最後にホータン特産玉ギョクのお店を何軒か見ながら
再びバスで次の目的地へ
+++++++++ 何かと陽気で明るい和田の人たちでした ~~~~
◆~無邪気すぎるほど明るい人達の住む、砂漠の中のオアシス都市
ホータンから、再び寝台バスにて砂漠の中を北上し クチャへ~
新疆南部のタクラマカン砂漠のなかのオアシス都市ホータンをあとに、
再び寝台バスにて砂漠を北上し、天山南部のこれまたオアシス都市
クチャへと向かいました。
昨年6月も、このクチャの町は通りましたが、その時は時間の関係も
あり、素通りでした。
この町、この都市こそが古代絹の道での重要な拠点であり、東西文化
の、貿易の最重要中継基地でした。
そのため、郊外にも貴重な仏教遺跡もあり、さらには天山の大自然の
中での雄大な岩山、奇岩等があり、今では通りすがりの人たちの目を
楽しまさせてくれます。
今回、この町では、ホータンが市内のみの散策中心でしたので、この
クチャは郊外の史跡と雄大な大自然を堪能したいと思います。
クチャの長距離バスターミナルです
ターミナル前には、さまざまな店や宿泊所が軒を
ならべています。到着日の夕食はこの場所で食べ、
宿泊も格安な招待所でも、とも考えましたがやはり
ネット接続がないためあきらめました。
(しかし、当日は他の宿泊施設3軒を回りましたが、皆
満室でした。こんな時もあるんですね。。。やむなく、
バスT横の交通賓館へ。しかし、なんと、ここではネット
接続ができない宿でしたが、まあ、1日我慢することにし
そのまま投宿へ:一応の国際ホテルでした)
□~その夜、なんと大きな揺れが・・近くでは悲鳴も~~
中国ではこんなことは初めての体験です。かなりの揺れが
続き、正直、レンガ造りの家々では倒壊しているところも
あるのでは、とも心配もしましたが、翌日の報道では、この
新疆を中心にM6台の大きな地震発生のニュースを流してい
ました。
中国での一番の怖さは、貧弱な建物が多く、壁、柱等、すべて
個人の職人がアルバイト感覚?で作業をしているような建物が多
く、ちょっと寄りかかると壁が倒れるのでは、と心配もしたくな
ります。
ちなみに、私の住んでいる北京の建物の目の前に、中古ですが、
以前の建物を改修し、あたらしくホテルが今年はじめに完成し
ましたが、部屋と部屋の間の壁はレンガを積み重ね、窓枠も、
同様にレンガを一つづつ積み重ね、あとは左官屋さんが手でコン
クリートを流し込んでいます。それも、彼ら二人は咥え煙草で
いかにも農民工、打工です。しかし、完成してみると、表面上は
青壁で塗装されたいかにも立派そうなホテルですが、とても壁の
近くには寄りたくもありません。触ると即、崩れそうです。
■翌朝、早速、バスターミナル左隣の「文化旅行社」へ
郊外への史跡めぐりツアー等で催行できるものはないかと問合せ。
地元中国人4人の一日観光の日程なら、なんとか1名追加で参加
できるということでしたので、早速申込み。一人、やはり300元。
運転手券ガイドで昼食付、入場券付だという。
結局、合計5人での観光団となりました。
車は郊外へ、砂漠とはまた違った風景です:そして渓谷への入口へ
チベットラサのポタラ宮に似た赤茶けた岩山です
~~◆ 他の4人とも、いやに熱心に岩に触ったり、岩石を覗いたり
何しているんだろう・・・
実は、この4人は北京からやってきた、北京大学の有名な考古・地質
学者の家族3人と、もう一人はイギリスから帰国した地質学の博士で
した。どうりで熱心に、よく観察しているはずだ・・。
彼らは、この渓谷にて約1時間半あまり奥へ歩くが、私にどうしますか?
ということでしたので、この近辺で待っていても仕方ないので、一緒に
歩いて行くことにしました。
彼らは英語も達者で、親は北京大教授、子供も同じく北大学生、そして
英国在住の学者たちでしたから。。。
おかげで、様々な地質学の勉強は勿論、政治文化の分野でも情報交換が
できました。
??
天を見上げたところの映像です
まさに 雄大な大自然の姿に感動です!
このような岩の間を潜り抜けながら奥へ奥へと
塩をたっぷり含んだ岩肌も
かつての楼蘭の歴史にみられるように、この一帯にも幻の湖ならぬ
塩水湖等もあったのかも知れません。
砂漠の中の猛烈な暑さの中では、さすがに湖も枯れてしまいます。。
◆大雨、雷雨・・・ 突然、渓谷の帰り道雷雨が襲ってきました。
湖も干しあがって大変だなあ、などと話していたら、当然の豪雨
襲来です。雷も・・・・
頭から、靴の先まで、ずぶ濡れのなか、10分以上も歩き、下山し
ましたが、まさにずぶ濡れです。
少し乾燥してから車に乗り込むのかな、と思っていたら、そのまま
車に乗って次の目的地へ・・・そういえば、もうpm1:30です。
車は、ずぶ濡れの私たちを乗せ、外は大雨の中、さらに40分以上
走り続けやっと陽も差してきました。窓を全開にし、濡れた服を少
しでも早く乾燥させようとしました。
■ やがてまた、前方にオアシスと大きな川が見えてきました。
デコボコ道に揺られながら、その川の方へ、オアシスの中へと
車は進みました。
するとそこは、川辺に位置する、あの有名な中国4大石窟の一つ、
キジル千仏亀茲国を代表する仏教遺跡です。
この地区は、拝城地区にあり、クチャ市内からは70キロ程の距離
にあり、川と緑に囲まれたムザト河の崖に刻まれた一大石窟の町、と
いうよりかつての王国でした。
建物の近くに行くと、大勢の学者風の人たちが出迎え、その教授の来
訪を歓迎していました。
この場所で一旦昼食をとり、その後、石窟の見学となりました。
△ 石窟見学にあたっては、さすがにこの教授たちでも写真撮影は不可
カメラ、持ち物すべてをロッカーに預け、見学開始です。
各石窟内の保存はよく整備されており、かつて3世紀からはじまった
この発掘作業は、今になってもまだ補修、保存作業に毎日追われている
ようです。(説明は難しい単語ばかりでよくわかりませんでした。教授
と博士が、盛んに女性案内人に何度も質問をしていました)。
▼ 一旦、見学を終え、研究所に戻ると、今度は未公開石窟へ
(この地区は未公開の石窟でしたが特別に係3名が一緒について、
石窟室内特別見学です:写真もOKでした。)
中では、女性の研究員が、一生懸命に壁画の補修修理をやって
いました。
特別の液体?、顔料等を駆使し、丁寧に、細かく修復していました。
このようにして、これからもあと百年、数百年と後世に歴史を残し
ていくのかとあらためてこの石窟に関心を持ち、感心しました。
研究所では、特別に、藍色の顔料の基となる岩石も記念に一粒プレ
ゼントされました。
この、教授たちのおかげで、今回、貴重な体験をさせていただきまし
た。今日の観光は午前1か所、午後1か所の特別観光となりました。
雄大な大自然と 古代仏教遺跡の一つを特別に見学でき、充実した、
素晴らしい一日でした。
今回の私自身の西域への旅はこれで終わりとなりますが、今後、
再び烏魯木斉へ、そして北京へと旅立ちです・・・・・。
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