25黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+2(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

百姓の意味

2023年09月04日 | 気象

2023年9月4日(月曜日)午前6時:[  25c/34c/30%  ]{ Getup0500 } 曇り、蒸し暑い残暑

どんよりと曇った週明けだが、雨の予報は全くない!降れ!降ってくれ!

今のところ、「いつ雨が降るのか?」が最大の関心事。夜明けに曇り空だと、湿度が高くても朝露が降りないし、明け方の涼しさを味わえない。

さあ、昨日は何もせず、しっかり「休養」出来たので、今朝は畑に出向こう。刈り取った草の始末や、鉄柵の一部手直しなどをしなきゃ。アゲハの幼虫もチェックだが、山椒は諦めた。また、1からやり直し? 気力が出るかどうか、先のことは分からない。

ところで、大公殿下秀吉が、生まれは中村という村の「百姓」だということは、誰もが知っている。しかし、なぜ「百姓」というのか、ということになると、あまり知られていない。なんとなく、農業、主に稲作を中心とした農業を営む、貧しい多くの人々を「昔は百姓」と言っていたような「感じ」がするだけで、正確な意味は知らない。

稲作に従事する多くの人を、本来「田堵(たと)」(多分、今の漢字では、堵は徒がピンとくる、生徒の徒だ)と言っていたらしい。田んぼ仕事に従事する者たち。その者たちに名前はあったが、「姓」はない。「中村(村)の秀吉です」と、個々人に区別の符号が使われる。それを「姓」(土地の所有者や支配者層は、苗字)といい、それらが百ほども、たくさんあるという意味で、総称して「百姓」と呼んだとか。

多分、百姓の後には「百姓ども」と複数で使われるが一般的だったのではないだろうか。まあ、有象無象というか、多くの生き物というか、一般大衆というか。

その意味を考えれば、現代では、農業となんら変わりなく、人口の一部を除いて(どんな人々か、私は知らないが)その他は、「百姓」なのだ。マイナンバーカードで区別できる名前はあるけれど、百の姓を持つ生き物の総称だ。

さあ、朝仕事に出かけるべ。