-今日の独言-
高村薫の「レディ・ジョーカー」を読む。
二段組で上下巻850頁余の長篇はさすがに一気呵成という訳にはいかない。
前半は輻輳した運びに些か冗漫さがついてまわりなかなか読み進まなかったが、上巻の終盤あたり「事件」以後は太い縒糸のごとく緊密な運びとなって読むのも急ピッチに加速した。
著者は「グリコ・森永事件」に着想を得たというが、直接には現実の事件とは関わりなく、その構想力と構成の確かさはバブル経済下の政・官・財の癒着構造によく肉薄しえている。人物たちの設定や配置も巧みだし描写もしっかりし、些か観念的ではあるにしても、それらの関係の中であぶり出しの絵の如く現代社会の病巣を浮かび上がらせている。
読み終えてから今更ながら昨年に映画化されていることを知ったのだが、その勇気ある野心には敬意を表するけれど、映像化にとても成功するとは思えないのであまり食指は動かない。同じ著者の「晴子情歌」の抒情世界ならぜひ映像で見てみたいと思うものの、これはこれとてさらに難題だろう。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<秋-6>
影うつりあふ夜の星の泉河天の河より湧きていづらむ
十市遠忠
遠忠詠草。室町後期の武将で歌人。大和国十市城主(奈良県橿原市)。集中に七夕を詠じた「天・地・草・木・蟲・鳥・衣」の七題の歌があるそうでこれは「七夕の地」にあたる。泉を天の河に見立てた趣向。上句と下句の対照は連歌の付合いを想起させ、室町後期というこの時代を思わせるか。
露くだる星合の空をながめつついかで今年の秋を暮らさむ
藤原義孝
藤原義孝集、秋の夕暮。平安中期、一条摂政伊尹(これまさ)の子で、後少将或は夕少将と称されたが20歳未満の若さで夭折した。「星合の空」とは彦星・織女が出会う七夕の空の意。上句の「露」は涙を暗示し、四句の「いかで」の語に暗澹とした思いがにじむ悲歌。
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