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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

考える才能

2010-12-20 23:02:54 | Weblog
 どうもこの部分が私には充分に備わっていないような気がする。
  例えばある事を考え抜いて・・・白米を半分以上削って超純米仕上げにするような事は苦手だと思います。
 私の場合はマアせいぜい7割とか8割のところで「マアこんなものか」で止めて置く性格。
  ヌカ混じりのようなものでは無いが、さりとて削りに削ったと言うほどの物でも無い
 ほどほどのところで満足する性格と言いましょうか、中途半端と言うか、徹底しないと言うか。
  そういう見方で自分を見ると「いい加減な性格」が良く分かりますが、適当なところで程々に満足できると言う事で、比較的無害な生き方とも言えますね。

 例えば囲碁もマアマアのところで・・・満足しているとは言い切れないが、楽しんでいる。
  こちらの方を更に徹底して鍛えるのではなくて、今は公園の野鳥写真に手を広げて、二兎を追っている状況です。
 尤も二兎と言っても、生活がかかっているわけではないので、それほどの真剣さは無いですが、それでも、ある程度お楽しみにも何かを傾けた真剣さが無いと楽しさが充分ではないので、、、そこのところは門外漢からは「呆れられる」程度には真剣に遊んでいます。
 土日合計で池の周りに座る事13時間で、撮った写真(データ上)は約600から700枚。
  この大量のデータをパソコンに取り込んで、それをまず全くダメな物を削除し、さらに内容を見て修正しきれないものを削除。
 更に加工したり、ピントの甘いものなどを削除し・・・1割は残らない、、、概ね5%くらいかな。
 極端に言うと今度の土日でほぼ満足出来そうなものは1枚だったかも。
  それで、また次の水曜日と木曜日の祝日の天気を心配している、、、殆ど呆れられていますが、そういう状況の方が安心して暮らせる性格とも言えます。

 ところで、今日のネット碁は強敵Iさん。
  彼は良く考える、、、私もあのくらいしっかり考えればもう少しまともな碁になるかもしれないとは思う。
 しかし別の面から見ると、彼が考えている間に私も考えているわけです。
  彼が着手してから私が考え始めるのではない。
 従って彼の着手が予想通りの場合・・・その先は想定内として考えてある事になっている。
  つまり最低3手の読み的に考えると彼の手・それに対する私の応手、更にそれに対する彼の対応・・・
 これが、相手の討つであろう手が無限にあるわけではないので、概ね彼の手を最有力手=本命、対抗、穴みたいに三つぐらいは考えて行く。
 従って、よほど彼が読みと違う手を打たない限り、0から考えるわけではないので私の着手は早くなる。
 彼が考えれば考えるほど、当方の消費時間は短くて済むかもしれません。
  今日の対局では、かれが45分の持ち時間を使いきって、残りの手を全て30秒以内で打つようになった時、私はまだ残り30分近く時間を残していた。

 こういう状態って、仮に観戦者がいたら、「長考派」対「機関銃」みたいに見えるでしょうね。
  「肝心の重要な場面では時間をかけて考える」そこの部分はどうだろう・・・やはり肝心な時と所を察知して自分なりに知恵を投入する・・・そこの力が問題ですネ。