山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

吹く風は涼しくもあるか‥‥

2005-10-04 10:11:51 | 文化・芸術
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

041219-007-1

-今日の独言-

 アタリ、ハズレ、どっち?
昨日(10/3)、プロ野球の高校生を対象としたドラフト会議で、籤引きの勘違いから二件ものドンデン返しとなる騒動が起こったという。ハズレ籤をアタリと勘違いして発表され、ご丁寧にも本人たちに伝えられ、喜びの記者会見もした後に訂正され、再度の記者会見を行なうというドタバタ。
ドラフト制度には悲喜こもごものドラマはつきものだろうが、このドタバタ悲喜劇、当事者の高校生二人にとっては、笑ってすませるものではあるまい。事実、一人は訂正の結果が意中の球団とあって喜びもひとしおだが、もう一人は逆に意中の球団指名に喜びの絶頂から急転直下、気の毒にも涙の再会見となった。心乱れてなんともいいようのないこの哀れな少年に、マスコミも学校周辺もあらためて感想を強いるという構図もまた些かいかがわしいものだと感じさせられた。


<秋-2>

 幾年のなみだの露にしをれきぬ衣ふきよせ秋の初風
                                ―― 藤原秀能


承久の乱で後鳥羽院は隠岐に流謫の身となった。その隠岐には作者の猶子能茂が随行していたという。流謫の後鳥羽院を想い日々涙したのであろう。
三句切れ、さらに命令形で四句切れ、そして体言止めによる終句。この重層によって哀感はより強められる。


 吹く風は涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来ぬけり
                                ―― 源実朝


金塊集中、秋の部にある。破調二句切れの万葉に学ぶ心。まだ二十歳をいくらも出ていないだろう実朝の諦観、内に潜む悲哀が、些か肩肘を張ったかにみえる歌の姿に、かえって痛々しく一首を貫いている感がある。

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