AKIRA-NEWS by goo

Tcupサ終のため2022年春に移籍しました。岩手盛岡のことやサッカーなどスポーツのことを書きたいと思います。

おのれディケイド、この世界もお前によって破壊されてしまった!!

2011-11-29 00:27:00 | SOCCER
疫病神だ何だということで…ひとつネタ。

おのれディケイド、
いや、IRV!
これらの世界もお前によって破壊されてしまった!!

んですか?

10.23 東京23FC 浦安JSCにまさかの敗退
11.19 モンテディオ山形惨敗、バス待ち騒動に
11.23&27 ブラウブリッツ秋田、ホームで連敗


2008年の湯本事件以降はおとなしくなったかと思いますけど。

次は12.3山形と12.11秋田。17は富山ですから辞退?
おとなしくレッドファルコン鹿谷を見ます。



2008年最高の試合

2011-11-28 21:00:00 | 蹴歌蹴闘
2008年のT2Nでオラが最高の試合だと思うのが、遠野での遠野クラブ戦だった。
9月14日、この日盛岡南公園では天皇杯1回戦が行われていた。その裏でオラは遠野でのT2Nを観戦することにした。

試合はまずホームの遠野が菊池長俊のゴールで6分、16分と連続ゴール。先制点は山崎聖のアシストだから同級生ラインということになる。
対するゼブラは23分に広田晋作のパスに藤村伸が受けシュート、1点を返す。

ところが30分、またも菊池のゴールが決まってしまった。これで1対3、以前のゼブラならズルズルと泥沼に引き込まれていただろう。

しかし後半、流れはゼブラへ。
まず65分にPKをゲット、原田太が落ち着いて決めて1点を返すと、直後に千葉真太朗のスローインを藤村が合わせて同点ゴール。

そして圧巻はゼブラが勢いある時間に逆転したこと。千葉の直接FKが決まったのだ。
国立のあの輝きを取り戻したかのようなこの日の千葉真太朗は、間違いなくこの日のMVPだろう。

だが、逆転もつかの間。原田が立て続けにイエローカードを出して退場したのだ。
こういうときは浮き足立つのだが、孝志さんがすぐさま高橋政成を下げて唯一のリザーブだった齋藤仁を投入。
齋藤が左の安達からのパスに反応してシュート、5点目が入り遠野の息の根を止めた。

ホイッスル、その瞬間オラは喜びを全身で表現した。まさに奇跡だった。

その後オラはちょうど祭りのあった遠野の街を歩いた。
遠野市内のアサクラ酒店に伺った。そこで店員にその日の試合結果を伝え、そのあとで地元の酒「国華の薫」を購入した。

なお、天皇杯のほうはグルージャ盛岡が山形大学に5点を奪い完勝した。これが岩手県勢天皇杯初勝利となった。


1997年4月20日13時5分、伝説の始まり

2011-11-28 19:38:00 | SOCCER
表題の日付を見て「もしや」と思った方いませんか?

NTT関東サッカー部 メンバー
GK 山岸
DF 佐藤・武藤・細窪・岡本隆
MF 石原・山下・平本
FW 小林・滝沢・塙
SUB 関(GK)・松崎・高須・大江・松井

監督 佐々木則夫


…そうです。伝説の平本大介秒殺ゴールですよ。宮城陸上(現・仙台市陸上競技場)でのことでした。

あれから14年後に佐々木監督は…ねぇ。だから僕にとっては思い入れのあるジャイアントキリングです。

もっとも当時はこのあとブランメルがゴタゴタしてしまい、宮城国体当時副知事だった松木伸一郎氏が社長となるんですよ。
(宮城国体といえばサッカーのユアスタ担当の主任が名川良隆氏、のちベガルタ社長のお方ですね)

あと当時の仙台のコーチに、NTT関東の後身となる大宮アルディージャ監督となった三浦俊也大先輩もいましたね。

…ざっと1試合をワンプレーと面子だけで振り返っちゃったんですが、どうなんでしょ。
これを生観戦した僕はすごいなと改めて思うんです。

何事にもスタートはある。

2011-11-28 19:27:00 | SOCCER
1995年5月、新潟で見たJリーグの試合がすべてのはじまりだった。
(あの時アルビレオ新潟のビラを配ってるグループがいたのを覚えている)

広島は高木琢也がまだいたが、怪我で前半戦は不在。大木と盧ジュンユンの2トップだった。
当時の監督は大クライフのチームメイトだったビム・ヤンセン。

どうだ、これだけでも年季入ってるでしょ。

対戦相手の柏、草野に千葉に大倉とのちのブランメル戦士がいたりする。
このときブラジルのエースだったカレカがいたのを覚えている人もいるだろう。

ナイターとなったこの試合、勝ったのは広島である。大木のゴールで1-0だった記憶。


余談だが、このとき昼に東関屋から味方までの新潟交通電車に乗った。
今となっては貴重な体験談だろう。


1995年はほかにも11月に市原臨海の市原(千葉)対広島を観戦。あのときはジュンユンのFKがあったものの、2-4でコテンパン。

このときすでに武藤真一が市原で定位置だったことを記しておく。彼や江尻篤彦、それに鈴木和幸や当時高校生の山口智らがいた市原から出て行った選手もブランメル戦士となる。(すでに吉田暢は仙台入りしたけど)

資料を引っ張ったら感慨深いものが出たが、それは別に記す。

行きのエビス、帰りの閻魔(by塩崎某)ten

2011-11-28 12:53:00 | SOCCER
秋田にて。

柏から野田君が俺の携帯に連絡。
「レイソル、日立台名残のゲームを勝てませんでした。すいません」

日立台は俺も思い入れがある。出来て2年目の秋、柏と広島の試合を見たんだっけ。
あのとき若かった久保竜彦も、もう引退がささやかれている。時が経つのは早いもんだ。

野田君に返信。
「日立台でライジングサン、とならず残念でしたね。でもまだ首位ですよね?」
すぐさま野田君は
「はい。次こそ勝ちます」
そう言って最終節へ気合を入れていた。

J1最終節は山形で広島の応援。しかし山形がきょうも名古屋に0-3の完敗。これでいいのか?という連敗である。
広島サポーターではあるが、山形の暗黒時代が来るのを恐れているのも事実だ。
いや、元々俺は高木琢也に憧れJリーグファンとなった男だ。広島を応援してやろうじゃないか。

それより12/11にJFLの秋田での最終戦がある。本来日光は霧降でのアイスホッケーの試合の約束があったが、秋田の連敗をほっとけないし、横山監督への花束という意味深なカンパがあったので12/11八橋ということにした。

いずれにしてもJリーグは来週がラスト、JFLは再来週オーラスとなる。
選手、スタッフ、サポーター、みんな悔いのないようがんばろうじゃないか!

FORZA J&JFL!!