きのねの本音

染色や木彫り そして気の合う仲間たち
大好きなものに囲まれ シニアライフを楽しんでいます
時には 愚痴や本音もポロリ

人生色々

2018-01-10 07:14:57 | 田舎日記
昨日、Mちゃんと会っていた。

父が亡くなってからは、
田舎に帰る回数も、少なくなり、
Mちゃんと、会える機会も少なくなっていたが、

1月は、父の1周忌で帰るので、
9日に会う約束をしていたのだ。

9日は、お天気は良かったが、強風。
歩くのも、飛ばされそうで大変な、
そんな荒れた日だった。

迎えに来てくてたMちゃんの車で、
徳島市内まで行くことに…

車内では、
1周忌を終えた父のこと、
自分たちの老後のこと、
TVを賑わす芸能ネタ…
なんでも有り…の話題で楽しく盛り上がった。

百貨店でランチの途中、
「今夜、アクセサリーを、手作りしている友達の家に行かない?」
と、誘われた。
もう、父の介護をしなくてもいいので、
私はいいのだが…
「夜はご主人がいるでしょう」と、気になった。
「別れた」
一瞬、冗談だと思った。
「とうとう堪忍袋の緒が切れた」と、Mちゃん,

同じ中学で、Mちゃんも、私も、転校生だった。
卒業後、偶然にも、私が勤めていた会社に、
Mちゃんが就職してきた。

私が退社してから、音信はなかったのだが、
5年前の同窓会で再会し、

私が父の介護をするようになり、
毎月、田舎に帰るようになってからは、
毎月、買い物に連れて行ってもらったり、
遊びに連れて行ってもらった。

ご主人の運転で、何度も、剣山に、連れて行ってもらったことも…

再会した時、48歳で遅い結婚をしたのだと、聞かされた。
その当初から、ご主人の不満を、口にしていたが、、
最近は、ご主人も少し改心した…と、聞いて、
うまく行っているものと、思ったいたけど…


Mちゃんが以前に言った言葉で、
忘れられない言葉があった。

「人が、要らんと捨てたものは、拾うものではないな…」
ご主人は再婚だった。

「結婚生活の21年間、なんだったんだろう」と、悔し涙を
Mちゃんは流した。

「人生100年だよ、まだ30年ある。
90まで元気で居れば、21年は、取り戻せるよ。
残りの人生は、自分の為に楽しんで生きようや…」

人生色々…

生きていれば、一冊の本が書けるほどの、
その人の人生がある。

Mちゃんにも…
私にも…




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父の1周忌

2018-01-08 13:04:09 | 田舎日記
7日、父の一周忌の為、香川の息子家族と一緒に、父の家に戻って来た。

母の十七回忌が今年の8月なので、一緒にする事にした。
(母が亡くなって17年、早いなぁ〜)

身内だけの集まりだが、父を偲び、母を懐かしみ…法要は粛々とおこなわれた。


父は生前(2016年7月)にDVDを撮影していた。

しょうけい館…知らない人が多いだろう。

しょうけい館(戦傷病者資料館)
戦傷病者とその家族の、戦中、戦後に体験した、
さまざまな労苦についての証言、歴史的資料、書籍、情報を展示し、
後世代の人々に、労苦を知る機会を提供する、
厚生労働省が設置した国立の施設、

戦傷病者は、高齢になり、生存者は少なくなっている。

2016年に、徳島で生存されている人は5名

父も、その中の一人だった。

2016年の7月に、しょうけい館の人が自宅に来てくれ、
父の部屋に、カメラやライトが設置され、

父は、戦争の語り部として、
時には笑顔で…時には苦しみで顔を曇らせ…言葉を詰まらせ、
インタビューに答えていた。

無口だった父は、敢えて、私たちに苦労話を聞かせる事をしなかったので、

何も知らなかった私は、
この時、左目の視力を失った父の苦労を知った。

DVDを撮影した時、
この6ヶ月後に亡くなる事など、微塵も感じさせない程、元気だったのに…


2016年年7月に撮影、
その1年後の2017年に、しょうけい館から撮影されたDVDが、送られた来た。
その時、父はここには居なかった。

奇しくも、このDVDが、父の形見となってしまった。

DVDの中の父は、戦後の苦労を乗り越え、
穏やかな、笑顔を残してくれている。

最後に父の枕元に駆けつけた時は、意識がなく、
声をかけても、言葉が無かったが…

DVDの中の笑顔は、
最後まで自宅で介護した私達に残してくれた、
感謝の笑顔に思え
救われた。














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165回

2018-01-06 21:24:52 | 田舎日記
3日前、1回しか縄跳びが跳べなかった孫
2日前には、40回跳べた。

そして、昨日の朝、
パパは「今日は、100回跳べるように」と、
無茶な注文をして、仕事に出掛けた。

昼間、頑張ったけど、60回しか跳べなかったので、

夕方暗くなってから、リベンジ。

駐車場の明かりの下で、
100回跳べるまで…と、頑張った。

頑張ったのは、孫だけではない、
寒さに震えながら、おばあちゃんも、応援頑張ったよ。

1時間頑張って、95回跳べたが、
100回が、なかなか跳べない。

時間が経つほど、体力は尽き、
飛べる回数は、明らかに減って行く。

「95回跳べたから.もういいよ!」…と、諦めの早いおばあちゃん。

「パパと、約束したから、後1回だけ…」と、諦めない孫

「後1回」「後1回」が何度も続く。

「おばあちゃん、寒いよう〜〜」
あまりの寒さに、弱音を吐く私に、

孫は「おばあちゃん、僕が温めてあげる」と、
汗ビッショリ身体で抱き付いてくる。

有り難いが、
早く、お家に入りたいよう〜〜

諦めない孫に、
「それなら、7時まで、頑張ろうね」…と。

結局、100回は、跳べなかったが…

余程悔しかったのか、
今朝、朝食の後、朝練!


おばあちゃんは、6枚も服を重ね着して、
お付き合い。
それでも、今朝の風は冷たいよ〜

早く100回跳べますように…

応援ではなくて、
もう、天にお願いだよ〜

不思議!不思議!
願いが通じたのか?

100回では無く、
165回も、跳べたよ。

3日前、1回しか跳べなかった孫が、
165回も、飛べるようになった。

その運動能力の凄さに、感服!感動!


そんな、孫とも、明日は、バイバイだね。




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孫と遊ぶ

2018-01-04 17:07:05 | 田舎日記
3日、
息子が孫を迎えにきてくれ、
一緒に香川に来ている。

その夜から、二人の孫の布団に挟まれ、
寝相の悪い孫達の、足の下敷きになりながら寝る。

「おばあちゃん、遊ぼ!」「おばあちゃん、遊ぼ!」
3人の孫から、指名される私は人気者???

永遠に続くしりとり。
同じものは2回ダメだと言うと、
みかんのジュース!、スイカのジュース、りんごのジュース…と来る。

り…に詰まると、
リカちゃんの服、リカちゃんのオモチャ、リカちゃんのパパ…と、ズルをする。

こんなのに、1時間も付き合わされる
(ここは、長年培った根気と忍耐で、乗り切って…)

寒くたって、外に出て縄跳びの練習相手
1回しか飛べなかった6歳の孫、
昨日、30回飛べた。

今日は40回飛ぶまで…だって!

何度も失敗しながらも…諦めない!
(この根性、小さい時の息子に似ている)
仕方ない、付き合うしかないな。

孫は汗びっしょり…おばあちゃんは、寒くてブルブル

29、30…30回超えた…
36、37、38、39で足に引っかかった

「もういいよ!、38回も飛べたのだから…」と私
「絶対40回飛ぶまで…」と孫
(言い出したら頑固なところも、息子そっくり…)

それから何度も失敗して、

ついに、39、40…飛べた

外に出て、声を枯らして応援する事、45分

でも可愛いよ
紙の箱を切って、メガネを作ってくれた。


「おばあちゃんは、メガネをかけているから、これプレゼント…」
泣かすね〜〜
「忘れたらあかんよ!」って、念を押されたよ。

忘れないよ! メガネのことも、優しい孫の気持ちも…
だから、いつまでも、おばあちゃんのことも、忘れないでね‼️





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喪中のお正月

2018-01-01 22:48:24 | 田舎日記
1月1日、新しい年が明けました。

喪中の私には、お正月らしいことのないお正月を過ごしている。

29日、父の1周忌の準備のため、
早目に田舎に帰ってきた。

寒いが穏やかな日だった。

通いなれた高速バス
見慣れた冬の風景…

昨年の冬と何も変わらない。
人の姿は見えないが、そこには正月準備に精を出す人達の生活がある。

白い湯気と、煮しめを煮る匂い…
ふと、
父が待っている家に帰るつもりでいる自分に気づき…ハッとした。

冬の景色も、正月を待つ風景も、昨年とは何もかわっていないのに、
自分の置かれている状況だけが、昨年とは違っていて…悲しかった。

30日には、息子が孫を二人連れてきて、預けて帰った。

悲しいとか…寂しいとか…感傷的な気分はここまで…

二人の孫に、振り回されている…が、
それが救いにもなって居る。

ここに居ると、
どこを見ても、何を見ても、父を思い出す。

昨年のカレンダーには、
妹と交替で介護するスケジュールが、ぎっしり書き込まれていて、
本当なら、このスケジュール通りに、この1年介護していただろうに…また涙する

昨年のお正月には、孫たちに嬉しそうにお年玉を渡していたっけ!

孫が言う「お年玉をくれて、おじいちゃんは、何日後に死んだん?」

「20日後だよ」

その時、孫も、私も、20日後に、永遠の別れが来るとは思っていなかった。

弟が、仏壇の世話をしてくれることになり、位牌も持ち帰って居るので、
父の家の仏壇には、父と母の写真しかないが、

仏壇の掃除をして、
庭の水仙を、花生けに刺し、
水を供えて、線香を立てて、手を合わした。🙏

「お父さん、ほら、孫たちがきて賑やかでしょう?
今年は、お年玉、あげられなかったね…」



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