れないように柵をめぐらす、料理や鉛筆削りで怪我をしないよう刃物を持たせない、、、転ばぬさきの杖と言いますか、ことなかれ主義と言いますか。
施設に囲碁・将棋盤を置かねばならないと言う規則はないのだから火種になる可能性があるものは排除するのだろう。
そういえば、昔公園のゲートボールでもトラブルがあったような記憶がある。
ともかく囲碁・将棋は喧嘩の種になるので定住型の高齢者施設では囲碁・将棋盤を置いてないところが多いそうです。
ふと気になったのは、ここで「定住型」と「高齢者」がキーワードなのかな?と言うことです。
例えば、私がたまに顔を出すコミュニティセンターの囲碁・将棋クラブの平均年齢は所謂老人施設で暮らす人よりはかなり若いと思う。
年齢制限はないから小学生から高齢者までOKなんですが、実際は現役世代は少なくてリタイア組みが多いようで・・・マアご隠居さんがおおぜいいる感じ。
ここは、多分自宅に住んでいて遊びに通ってくる人のクラブで公共機関の建物の一室を借りている。
そして、囲碁、将棋はそれぞれ自主運営で部屋は共同で自主管理。
要するに、ここの部屋に囲碁・将棋をやりたくて集まってくると言う形です。
ところが近所にここと似たような施設があります。
はっきりとは知らないのですが、そこも公共施設のようで、運営そのものも公的な機関が関与していると思える。
コミュニティセンターの隣の敷地にある大きな建物の一部(多分1,2階)が「いきいきクラブ」とか言う施設らしくて、ここは60才以上が利用する施設。
囲碁将棋だけでなく、ダンスとか他にもあるらしい。
ところで、私も60才以前の頃、その施設に行ってみないかと誘われたことがある。
「60才未満だから遠慮します」とは答えたが、誘ってくれた人の口ぶりでは「そんなに厳格に守られていないですよ」でした。
では、何故隣のクラブに誘ってくれたのか?
(その人はどちらの施設も利用している人です)
想像の部分が多いのですが・・・
棋力的には全体的に「いきいき」の方が下らしい・・・それはマア平均年令的なこともあるし、元々コミュニティの方がいろんな人が来ているから仕方が無い。
上下は良い悪いでは無い。
でも、ある程度強い人とが固定化された感じで、「強い」ということから「威張る」という弊害もあるらしい。
いや、それも「威張られる」人の感じ方の問題もあるかもしれない。
ともかく、「井の中の蛙」「鳥なき里の蝙蝠」から、新しい風みたいな役割を期待されたらしい。
勝負事のクラブでは「勝ちたい」「負けたくない」というぶつかり合いの他に、集団の中で「強い」「威張る」という形もある。
そういえば、コミュニティの将棋クラブ(囲碁・将棋の境目は部屋の真ん中にある衝立だけです)では諍い事が多い。
流石に殴り合いまでは無いけれど、怒鳴りあいは珍しくはない。
あんなにトラブルがあるのに将棋クラブが消滅しないのが不思議なくらいなんですが・・・続いている。
もっとも、以前通って来ていた人が来なくなったり、衝立のこちら側(囲碁)に鞍替えしたりはある。
さて喧嘩の種は「助言」とかマナーに関することのようですが、ここでの将棋の場合は強い人が威張ると言うか歯に衣を着せないで言いたいことを言うところにもあるらしい。
こういうところは、「助言」「指導」「感想」「威張る」、、、なかなかく別がつかないところもあって難しいから、日頃の態度と言うか人柄と言うか、、、ともかく波長の合わない人とはトラブルになり易いらしい。
それに、勝った人が思い切り何かを言う傾向があるらしく、、、こういう発言の中には納得できることもあるかもしれないが、どこかに『あっちだって、素人のくせに』という気持ちもあるでしょう。
だから、「将棋の勝負に関すること」と「人にものを言う言い方」という論点のかみ合わないところでの喧嘩になったりするようです。
結局はお互いに相手の顔を見たくないと思うのですね。
ところで将棋の場合はハンデ戦がやりにくいと言う事もあるのでしょうか。
見ていると、ここでは大駒落としの対局は勿論、片香の将棋も見たことが無い。
つまり、オール平手先。
だから、勝敗としてはかなり偏るはずで、似たようなメンバーが長い間指せば、お互いにランキングを決めているような感じでA>B>Cみたいな序列が出来て、勝敗の優位性だけでなくものを言う時の物腰に反映したり。
将棋の持つ「王を捕獲する」という勝負の激しさみたいなものも原因だろうか?
ともあれ、どんなに激しい戦いをしても、勝敗がつけばお互いに仲が良い友人と言うのが理想なのだが、なかなかそうはいかない場合もある。
それでも、毎日おおぜいの人が顔を出すのはどうしたことか?
ただで遊べるところがそうは無いというのも理由でしょうが、喧嘩はともかく人がいるところには刺激もあるのでしょうし。
さて定住型となると、シコリの出来た人と顔をあわせる可能性が高くなる・・・管理する方の人が先回りしている?。
もっとも、隣の将棋クラブのトラブルに関与する人は同じ人みたいです。
つまり、定住型であろうと、通い型であろうと「メーカー」が問題だと思うのです。
それでも囲碁・将棋は脳を刺激するはずです。
ゲートボールも体を動かして手足を動かし、作戦を考える、、、
人と接する刺激自体も大事なはず。
トラブルの方だけを見れば困ったことですが、良い方を見れば大事なこと
原因者を排除するという事以外の解決法が大事ですね。
定住型では世話をする人が手をかけられるか、コミュニティなどでは自主的なマナーについての気持ちに鍵があるような気はするのですが・・・