赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

沖縄は中国の属国だったのか?――沖縄論①

2023-10-07 00:00:00 | 政治見解



沖縄は中国の属国だったのか?――沖縄論① :231007情報

中国にとっての沖縄

中国にとって、沖縄はのどから手が出るほど欲しい地域です。

中国はこう考えています。

——沖縄を奪い取れば太平洋に簡単に出られ、アメリカと太平洋を二分することができる。しかし、沖縄には米軍がいる。米軍さえいなければ、平和ボケした日本から簡単に沖縄をもぎ取ることができるのに・・・。したがって、沖縄を奪取するためには、米軍基地を追い出すことと、沖縄は日本ではないという意識を植え付けることが必要。そのための工作を行う。――

その工作は浸透しつつあるようです。以下の記述を見ればよくわかると思います。

島根県のある中学の修学旅行用の学習資料には、中国の工作が見事?に反映されています。
要約してみますと・・・。
・沖縄はもともと独立した国で、日本とのつながりはほとんどありませんでした。
・1429年、首里城を本拠地とした「琉球王国」が成立し、統一国家として歩み始めました。
・1609年、薩摩藩の武力侵攻を受けた琉球王国は以後、薩摩藩の支配下に置かれることになります。
・1879年、明治政府の政策により琉球王国は廃止。制度上は王国時代の税制や行政システムを残しました
・1945年、太平洋戦争で激しい地上戦の舞台となり、戦後はアメリカの直接統治を受け基地が建設されました。
・1972年、沖縄返還。現在も米軍専用施設に限ればその74%は沖縄県に集中して様々な問題を起こしています。



本年(2023)7月3日、沖縄県の玉城知事は「日本国際貿易促進協会」(=通称・国貿促)の訪中団に加わり、から中国を訪問しています。

訪中の目的は主に二つ。一つは経済。沖縄の位置する地域的特性を生かし、沖縄を中継した貿易や沖縄への中国からの投資を拡大すること。もう一つは沖縄県独自のアジア太平洋地域において平和の構築に貢献する「地域外交」を展開するため。

玉城知事は、沖縄から米軍基地の排除に「熱心」なのは有名ですが、その上に、中国との関係を強化するとの方針は中国にとって最大の功労者となるわけです。しかも、最も重要なことは、玉城知事が沖縄県民の選挙で選ばれた人だから。これで、沖縄県民の総意が反米で中国になびいている」と中国は受け止めているのです。後は、米軍基地さえなくなれば、中国はすぐにでも沖縄侵略を開始します。チベットやウイグルのように。


本土の人間でさえ、沖縄は日本ではないと思っている人がいる

以前、私は、自民党内の派閥横断勉強会の政策スタッフをしたことがあります。直属の上司が、政調会長と筆頭の政調副会長だったこともあり、政調会長室にはよく出入りしていました。そこに古参の女性職員がいて話をすることがありましたが、その女性がとんでもないことを言い出して絶句した記憶があります。それは「沖縄は日本じゃない。言葉も違うし・・・」と。朝日新聞に洗脳されていたのかもしれません。

朝日新聞などの沖縄は中国の領土の一部であると主張する人たちは、「おきなわの言葉は、2009年2月にユネスコ(国連教育文化科学機関)が方言ではなく、『言語』だと発表した」ことと、「薩摩が支配下に置くまでは中国から王位をいただく朝貢国家であること」を根拠に、中国の影響下にある独立国家であったことを主張しています。沖縄独立論で沖縄を日本から分断し、中国の支配下にもっていきたいようです。

でも、沖縄の言葉は、紛れもない日本語ですし、文法も日本語文法です。英語や中国語のような主語、述語、目的語の並びではないのは中学生程度ならだれでもわかります。実際、英語の“I love you”、中国語の“我愛你”を同じ文法にして訳しますと「私は 愛します あなたを」になります。沖縄の言葉が、中国語の文法ではなく日本語の文法であることは、沖縄の人びとが日本語圏であった証明です。

では、なぜ、沖縄の言葉がわかりにくいのか、それは、万葉時代の言葉が残っているからです。古代日本の言葉の原風景が残っていると言えるのです。

沖縄の言葉(しまくとぅば)=琉球方言は日本の古語を祖語に持った言語です。つまり、日本語の古い言葉が残っている方言なのです。たとえば「いらっしゃいませ」の意味の「めんそーれ」は、「参(まえ)り候(そうら)え」が変化した言葉だといわれています。

また、沖縄本島などで使う「あけづ」(=とんぼ)のように、本土ですでに使われなくなった言葉(死語)も多くのこっています。本土の言葉と沖縄の言葉はかけはなれているようにもみえますが、よくくらべてみると、もともと同じことばだったことがわかります。現代の日本人が古語辞典なしには古語が理解できないのと同様に、沖縄には古語が残っていると言えます。万葉集の言葉の時代に近いのかもしれません。

「まぶい分析学」のサイトに面白い事例があったので引用します。

琉球語は古代大和語と深い関連があることが分っています。したがって、琉球語で語られる精神世界は、古代大和から連綿と続く日本人の精神世界を表し、いわば、日本人の心の源流であると考えられます。

大和古語を色濃く残している言葉としては、
おおきい→うふし(おほしの変化)、
美しい→ちゅらし(清らしの変化)、
美人→ちゅらかーぎー(かーぎーは影=容貌)、頭→ちぶる(つぶりの変化)、
女房→とぅじ(刀自)、
娘→みやらび(女童)、
かわいい→かなさん(かなし+あり)、
答える→いれーゆん(いらふの変化)、
早朝→ひてぃみてぃ(つとめて・・・枕草子の「冬はつとめて」)
等枚挙に困らず、平安朝に戻ったようで嬉しくなる。

さて、うちなーぐちを理解するには沖縄方言則の要所「①あいうの原則え段→い段、お段→う段に変化、②き→ち変化」を覚えればいくらか楽になる。

先の語群もそうだが、身近な例をあげれば、
「肝 きも→ちむ、心 こころ→くくる、衣 ころも→くるむ、黄金 こがね→くがに、風→かじ、水→みじ」
などがある。
他に地域的な型として「か行→は行、は行→ぱかふぁ行、ぎ→じ」などの変化がある。
面白いことに大和古語では、は行はすべてふぁ行で発音していたから、本島北部のぱ行変化は由緒正しい訛りである。

特に重要なのは「き→ち変化」であり、肝ことばに重要語が多い。また、有名な「イチャリバチョーデー」は行き会えば兄弟の変化であることなどすぐにわかる。
さらに、ちゅらは、きよらの変化であり、大和古語では清らしは内面の美しさも加味した最高の褒め言葉である。


(つづく)



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