-今日の独言-
撤退つづく海外メディア
「報道写真家から」というブログがある。中司達也さんというフリーの報道カメラマンが、海外ルポから国際政治、旅行記など思うにまかせて書き継いでいる。時々読ませていただくのだがテーマ性も明確で問題への肉薄もしっかりしていて読み応え充分。
19日付は「日本から撤退する海外メディアと神船6号」と題した一文。
ここ数年で、かなりの海外メディアが日本から撤退しているらしい。要するに日本が発信しうるニュース価値が「失われた十年」以後著しく低下している訳だ。所詮、ニュース価値などは地球世界のなかで相対的なものとしてその時代々々を反映しつつたえず流動してゆく。日本から海外メディアがどんどん撤退しているということは、より高いニュース価値を求めて他の国々へと移動している訳だ。その他の国々とは、現在の場合、中国を措いて他にはあるまい。この変化の相の下で、靖国参拝が著しく外交問題の傷を深くしているという構図に、小泉首相はいまだ考えが及ばないのか、或は側近や外務官僚から指摘されながらも知らぬ半兵衛を決め込んでいるのか、いずれにしてもファナティックで迷惑千万なナルシストだ。新人議員たちを前に「政治は洞察力だ」と宣うたという当の本人にこそ、そっくりその言葉を返したいもの。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<秋-12>
いつまでのはかなき人の言の葉かこころの秋の風を待つらむ
詠み人しらず
後撰集、戀。想いの人は心あるやあらずや、疑えばきりもなく惑うばかりの我が身に耐えがたくも、なお真心の便り-返書をひたすら待つのみ、か。四句「こころの秋を」に新鮮な響きがあり、邦雄曰く「下句の縷々とした悲しみは、類歌数多の恋の部に紛れない」と。
さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫
藤原定家
新古今集、秋。藤原良恒邸で催された花月百首中の歌。宇治川にかかる宇治橋には諸説の橋姫伝説があり、古来、橋姫に寄せて詠まれた歌は数多ある。
四句「月をかたしく-片敷く」は、衣片敷くが定型的な表現だが、あえて新奇を狙い転換させたもの。邦雄曰く「三句「風ふけて」は、鴨長明が無名抄の中で厳しく咎めている奇抜な修辞の一つだが、「月をかたしく」と共に、いわゆる達磨歌の面白み躍如」と。
――「達磨歌」についての参照記事
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