先週の土曜日は、木彫りのお稽古日。
お母様の介護でしばらくお休みをされていた生徒さんが来られて、
久しぶりの再会に、話が尽きない。
今日は、彫刻刀を持つ手より、口の方が働き者だ。
親の介護の話になると、深刻な苦労話になる。
ましてや痴呆の親となると、重くて苦しい話と身構えて聞いてしまうが、
彼女は、穏やかで優しい表情で、こう話す。
「お母さんが、ずんずん子供になっていく。
想像も付かない悪戯をして、「よくこんな事を考えるわ!」と驚かされるが、
怒っても「わからん!」と、お母さんの無邪気の様子に、
笑ってしまうのよ」と、言う。
また、「子供のように泣くお母さんを、膝に乗せ、抱きしめると、
細く小さくなっていくお母さんが「愛おしい」とも・・・・
こんな言葉で、話せるまでには、
他人には見せない、分からない苦労がずいぶんあっただろうに、
いつも前向きで、嫌なこと、辛いことを喜びに変えられる、慈愛の心と包容力は
「すごい!」と、感心するばかりだ。
全て気持ちの持ちようで、自分も相手も幸せに、出来ると言う事なのだろうか。
私も、もうすぐ92歳の父の介護のため、会社を退社する。
老いていく父の姿を、目の当りにした時、
彼女のように、優しく接してあげられるだろうか。
自信は無いが、良いお手本はそばに居る。
今は、高額なお金を出せば、ホテルのような生活が出来、
最新の治療を受けられるホームが有るらしい。
お金を払ってしてもらう完璧な介護、
それに反して、
愛情を持って、世話をされる親身な介護
どちらがいいとも言えないが、
どちらも、望めそうも無い人間は、
さあ、人生の最後を、どう生きて行こうか・・・